映画映画『鉄の王冠 La corona di ferro』1941年映画映画映画映画映画

Alessandro Blasetti - La corona di ferro AKA The Iron Crown (1941 ...

Il padre fondatore del cinema: Alessandro Blasetti - Narni. Le vie del ...

 

『指輪物語』の王冠版という気もした。

冒頭『ターザン』と『リボンの騎士』、中盤『ロビンフッド』と『眠れる森の美女』、ラストに『ベンハー』、『北風と太陽』『十戒』を想起。

 

ある国に王である兄と、その弟がいた。

兄の王が、戦争相手のトップに慈悲を見せ、殺さないような決断をした瞬間、遠くにいた弟が兄に矢を放って殺害。

 

弟が↓死んだ兄の頭から王冠を取り、自分がかぶって新王となった。

Alessandro Blasetti - La corona di ferro AKA The Iron Crown (1941 ...

新王となった弟は、死んだ王だった兄の妻の王妃を即レイプして自分のものに。

 

そこを、ローマへ、真の(キリストの磔刑の)十字架の釘で作った鉄の王冠を運ぶ者が、通行許可を求めた。

新王はその王冠を奪ったが、とにかくとんでもなく重い。

運べないとなり、新王は峡谷辺りでそれを地面に投げる。すると鉄の王冠はまるで意志があるかのように地面に沈んで消える。

 

兄の妻だった新王の現妃の産んだ子は女の子だったが、女の子だと殺されると危惧した王妃が、新王の兄の元王妃が産んだばかりの男の子と交換。

新王は、森の中の魔女のようなお婆さんの不吉な予言のようなもの(ある国の王の娘と甥(兄の息子)が離れがたい恋人になり、王は甥に滅ぼされる)が現実にならないよう、自分の息子だと思っている兄の息子と兄の娘だと思っている自分の娘をきょうだいのように育てる(恋愛関係にならないよう)ため同じベッドで寝かせた。

新王は、王妃と元王妃、下女の話を盗み聞きして、女の子が自分の子で、男の子が兄の子と知る。

その後、新王は、ベッドの2人を鞭で打つ。この腕の傷跡がその後も残り、2人が再会した際互いを認識し合う印となる。

 

新王は、先王である、殺した兄の子である男の子アルミニオを部下に命令して獅子の谷に置き去りにする。

すぐにライオンの餌食になって死去したかと思われたアルミニオはライオンと共生、ターザンのようになり20年が経った。

その間、新王の娘エルサは城に閉じこもり、死人のようになる。

娘を溺愛する新王は、武芸の大会を催してそこで優勝して生き残った男性を娘の婿にする、と告知(そうすれば娘が幸せになれるだろうとの思い)。

 

真ん中が、20年引きこもっていた、エルサ

I vestiti dei film - Il Post

武芸大会には、新王に取って代わろうとする男↓がいて、彼が勝ち残るかに見えた。

Alessandro Blasetti - La corona di ferro AKA The Iron Crown (1941 ...

しかし、この男を王女エルサは好きではない。エルサは侍女のふりをしている間に出会ったアルミニオに恋をして命を吹き返していて、侍女としてアルミニオとデートをして恋愛関係になっていた。

新王は、エルサの顔色を見て、それまで優勝者をエルサの婿にすると言っていたが、それを「優勝者にはこの国の一番いい土地をやる」に変更。しかし優勝しそうな男は「王に二言なし」と変更を認めない(結婚してしまえば自分は王族になれ、やがて王位を乗っ取れる)。

 

そこへアルミニオ↓がターザンのように、ロビンフッドのように、又は鼠小僧的義賊っぽく現れ、優勝しそうな男と戦う。

優勝しそうな男はアルミニオ↓をライオンのいる穴に落とすが、ライオンの手なずけ方を知っているアルミニオはそこからも這い上がり、たちまち群衆のヒーローのような存在に。

La corona di ferro (1941)

そこへアルミニオに惚れていて恋人同士になっていた、奴隷集団のリーダー的娘がやって来て、アルミニオと奴隷たちVS.優勝しそうな男たちの戦いに。

結局アルミニオたちが勝ち、新王も良かった、と胸をなでおろす。

 

優勝しそうになっていた男↓は、自分の戦車もろともライオンの穴へ

Alessandro Blasetti - La corona di ferro AKA The Iron Crown (1941 ...

 

アルミニオとエルサは腕の傷から2人が生き別れた兄と妹だと知った、となるが、いや、実は兄と妹ではない、となり、恋愛も可能、とわかった。

 

しかしここで、エルサが、奴隷の娘とアルミニオとの関係に悩む。すると娘溺愛の父新王が、「奴隷の女をアルミニオが嫌になるよう仕向ければいい」と耳打ちする。

その通りにエルサは、奴隷の女が落としていった、自分を殺そうとしていたナイフをわざと奴隷の女とアルミニオが来る場に置いておき、先に来た奴隷の女が(なんでここにわたしのナイフが?)と拾ったところでやって来た(笑・都合が良すぎるタイミング)アルミニオが「王女はお前を信用して王宮に招待してくれたのに、お前は王女を殺そうとするのか」となって、しかしそれを影から見ていた(笑)王女が良心の呵責に悩み……。

 

ラストは、王女が、自分で家来に命令して、峡谷にやって来させた奴隷の娘を家来が矢を放って殺そうとした所を自分がその矢に当たり、「エルサ、何でこんなことに。きみを愛している」とアルミニオが抱き上げ……。

 

奴隷の集団と新王の兵隊が敵対してワーッと関ケ原の戦いのように(笑)接近しようとすると『モーセの十戒』の海割れのように地が割れ(笑)、その割れ目に王女の死体があり、兵士たちが「王女様の最後の願いなのだ、戦争をやめよう」と武器をその割れ目に落とし、よく見るとその割れ目に、あの(笑)、冒頭の、真の十字架の釘で作った鉄の王冠があるのだった、というところで、ジエンド。

