『不幸な街角 Molti sogni per le strade』1948年
タイトルの英訳は『The Street Has Many Dreams』。直訳は『街角にはたくさんの夢があります』。
邦題『不幸な街角』とはまるで真逆にも見えるが、たくさんの夢があるのにこのような事態になってしまったことを指しているのかと思った。
この映画は結局ハッピーエンド。
戦争から復員して2年。夫パオロが職に就けず、幼子を抱えた妻リンダは貧乏で今夜の御飯もない。
パオロは色々やったが長続きせず、その日はとうとう、ポーターの仕事を横取りしようとして跳ねのけられた。
リンダとパオロ
外に出て来た妻リンダと夫パオロが夫婦喧嘩を始め、事情を察したパン屋の主人が施しでライスコロッケをくれた。
閉店間際のパン屋の前のリンダと息子
帰宅すると大喧嘩。リンダは「明日になったらおじさんのところに子供と行くから」と別の寝室へ。
夜中に家を出たパオロは、兄のような存在である、小さな車の修理・整備工場の主人に会いに行く。
彼エミリオは、一緒に戦争に行き、片足を失った。
エミリオとパオロ
と、ちょうどそこへ、大金持ちの修理・整備工場の社長が、大きな車を整備に持ってくる。(社長が運転してやって来るのだが、なぜ自分の工場に出さないかというのは、奧さんではなく愛人といたからなのだと理解した)
エミリオは、「ちょうどいい。あの社長に仕事をくれと頼め」と言う。
パオロがそうすると、社長は「毎日きみのような若者が来て困っている。うちは間に合っているんだ」。
「お願いします。子どもがいるんです」とパオロが言うと、「そうか」と社長は金を恵んでくれる。
これでパオロが怒る。しかしエミリオが制す。
エミリオの所の従業員であるドナートがパオロに「このままこの車庫に隠れていればいい。あの車を盗んで売れば〇〇リラになる」と共犯をそそのかす。
ドナート
エミリオはパオロが隠れていると気付かず、車庫を閉めた。(ここの車庫は簡単に開けられるとドナートがパオロに言っている)
翌朝、ドナートが、車を運転して車庫から出したパオロ(ドナートは運転できない)と落ち合おうと路面電車に乗ると、そこに、パオロの奧さんリンダが子どもを連れて乗ってきて(おじさんの所へ行く途中だった)、隣に座る。
流れでドナートは、パオロの所にパオロの妻子と一緒に行くことになってしまう。
ドナート、リンダ、パオロとリンダの息子
奧さんリンダは車の盗難のことを知らない。
「ダメだ乗るな」と言うパオロに「どうして?誰か他の女を乗せるつもりなのね?」↓とリンダ。その騒動に警察が来て、「休日なんだ。奥さんを乗せて楽しめばいい」。それでリンダは子供と乗車することに。
ドナートは、「これからこの車を売りに行く。〇〇リラになるから山分けだ」と正規の仕事だとしてリンダに説明。
リンダは息子と共に一緒に車に乗って売り手の所へ行こうとする。
映画は、この珍道中が描かれる。
最初に、盗難車を売りに行こうとしていたのは、そういうヤバい車を買う、ヤバい男性。
しかしこの男性、溺愛する孫(赤ちゃん)の洗礼式ですっかり浄化され(「この世には善人と悪人しかいない。子供は悪人を見ると泣く。今赤ちゃんはあなたを見て泣いた」というような論旨の説教を牧師がした)、この40年で初めて涙を流し(笑)、牧師に告解すると言い出し、親類縁者の拍手喝采を浴びて悪から足を洗う。
売る相手が消滅したため、また別の場所へ。
(リンダは「車っていいわね。私たちもいつか買えるかしら」と上機嫌)
としている間に、ドナート↓が「危険すぎる。1抜けた」と電車で帰宅、残された一家3人。
途中で飲んだジュースの代金が足りずに逃げると警察のバイクに追われ、カーチェイス。何とか逃げのびる。
と、リンダが夫の行動から盗難車なのだと理解。
「私のせいね。私があなたを追い詰めたからなのね」と泣くリンダ。
2人は初心に戻り、愛を再確認。
