『緑色の髪の少年 The Boy with Green Hair』1948年
戦争孤児のピーターは、親類の家を転々とし、最後に、ショービジネスをしている、血のつながっていないフライじいさんに引き取られる。
ピーターは、両親は生きていると思っていたが、両親はロンドンで戦争孤児を救うための活動をしていて、その中で死んでいったのだった。残されていたのは、「お前が16歳になったら読んでくれ」と書かれた父からの手紙。そこには、「お前ももう分かるだろう。お父さんも死んだお母さんも、お前を愛している。だからロンドンに来たんだ。」と書いてある(ピーターは未読)。
ピーターは、自分より他人の子を救おうとロンドンに行った両親は、自分を愛していなかったんだと解釈していた。
それで心が荒む。しかし、空中ブランコ乗りの恋人を空中ブランコからの落下で亡くしたフライじいさんは、同じく大事な人を亡くしたピーターに、根気よく優しく寄り添う。
ピーターがわざと花瓶を落として割っても、それを黙って掃除。「わざとやったんだ」と言うピーターに、「分かっているよ」。
学校で、戦争孤児のポスターを見たピーター。「お前は戦争孤児なんだ」と言われると、見たばかりのポスターのオーラ―にやられ、一夜にして髪の毛が緑色になる。
それを鏡で見たピーター、一瞬驚くが、
唯一性の印と思ったのか、一転して誇らしげになり、面白がって遊んだりする。
しかし学校に行くとイジメの標的になる。
特に「俺は度の強い眼鏡でイジメられてきたんだ」と言う男子生徒は、執拗にピーターをイジメる。
これは、今現在鬼役である自分より更に少数派を見つけて鬼役をバトンタッチして、「自分はその他大勢の一人なんだ」と安心したい心理なのかなと思った。そしてすべてのイジメというのは、こうした、多数派につきたい安定志向という「自然な」生物の行動志向なのかなと思った。不安(≒凶兆の受信)を避けたいというのは、衝動のようなもので、これで身に起こりうる災難を早めに避けようという本能なのだろう。
ピーターは、ふと迷い込んだ林で、戦争孤児のポスターの子たちに出会う。
中で一番年長らしき青年は「緑色の髪の毛の子が来るのを待っていたんだ。緑は春の色。」と言う。
ここは救世主待望、というイメージかと思った。ピーターを、幼き受難者(≒イエス・キリスト)的なイメージにしたかったのかと。
この子たちと触れ合うことで、ピーターは自分も戦争孤児であるということを受け止め、同時に少数派であることに誇りを持ったかに見える。
ピーターを守りたいフライじいさんは、ピーターに帽子をかぶせて外出させる。
次第に、最初個人の感覚としてピーターの緑色の髪の毛をかっこいいと言っていた女の子も、
「お母さんが伝染するから近寄るなって言ってた」と言い、ピーターを避ける。
いわゆる風評被害なのだろう、ピーターの家に牛乳を配達している牛乳屋は、「うちの牛乳を飲むと髪が緑になると言って客が減った」と、また水道局の人は「水が原因で髪が緑になるんじゃないかと苦情が来ている」と、ピーターに髪を剃ることを急かす。
フライじいさんは複雑な気分。何がピーターのためなのか、判断しかねている。
対症療法的に考えるなら、緑の髪が生え続けるとして、それが見えないよう剃り続ければ嫌な噂も風評被害も消えるだろう。
しかし根治を考えるならば、そういう、一人しかいない事例を除け者にしたり病気だと言ったりすることをやめさせねばならない。
担任の先生は教育者、その騒動を知り、ピーターが登校すると、「黒い髪の毛の人は?茶色い髪の毛の人は?……緑色の髪の人は?赤い髪の毛の人は?」と挙手させ(緑の毛の人が一人、赤い髪の毛の人が一人、後は複数)、「分かりましたね?」と言ったのだった。相対化により絶対的少数とみなされていたピーターの髪色を騒動から救って落ち着かせたのだろう。
ピーターは、床屋で髪を剃ることを決意。大人たちが見守るなか、坊主になる。
その後、ピーターは家出して保護され、フライじいさんに引き渡され、父の遺書をピーターが理解する、というお話。映画は、この時系列ではラスト近くにあたる「保護された」ところから、始まる。
この扉の向こうに、「保護」の報を受けて駆け付けたフライじいさんたちがいる。
反戦・寛容などのメッセージが伝わる映画。
原作の主なテーマは差別、そこに反戦を付け加えたのが映画、ということらしい。しかし、出資者に「映画は娯楽に徹しないと」と言われ、アレンジしたのらしい。その(カットした)跡が、ところどころ感じた不連続的違和感だったのかなと思った。
