映画映画『ベン・ハー Ben-Hur: A Tale of the Christ』1925年映画映画映画映画映画

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未定義

 

 

幼馴染のローマ人将軍メッサラと、ユダヤ人の金持ちの家ハー家の息子ベン・ハーの因縁の対決に、イスラエルを救う救世主イエス・キリストが絡み、ベン・ハー勝利、ラストはイエスが戦いを拒み死者を蘇らせらい病者を治し磔になり、人々の心に永遠に残るという話。

 

ローマから、グロウタスが執政として赴任した日に、将軍メッサラが率いるその歓迎行進を見物していたベン・ハーと母と妹。ベン・ハーがバルコニーで手をかけたタイルが故意ではなく落ちてグロウタスに当たりグロウタスが怪我。メッサラはベン・ハーをガレー船の奴隷にし、ベン・ハーの母と妹を地下牢に閉じ込めた。

ベン・ハーは三年ガレー船の漕ぎ手として過酷な労働に耐えていた。ある日「こんなのは耐えられない。どうか殺してくれ!」と叫んだ同じ奴隷のユダヤ人に、「死を願うな!生きることを願え」とベン・ハーが言うと、「ローマ人のようなことを言う。お前は奴隷なのになんの希望がある」とガレー船の監督のローマ人、アリウス。

BEN-HUR: A TALE OF THE CHRIST (1925)

「希望じゃない、(メッサラへの)復讐だ」と言うベン・ハー。

海賊船が来ると、奴隷同士の足は鎖で繋がれた。しかしアリウスは「その威勢のいい奴隷の足はつながなくていい」とベン・ハーを特別に扱う。

海賊に乗り込まれたローマ人の船。ベン・ハーは剣でアリウスの命を救い、船全体がやられても、アリウスと二人船の破片に乗って生き延びていた。

SILENT FILM: Ben-Hur: A Tale of the Christ (1925) | Columbus Association for the Performing Arts

そこへアリウスを探しに来たローマ人の船が来る。しかしアリウスは「海賊に負けて合わせる顔がない。ここで自殺する」と言う。

「あなたは私の命の恩人、死なせる訳にはいかない」と言ったベン・ハーは、「ここです!」と叫び、アリウスを引き上げさせた。「その奴隷はどうしましょうか」と部下に言われたアリウス、「今日から彼は私の息子だ、私に仕えるように彼に仕えてくれ」と養子宣言。

Ben-Hur: A Tale of the Christ (1925)

アリウスによって豊かな暮らしを与えられたベンハー。しかし母と妹を探す旅に出る。

 

母と妹が死んだと聞かされたベン・ハーは、生きていても仕方がないと思う。

しかし、自分の屋敷で奴隷だった男の娘で、前に会って相思相愛になっていたエスターと再会、「きみが俺の希望だ」となるベンハー。エスターの父はハー家の財産管理をしていて、ローマ人に背骨を折られる拷問を受け、それでもハー家の財産の在り処を言わなかった。しかし、死んだと思われていたベン・ハーをベン・ハーだと認めると、娘が金貸しの娘ではなく、奴隷の娘となってしまう。それで戻って来たベン・ハーをベン・ハーだと認めることを躊躇していたのだった。彼は娘に二択を預け、娘は、ベン・ハーが生きていたと認められ、自分が奴隷の娘となることを選んだ。ベン・ハーもエスターも互いの名前も身分も知らずに相思相愛になっていたのだったが(町でベン・ハーがエスターの逃げた白鳩をつかまえてあげた)、互いの名前と身分を知っても愛は冷めないどころか一層強くなる。

Ben-Hur: A Tale of the Christ (1925)

Movie Market - Photograph & Poster of Ben-Hur: a Tale of the Christ 1925 188459

 

一方、アラブ人の族長が、四頭立ての戦車レースに出て勝てる御者を探していて、ベン・ハーに白羽の矢が立つ。ベン・ハーはそのレースにメッサラが出ると知り、俄然復讐の火が再燃、やる気になる。メッサラも、ベン・ハーが生きていてそのレースに出ると知ると本気になり、二人は自身の財産も全部賭け、そのレースに出ることになった。

(左がメッサラ、右がベン・ハー)

Ben-Hur: A Tale of the Christ (1925 silent film, starring Ramon Novarro and Francis X. Bushman ...

