『困難な時代 Anni difficili』1948年
1946年の短編小説Vecchio con gli stivali(長靴をはいた老人)から改作された映画。
長靴をはいた老人とはつまり、国の動きに翻弄された悲劇を言っているのだろうと思った。
長靴とはイタリアのこと。
この主人公の「老人」ピシテッロは、終戦寸前で軍人の息子をドイツ兵により射殺される。
ピシテッロは、反ファシスト党の市職員。
しかし、終戦すると、共に反ファシストだった同僚(この同僚は隠れ反ファシストだった)が米軍将校に対し、ピシテッロをファシストだったと断罪、自分は初めから反ファシストだったと言い、へこへことごまをする。その同僚と米軍将校は、ピシテッロを解雇(米軍将校が座るその椅子には以前ゴリゴリの本気ファシストの市長が座り、ピシテッロの態度をよく責めていたのだ)。
ピシテッロは失望と怒りで言葉も出ない。言われるまま解雇され、市庁舎をあとにする。
ピシテッロはその後、終戦のお祭りムードの中ファシスト党の制服を記念に買った青年に、「これが〇〇リラとは高すぎましたかね」と訊かれ、「私はそれで人生を駄目にした」と言い、ジエンドとなるのだ。
ピシテッロは、敵の勝利を願う。妻はスペインでイタリア軍が勝利したことに歓喜する。
「人が死んだのが嬉しいのか?」と訊くピシテッロに、妻は「勝つのが嬉しいの」。
ピシテッロは、人道主義者なのだ。
国は好きだがムッソリーニ政権が嫌い。
しかしムッソリーニが逮捕され新政権になる直前に、10年戦地を転々としてきた息子がドイツ兵により射殺される。
息子は、反ファシスト党でファシスト党から目をつけられていた薬剤師の姪(Wikipediaでは娘)と結婚、こどもが産まれる。
ピシテッロの娘は教師で、国の指導に沿った教育をしてファシストを助長している。
ピシテッロの父は耄碌している。
一家の中でもそれぞれ主義主張が異なる。
しかしお互いを愛していることは揺るがない。
という混沌。
ピシテッロは、父がイタリア人であるアメリカ人スパイを見つけても、賞金稼ぎのために通報したりせず、彼の命を気遣う。
とにかく一貫してピシテッロは人間として正しい。しかしそれはその時期の国の方針に抗うことになり、ピシテッロは「ファシスト党に入党しなければ解雇だ」と市長に突きつけられ、一家の生活のために入党したのだった。
タイトル通り、確かに「困難な時代」。
生き延びねばならぬが、そのためにファシスト党に入らねばならないのか、というジレンマ。
ピシテッロの息子と、息子の妻となる、反ファシスト党の薬剤師の姪。
@薬局
息子の妻
息子
左から、ピシテッロ、娘、妻、手前がピシテッロの父
反ファシスト党の仲間たち。手前右から2番目が、ラストで米軍将校に寝返った男。後ろ右が、ピシテッロの息子の妻、その横がピシテッロ、その横が息子@薬局
左から、ピシテッロの妻、父、裏切り寝返り男、ピシテッロ、娘@ピシテッロの家
冒頭とラストが呼応していて、ピシテッロ↓は同じように「市長室へ来い」と言われる@市庁舎。
行くと冒頭では市長室の椅子にゴリゴリのファシスト党の市長が、ラストでは米軍将校が座っていて、冒頭では「ファシスト党に入党せよ、さもなくば解雇だ」と言われ、ラストでは「ファシスト党だったのだな、では解雇する」と真逆の理由で解雇を突き付けられるのだ。時代に翻弄されたピシテッロは、最後には本当に疲れた老人になってしまっていた。
終戦があと少し早ければ、息子は死ななかったのに、という後悔。
ピシテッロは、「俺が息子を殺したのだ」とファシスト党入党を悔やむ。
舞台はシチリア島モディカの街
★Wikipediaより★
ムッソリーニ政権下のイタリア、1922年から1943年。
ムッソリーニ
1922年、主人公アルド・ピシテッロは、シチリア島モディカの町の市職員です。
ムッソリーニが権力の座に就くと、彼は上司によってファシスト党に加わることを余儀なくされます。そうしなければ、彼は職を失うことになる。ピシテッロはしぶしぶファシストに加わり、入隊を1921年までさかのぼります。妻のロジーナと娘のデリア・スカラは、彼の引っ越しを支持する。しかし、ファシスト党員として、地元の薬剤師の店で出会った反ファシストの友人たちと連絡を取り合っている。
ファシストの権力とイデオロギーは遍在している。週末には軍事演習があり、集会や秘密諜報員がいます。ベッリーニの「ノルマ」でさえ、ファシストによって検閲されている。
