『コンスタンチン大帝Constantin the Great』1961年
キリストが磔刑にされてから三世紀のローマ帝国は、東と西に分かれていた。
コンスタンチンは、西のローマの皇帝の息子。
左がこの映画の主人公コンスタンチン、右が父である西のローマの皇帝。コンスタンチンは母に会ったことがない。母の話を父は隠しているが、死の直前、息子コンスタンチンに、「お前の母は生きている。キリスト教徒のためずっと隠れてきた」と言う。
後ろの火は、コンスタンチンの父の火葬。
周囲から認められ、西の皇帝を継承したコンスタンチンは、東の皇帝の妹と政略結婚させられる(東の皇帝が、自分の妹がコンスタンチンに惚れている、結婚させればコンスタンチンもこっちの一味になるだろうと判断した(しかしお付きの者は、「惚れた女は寝返ります」と御注進))。しかし結婚した二人は愛し合う。
東の皇帝は見世物として、コンスタンチンに競技場で、奴隷がライオンに食われる様子を見せる。
続いて、捕らえたキリスト教徒の男の子とその母を競技場に出し、そこへライオンを放す(キリスト教最後の大迫害時代)。
母は息子の名を叫んで走りだす。するとライオンに食われる。
観客席で見ていられないとなったコンスタンチン、競技場に飛び下りて男の子を助けようとする。
すると東の皇帝は、「西の皇帝がライオンの餌食になった」と見物。
しかしコンスタンチンは、ライオンを殺し、母を失い怯える男の子を抱き上げる。
この様子を見ていた東の皇帝の妹、まだ結婚前だったが、このときにコンスタンチンを本気で愛するようになり、兄を憎悪する。この女性は、策略深い父のことも憎んでいる。
ここで次に競技場に出されようとしていたのが、実はコンスタンチンの母だった。
母は檻の内から息子の成長を密かに喜ぶが、キリスト教弾圧時代、名乗り出はしない。
このとき、実は母である女性と対面しているコンスタンチン、何か親しいものを感じている。
コンスタンチンの相棒は、コンスタンチンのお供をしている際に盗賊に襲われ、キリスト教徒たちに助けられる。
彼らは隠れキリシタンとなって潜伏しているのだが、誰かが危険となっていると、危険を顧みずに出て行って助けずにはいられないのだ。
その中には、東の皇帝の主治医もいる。しかし東で仕事をしている際は身分を隠している。
コンスタンチンの相棒は、ここで怪我の手術後に看病してくれた女性リディアと相思相愛になる。
相棒は、大都会ローマに三年ぶりに行って大浴場やうまい料理や香水をつけたいい女に会うことを楽しみにしている。
「お前はまだこどもだ」と言う相棒に、リディア↓は「こんな田舎はつまらないでしょうね」と悲しむ。
この辺は、まるで大河ドラマの初回のよう。
子供だと思っていたリディアだったが、リディアたちキリスト教徒が一斉に捕まり、東の軍人によってレイプされると、間もなくそこにいた相棒を見て、それが男の軍人であるがゆえに恐れる。「俺だ、〇〇だ」と名前を言うと、「あの時なぜわたしを助けたの。あの時死んでいればこんな目に遭わずに済んだのに」。「済まない、きみを愛していたんだ」と相棒。その声を聞いて間もなく、リディアは死去。
相棒は、その後キリスト教徒になる。
ある日コンスタンチンは、嵐の中、空に走った稲妻が切り裂いた十字の光を見る。そしてコンスタンチンの心は完全に定まった(戦争での勝利を確信したと同時にキリスト教を本気で信じた)。
東と西の内戦となった。
コンスタンチンたち西軍は、十字架をシンボルとして戦っている。
自由で、独裁や迫害のない社会を目指すと誓い合った西軍。(映画ではキリスト教の神(=理想)と違って、ローマの神々は奴隷を認め、迫害をすることによってローマに富をもたらす、というような描かれ方。その時代の神(=人々の願い)だったため、そうなったのだろうと思った。)
劣勢である西のコンスタンチンたちは、東の騎兵隊を狭い道におびき寄せ、道の両側から歩兵たちが矢を放つ。
途中、コンスタンチンの相棒が戦死。
最後トップ同士の戦いでは、コンスタンチンが東の皇帝を刺し殺し、ラスボスは馬から川に落ちる。
コンスタンチンたち西側が勝った。
コンスタンチンが母に会うと、母が頭を下げる。
「皇帝としてではなく、息子として会っています」とコンスタンチン。
こうして、コンスタンチンはローマ帝国で初めて、キリスト教を認め国教にしたのでした、というエンディング。
(ヨークにあるコンスタンティヌス1世の青銅像)