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Ben-Hur: A Tale of the Christ (1925) - Backdrops — The Movie Database (TMDB)

レースはベン・ハーの勝利となり、メッサラはそのレースで死去、財産もベン・ハー側のものに。

Ben-Hur (1925) - Turner Classic Movies

Ben-Hur: A Tale of the Christ (1925)

 

エスターがベン・ハーの実家に行くと、そこにベン・ハーの母と妹がいる。

母と妹は、同じく実家に来てその前で寝ていたベン・ハーを見て、彼の生存を確認、喜ぶ。しかし触らない。彼を起こしもしない。

エスターが近寄ると、「エスター、近寄っちゃだめ」と二人。

地下牢に入れられていた二人は、らい病だとなって、らい病者の谷へ行け、と地下牢を追い出されたのだった。

地下牢では食事はわずかだが出されていた。しかしらい病者の谷は、死を待つだけの場所。

二人は、眠っているベン・ハーをそのままに、エスターと別れてらい病者の谷へ行く。

 

救世主イエス・キリストが大人になったという知らせを聞いたベン・ハーは、その人こそ仕えるべき王だと武士を集める。

しかしイエス・キリストはローマ軍により磔刑となり、重い十字架を背負い、ゴルゴダの丘まで歩かされる。

ベン・ハーが剣を出して「あなたに仕えて戦います」と言うと、(現世で戦いに勝つことが目標ではありません。剣をしまいなさい)という神の声。ベン・ハーが剣をしまうと、見物の人たちは笑った。

イエスが死者を蘇らせ病人を治すと聞いていた女性は、「この子を生き返らせてください」と跪く。イエスが手をかざすと、その子は生き返る。

エスターは、らい病者の谷へ行き、ベン・ハーの母と妹を連れてイエスの前に出て、「治してください」と言う。すると手がかざされ、二人の病気は治った。死んでいたと思い込んでいた母と妹を見つけて駆け寄るベン・ハー(母と妹は、ベン・ハーに知られず死んだほうがいいと判断し、谷に身を隠していた(ベン・ハーの実家の奴隷の娘であったエスターは、そういう二人の心情を理解していた))

イエスはゴルゴダの丘で磔となり、その三つの十字架の下でローマの軍人たちは遊んでいる。イエスを信奉する人たちは、イエスの服の切れ端を分け合った。

その中で、イエスがこと切れる。

 

ゴルゴダの丘の三つの十字架が遠くに見えるバルコニーでエスターが悲しむと、ベン・ハーは「イエスは我々の心に永遠に生き続けるよ」と言って、ジエンド。

 

聖書というのは、エジプト人やローマ帝国に酷い目に遭ったイスラエルの人たちを救うための癒しの物語だったのかなと思った。

救世主イエスに奇跡を起こしてもらわないと、理不尽で悔しくて悲しくて虚しくて屈辱的でどうしようもない、その人種差別の被害者を癒やすために、同じ被害者が生み出した、生み出さずにはいられなかった物語だったのでは、と思った。

また、このどうしようもない状況での希望として、とにかく頑張って生き延びて頑張れば、その先にミラクルがふっと訪れるよ、というエールだったのでは、と思った。そんなことが起こらないことは誰もが分かっていたとしても、それでも奇跡を信じる以外になかった現実の絶望感だったのでは、死後にしか希望を見いだせなかったのでは、と辛くなった。

そんな絶望の中では、イエス・キリストというキャラクターを生み出し、こうだったらいいなの幻想をシェアするしかなかったのでは、と思った。

奴隷という存在があったというのは、本当に悔しいことだと感じる。

同じ人間を奴隷にして楽をした人たちが醜いし、奴隷にされた人たちが可哀そうで無念でならない。

屈辱なのだが、それに仕返ししようとすると、終わらない戦争という地獄しかない。

そこを救うのが、剣を収めさせる、イエス・キリストというファンタジーなのだろうと思った。

 

 

『ベン・ハー』という作品の重量が、本当に凄いと思う。私がこの作品を初めて本気で観たのは(その前にテレビで見ていたかもしれないのだが)、中学の社会の授業で映画を観せてもらったときだった。

