『殺人カメラ La Macchina ammazzacattivi』1952年
そのイタリアの村は魚が獲れなかったり、ある警察官が独裁的に支配していたり、金持ちのアメリカ人一家だけが高台で裕福な暮らしをして、低地は下水道が不整備で常に悪臭がしていたりして、村人は不公平感を募らせていた。
そんな村の聖アンドレアの祭りの日に、その聖人アンドレアの幽霊がやって来た(笑)。
幽霊は車に轢かれても、死んだりはしない。
聖アンドレアの幽霊がやって来たとたんに、村の漁船は大漁となる。
自分はちゃんと税金も払っているのに不公平だ、少数の悪人がいい思いをして多数の善人がその分不幸をかぶっている、と義憤で一杯になっている写真館のカメラマン↓の所へ、そのアンドレアの幽霊がやって来て、殺人カメラを授ける。
聖アンドレアの幽霊とカメラマン
そのカメラで写真か本人を撮影すると、被写体が死ぬ(人だけでなくロバも死んだ)。
写されたその瞬間のまま全身硬直死するため、周りにいる人たちは死んだと気付かない。
殺人カメラに写され死んだ、金持ちの女性
しかし石のようになってバタッと倒れるので、「あ、死んでる!」となるのだが、ここがロッセリーニのいたずら心というのか、死という厳粛であるべきものが、厳粛であるべきだからこそコミカルに見えるのだ。
左が、石のようになって死んだ、独裁的警察官
これは、子供が葬式のときに後ろ姿のお坊さんの坊主頭に蝿が止まっているのを見たり坊主頭に鏡で光を反射させたりぽくぽくという木魚の音を聞いたりして笑ってしまうような、不謹慎であるがゆえに助長される、タブーを犯す緊張から解放されたい衝動としての笑いなのかもしれない。
役者もロッセリーニ組ゆえ、ここぞとばかりに一番効果的な目つき体つきで運動をストップさせて死を演じる。
写真を撮った場合は、その写真と同じポーズで他の場所にいる当人が死ぬのだ。
ある悪人は、その写真館で撮った赤ちゃん時代の這い這いの格好で死ぬ。
ということが可笑しい。
ずっと我慢してきた善人が我慢など一切しない悪人を制裁するのだという大義名分があるため、またこのカメラの秘密を村人は誰も知らないため、カメラマンは自分でもその勢いを止められない。
そして最後に「あ!こんなに人を殺してしまって!自分こそが悪人だ!」となって頭を抱えると、聖アンドレアの幽霊が現れる。カメラマンが聖アンドレアを被写体として写すと、彼は角の生えた裸の悪魔になってしまう↓。その聖アンドレアが全てをチャラにし、死人を全員生き返らせて、ジエンド。
末尾には、「だから善行を心がけましょう」という、ロッセリーニ(=話し手)からの不吉でチャーミングな警告↓で締め、となる。
カメラマンが、「○○が死んだ!」という声に(俺があいつの写真を撮ったからか!)と確認のために大慌てで走りだすシーンで流れる音楽が微塵も深刻ではなく、それがこの映画が喜劇であることを伝えていた。
聖アンドレアがまるで日本の昔話に出て来る貧乏神のように自信なさげで情けない感じで、そこが可笑しかった。
聖アンドレア(アンデレ - Wikipedia)
福の神と貧乏神
無機物であるカメラに悪魂が宿ったという意味で、家が人を喰う大林宣彦監督の『ハウス』を想起。
幽霊ということで、『天国から来たチャンピオン』も想起。
![天国から来たチャンピオンの画像一覧 | 映画ポップコーン](https://eiga-pop.com/files/image/6056/image_6056_i606c9b55e82f0.jpg)
![「天国から来たチャンピオン」("HEAVEN CAN WAIT"1978米国) : 活動写真雑記帳<映画感想レビュー>](https://livedoor.blogimg.jp/hirocks1967/imgs/0/e/0e8e9e19.jpg)
★Wikipediaより★
殺人カメラ (イタリア語:La Macchina ammazzacattivi) は1952年に公開されたイタリアのファンタジー喜劇映画。
監督はロベルト・ロッセリーニ。
主演はマリリン・ビュファード、ウィリアム・タッブス、クララ・ビンディ[1]。
1945年の映画「無防備都市」
でネオリアリズムが国際的に認知されるきっかけを作ったロッセリーニは、さまざまなスタイルを確立しようとしていた[2]。★
★悪人を殺す機械(イタリア語:La Macchina ammazzacattivi)は、ロベルト・ロッセリーニ監督、マリリン・バフェルド、ウィリアム・タブス、クララ・ビンディが出演した1952年のイタリアのファンタジーコメディ映画です。[1] 戦後のネオレアリズモの伝統の一部である。[2] 1945年の作品『ローマ、開かれた都市』でネオレアリズモが国際的に認知されるのを助けたロッセリーニは、さまざまなスタイルに手を広げようとしていました。(注3)
生産
ロッセリーニは1948年に映画の撮影を開始したが、製作には多くの問題があった。[4]
サレルノ、
トラーニ周辺で行われた。
あらすじ
聖アンドレアと名乗る見知らぬ男が、村のカメラマンに邪悪な者を滅ぼす力を持つ魔法のカメラを渡す。誰も免疫がないことが明らかになると、写真家は悪魔の仮面を剥がされ、全員を生き返らせることを余儀なくされる贈り主の装置をオンにします。
キャスト
- ジェンナーロ・ピサーノ(セレスティーノ役
- マリリン・バファード(アメリカ人観光客)
- ウィリアム・タブス(アメリカ人観光客)
- ヘレン・タブス(アメリカ人観光客)
- ジョバンニ・アマートが市長に就任
- クララ・ビンディ:ジュリエッタ・デル・ベロ
- ジャコモ・フリア(ロマーノ役
- アルド・ジュフレ
- カルロ・ジュフレ
脚注
参考文献
- ピーター、ボンダネッラ。ロベルト・ロッセリーニの映画。ケンブリッジ大学出版局、1993年。
- ブルネット、ピーター。ロベルト・ロッセリーニ。カリフォルニア大学出版局、1996年。
- ノーウェルスミス、ジェフリー。イタリア映画のコンパニオン。カッセル、1996年。
- ワグスタッフ、クリストファー。イタリアのネオレアリズモ映画:美的アプローチ。トロント大学出版局、2007年。★