この映画に対し、「ファンタジー仕立て」という記述があった。
「緑色の髪が生えたら医学史を変える」ということだから、まず緑色の髪の毛が生えたというのがピーターの空想なのかもしれない。
どこまでがピーターの空想なのかという線引きが難しい。
「ポスターの写真の戦争孤児がいた空き地」は、明らかにファンタジーっぽいが。
緑色の髪の毛が生えたことも剃ったことも空想だと元も子もない感じなので、これは全体をもって反戦ファンタジーと捉えるべきなのか、と思った。
この緑色の髪の毛というのは、見えない唯一性の象徴なのかな、と思った。
★Wikipediaより★
『緑色の髪の少年』(みどりいろのかみのしょうねん、The Boy with Green Hair)は、1948年(もしくは1949年[注 1])に公開された、アメリカ合衆国のファンタジードラマ映画。テクニカラーの作品である。監督はジョゼフ・ロージー、出演はロバート・ライアン、パット・オブライエン、ディーン・ストックウェルなど。
解説
原作はベッツィ・ビートンが1946年12月29日発行の『This Week』誌に発表した同名の短編[3]。それを、『十字砲火』(1947年)[注 2]に続く成功を狙ったドア・シャリーが買い取り、ロージーに彼自身初となる監督を任せた[6]。1947年後半に正式に製作が決定し、1948年2月9日に撮影を開始したが、1948年3月には完成したという[6][11]。
本作は、反戦・寛容などのメッセージ性を持つ映画と当時から評価されていた[12][13][14]。時代背景として、当時のアメリカにおける冷戦の開始や赤狩りがある[15]。原作の主なテーマは差別だった[注 3]が、そこに反戦を付け加えたのはロージーだったという[6]。
当時、RKOは経営危機に陥っていたが、作品は1948年5月[6]に
がRKOを支配する前に完成していた。しかし、ヒューズは「映画は娯楽に徹するべきで、社会性を持ってはいけない」という思想のもとに、寛容等のテーマを除くよう再編集や撮り直しの圧力をかけた。映画スタジオ側は抵抗したが、トーンを若干弱める再編集は受け容れたといわれる[6][12][13][注 4][14]。シャリーは、ヒューズと(他の映画をめぐっても)衝突した結果、1948年7月に、1947年1月に5年契約を結んだばかり[16]のRKOを辞めている[17]。ロージーはRKOと長期契約を結んでいたがヒューズに仕事を干され、結局ヨーロッパに移住して映画監督を続けた。
なお、本作のテーマソングとして使われた「ネイチャー・ボーイ(Nature Boy)」は、
1948年3月にリリースされ、100万枚以上を売り上げたナット・キング・コールのヒット曲である。
本作での使用のため作曲家エデン・アーベス(eden ahbez)に1万ドルが支払われたが、これは原作者ビートンに対し支払われた額よりもずっと多かったといわれている[14]。
ストーリー
親戚に預けられていた少年ピーターは、小さな町でグランプ・フライ(フライ爺さん)と暮らすことになる。フライ爺さんはピーターに優しく接してくれ、ピーターは学校にも通って友人を得るが、ピーターはある日、友人から自分が戦災孤児だと指摘される。両親の死をつきつけられたピーターは、翌朝髪の色が緑色になってしまった。学校の友人らにもいじめられるようになり、耐えられず森に逃げ込むと、戦災孤児のポスターに出てきた子供たちがそこに立っていた。子供たちはピーターに対し、緑色の髪は善の象徴であり、戦争の悲惨さに対し人々の注意を向けさせるためのものであると説く。
ピーターは子供たちの言葉に従い、町の人々に対して髪が緑色なのは戦災孤児であるためと訴えるが、町の人々には受け容れられなかった。人々から髪を全部剃れと求められ、ピーターは拒否するものの、フライ爺さんに髪を剃れば問題が解決するかもしれないと言われて、いやいやながら同意する。ピーターは衆人環視の中で髪を剃られ、涙を流す。その涙が、人々やフライ爺さんに、自らの振舞いについて恥じらいを感じさせた。フライ爺さんは謝るが、ピーターは家出してしまう。しかし、最後にはフライ爺さんのところに戻り、ピーターは緑色の髪に誇りをもって、また緑色の髪が生えてくることを願った。
キャスト
※括弧内は日本語吹替[18](NHK版:初放送1961年9月24日『劇映画』)
- ピーター・フライ: ディーン・ストックウェル(太田博之)
