『イワン雷帝 Иван Грозный』1944年
ロシア史上初めての皇帝で、暴君として名高いイワン4世の話。
16世紀半ばのモスクワ。日本は戦国時代。戦国時代 (日本) - Wikipedia
大貴族という諸侯を無視して一人で権力を握ったイワン皇帝は、カザンを火薬と地下道を使って攻めタタール人を倒し南を平定したが、
大貴族から裏切られ、妃一人が味方。
妃は息子を生むが、皇帝が危篤となった際に、「皇帝の死後はあなたの息子に忠誠を誓いあなたを安泰にする」と言っていた、自分に惚れていた、皇帝の臣下の一人が裏切り逃亡したという知らせにショックを受け寝込む。その様子を見ていた、皇帝反対派の一人が、妃が飲む盃に毒を入れ、それを回復した皇帝が病床の妃に与え、飲んだ妃は死去。
危篤だった皇帝は、告解の秘儀というキリスト教の儀式(巨大で重い聖書のあるページを開いて伏せ、頭を覆う)により復活、裏切る大貴族ではなく人民を味方につけようと、教皇に「皇帝はモスクワを去り、〇〇に行った。親衛隊になる人はそこへ行きなさい」と言わせる。
すると〇〇に人が列をなしてやってくる。
皇帝が「ロシアの商人はただ一人わたし皇帝だけである、ドイツなどを共通の敵として一緒に組もう」と手紙を出していたイギリスのエリザベス女王からも返事が来て、皇帝はモスクワに帰り、ロシアの皇帝として復活、となったところでジエンド。
大貴族が皇帝を陥れようとするときに、「妃は親族に黒魔術師がいる」と言っていたのが印象的だった。
その当時の人たちが普通のこととしてシェアしていない現象を知っていることも含めて魔術と言っていたのでは、と思った。
逆に、魔女、魔術師とカテゴライズされた人の中には、その、多数にシェアされていない科学知識などを利用して多数を騙すこともしたのでは、と思った。
少しの未知に、イメージが付加され、脅威にも権力にもなったのでは、と思った。
陰陽師とは、それを利用した人なのだろうと思った。
今で言う、気象予報士、医術師、ヒーラー、仏師、占い師、セラピー、人生相談、コンサルティング。
モスクワ大公であったイワン雷帝が攻めたカザンとモスクワの位置関係。カザン - Wikipedia
カザン
★黒魔術(くろまじゅつ、英: black magic)とは、
- 文化人類学で定義される邪術とほぼ同義とされる。黒呪術ともいう。
- 他人に危害を与えるための技。不道徳な魔術を呼ぶ際の蔑称。
- 自己の欲求・欲望を満たすために行われる魔術のこと。
- 自分にとって好ましくない魔術、魔法。
概説
通常、呪術で悪霊[注釈 1]の力を借りるなどして相手を呪う術は全てこれにあたるとされる。また、自分の側に不都合な魔術は全て黒魔術とする分類もあり、「自分にとって認められないもの」という以外に厳密な用法はない。
対になる概念に白魔術がある。しかし魔術について「“白”や“黒”といった浅はかな分け方をすべきではない」という考え方もある。黒か白かを決めるのは魔術を行使する術者の意思であり、術の使い方次第で黒にも白にもなるのである[1]。
また、白が善で黒が悪というのは黒人差別と同じ思想が流れているという指摘もあり、現在では黒魔術、白魔術という言葉は使われなくなってきている[1]。
現代の黒魔術
インドやパプアニューギニアなどの占い師やまじない師は、2010年代においても結果を魔女による黒魔術に求める例が後を絶たず、毎年、魔女狩りによる犠牲者が少なからず生じている[2][3]。
注釈
- ^ ある宗教・宗派において神として崇敬されているものも、対立側においては悪魔・悪霊と扱われることに注意されたし。
出典
- ^ a b ビーバン・クリスチーナ編著『悪魔の呪法全書』二見書房〈サラ・ブックス〉、1997年、379頁。ISBN 4-576-97004-6。
- ^ “「魔女狩り」で母子5人殺害、男6人を逮捕 インド東部”. CNN (2019年1月30日). 2019年2月5日閲覧。
- ^ “環境の変化を黒魔術のせいに、多発する現代の魔女狩り パプアニューギニア”. AFP (2019年2月2日). 2019年2月5日閲覧。★
★Wikipediaより★
『イワン雷帝』(イワンらいてい 原題:Иван Грозный)は、1944年から1946年にかけて制作されたソ連映画。セルゲイ・エイゼンシュテイン監督。
“イワン雷帝”ことイヴァン4世
の生涯を描いた作品。全3部構成で制作される予定であったが、第1部は時の権力者ヨシフ・スターリン
から高く評価されたものの、第2部はスターリンを暗に批判した内容であったため上映禁止となり[1]、第3部は完成されなかった。第2部のラスト数分がカラー映像になっている。
あらすじ
第1部(1944年)
- 16世紀半ば、帝位に就いたイワンはロシアを強力な統一国家にすべく邁進するが、それを快く思わない伯母のエフロシニアは、彼の愛する妃アナスタシアを毒殺してしまう。悲嘆にくれたイワンは退位して田舎に引きこもるが、民衆の熱い要請を受けて、再び帝位に返り咲く。
第2部(1946年)
- 民衆の熱い要請を受けて再び帝位に返り咲いたイワンであったが、宮廷内では依然としてエフロシニアを中心とする反イワン派の抵抗を受けていた。イワンはこの状況を打開すべく大粛清を決行する。
キャスト
※括弧内は日本語吹替(テレビ版・初回放送1969年1月15日 NHK『劇映画』9:00-12:00[2])
- イワン雷帝 - ニコライ・チェルカーソフ(高橋昌也)
- アナスターシャ皇妃 - リュドミラ・ツェリコフスカヤ(平木久子)
- エフロシニア(英語版) - セラフィマ・ビルマン(英語版)
- ウラジーミル公 - パーヴェル・カドチニコフ(英語版)(杉裕之)
- クルーブスキー公 - ミハイル・ナズヴァノフ(英語版)(有馬昌彦)
- スクラートフ - ミハイル・ジャーロフ(英語版)(高木均)
音楽
「イワン雷帝 (プロコフィエフ)」を参照
その他
エイゼンシュテインは
歌舞伎初の海外公演を観劇し、大いに感銘を受けた。その影響から、第1部ではクローズアップ・ショットで主人公に見得を切らせるという、歌舞伎的な様式の演出を用いている。★