映画映画『賭はなされた Les Jeux sont faits』1947年映画映画映画映画映画

Les jeux sont faits (1947) - IMDb

 

 

 

非常に好きな映画だった。ソウルメイトの話。

フランスの哲学者サルトルの脚本を基にしているのだという。サルトル、ロマンチスト、と感動。

 

★ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル: Jean-Paul Charles Aymard Sartre [ʒɑ̃pɔl ʃaʁl ɛmaːʁ saʁtʁ]、1905年6月21日 - 1980年4月15日)は、フランス哲学者小説家劇作家。内縁の妻はシモーヌ・ド・ボーヴォワール。右目に強度の斜視があり、1973年にはそれまで読み書きに使っていた左目を失明した。自らの意志でノーベル賞を辞退した最初の人物である。

実存哲学の代表者。『存在と無』などの思想を、小説『嘔吐』、戯曲『出口なし』などで表現した。★

 

 

ドイツ軍の占領下にあるフランスとそっくりな国で、2人の男女が同時に殺害される。

女性のエーヴは、遺産を使い果たしてエーヴの持参金目当てで結婚した夫に、ベッド脇の飲み水に毒を入れ続けられるということにより死へ向かっていた。

(日々衰弱するエーヴと、エーヴの毒殺を実行している夫)

Les jeux sont faits (1947) par greenwich

エーヴ

Actrice Micheline Presle dans "Les jeux sont faits ", 1947, vintage ...

エーヴの夫は、同居しているエーヴの妹ルシェットと一緒になりたかった。世間知らずのルシェットは、そのことに気づかず、義兄を頼っている。義兄(エーヴの夫)は、「心配しないで。お姉さんが亡くなったら、2人で生きていこう」とルシェットを抱き寄せる。ルシェットな泣きながら抱き締められている。

そんな中、エーヴが死去。

一方、労働者でレジスタンス(革命を起こそうとしいた)のリーダーであるピエールは、仲間だった裏切者の密告者に撃たれる。

 

死後の世界で出会ったエーヴとピエールは、恋に落ちる。

死者は生きていたときと同じ街に住んでいる。

死者には死者も生者も見えるが、生者には生者しか見えないというシステム。この表現がリアルで面白い。

18世紀に斬首された死者↓は、白い鬘をかぶり、首の付き方が変な感じ。(右の男女がピエールとエーヴ)

Les jeux sont faits, un film de 1947 - Vodkaster

死者と生者の混在が物凄く納得感がある光景。

 

恋に落ちたエーヴとピエール。「死ぬ前に会いたかった」と悔やむ。

死者登録所では、「運命のソウルメイトの2人が、出生登録の手違いで生きている間に出会えなかった。24時間生を延長する。その間に全身全霊で愛を成就させたら2人は寿命まで生きられる」となる。

こうして2人は、死んだ場所から24時間の延長スタート(生き返る)(これが、タイトルにもなっている2人の賭のスタート。24時間で2人は、愛を深めて24時間以降も生きようとギャンブルに出た)。

 

しかし2人はまず、自分たちの愛を深めることより先に、自分が死んだあとに妻の男に虐げられている幼い娘を心配していた男のために、その住所へ行き、娘を救って施設に預ける。2人は、「生きていたら、あの子を引き取りましょう」と言い合う。

(奧の男が、死んだ父親)

Les jeux sont faits, un film de 1947 - Vodkaster

そして短いセックスの後、2人はやり残した仕事に取り組む。エーヴは邪悪な夫とピストルを持って対峙し、彼の裏切りについて妹のルシェットを説得しようとする。

ピエールは抵抗者の集会に行き、自分たちの組織が裏切者の密告者により危険にさらされていることを説得しようとする。

自分たちの蜂起が向こうに知られているとピエールが知ったのは、死者になり向こうのトップの部屋に入って話を聞いたからだった。しかし死んだことのない仲間にそれを説明したところで、納得されるはずもない、とピエールは「とにかく蜂起はやめ。向こうは迎え撃ちを計画している」と言う。

しかし、仲間の一部が既に蜂起、ピエールがエーヴに電話をかけ、「自分はもうすぐ死ぬだろう。愛している、許してくれ」と言うとエーヴはショック死、ピエールを撃った男(密告者)がまたピエールを撃ちピエールは死に、アジトも密告により特定され襲撃され仲間の多くが死んだ。