という、まるで王冠に意志があったかのような、その王冠はとにかく平和を望んでいたのだというような、そういう神話的でもあり、聖書物語っぽくもシェイクスピアものっぽさもある濃厚な、お話。

とにかく「物語≒因果」全ぶっ込みオールインワン煮込み鍋的映画。

金とエネルギーが異常にかかったことが非常に受け取れた、作品。

監督の執念を感じた。

 

 

アルミニオと奴隷の娘

La corona di ferro (1941)

アルミニオと奴隷の娘の後日の姿だろうか

Terza Visione - July 2023 - DFF.FILM

続編があったのだろうと思った。アルミニオはずっとターザンのようにほとんど裸で、こんな正装シーンはなかったから。写真の下のタイトルは同じなので、撮ってカットしたショット、またはDVDでカットされたシーンのワンショットだったりするのかとも思った。

La corona di ferro (1941)


 

 

★Wikipediaより★

『鉄の王冠』(イタリア語La corona di ferro)は、アレッサンドロ・ブラセッティが脚本・監督を務め、

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マッシモ・ジロッティ

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ジーノ・チェルヴィが主演した

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1941年のイタリアの冒険映画である。物語は、神聖な鉄の冠と、甥に王国を失うと予言された王を中心に展開します。ヨーロッパの神話、伝説、現代の大衆小説のモチーフを融合させています。この映画は、金獅子賞の祖先であるコッパ・ムッソリーニ賞を受賞しました。

プロット

セデモンド(ジーノ・チェルヴィ)は、兄リシニオ(マッシモ・ジロッティ)の死後、キンダオールの王となり、真の十字架の釘で作られた冠をかぶった使者が王国を横断する許可を求めます。伝説による王冠は、不正と腐敗が蔓延するところならどこでも残るでしょう。セデモンドはそれを峡谷に運び、大地に飲み込まれる。

賢明な女性は王に、妻は娘を産み、リシニオの未亡人(エリサ・セガーニ)は息子を産み、二人は恋に落ち、息子はセデモンドから王国を奪うと予言する。家に帰ると、妻が男の子を産んだと聞かされ(娘はリキニオの子と入れ替わった)、予言は無効だと信じる。彼は男の子のアルミニオと女の子のエルザの両方を育てます。セデモンドとアルミニオの争いの後、王はアルミニオを峡谷に連れて行き、殺すように命じます。

20年後、森で育ったアルミニオ(マッシモ・ジロッティ)と、セデモンドはエルザ(エリサ・チェガーニ)と結婚する人を決めるトーナメントを企画する。ツンドラ(ルイサ・フェリダ)は、王に対する人々の抵抗を率いる。様々な人物が変装して参加するトーナメントは、予言が実現するかどうかを設定する[1]。

キャスト

ダビング

生産

この映画は異例の予算を投じ、新しく建設されたチネチッタ・スタジオの精巧なセットで撮影された。ブラセッティのフィルモグラフィーの中でも際立っており、彼の最も有名な映画のいくつかはロケ地で撮影され、プロの俳優ではない俳優が起用されたのに対し、この作品は大きな予算で管理され、セット構成された制作でした。[2] 『鉄の王冠』は、神話的なテーマを扱ったブラセッティの映画の四部作と見なされることもある。

他の3作品は、1938年の『エットーレ・フィエラモスカ』、

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1940年の『サルバトール・ローザの冒険』、

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1942年の『道化師の晩餐』である。(注3)

 

イタリア人女優のヴィットリア・カルピは、クレジットされていない役柄で、映画の中で一瞬だけ裸の胸を見せており、イタリアのサウンド映画でそうする最初の女優だったかもしれません。しかし、この作品のクレジットは、ブラセッティの次の映画『La cena delle beffe』(1941年)のクララ・カラマイに与えられるのが普通であるが、これはおそらくカラマイがこの映画の主人公だからだろう。[4][5]

レセプション

ニューヨーク・タイムズ紙のH・H・Tは、この映画がアメリカで公開された1949年に、「リアルト橋の新しいテナント、戦前のイタリア映画『鉄の王冠』には、タイムズスクエアの興行収入を吹き飛ばすのに十分な音と怒りがある。古代のこの冒険の光景は、イタリアの人口の約半分と思われるものを募集しており、彼らはすべて忙しく保つことができます。...しかし、この映画は、宗教的なニュアンスをすべて落とし、オールドボーイ・ミーツ・ガールのマンネリに心地よく落ち着くのに時間を無駄にしません。実際、『アイアン・クラウン』は、通常よりも多くの暴力と流血を伴う壮大な背景を背景にした、ただのロマンスです。アメリカの映画学者ピーター・ボンダネッラは、2009年の著書『イタリア映画史』の中で、「『鉄の王冠』は曖昧な作品である。そのメッセージは、当時のイタリア人の間で共通していた感情、つまり第二次世界大戦中の平和への願望と敵対行為の停止を強調しているが、ローマにおける魔法の王冠を正当な場所に復元するカリスマ的指導者の探求の象徴的な意味合いも指し示しているかもしれないムッソリーニ、新しく復活したローマの公爵。それにもかかわらず、ブラセッティは間違いなくパストローネ『カビリア』でサイレント時代に生まれた英雄神話のイタリアの扱いに新たな命を吹き込み、『鉄の王冠』は、映画ファンの間でカルト的な人気を博したペプラム(剣とサンダルの叙事詩)という戦後のジャンルのいくつかの重要な前例の1つです。(注2)

受賞歴