- エヴァンス博士: ロバート・ライアン(武田国久)
- フライ爺さん: パット・オブライエン(雨森雅司)
- ブランド先生: バーバラ・ヘイル(友部光子)
- マイケル: リチャード・ライオン
- ヌードソン博士: サミュエル・S・ハインズ(英語版)
- ジョーイ: ドウェイン・ヒックマン(英語版)
作品の評価
興行的には赤字だった[15](42万ドルだったという情報がある[19])。当時の評価の一例として、あるレビューでは、脚本の作りこみが甘く、髪が緑色になることが何を象徴するのか曖昧であり、また少年の苦悩と戦争の原因とを結びつけるのも安直であると批判している[7]。
現在の評価について見ると、2021年11月15日時点で、Rotten Tomatoesに書き込まれた「トマトメーター批評家」による11件のレビューのうち、高評価は9件(82%)だった。同サイトの一般利用者の中では、5点満点中3.5点以上をつけた利用者は57%であり、格付けは「腐敗(rotten)」である[20]。
脚注
注釈
- ^ a b 1948年12月27日とするサイトもある[2][3]。一方、KINENOTE[4]や映画.com[5]では製作年を1949年としており、研究書である『Film and Politics in America: A Social Tradition』(Neve, 2004)も映画公開日を1949年1月としている[6]他、公開日が「昨日」と述べる1949年1月13日付けのニューヨーク・タイムズの記事もある[7]。
- ^ 『十字砲火』も『緑色の髪の少年』と同じくメッセージ性の強い映画だった。
- ^ 原作は宗教的な色彩が強く、また、少年の髪は緑色ではなく芝になる展開だった[14]。映画では宗教色は排除された。
- ^ バラエティ誌のネット記事は日付が1947年になっているが、そのころはヒューズがRKOを支配していないので時系列に矛盾がある。映画レビュー的な内容も含むので、1948年の誤りである可能性がある。★
★『緑の髪の少年』は、ジョセフ・ロージー監督の長編映画監督デビュー作で、1948年に公開されたテクニカラーのファンタジードラマ映画です。[4][5]ディーン・ストックウェルが、髪の毛が謎に緑色に変わった後、嘲笑の対象となる若い戦争孤児ピーターを演じ、ベッツィー・ビートンによる同名の1946年の短編小説に基づいている。共演はパット・オブライエン、ロバート・ライアン、バーバラ・ヘイルなど。
監督のジョセフ・ロージー曰く、「原作は人種差別をテーマにしたファンタジーだった」とのこと。(注6)
プロット
頭が完全に剃られた奇妙なほど寡黙な家出少年を見つけた小さな町の警察は、少年がピーター・フライという戦争の孤児であることを発見する心理学者を呼びます。ピーターは心理学者に自分の人生の話をする。
一連の怠慢な叔母と叔父の家に滞在した後、彼はグランプという名前の理解のある引退した俳優と一緒に暮らすために送られます。ピーターは学校に通い始め、普通の少年の生活を始め、クラスがヨーロッパやアジアの戦争孤児を助けようとするようになるまで。
ピーターはすぐに、彼を悩ませているポスターの子供たちと同じように、彼もまた戦争孤児であることに気づきます。両親と孤児たちを助ける仕事について気づいたピーターは、非常に真剣になり、周りの大人たちが世界が次の戦争の準備をしていると話しているのを耳にして、彼はさらに困惑します。翌日、お風呂に入った後、ピーターがタオルで髪を乾かしていると、驚いたことに、自分の髪が緑色に変わっていることに気づきます。町の人々や仲間に罵倒された後、彼は逃げ出します。
森の中の寂しい場所に突然現れたのは、ポスターに描かれた孤児たちだった。戦争孤児ではあるが、緑の髪は変化をもたらすことができるし、戦争は子供たちにとって危険だと人々に伝えなければならないと告げる。彼は、このメッセージをすべての人に届けることを決意して去ります。戻ってきたピーターの男の子に腹を立てた町の人々は、ピーターが髪を剃って元通りになるように勧めるようグランプに促す。ピーターはポスターに描かれた孤児たちを探しに森に戻るが、髪を切ろうとする学校の少年たちに追いかけられる。
その後、彼は頭を剃ることに決め、町の理髪師がその仕事をする。しかし、ピーターは野球帽をかぶり、野球のバットを持って夜中に家を出ます。