24時間が経過し、ほとんどの時間は、2人の愛を深めることにではなく、他の人を助けるために費やされた。

つまり、賭けに失敗した(深い愛の成就を24時間以内に実行できなかった)2人。

再び死後の世界に戻ると、2人は、何度生まれ変わっても同じ運命をたどる(自分たちのためでなく、他者のために動いてしまう)のか、と諦めたのか、別れを決め、別々の道を歩いていったのだった。でジエンド。

この別れが、せつなかった。

 

(報われることのない(裏切者たちの))しがらみにとらわれ、本当に集中すべき愛に集中しないことで、自分の未来を不幸にする、ということの比喩・警鐘にも見えた。


 

この袋小路の先の建物が、死者登録所。この雰囲気がいかにもで、凄く良かった。

Les jeux sont faits, Jean Delannoy (1947) | La saveur des goûts amers

 

死者登録所内での、エーヴとピエール。エーヴは上流階級。ピエールは労働者階級。2人は生者(の生活者)としては、「身分が違う」(≒ロミオとジュリエット)という設定。

Les jeux sont faits von Jean-Paul Sartre als Taschenbuch - bücher.de

死者登録所の帳面に、「2人がソウルメイトなのに生きている間に出会っていない。ゆえに特別条項の発動により、24時間の生の延長が許可される」と記されている。

Les jeux sont faits (1947)

 

革命を起こそうとしていたピエールが死者として忍び込んだ、「敵陣」。敵陣のトップと家来↓は鏡に映るが、死者のピエールは鏡に映らない。

Les jeux sont faits (1947)

 

★Wikipediaより★

英語で「The Chips are Down」として知られる「Les jeux sont faits」は、フランスの哲学者ジャン・ポール・サルトル

未定義

同名の脚本を基にした、ジャン・ドノワ監督

未定義

による1947年のフランスのファンタジー映画です。1947年のカンヌ国際映画祭に出品されました。[1]

プロット

 

詳細は「The Chips Are Down (screenplay)」を参照

ドイツ軍の占領下にあるフランスと非常によく似た国で、二人の人間が同時に殺害される。エーヴは、彼女のお金を欲しがる影響力のある夫と、世間知らずの妹ルセットに毒されています。労働者でレジスタンスのリーダーであるピエールは、密告者に撃たれます。死後の世界で出会った二人は恋に落ちます。彼らはそうする運命にあったが、他の人々によって阻止されたため、地上に24時間戻ることが許された。彼らの最初の使命は、幼い娘を心配していた死んだ男に好意を抱くことです。そして、短いセックスの後、彼らはやり残した仕事に取り組む。エーヴは邪悪な夫と対峙し、彼の裏切りについて姉を説得しようとします。ピエールは抵抗者の集会に行き、自分たちの組織が裏切り者によって危険にさらされていることを説得しようとする。24時間が経過し、ほとんどの時間は、エッジの効いた関係を楽しんだり深めたりすることではなく、他の人を助けるための努力に費やされました。死後の世界に戻ると、彼らは別れることに同意します。

キャスト

 

★『チップスは落ちている』(フランス語Les jeux sont faits [le ʒø sɔ̃ fɛ])は、1943年にジャン・ポール・サルトルが執筆し、1947年に出版された脚本である。元のタイトルは、文字通り「プレイが行われる」と訳され、主にカジノギャンブルで使用される慣用的なフランス語表現で「賭けが行われました」を意味し、alea iacta estのフランス語訳も使用されています。1948年にルイーズ・ヴァレーズ(Louise Varèse)がフランス語から英訳(現在は印刷されていない)が作られ、『The Chips Are Down』として出版された。

物語の舞台はパリで、第二次世界大戦中のドイツ占領下のフランス北部(あるいはヴィシー政権下のフランス)を漠然と連想させる設定です。プロットは、ピエール・デュメインとエーヴ・シャルリエという2人のキャラクターに関係しています。彼らはソウルメイトになる運命にありますが、この運命は彼らの早すぎる暴力的な死によって妨げられ、彼らは来世に亡くなるまで出会いません。

プロットのあらすじ

 

