『金曜日のテレーザ TERESA VENERDI』1941年
原題は『テレーザ・ヴェネルディ』。主人公女性の名前。
邦題は、そのテレーザの姓ヴェネルディが、イタリア語で金曜日という意味であることかららしい。
テレーザは、初対面で恋に落ちた相手の小児科医に、「金曜日のテレーザ」と自己紹介する。
これは日本語でいうと、「髙橋です、髙ははしごのほうです」とか「神井です、神様の神に井戸の井です」とか「桃山です、ピーチマウンテンです」(笑)「山川です、マウンテンリバーです」とかいう感じかと思った。
全体は昭和の少女漫画という感じ。
ファンタジーではない。でもリアリズムでもない。ロマン主義(恋愛漫画などはこのロマン主義の大袈裟な誇張、そんなことある訳ないだろう(偶然愛し合う2人が偶然そこでそんな風に出会う訳ないだとう)という偶然性・ご都合主義を利用した表現)。
(04:30~
ヨーロッパ文学のロマン主義→リアリズム→モダニズム→ポストモダン の流れのわかりやすい説明)
主人公のテレーザ。女性だけの孤児院にいる18歳の女性。やって来たかっこいい小児科医に恋するが、彼はテレーザを「おチビちゃん」と子供扱い。
小児科医には歌手の恋人がいたが、マットレス製造会社の娘に一目惚れされ、その両親が小児科医と娘を強引に婚約させてしまう。小児科医の親友は、その娘に恋をしていて、小児科医はその気ではないのだが、とにかくマットレス製造会社の金持ち一家が強引でテンションが異様に高く、話をどんどん進めてしまうのだ。この展開の早さがコメディータッチ。
テレーザは、孤児院の意地悪キャラの少女から、ある事を仕組まれる。
それは、孤児院に仕事に来た小児科医の帽子に、意地悪キャラの子が「あなたのテレーザより」と締めくくったラブレターを書いて押し込み、それが落ちて院長の目に触れるようにしたこと。
それでテレーザは呼び出されて叱責されるのだが、スペルミスが意地悪キャラの子独特のものだったため、バレることとなる。
神様の悪戯のような行き違いやトラブルは色々あるのだが、終始一貫してテレーザは小児科医への好きを貫く。
それが周囲にも小児科医にも伝わり、ラストは結婚となって孤児院を卒業、ジエンド、というお話。
こういうタイプの話はよくあったのだろう。孤児院にいて、あと一年で出なければならない18歳辺りの女性というのは。
そこで、さあ、その後どうするの話が持ち上がる。
ここの院長はみんなの親という感じだったが、そうではない雰囲気の場合は、実家や故郷がないということになる。
いやしかし、一緒に暮らして喜怒哀楽を共有した子たちは一生きょうだいだろう。
この辺りは、孤児院の話である『アニー』にも似ていた。
小児科医ピエトロ役は、監督でもあるヴィットリオ・デ・シーカが演じた。
女性だけの孤児院にやって来た小児科医ピエトロとテレーザ↓。テレーザは看護助手をしていたため、ピエトロと接触することになる。
ピエトロは、土地持ちの大金持ちの将軍の息子で広い邸宅に住んでそこで小児科医として開業していたのだが、患者も来ず贅沢で借金がかさみ、父から「孤児院の小児科医になるか、〇〇病院の勤務医になるかして給料を稼げ」と言われ、〇〇病院の勤務医がどうしても嫌だったために孤児院にやって来たのだった。
ピエトロを使ってひまし油の飲ませ方を見せるテレーズ(前任者は、このひまし油だけで対処するといういい加減さだった(頭痛にもひまし油、腹痛にもだるさにも食欲不振にも不眠症にも集中できないことにもひまし油(笑)))
ピエトロには、歌手の恋人↓がいるが、父親には紹介していない。父が来るとこの恋人を「患者の母親だ」と言う。
家を売るとなって、その家を買うことになったのがマットレス製造会社の社長。その娘がピエトロに一目惚れ、娘を溺愛する両親は、強引に婚約させてしまう。
左から、ピエトロの婚約者の母、婚約者、婚約者の父のマットレス製造会社の社長