ピシテッロの息子ジョヴァンニは兵役から戻り、平凡な生活を送ることを望んでいる。彼は薬剤師の娘マリアと結婚するが、イタリアがドイツの戦争と同盟を結んだため、彼は再び軍隊に入隊しなければならない。薬剤師は、イタリアがフランスに宣戦布告したとき、フランス国歌のイントネーションの後に投獄されます。1943年:戦争がイタリアに戻り、連合軍がシチリア島に上陸。ピシテッロと彼の家族は、田舎に避難するために家を離れます。同時に、ジョバンニは一時帰休中です。事態は、彼が逃げるドイツ兵の部隊に止められたときに悲劇的な展開を迎えます。シチリア島では、誰もが戦争の終結を祝います。しかし、ピシテッロは悲しむ。元ファシストは反ファシストであると主張する。ピシテッロのボスは、米軍の将校と一緒に座り、ファシスト党のかつての党員としてピシテッロを解雇します。★
何度もドゥーチェという言葉が出て来た。
★ドゥーチェ(イタリア語: Duce)は、イタリア語で国家指導者を指す称号の一つ。日本では統帥、統領、総領、総統、首領、頭領などと訳される。イタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニが使用した事で広く知られている。
語源
語源はラテン語で「指導者」「指揮官」を意味するdux(ドゥクス)で、イタリア語のduca(公爵)やdoge(ドージェ)などと同源である。当時の日本では主に「統帥」と訳されていたが、戦後の研究では「統領」と表記されることが多い。★
★Wikipediaより★
困難な年 (イタリア語: Anni difficili)は、1948年のイタリアのドラマ映画で、ルイジ・ザンパが監督し、
ウンベルト・スパダーロが主演し[1]、
シチリアの作家ヴィタリアーノ・ブランカーティ
による1946年の短編小説Vecchio con gli stivali(長靴をはいた老人)から改作された。
キャスト
- ウンベルト・スパダーロ:アルド・ピシテッロ
- マッシモ・ジロッティ(ジョヴァンニ役
- アヴェ・ニンチ(ロジーナ役
- デリア・スカラ(オデット・ベドニ役)エレナ役
- おじいちゃん役のエルネスト・アルミランテ
- ミリー・ヴィターレ(マリア役
- エンツォ・ビリオッティ(男爵役
- カルロ・スポジート(カルレット・スポジート役)リッカルド役
- ロリス・ギッツィ(ファシストの大臣)
- 薬剤師としてのアルド・シルヴァーニ
- ジョン・ガーフィールド(ナレーター)(英語版)
プロット
ムッソリーニ政権下のイタリア、1922年から1943年。1922年、アルド・ピシテッロ(ウンベルト・スパダロ)は、シチリア島モディカの町の市職員です。ムッソリーニが権力の座に就くと、彼は上司(エンツォ・ビリオッティ)によってファシスト党に加わることを余儀なくされます。そうしなければ、彼は職を失うことになる。ピシテッロはしぶしぶファシストに加わり、入隊を1921年までさかのぼります。妻のロジーナ(アヴェ・ニンチ)と娘のデリア・スカラは、彼の引っ越しを支持する。しかし、ファシスト党員として、地元の薬剤師(アルド・シルヴァーニ)の店で出会った反ファシストの友人たちと連絡を取り合っている。
ファシストの権力とイデオロギーは遍在している。週末には軍事演習があり、集会や秘密諜報員がいます。ベッリーニの「ノルマ」でさえ、ファシストによって検閲されている。
ピシテッロの息子ジョヴァンニ(マッシモ・ジロッティ)は兵役から戻り、平凡な生活を送ることを望んでいる。彼は薬剤師の娘マリア(ミリー・ヴィターレ)と結婚するが、イタリアがドイツの戦争と同盟を結んだため、彼は再び軍隊に入隊しなければならない。薬剤師は、イタリアがフランスに宣戦布告したとき、フランス国歌のイントネーションの後に投獄されます。1943年:戦争がイタリアに戻り、連合軍がシチリア島に上陸。ピシテッロと彼の家族は、田舎に避難するために家を離れます。同時に、ジョバンニは一時帰休中です。事態は、彼が逃げるドイツ兵の部隊に止められたときに悲劇的な展開を迎えます。シチリア島では、誰もが戦争の終結を祝います。しかし、ピシテッロは悲しむ。元ファシストは反ファシストであると主張する。ピシテッロのボスは、米軍の将校と一緒に座り、ファシスト党のかつての党員としてピシテッロを解雇します。
英語版
1949年、ロパート・プロダクションズは劇作家のアーサー・ミラーを雇い、権利を取得した映画の英語版を翻案させた。吹き替えとナレーション(アメリカのスター、ジョン・ガーフィールドによる)で、この映画は1950年にアメリカで公開されました。(注2)
脚注
- ^ クラウザー、ボスレー(2011)。「困難な年」。映画・テレビ部、ニューヨーク・タイムズ。ベースライン&オールムービーガイド。2011年5月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月7日閲覧。
- ^ ビーバー、ジェームスN.、ジョン・ガーフィールド: 彼の生命およびフィルム、クランベリーNJ: A.S. Barnes & Co.、1978年、 ISBN 0-498-01890-3★