エーヴとピエールは、それぞれの人生で一度も会ったことがありません。本の冒頭で、エーヴは非常に病気で、彼女には知られていません、彼女の夫アンドレは彼女の妹ルセットと結婚して持参金を保つために彼女を毒殺しています。一方、ピエールは革命を計画していますが、友人のルシアンに殺されます。ピエールもエーヴも、自分たちが死んでからしばらく経っていることに気づいていない。ピエールとエーヴは、他の亡くなった魂としか交流できない力を持つ、生者の間で目に見えない形で歩きながら、自分たちの人生について異なる真実に気づきます。ピエールとエーヴは、この無力な状況に適応するのに苦労しています。彼らは最近亡くなった人のための官僚的な手形交換所に登録するために並んでいますが、そこで二人は書類に間違いがあったことを徐々に見つけます。彼らは、第140条によれば、自分たちがソウルメイトになる運命にあったことを知って驚く。

控訴に成功し、ピエールとエーヴは生き返り、お互いに愛を示すために24時間の猶予が与えられます。しかし、彼らはそれぞれ前世からの未完成の仕事に気を取られています。エーヴは夫に毒殺されたため、彼は良い人ではないと姉を説得したい。ピエールは、彼が計画していた摂政を打倒するための革命を停止したい、なぜなら死で彼は摂政がそれについて知っていたことを発見し、実行された場合、それは彼の友人の虐殺と抵抗の終わりにつながることを認識している。

彼らが知識を習得した独特の状況を説明することができず、彼らは両方とも、彼らが何をすべきかを知っていると友人を説得するのに苦労しています。どちらも、かつて自分にとって重要だったものから完全に切り離すことはできず、愛に集中しないことで、人生のセカンドチャンスを犠牲にしているかもしれないと気づいています。

キャラクター

 

  • ピエール・デュメイン - 物語の舞台となる無名の都市で、地元の摂政に対する地下抵抗運動のリーダー。彼の死は、反乱軍の別のメンバーであるルシアンと警察の情報提供者による裏切りの結果でした。
  • エーヴ・シャルリエ – 民兵隊(ミリス)の首長であるアンドレ・シャルリエの妻。ピエールのように、彼女の死は裏切りの結果です。彼女の夫アンドレは、彼女の富を相続し、彼女の持参金のために彼女の美しい妹と結婚するために、彼女がベッドに打ちひしがれているときに彼女の飲み物に毒を盛ることによって彼女をゆっくりと殺しました。
  • アンドレ・シャルリエ – エヴの夫で民兵隊の首長で、彼女を殺し、ルセットに温めている。
  • ルセット – エーヴの妹で、とても世間知らずです。

分析

 

ピエールとエーヴは、恋に落ちるという明確な目的のために、生きることが許可されています。しかし、来世では、彼らは生きている間に見落としていた恐ろしいものを見て、互いに愛し合うのではなく、これらのことが起こるのを防ごうとします。24時間後、2人は再び死に、イブとピエールが彼女の父(死者のブティックで言及される男)に人生を改善すると約束した少女、マリー・アストルックを救う以外に何も達成しませんでした。彼らはマリーの人生をより良くするための探求に成功した一方で、彼らの愛の成就には失敗します。これは、人がどんなに良くも悪くも、自分の選択に従うことを非難されているというサルトルの見解を補強するものである(決定論を参照)[1]。彼はまた、選択が正しいかどうかを知ることは不可能であることを示しています、たとえそれが可能な限り最善の動機で行われたとしても。サルトルにとって、絶対的な真理や道徳はありません。それどころか、彼はこの脚本で、運命は常に生命の力に勝つことを示唆しています。

サルトルは、自由はおそらく幻想であるが、それはまた必要でもあることを示している。ピエールとエーヴは、街をさまよい、二度目の死後の友人や愛する人々の問題を目の当たりにすることで、死の不条理に気づきます。彼らは助ける力がなく、したがって、彼らが見るものに反応して自分自身の苦しみから自分自身を和らげる力がありません。彼らは人生を見ることを強いられていますが、彼らは単なる幽霊であるため、自分自身でそれに参加することはできません。私たちを無駄でつかの間の生活を送らないようにするのは、自分の選択に従って周囲の世界と交流する力と自由だけです。

映画化

 

詳細は「Les jeux sont faits (film)」を参照

1947年にジャン・ドラノワ監督による映画化が行われ、ミシュリーヌ・プレスルがイヴ役、マルチェロ・パリエロがピエール役を演じました。★