『火の接吻 Les amants de Vérone』1949年
全員名優で、素晴しかった。
『ロミオとジュリエット』でロミオとジュリエットの代役をした男女が「ロミオとジュリエットになる」話。
入れ子細工、二重構造で、『Wの悲劇』を想起。
第二次世界大戦直後、ムラーノ島出身のガラス吹き職人アンジェロと、ファシストの治安判事の娘ジョルジア・マリアが、ベネチアでロケ撮影された映画版『ロミオとジュリエット』の代役をすることになった。
(左がジョルジア、右がアンジェロ)
ジョルジアの家マリア家は没落しかけている屋敷を所有する一家で、そこをラファエルというヤクザの実業家に付け込まれて実権を握られていた。
美しい15歳のジョルジアとラファエルが結婚することで、マリア家は金の面で安泰になるはずだった。
しかしジョルジアはラファエルを嫌っている。
このマリア家の人たちはジョルジア以外全員「狂って」いる。
ジョルジアの父は生気を失った引きこもり、母は、同居する戦争帰りで狂っている(多分)弟にピアノを弾いて慰めている。
ジョルジアの祖父、つまりジョルジアの母の父はボケている。
家のメイドはジョルジアの父と恋仲、しかしこの二人は嫌い合っているという側面もある。つまり本音で付き合う男女。
アンジェロとジョルジアは『ロミオとジュリエット』の代役でバルコニーで向き合った瞬間互いに一目惚れ。舞台の外でロミオとジュリエット関係になる。
この代役の二人がこの映画の主人公であるというところがミソ。
アンジェロはジョルジアの二階の部屋へバルコニーから忍び込み、二人は一夜を過ごす。
この情事が婚約者ラファエロの知る所となり、ラファエロは部下二人を使ってアンジェロを殺そうとする。
アンジェロには、アンジェロが妹のように心配している娼婦時々花売りがいるが、彼女はアンジェロを愛している。アンジェロと性的関係があるが、アンジェロ以外の男と関係して子を産み、今もアンジェロ以外の男との間の子を妊娠中。
この女性が、アンジェロを訪ねてきたジョルジアを見て嫉妬、ジョルジアがアンジェロに渡してと言った映画のスケジュールメモを破り捨ててしまう。
しかしこの二人の運命の糸は切れず、アンジェロはラファエロの子分に水死させられそうになっても生き延び、マリア家のメイドにおびき出されてジョルジア不在中の一家に殺されそうになっても生き延びる(この闘争中、戦争帰りの狂人の、ジョルジアのおじが散弾銃で撃った弾がラファエロに命中、ラファエルは死去)。
アンジェロは撮影中のスタジオにたどり着くが、散弾銃の弾を受けていて瀕死。
それに気付いたジョルジア、アンジェロにキスをするとアンジェロはジョルジアの腕の中で死去。
ジョルジアはそばのガラスの破片で両手首を切ってアンジェロの死体の上で死去。
そこへスタジオの関係者が来るが、物陰の二人の死体に気付かず出て行き、ドアが閉められたところで、ジエンド。
ジョルジア役のアヌーク・エーメが美しかった。
アンジェロ役のセルジュ・レッジャーニ↓は、『ウエストサイド物語』のトニー(演・リチャード・ベイマ―)に似ていると思った。
『ウエストサイド物語』のトニー(リチャード・ベイマ―)
原題『Les amants de Vérone』の直訳は、「ヴェローナの恋人たち」。
★ムラーノ (Murano) は、イタリア北東部ヴェネツィア本島の北東、マラーニ (Marani) 運河に沿って位置する島である。★
ベネチア(ヴェネツィア - Wikipedia)
冒頭のガラス職人のシーンも非常に興味深かった。(ムラーノ島のガラス職人)
ガラス細工職人が集う島「ムラーノ島」。ヴェネチアングラスが盛んな理由とは? | たびこふれ (tabicoffret.com)
★ムラーノ島に工房が集中している理由とは?
