1 : 10,000人の男

 

皆さん祖国を守るため1対10,000人で戦い抜き、しかも生還され、その後も祖国の為パラオの為に一生を捧げた男ご存知でしょうか。

渋谷駅前の大盛堂書店初代社長の船坂弘元軍曹です。

ネットでは松坂軍曹と誤って伝えられている様ですが、船坂さんが正しいお名前です。

 
船坂さんはあらゆる武道に秀で、学業も優秀いわゆる文武両道、何よりも強靭な精神と肉体の持ち主でした。
 
パラオーマリアナ戦線で水際作戦により中隊が壊滅する中、ゲリラ戦へ移行し、
瀕死の負傷を負い、軍医が見放し自決用の手榴弾を手渡した時、夜通し這って洞窟の陣地へ帰り、翌日には足を引きずりながらも歩くまでに回復をし、目覚ましい活躍をした人物。
 
絶望的な戦況に置いて、銃弾の貫通を始め、20数カ所の瀕死の傷を負い、うじに蝕まれる状況で、既に水も食糧もなく一矢報いんと
4日間這って(摩擦で全身大火傷を負われていた様です)敵の司令部をめがけて突入し、一斉射撃を受け亡くなりました。と アメリカ軍も思ったのです。
アメリカの軍医が遺体安置所で、拳銃と手榴弾を握り締めた指をこじ開けながら
「これが腹切りだ。日本の侍だけができる勇敢な死に方だ」と尊敬の念を示した
記録に残っています。
 
彼はその3日後に遺体安置所で目を覚まし、敵の食料庫焼き払い、
何度も何度も隠れて攻撃を繰り返し、アメリカ軍人は彼の事を、「勇敢な兵士」の名を称しました。

本当にサイボーグの様な方だった様です。
アメリカの軍医は、密かに攻撃を繰り返す彼の身を案じてくれていた様です。
何度も止められたと記録に残っています。船坂軍曹が他の場所に送られる時、感慨無量の様子だったみたいです。
 
彼の勇猛さはアメリカ軍に広く広まり、本名ではなく福田と偽名を使わす程で、
ペリリュー、グアム、ハワイ、サンフランシスコ、テキサスと終戦まで収容所を点々と移され、
46年に帰国しました。
それほど彼の存在は大きかったのでしょう。

戦後復興の中、自分の経験からアメリカのあらゆる先進性を学ぶ事が、日本の産業・文化・教育を豊かにする事であると確信し、書店経営を始めました。
 
私は文武両道の人物と聞いていたので、穏やかな余生の為、好きな本と一緒に生きたのかな、と思っていたのですが、違っていました。

日本の為だった様です。本を出版しそれによる収入は全て寄付、パラオ原住民への援助、
パラオと日本の交流の橋渡しをし、各島に慰霊碑を建て、慰霊にも行かれた様です。彼の業績を挙げれば数限りません。
三島由紀夫さんとも交流がお有りだった様です。
三島由紀夫さんが割腹自殺された時、解釈に使われた刀剣は船坂元軍曹が三島さんに
送られたものだそうです。
 
圧巻です。生き様を見せ付けられた気が致します。
有難うございます。
 
本日渋谷の駅前の大盛堂書店さんに行ってお話をしてきました。
 
 藤原学習塾ジャストカーム 
今日は本当に中身の濃い1日でした。
自分に出来る事はやっているつもりですが、
それでも心が揺さぶられました。
 
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お送り下さい。
指導歴37年のよしこ先生がお返事させて頂きます。