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I bambini ci guardano | Filmaboutit.com

I bambini ci guardano (1944) | FilmTV.it

 

プリコという男の子の母親が不倫し、家出し、アパート中の噂になり、こんなところで息子を育てられるのかと父とメイドは心配、父は息子を寄宿学校に預けると、その後自殺した。その訃報を受け寄宿学校にやって来た母親とメイド。プリコは泣いてメイドに抱きついたが、母親には抱きつかず、その部屋を後にした、という話。
Italian Neorealism: I Bambi Ci Guardano "The Children Are Watching Us ...
 
父の自殺シーンがあっさりしていて、それが逆に喪失感の表現となっていた。
そのシーンはなく、アパートの住人が「知ってた?」「かわいそうに、あの子はどうなるの?」などとざわつくことでわかるのだ。シーン変わってプリコの寄宿学校に母が喪服でやってくることで彼の死は決定的となる。
このときの母はまだ女というムードで、その匂いを嗅ぎ取った息子プリコは、泣きながら母親を避けるのだ。
息子プリコは、神父たちから、父の訃報に耐えられるように前段階クッションとして色々言われるのだが、勘の良すぎるプリコのこと、すぐに父が自殺したのだとわかったことだろう。
この結末に至るまでに、プリコは母の愛人との密会のダシに使われたり(息子と映画に行くと夫に言い公園で愛人と密会)、海辺での母と愛人の抱擁シーンを目撃してしまったりしている。
 
母とプリコ
I bambini ci guardano | Film 1944 | Moviebreak.de
母とその愛人
I bambini ci guardano / The Children Are Watching Us (1944) Vittorio De Sica, Emilio Cigoli ...
左から、母の愛人、母、息子プリコ
I bambini ci guardano (1944) :: starring: Luciano De Ambrosis
そしてそういう男女の気配を感じ↑、プリコは見なかったことにして逃げ、父に訊かれても何も見なかったように答える。しかしそのプリコが涙を浮かべているため、父は妻と愛人が海辺で密会していたと了解するのだ。
Imagini I Bambini ci guardano (1944) - Imagini The Children Are Watching Us - Imagine 1 din 37 ...
Papa Francesco si inchina al neorealismo. I film di De Sica ci hanno formato il cuore - FarodiRoma
 
この父が、良い父良い夫すぎる。
Cinema 22 - Los niños nos miran
 
妻が愛人と出奔したあと、このままアパートにいるのはプリコの成長環境としてよくない、と寄宿学校に行かせることにした父。その制服を仕立てに来た、父とプリコ。
「こんな帽子、やだ」と言うプリコに、「パパも昔かぶったんだぞ」とかぶって見せる父。それを見て笑ったプリコは、改めて制帽をかぶる。
Dzieci patrzą na nas (I bambini ci guardano) 1944 – moichlopcy.pl
I bambini ci guardano | Film 1944 | Moviebreak.de
 
I bambini ci guardano / The Children Are Watching Us (1944) Vittorio De Sica, Emilio Cigoli ...
夫として父として立派なプリコの父が可哀そうなのだが、妻としては夫が父になってしまい、息が詰まったのかもしれない。この妻は、時代もあるだろうが、自分独自の楽しみをゼロにして自己犠牲という善人としての恍惚で自分を騙せない女性。
 
プリコの父は、妻に愛人がいることがわかっても、息子のためにと家から追い出さなかった(家には、プリコの父の母親のようなメイドがいる)。
そして父は、妻と息子が楽しめるようにと、会計士の同僚に訊き、海辺のペンションでの海水浴バカンスを計画する。しかしそこにも妻の愛人は追いかけてきて、妻は断り切れずに密会、それを息子パウロが目撃してしまうのだ。妻は不倫がバレている夫の前では罰せられているようで委縮しているが、この愛人の前では女性として個人として自分を解放してリラックスしている。

この現場をパウロが目撃していなければ、父は自殺せずに済んだかもしれないと思うと、胸が痛んだ。

 

 

「愛人と密会している間に自分の娘が殺され、夫の企みでその殺人者の娘を育てることになり、真実を知ると『娘』に辛く当たり、その『娘』が自分の本当の出生を悟って自殺したという女性の話である、」三浦綾子の『氷点』を想起。

氷点 | 三浦 綾子 |本 | 通販 | Amazon

★Wikipediaより★昭和21年(1946年)、旭川市在住の医師辻口啓造は、妻の夏枝が村井靖夫と密会中に、佐石土雄によって3歳の娘ルリ子を殺される不幸に遭う。啓造は夏枝を詰問することもできず、内に妬心を秘める。ルリ子の代わりに女の子が欲しいとねだる夏枝に対し、啓造はそれとは知らせずに殺人犯佐石の娘とされる幼い女の子を引き取る。女の子は陽子と名付けられ、夏枝の愛情を受けて明るく素直に育つ。

陽子が小学1年生になったある日、夏枝は書斎で啓造の書きかけの手紙を見付け、その内容から陽子が佐石の娘であることを知る。夏枝は陽子の首に手をかけるが、かろうじて思いとどまる。しかし、もはや陽子に素直な愛情を注ぐことが出来なくなり、給食費を渡さない、答辞を書いた奉書紙を白紙に擦り替えるなどの意地悪をするようになる。一方の陽子は、自分が辻口夫妻の実の娘ではないことを悟り、心に傷を負いながらも明るく生きようとする。