ヴェネチアングラスの工房が集中し始めたきっかけは、13世紀中世にまで遡ります。
当時、東西貿易の中心地だったヴェネチア共和国は、取引物の中で最も珍重されていたガラス製品を自国で製作して、利益をあげたいと考えていました。しかし、原材料や燃料を自国で産出することが出来ないヴェネチア。コピーや類似品が、原材料が豊富な他国で生産されることも懸念されていました。
そこでヴェネチアがとった政策は、非常に大胆なものでした。
ガラス職人だけでなく、家族、販売者をムラーノ島へ強制的に移住させたのです。この政策は技術流出を防ぐためだけではなく、溶解炉が火元となる火事の被害を最小限に抑える目的もあったと言われています。
これにより、狭い島内に押しやられた職人たちですが、そのような境遇のなかでも腐らずに切磋琢磨し、独自の技術を次々と生み出していきました。ガラス製品や鏡、シャンデリアなど美しい芸術品を生み出す力が育てられていったのです。
ヴェネチアングラスの発祥について書かれた正確な文献はありませんが、その技術の進歩によって、ヴェネチアングラスの工房も集中するようになったといわれています。★
ムラーノ島
★Wikipediaより★
『火の接吻』(ひのせっぷん、仏語: Les amants de Vérone)は、1949年に公開されたアンドレ・カイヤット監督によるフランスのドラマ映画。
映画はウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』を元にしており、この映画は脚本家のジャック・プレヴェールと監督のアンドレ・カヤットの共同プロジェクトとして国際的に大きな成功を収めた。この映画はイタリアで1949年、国際的には1951年に公開された[1] 。
あらすじ
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ムラーノの若いガラス細工職人アンジェロはガイドのラファエレと共に見学に来た映画女優のベッティナを好きになってしまう。ベッティナは新作映画『ロミオとジュリエット』の撮影で使用する時代にあった調度品を探しにプロデューサーと共にムラーノを訪れていたのだった。ラファエレはベッティナらをサン・マルタン運河にほど近いマリア邸に案内する。マリア家はかつてはヴェニスの名門貴族であったが今は没落しており、当主エットォレは家名を誇り昔日を夢見るだけ。従弟アメデオは戦傷が元でおかしくなって機関銃を射つ真似事ばかり。エットォレの妻ルチア、家政婦レティティアも風変りで、ただ一人、エットォレの娘ジョルジアが例外であった。ラファエレはマリア邸を財政的に援助しており、ジョルジアの婚約者を主張していた。
ジョルジアはベッティナに働き口を頼み、翌日、撮影所に行ってベッティナのスタンドインの仕事を得る。アンジェロはベッティナを一目見ようと撮影所を訪れるが、エキストラと間違えられ衣裳を着せられる。撮影は第二幕第二場、有名なバルコニーのシーンだった。ロミオ役の役者が高い縄梯子に尻ごしみたため、アンジェロが急遽スタンドインとして縄梯子に登らされる。バルコニーにはジュリエットに扮したジョルジアがいた。アンジェトとジョルジアは顔を見合わせた瞬間に激しい恋におちてしまう。
ヴェローナの旧跡でのロケーションにはジョルジアとアンジェロも同行することになり、2人は夢のような日々を過ごす。しかし、ジョルジアの保護者として同伴していたレティティアの密告で2人の想いはラファエレの知るところになる。ジョルジアを連れ戻しにきたラファエレは一夜を過ごしバルコニーにいた2人の姿を目撃して激怒。与太者を雇ってアンジェロを殺害させようとしたが、これには失敗する。家名を重んじるエットォレは娘に手を出したアンジェロを憎み、レティティアを使ってアンジェロをマリア邸に呼び出して殺害しようとしたが、これもアンジェロは避ける。しかし、アメデオの機関銃弾を受けてアンジェロは重傷を負ってしまう。マリア邸を訪れていたラファェレもこの機関銃の巻ぞえで即死した。アンジェロは重傷を負ったまま撮影所にたどりつくが、セットの陰でジョルジアの腕に抱かれながら息を引き取った。ジョルジアもガラスの破片で動脈を切って自決した。★
★ヴェローナの恋人たち(フランス語:Les amants de Vérone)は、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」を大まかに基にした、アンドレ・カヤットが共同で脚本・監督した1949年のフランスの恋愛ドラマミステリー映画です。この映画は、 脚本家ジャック・プレヴェールと監督のカヤットは、大きな国際的な成功を収めました。1949年にイタリアで公開され、1951年に国際的に公開されました。[1]
プロット
第二次世界大戦直後、ムラーノ島出身のガラス吹き職人アンジェロと、ファシストの治安判事の娘ジョージア・マリアが、ベネチアでロケ撮影された映画版『ロミオとジュリエット』の主役に抜擢されました。必然的に彼らは恋に落ち、彼らの情事はシェイクスピアの悲劇と並行しています。主な困難は、マギア家の冷酷なコンシリエーレであるラファエルの陰謀です。結局、アンジェロは殺され、ジョージアは彼のそばで死にます。
キャスト
- セルジュ・レッジャーニ / アンジェロ (ロミオ)
- アヌーク・エメ - ジョージア(ジュリエット)
- マルティーヌ・キャロル - ベッティーナ・ヴェルディ、映画のスター
- ピエール・ブラッスール(ラファエル役
- マルセル・ダリオ(アメデオ・マリア役
- マリアンヌ・オズワルド(レティシア役
- 墓の守護者としてのルネ・ジェナン
- イヴ・デニオー(俳優のリカルド役)
- ガラス工房の責任者としてのシャルル・ブラヴェット
- マルセル・ペレス(ドミニ役、ガラス吹き職人)
プロダクション
この映画は、パリのビランクールスタジオとヴェネツィアのロケ地で撮影されました。セットはアートディレクターのルネ・ムラールがデザインしました。
撮影監督のアンリ・アレカンは、彼の回顧録の中で、16歳のアヌーク・エメがアディジェ川の冷たい水に全裸で飛び込むことを余儀なくされたときのことを思い出しました。[2]
批評家の反応
TVガイドはこの映画を「興味をそそるロマンス」と呼び[3]、ニューヨーク・タイムズのボズリー・クラウザーは「ヴェネツィアの現代の病的さとイタリアの派手な映画製作の奇妙でグロテスクなフレームの中を舞台にした物語」と評した。[4] ポーリン・ケールは、「この映画の官能的な詩的な優雅さは、それが包含する継ぎ目のない要素とは対照的です...この映画の芸術的な意図を意識しすぎていると感じ、ロマンティシズムに少し気が狂いそうになるかもしれません」[5]★