映画映画『フランシス Francis』1950年映画映画映画映画映画

Francis (1950) | Vintage45's Blog

 

舞台は第二次大戦中のビルマのジャングル。

『ビルマの竪琴』と同じ戦争をアメリカ側から見たコメディーなのだろうと思った。

ビルマの竪琴 | 内容・スタッフ・キャスト・作品情報 - 映画ナタリー

『のらくろ』を想起。戦争が日常化した時代には、戦地もコメディーの舞台になったのだろう。

田河水泡さん|すぎなみ学倶楽部

 

 

Francis (1950) / AvaxHome

 

喋る雄のラバ・フランシスが、「無能な」スターリング少尉に敵である日本軍の情報を与え、それによりスターリングは近距離で司令部を見張っていた日本兵2人を捕虜にして連行し昇進、隊長になるとフランシスのアイデアで日本軍をおびき寄せて襲撃して昇進、情報部員になると司令部への空襲を事前にフランシスから知らされ迎撃。スターリングは次々出世するのだが、上官に情報源がラバであると言うと、その度に精神病棟に入れられ、作業療法として籠を編まされる。

フランシスは、はじめスターリングの前でしか喋らない。最初喋ったのは、一人で戦うスターリングにピンチを知らせるため。スターリングは間抜けで、放っておくとすぐに敵の銃撃にあたり死んでしまう。その体たらくを見ていて、フランシスの母性本能がオンになったらしい(本人(本ラバ)談(笑))。

Francis (1950) — The Movie Database (TMDB)

Francis (1950) YIFY - Download Movie TORRENT - YTS

Arthur Lubin - Francis AKA Francis the Talking Mule (1950) | Cinema of ...

スターリングは、交易所にいた美人のフランス人女性モーリーン・ゲルダーに恋をするが、彼女はスターリングの話を信じず、フランシスも彼女の前では話さなかったため「アメリカの将軍たちは、ラバが話したと言っているサイコだ」と、東京のラジオに通報した張本人だった。この顛末で、スターリングの気持ちは冷める。

FRANCIS THE TALKING MULE – 7 FILM COLLECTION (Blu-ray Review) – ZekeFilm

 

フランシスは知識と洞察力が深く非常に「人格者」で、出世を望まず、前線で戦いたい「立派な」兵士。

将軍はスターリングに連れられ、ジャングルでフランシスが話すところを目撃した。しかしフランシスは他の人の前では話したくない、自分は目立ちたくない、と言う。情報源がラバだと言うと自分が精神異常だと思われると考えた将軍は、フランシスの提案で、このことを忘れよう、となった。しかしそれでも、情報源がどこかなのか、軍の上層部での議論は続き、プレスもそれを探って記事にしようとしていた(将軍たち軍の上層部が精神異常なのかも突き止め記事にしたかった)。

 

フランシスは、スターリングが精神異常だという疑いを晴らすために司令本部に参上。

Francis (1950) - Turner Classic Movies

そこへプレスの記者たちがやってきて、スターリングとフランシスは衝立の向こうに隠されるが、モーリーン・ゲルダーがやって来て嘘を話し出したため、フランシスが出て行って話し出し、記者たちは驚く。フランシスはモーリーン・ゲルダーが密告者だという真実を告げる。ここでスターリングのモーリーンに対する恋心は冷める。

Francis (1950)

 

フランシスが話し出したことで、記者たちも信じない訳にはいかなくなったどころかフランシスは国民的ヒーローだ、これはトップ記事になる、となった。フランシスは人前に出たくなく、ジャングルで生涯一兵士として戦いたかったのだが、ワシントンで特別待遇を受けるために、不承不承飛行機に乗る。

スターリングは行けないため、ここで一度お別れとなる。フランシスは「何か気になる。つまりきみが好きなんだ」とスターリングに言う。「僕も頑張って、後からワシントンに行くから」とスターリン。

 

しばらくして、その飛行機墜落の報。

乗組員は全員パラシュートで脱出したが、フランシスは頑なに脱出を拒否したという。

 

この映画は、冒頭スターリングが銀行員で、彼の窓口にだけ人が並ばない、どうやら利用客から避けられているらしい、というところから始まる。

スターリングが内線電話で呼び出され、「昼食中」の札を出して奧の部屋に行くと、支店長が「変な噂が広まっている」と言い、「噂ではありません。事実です」とスターリングが回想を始めるというスタイルなのだが、ここへ来て回想が現実に追いつき、支店長がスターリングに「それで、フランシスは見つからなかったのか?」と訊き、「いえ、見つかったんです」と笑顔になり、支店長を家へ招き、フランシスを見せ、フランシスが支店長にいつもの誰にも媚びない感じで話しかけて、ジエンドになるのだ。

 

とにかくフランシスが可笑しかった。本当に喋っているようにしか見えず、口周りの動きが柔軟で、声優の声入れもズレず完全に一致していて興醒めとなる瞬間がなかった。

 

続編

 

 

 

★Wikipediaより★

フランシスは、1950年のアメリカの白コメディ映画で、ユニバーサルインターナショナルから、フランシス・ザ・トーキング・ミュールの映画シリーズを立ち上げました。フランシスロバート・アーサーがプロデュースし、アーサー・ルービンが監督し、

未定義

ドナルド・オコナー

未定義

パトリシア・メディナが主演しています。

» Blog Archive » Patricia Medina – Back in England to film

フランシスの特徴的な声は、俳優のチル・ウィルズによるナレーションです。

未定義

ユニバーサルから6本のフランシスの続編がこの最初の作品に続き、1本を除いてすべてオコナーが主演した。ミッキー・ルーニーは、シリーズの最終作でオコナーに取って代わりました。