さあ、夜になったら自首しましょう、それまで誰もいないこの海辺にいましょう、となったのだが、その後遊園地に妻子を残したパオロは自首せずにまた1人で車を運転。
しかし結局追いつめられたパオロは、エミリオの所に車を返しに来た。
とそこへ、リンダが「うちの主人が車を盗難した。逮捕してくれ」と訴えたために警察官と共に到着↓(リンダは、夫が自殺、又は、もっと大きい犯罪に手を染める前に捕らえてほしかった)。
しかしエミリオは「車は盗難になど遭っていません。ここにあります」。
そこへやって来た社長、警察の「走行距離は変わっていませんか?」に「どうだったかな」と言い急いで車を運転して行ってしまう。
「どういうことですか?」と不審に思う警察に、機転をきかせたエミリオが「奥さんの嫉妬ですよ」。「そうなんです」と夫パオロが妻リンダを怒鳴ると、妻リンダも怒った演技。
(エミリオがこの一件を、「リンダの嫉妬」で収めようとしていることに気づいたリンダ(あ、それならパオロは無罪になれる!))
警察が帰ったところで、「きみとはもう、友人じゃあないな。俺はきみの所の車を盗んだんだ」とパオロが肩を落として帰ろうとすると、
「そそのかしたドナートが悪人だ。うちに洗車係が必要なんだ。それを決める決定権は僕にある。明日からうちで働いてくれないか?」
その言葉にパオロとリンダは喜び、3人で抱き合い、一家は街角を歩き帰宅するのだった、という話。
タイトルの『街角にはたくさんの夢があります』とは、映画の冒頭で街の概観映像があり、「この街には▲▲も◆◆も新生児室も刑務所もあり、街の人が善人として生きられるように、様々なものがあるのです」というナレーションが入り、ラストでそのナレーションを話者らしき男性↓が向こうから歩いてきてマッチを擦って煙草に火をつけ、締めの言葉を言ってこの映画の一家をワンオブゼムに相対化して(ドラマの熱をさまして)終了するからなのだろうと思った。
日常の問題から解放されてゆく疾走(失踪)ロードムービーでもあり、そこは『テルマ&ルイーズ』のファミリー版とも言える。
★Wikipediaより★
『The Street Has Many Dreams』(イタリア語: Molti sogni per le strade)は、
マリオ・カメリーニ監督、
アンナ・マニャーニ、マッシモ・ジロッティ、チェッコ・リッソーネ主演の1948年のイタリアのコメディ映画である。[1]映画のセットは、アートディレクターのアルベルト・ボッチャンティによって設計されました。
キャスト
- アンナ・マニャーニ - リンダ・ベルトーニ
- マッシモ・ジロッティ(パオロ・ベルトーニ役
- チェッコ・リッソーネ(ドナート役
- ダンテ・マッジョ(エミリオ役
- チェッコ・デュランテ(イル・パロコ役)
- ルイジ・パヴェーゼ(Il commendatore Giulio Carocci)
- イタロ・タンクレディ(エジスト役
- ジョルジョ・ニモ(ロモレット・ベルトーニ役
- ソル・アントニオ役のチロ・ベラルディ - il salumaio
- マンリオ・ブゾーニ(L'appuntato di pubblica sicurezza)
- パオロ・フェラーラ(Il brigadiere siciliano)
- エンリコ・グロリ - Il ricettatore
- ジーノ・レウリーニ as Il garzone del lattaio
- ナディア・ニヴェール(La figlia di Egisto)
- フランコ・ペッシェ(イル・ラッタイオ役
- ディナ・ロマーノ(La moglie di Egisto)
- ペッピーノ・スパダーロ(Il commissario)
参考文献
- ミゲル・メラ & デビッド・バーナンド。ヨーロッパの映画音楽。Ashgate Publishing、2006年。★