現在に戻り、ピーターは物語を終えます。心理学者は、誰かが本当に何かを信じているとき、彼らは逃げないと彼に言います。ピーターはその場を去り、駅の待合室でグランプと再会する。グランプは、16歳の誕生日に父親が書いた手紙を読む。ピーターの父親は、死ぬに値するものがあり、人々が忘れてしまったら「ピーター、思い出させなさい」という彼の信念を語っています。彼のメッセージを共有し続けることを励まされたピーターは、彼の髪が再び緑色に戻ることを確信しています。心理学者はクヌードソン博士に、少年の髪が実際に緑色だったかどうかは気にしないが、少年の言うことには同意したと告げる。グランプとピーターは家に帰る。
キャスト
- パット・オブライエン(Gramp Fry役
- ロバート・ライアン(エヴァンス博士役
- バーバラ・ヘイル(ミス・ブランド役
- ディーン・ストックウェル - ピーター・フライ
- リチャード・ライオン(マイケル役
- ウォルター・キャトレット(王様役
- サミュエル・S・ハインズ(クヌードソン博士役
- チャールズ・メレディス(ミスター・パイパー役
- レジス・トゥーミー(ミスター・デイヴィス役
- デビッド・クラーク(理髪師役
- ビリー・シェフィールド(レッド役
- ジョニー・カルキンス(ダニー役
- テディ・インフュール(ティミー役
- ドウェイン・ヒックマン(ジョーイ役
- アイリーン・ヤンセン(ペギー役
デイル・ロバートソン、ウィリアム・スミス、ラス・タンブリンが登場するが、クレジットされていない。(注7)
スコア
エデン・アベズが作曲し、クレジットされていないコーラスが歌う「Nature Boy」という曲は、この映画のスコアの主要なテーマでした。ナット・キング・コールの「Nature Boy」のヴァージョンはビルボード・チャートで1位を獲得し、1948年の夏に8週間連続でその座に留まった。
文化的参照
2009年の映画『宇宙空母ギャラクティカ:ザ・プラン』では、(大人の)ディーン・ストックウェルも主演し、『緑の髪の少年』に広く言及している。ストックウェルの初期の映画のファンであるエドワード・ジェームズ・オルモス監督は、『ザ・プラン』の戦争孤児のジョンのためにピーターのコスチュームのレプリカを制作しました。オルモスはジョンに緑の髪にしたいと言ったが、スタジオはそれを許可しなかった。(注8)
DCアニメイテッド・ユニバース映画『バットマン ビヨンド:ジョーカーの帰還』でティム・ドレイクを演じたストックウェルの声優も、本作での彼の演技からインスピレーションを得ている。
レセプション
映画業界の業界誌『The Exhibitor』は、この映画を「よく演出され、よく演じられている」と賞賛したが、「観客がメッセージのある写真を明らかに嫌っている」ため、映画の商業的魅力には懐疑的な見方を示した。[9]この映画は420,000ドルの損失を記録しました。(注10)
ジェーン・ロックハートは『ザ・ロータリアン』誌に寄稿し、「真摯な努力だったが、なかなかうまくいかなかった」とし、「そのメッセージは、どういうわけか曖昧で未解決のものとして浮かび上がってくる。まるで作り手が何を言おうとしているのか、まったく決心がつかなかったかのようだ」と述べている。(注11)
『ニューヨーク・タイムズ』紙のボズレー・クラウザーは、ストックウェルとオブライエンの演技を称賛し、他の俳優陣は「適切」と評した。[12]クラウザーは、少年の髪の毛に関して明確さの欠如を批判し、プロットの装置としては「平凡」で「奇妙に決定的ではない」と述べ、緑色の髪が少年の想像力の産物なのか、「厳密に気まぐれな装置として意図されている」のかは定かではないと述べた。クラウザーは「ジェスチャーはその目的に及ばない」と結論付けた。[12]
この映画は1948年11月26日に英国映画検閲委員会によって「U」証明書で可決されたが、英国での公開は1950年6月19日まで延期された。
この映画は、2004年のAFIの100年でアメリカンフィルムインスティテュートによって認識されています...100曲リスト:「ネイチャーボーイ」 - ノミネート[13]
2000年のテレビ放送で「40年代」と書いた「ディーン・ストックウェルは、すでに16本の映画に出演しているかわいい子供だった。この作品は、悲しみのあまり髪の色が変わってしまう戦争孤児を描いたファンタジーで、悪くない作品のひとつでした(『マイティ・マクガーク』は、今となってはひどいものでした)。[14]★