★ローマ帝国の皇帝として初めてキリスト教を信仰した人物であり、その後のキリスト教の発展と拡大に重大な影響を与えた。このためキリスト教の歴史上特に重要な人物の1人であり、ローマカトリック、正教会、東方諸教会、東方典礼カトリック教会など、主要な宗派において聖人とされている。また、コンスタンティヌス1世が自らの名前を付して建設した都市コンスタンティノープル(現:イスタンブル)は、その後東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都となり、正教会の総本山としての機能を果たした。★
(東ローマ帝国時代のコンスタンティノープル)
イスタンブール
★コンスタンチン大帝 : 作品情報 - 映画.com (eiga.com)
解説
ローマ時代に材をとった史劇スペクタクル。フルヴィオ・パルミエルの歴史小説を、エンニオ・デ・コンチーニ、リオネロ・デ・フェリーチェ、エルンスト・ユイダ、フランコ・ロゼッティ、グリエルモ・サンタンジェロの四人が共同で脚色。監督に当ったのは記録映画作家でもあるリオネロ・デ・フェリーチェ。撮影はマッシモ・ダラマーノ。音楽はマリオ・ナシンベーネ。出演するのは「キリマンジャロの決闘」のコーネル・ワイルド、「今晩おひま?」のベリンダ・リー、「ポンペイ最後の日(1960)」のクリスティーネ・カウフマン、マッシモ・セラート、エリザ・チェガーニなど。製作はフェルディナンド・フェリチオーニ。トータルスコープ。
1961年製作/イタリア
原題:Constantin the Great
配給:松竹セレクト
劇場公開日:1961年7月19日
ストーリー
西歴三〇三年--ローマの勇将クローラスを助け、フランク族を撃破した若きコンスタンチン(コーネル・ワイルド)は、西の皇帝ジオクレスに招かれてローマに向った。途中、伏兵の襲撃を受け、コンスタンチンの親友で百人隊長アドリアン(ファウスト・トッツィ)は傷つき、近くの民家で傷の手当てをした。彼はそこの娘でキリスト教徒のリヴィア(クリスティーネ・カウフマン)と恋仲になった。伏兵は東の皇帝マクシミリヌアスの子でローマの治安担当の近衛総監マセンシアス(マッシモ・セラート)が、コンスタンチンをねたんでの仕業だった。コンスタンチンがローマに着いても、マセンシアスは表面平穏をよそおって機会を待った。ある日、コンスタンチンはマセンシアスの案内で、国禁であるキリスト教の教徒の裁判を傍聴した。彼は教徒の立派な態度に感動した。傷のなおったアドリアンが、ローマに到着した。マセンシアスはリヴィアらキリスト教徒を逮補した。アドリアンはコンスタンチンに頼んで、彼女を救出した。そのために、コンスタンチンは国法を破ってしまった。東西両皇帝と副帝の改選期がきた。西の皇帝にはコンスタンチンの父クローラス、東の副帝にはマセンシアスの友人リシニアスが選ばれた。野望をくじかれたマセンシアスは、コンスタンチンとアドリアンを逮捕しようとした。コンスタンチンは許婚者でマセンシアスの妹ファウスタ(ベリンダ・リー)の急報で陰謀を知り、父のいるゴールへ逃れた。その頃、ゴールは、蛮族に襲われ、クローラスは瀕死の重傷を負っていた。彼はコンスタンチンを呼んで、子供の頃に別れた母ヘレナがキリスト教徒でまだ生きているといいのこして死んだ。コンスタンチンは西の皇帝になり、ファウスタと結婚した。彼女の父マクシミリアヌスは陰謀が破れ自決した。マセンシアスは元老院にコンスタンチンを訴え、自分を西の皇帝につかせた。彼はローマ帝国の実権を狙い、キリスト教徒の迫害を開始した。コンスタンチンはマセンシアスを撃つため、軍をローマに進めた。しかし、東の皇帝がマセンシアスに味方し、ファウスタとヘレナが人質に捕われてしまった。戦況は不利になった。その時、天に稲妻が走り十字の印が出現、勝利を予告する神の啓示が轟いた。コンスタンチンの号令一下、全軍は総攻撃を開始した。マセンシアスはコンスタンチンの刃に倒れた。城壁には、ファウスタとヘレナの美しい笑顔が、並んでコンスタンチンを待っていた。
スタッフ・キャスト
- 監督
- リオネロ・デ・フェリス
- 脚色
- エンニオ・デ・コンチーニ
- リオネロ・デ・フェリス
- エルンスト・ユイダ
- フランコ・ロゼッティ
- 原作
- フルヴィオ・パルミエル
- 台詞
- ディエゴ・ファッブリ
- 製作
- フェルディナンド・フェリチオーニ
- 撮影
- マッシモ・ダラマーノ
- 音楽
- マリオ・ナシンベーネ