未定義

第2次世界大戦中、アメリカ陸軍の下級将校が、フランシスという陸軍のラバに話しかけてほしいと主張するたびに、精神病棟に送られます。

プロット

銀行の支店長は、出納係のピーター・スターリングが世間の注目を集めていることを知り、その青年を家に呼び寄せる。スターリングはフラッシュバックで自分の物語を語る。

その後、スターリング少尉第二次世界大戦中、ビルマで日本軍の前線に捕らえられます。フランシス、話す陸軍のラバ(声:チル・ウィルズ)は、彼を安全な場所まで運びます。スターリングが動物に助けられたと主張すると、彼は精神病棟に入れられる。フランシスはスターリングが敵の計画を阻止するのを2度助ける。その都度、スターリングは精神病棟に送り返され、喋るラバの功績を主張します。スターリングは釈放を求めて、三つ星のスティーブンス将軍にフランシスに話すよう命じるよう頼むが、ラバは沈黙を守っていればスターリングが反逆罪で逮捕されることが明らかになるまで従わない。納得したスティーブンスはスターリングを釈放する。

強制入院中、彼は美しいフランス人難民のモーリーン・ゲルダーと親しくなる。彼は彼女を信頼するようになり、フランシスのことを彼女に話します。その後、東京ローズからのプロパガンダラジオ放送は、連合国がラバに忠告されたことを嘲笑します。このことから、スターリングやゲルダーが日本の工作員ではないかという疑惑が浮かび上がる。その後、マスコミは、この馬鹿げたラバの話がスパイを追い出すためにでっち上げられたことを知らされ、フランシスの助けを借りて、真犯人であるゲルダーが特定される。

フランシスはさらなる研究のために米国に送り返されるが、彼の軍用輸送機はケンタッキー州の荒野で墜落する。戦後、フランシスが墜落を生き延びたと確信したピーターは、ラバを探し、ついにまだ生きていて、元気で話しているのを見つけます。

キャスト

生産

開発

ルービンは1948年3月にこの映画に愛着を持つようになった。[5]彼が軽い素材に惹かれたのは、「私自身、映画ファンとして、スクリーンで神経症的な素材を見るのにうんざりしているからです。最新の精神科の呪文バインダーは簡単に読み飛ばすことができますが、34丁目の奇跡は半ダースほど見ました。(注6)

1948年9月、ロバート・スティルマン、ジョセフ・H・ネーデル、アーサー・ルービンがデヴィッド・スターンから映画化権を購入したことが発表された。シルマンがプロデュースし、ルービンが監督を務めた。[7] (ルービンは、文芸事務所で働いていた友人がこの本を勧めたと言った。(注8))

ルービンは、もともと興味を示さなかったユニバーサルにフィルムを持って行きました。しかし、後にハロルド・ロビンズのアシスタントとなったストーリーエディターは、特にユニバーサルがドナルド・オコナーと3万ドルで契約し、何か安いものを作りようとしていたため、興味を示しました。スタジオは、ラバに喋らせることができるかどうかを試すテストとして、ルービンに10,000ドルを前払いしました。テストは成功し、ユニバーサルは映画化に同意した。(注8)

彼らはユニバーサルで制作を立ち上げ、そこでドナルド・オコナーの主演作になりました。[9] ルービンはスターンと共に脚本を執筆した。ドロシー・ダベンポートリード(無声映画スターのウォレス・リードの未亡人)が脚本を手がけた。(注10)

ルービンは、自分が作った映画に金銭的な関心を抱いたのはこれが初めてだったと語っている。

フランシスを監督したことで、ニューヨークとハリウッドの両方で数年間演技とプロデュースをした後、映画制作に新たな視点を与えてくれました。私はフランシスを愛し、第一にそれは良い娯楽であり、第二に私はその装飾品のラバのビットを所有しているからです。(注6)

どうやらユニバーサルの記録によると、ルービンには一律25,000ドルの手数料が支払われたという。(注11)

撮影

撮影は1949年5月7日に始まり[12]、6月まで続いた。映画の一部は、カリフォルニア州サウザンドオークスにある今はなきコネホバレー空港で撮影されました。(注13)

アメリカで公開される前の1950年1月、フランシス西ドイツに駐留する陸軍部隊に初めて披露された。

フランシス・ザ・ミュールは、ニューズウィーク誌の記事によると、ユニバーサル・インターナショナルと7年契約を結んだ。ニューズウィーク誌はまた、フランシスの側近には「メイクアップマン、トレーナー、美容師、衛生技師、ほうきとエアウィックを完備した」と報じた。

プロデューサーのロバート・アーサーは後に、この映画の予算は58万ドルだったが、予算を42,000ドルオーバーしたと語った。[2] ルービンは後に、この映画の製作費は15万ドルだったと語っている。「ドナルドは当時3万ドルを手にした。ラバは一切かからなかった。当時は3頭のラバがいました。そして、その絵を15日間で作り上げたのです」[14]

レセプション

この映画はアメリカでその年の11番目に大きなヒットとなった[4]。

1950年5月、ユニバーサル・インターナショナルが作家のデイヴィッド・スターンからフランシスというキャラクターの権利を買い取ったことが発表された。(注15)

ディアボリックは「ルービンのハンドリングは常に確実で自信に満ちており、オコナーとチル・ウィルズ(フランシスの声を演じた)の本当に愉快な瞬間とセンセーショナルなパフォーマンスが含まれています。だいたい最初の30分で誰もがドナルド・オコナーが狂っていると思い込み、次にフランシスが誰かと話し、さらに30分ほど人々が気が狂っていると思い、さらに30分でフランシスがさらに数人と話し、さらに30分で狂気の疑惑が浮上し、フランシスが全員に話しかける。[16]