辻口夫妻の実の息子である徹は、常々父母の妹に対する態度を不審に思っていたところ、両親の言い争いから事の経緯を知る。両親に対するわだかまりを持ちつつ、徹は陽子を幸せにしたいと願う。その気持ちは次第に異性に対するそれへと膨らむが、陽子のために自分は兄であり続けるべきだという考えから、大学の友人である北原邦雄を陽子に紹介する。

陽子と北原は互いに好意を持ち、文通などで順調に交際を進める。しかし、陽子が高校2年生の冬、夏枝は陽子の出自を本人と北原に向かって暴露し、陽子は翌朝自殺を図る。その騒動の中、陽子の本当の出自が明らかになる。

表題の「氷点」は、何があっても前向きに生きようとする陽子の心がついに凍った瞬間を表している。その原因は、単に継母にひどい仕打ちを受けたという表面的なものではなく、人間が生まれながらにして持つ「原罪」に気付いたことであると解釈される。

02月27日、大楠道代(2023) - ぴくちゃあ通信

 

思春期に出会った三浦綾子さん(の作品)と星野富弘さん(の作品)は、まっすぐ届きすぎて、今でも私の聖母と神父。三浦光世さんに対して、そこまでの愛が現実的にあり得るのかと昔は懐疑的だったが、あり得たのだとこの動画を見て実感。三浦さんは、本当の意味で天使。

昔は重すぎ辛すぎた三浦綾子の作品世界。しかし、作品を通して、人の輪廻や因果や欲望やタイミングの隙に入り込む悪魔や生きているうちに体験しうる感情の果て・底つき・限界を表現してくださったのだろう。これ以上の辛い状況はないよ、(だから安心しなさい)と。作品が、人間存在の身代わりとして磔刑となったキリストであるかのような。つまり三浦綾子作品は、現代の聖書なのだろう。

三浦綾子 - Wikipedia

星野富弘 - Wikipedia

星野富弘〈花の詩画集〉最新作『足で歩いた頃のこと』 | 偕成社 | 児童書出版社

 

『子供たちは見ている』1944年

未定義

I bambini ci guardano - 1943, V. De Sica
子供視点の大人社会ということで、『ミツバチのささやき』を想起。ミツバチのささやき - Wikipedia

Amazon.co.jp: ミツバチのささやき (字幕版)を観る | Prime Video

ミツバチのささやき : 作品情報 - 映画.com

ミツバチのささやき:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画

 

 

 

★Wikipediaより★

『子供たちは私たちを見ている』(イタリア語I bambini ci guardano)は、ヴィットリオ・デ・シーカ監督

未定義

による1943年のイタリアのドラマ映画である。(注1)

プロット

プリコは、中流階級の家庭で両親と暮らすイタリア人の少年です。母親のニーナは彼を地元の公園に連れて行き、人形劇を見ながら楽しい時間を過ごします。しかし、彼はロベルトというハンサムな男性(ニーナが過去にロマンスを共有している)が母親に求愛していることを心配していますが、彼らは彼が注意を払っていないと思い込んでいます。家に帰ると、家族は夕食をとり、プリコは公園での一日を振り返ります。その夜遅く、母親が息子を寝かしつけた後、彼女は見知らぬ男と一緒に逃げ出し、プリコの父親は一人で息子を育てなければならないという考えに苦しみました。近所の人たちはニーナの失踪に関する多くの噂を共有しているが、すぐに彼女が別の男と逃げたことに同意します。ニーナは息子のために数日後に家に戻る。父親のアンドレアは、この取り決めに完全には満足していませんが、息子が母親と同じ家で育つようにと諦めます。

ロベルトと距離を置くため、ニーナとアンドレアは息子と近くのビーチホテルで休暇を過ごすことにする。休暇は彼らの時間を占領し、彼らは再会の見通しに満足しているようです。アンドレアが仕事に帰らなければならないと言った後、彼はニーナがプリコと数日余分に残ることを提案します。彼が去った後、ニーナは再びロベルトに追いかけられ、ロベルトはホテルのダンスに突然現れます。最初はうまく彼を遠ざけるが、再び彼に屈服した後、プリコは自分の信仰のなさに狼狽する。プリコは逃げるが、やがて警察官に連れ戻される。

プリコと母親は故郷に帰る。ニーナは家の外で彼に、用事が済んだら起きるから上がるように言う。プリコが二階の父親に会いに行くと、彼と父親はニーナがそこにいない理由の真実に気づきます。妻の旅立ちに再び心を痛めたアンドレアは、プリコを寄宿学校に入学させる。息子が留守の間、アンドレアは絶望のあまり自殺する。プリコが学校で死を告げられたとき、彼の母親と彼女の忠実なメイドの両方が彼を慰めるためにそこにいます。プリコは幼いながらも母親の本性を理解しており、メイドを優先して慰めに行くことを拒否している。映画は、プリコが母親を認めることを拒否して立ち去るところで終わります。

キャスト

脚注

  1. ^ 「NYタイムズ:子供たちは私たちを見ている」。映画・テレビ部、ニューヨーク・タイムズ。2012年からアーカイブ オリジナル 2012年10月20。2009年3月13日閲覧。★