雨の中ずぶ濡れになって小児科医のところへやって来たテレーザを、孤児院の人たちが心配するからと何とか追い返そうとするピエトロだったが、
やがて彼女のひたむきさに胸を打たれ、一人の女性として愛しく思う。
ピエトロの恋人の歌手↓は、テレーザの本気を感受すると、ピエトロに「借金だらけの男はこっちから願い下げ」という感じで別れを告げて去ってゆく。
テレーザは、借金取りと使用人の話からピエトロに3万8972リラの多額の借金があると知ると、婚約者の父であるマットレス製造会社の社長に「3万8972リラと交通費で身を引く」と持ち掛け、社長が承諾。テレーザが屋敷を去ったところでピエトロは事実を知り、テレーザを追いかけ「○○病院の勤務医になる。結婚してそこに行こう」となるのだ。婚約者は、ピエトロの親友が本気で口説くと即そっちへ行った(笑)。
人生の切り替わりの時期には、今とその先の世界が混じることになる。
そして切り替わったとたん、過去になった世界を「何であんなところであんな人たちと付き合っていたんだろう」と急に前世のように感じるのだろう。
ピエトロがテレーザを「おチビちゃん」と子供扱いするシーンに、『キャンディ♡キャンディ』の丘の上の王子様や『はいからさんが通る』の少尉を想起。
ひまし油
★Wikipediaより★
テレサ・ヴェネルディは、ヴィットリオ・デ・シーカ監督による1941年のイタリアの「白電話」コメディ映画です。
★Telefoni Bianchi (発音 [teˈlɛːfoni ˈbjaŋki];白電話)デコ映画とも呼ばれる映画は、1930年代と1940年代にイタリアの映画産業によって、当時のアメリカのコメディを模倣して作られ、当時のもう一つの重要なスタイルであるカリグラフィズモとは対照的で、非常に芸術的でした。[1] テレフォーニ・ビアンキの映画は、1930年代初頭のイタリア映画コメディの成功から生まれました。それは、知性主義やベールに包まれた社会批判を一掃した、より軽いバージョンだった。(注2)★
ハンガリー映画「レジ・フライデー」のリメイクです。
★レジフライデー(ハンガリー語:Péntek Rézi)は、1938年のハンガリーのコメディ映画で、ラディスラオ・ヴァイダが監督し、イダ・トゥライ、ミチ・エルデリ、アンタル・パーガーが主演しています。ブダペストのフンニア・スタジオで撮影されました。映画のセットは、アートディレクターのマートン・ヴィンツェによってデザインされました。タイトルは、学校で働く医師と恋に落ちる機知に富んだ孤児であるヒロインの名前にちなんでいます。1941年、この映画はイタリアで『テレサ・ヴェネルディ』としてリメイクされた。(注1)★
キャスト
- ヴィットリオ・デ・シーカ(ヴィットリオ・デ・シーカ)がピエトロ・ヴィニャーリ(Pietro Vignali)として
- アドリアーナ・ベネッティ:テレサ・ヴェネルディ
- イラセマ・ディリアン(リリー・パッサラクア役
- グリエルモ・バルナボ(アゴスティーノ・パッサラクア役
- オルガ・ヴィットリア・ジェンティッリ(ローザ・パッサラクア役
- アンナ・マニャーニ:マッダレーナ・テンティーニ/ロレッタ・プリマ
- エルヴィーラ・ベトローネ as la direttrice dell'orfanotrofio
- ジュディッタ・リッソーネ(l'istitutriceアンナ役
- ヴィルジリオ・リエント(アントニオ役
- アンニーバレ・ベトローネ(ウンベルト・ヴィニャーリ役
- ニコ・ペペ(パスクアーレ・グロッソ役)
- クララ・アウテリ(ジュゼッピーナ役
- ザイラ・ラ・フラッタ(アリス役
- アレッサンドラ・アダリ - l'istitutrice Caterina
- リナ・マレンゴ(ラ・マエストラ・リッチ役
関連項目
- レジ・フライデー (1938)★