原作者は、南北戦争の北軍の将軍なのらしい。

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★ルイス・"ルー"・ウォーレス: Lewis "Lew" Wallace、1827年4月10日-1905年2月15日)は、アメリカ合衆国政治家および著作家弁護士、州知事、南北戦争のときの北軍将軍。★

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★Wikipediaより★

ベン・ハー』(英語: Ben-Hur: A Tale of the Christ, 「ベン・ハー - キリストのお話」の意)は、1925年製作・公開、フレッド・ニブが監督

フレッド・ニブロ

によるアメリカ合衆国の長篇劇映画である。サイレント映画

略歴・概要

前年の1924年に3社合併で設立されたばかりのメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)が、390万ドルの巨費(サイレント映画において最も高額な製作費)を投じ、フレッド・ニブロを監督に、ラモン・ノヴァロを主役に製作したスペクタクル超大作である。原作はルー・ウォーレスが1880年に発表した小説『ベン・ハー』で、1907年の15分の短篇版に次ぐ2度目の映画化である。

当初、チャールズ・ブレビンが監督し、ジョージ・ウォルシュが主演をする予定であった[1]。高名な戦車競争シーンは、リーヴス・イースンが演出している[1]。同シーンの観衆エキストラとして、当時の俳優、スタッフらが大量に動員された。このシーンは6万メートル以上のフィルムが撮影されたが、最終的に229メートルにまとめられた。また、一部のシーン(キリスト関係)は二色法によるカラー映像で、ビデオ版リリース時にチェコの倉庫でフィルムが発見されたことで現在でもその彩色を見ることができる。

ウィリアム・ワイラーによる1959年の3度目のリメイクはこの2作目をほぼ完全に踏襲している。ワイラーは2作目の助監督でもあり、両作品に関わった数少ない人物である。

1928年度キネマ旬報ベストテン 外国映画4位(なお、1位はムルナウの『サンライズ』)。

1997年にアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。

ストーリー

舞台は紀元前、ヘロデ大王の治世のパレスティナである。ユダヤ人の住む地域にベン・ハー(ラモン・ノヴァロ)、その幼友だちのメッサーラ(フランシス・X・ブッシュマン)がいた。ベン・ハーが16歳になったとき、ローマの武人となったメッサーラと再会した。メッサーラはローマ人であることをかさにきて、ユダヤ人のベン・ハーを馬鹿にした。ベン・ハーはこのことを心に刻み込んだ。

ローマから、グロウタスが執政として赴任した日に、ベン・ハーは誤って怪我をさせてしまう。ベン・ハーは母(クレア・マクドウェル)や妹(キャスリーン・ケイ)とともに、メッサーラによって捕らえられる。ベン・ハーは奴隷に堕ちた。

海賊がローマ海軍を襲撃し、ローマ側は全滅したが、軍艦の漕ぎ手奴隷だったベン・ハーは、アリウス提督(フランク・カリアー)を助け、2人だけが生き残った。アリウスはベン・ハーを養子に迎え、豊かな暮らしを与えるが、ベン・ハーは母と妹を探して旅に出た。

アラビアにたどり着いたベン・ハーは豪商シモニデス(ナイジェル・ド・ブルリエ)、その娘のエステル(メイ・マカヴォイ)に出会う。ベン・ハーとエステルはたがいに惹かれあうが、翌日、戦車競争の対戦に出場することとなる。対戦相手はメッサーラである。数万人の観衆を前にかつての友人、いまは民族どうしの威信を賭けた争いの相手である。メッサーラは卑怯な方法でベン・ハーの戦車を倒そうとしたが、そのおかげで命を落としてしまう。

対戦に勝利したベン・ハーは、この勢いに乗じてユダヤ民衆を煽り、ローマ人が処刑しようとしているユダヤの預言者イエス・キリストを救おうと呼びかける。たどりつくとキリストは、ベン・ハーの申し出を拒否する。

キリストが病気を快癒させた2人の女性がいるとベン・ハーは知る。それがまさに探していた母と妹なのだった。キリストは受難を甘受したが、そのことにより、神の恵みは、母にも妹にも、ベン・ハーにも、世界中の誰に対しても降り注ぐ。

キャスト

大衆モブシーンエキストラ

  1. a b #外部リンク欄、「ベン・ハー」リンク先、キネマ旬報、2009年10月28日閲覧。★