『ジャンヌ・ダーク Joan of Arc』1948年
火刑にされても最後は政治利用されることを拒み、神の声を信じて生き戦い殉教したフランスの19歳の女性の話。
最後ジャンヌはイングランドで捕虜となり、イングランドの司教(=独裁者)から、「自分は悪魔の声を聞いた。神の声を聞いたというのは嘘だ」と悔い改めれば火刑は免除してやると取引を向けられたのだが、それを拒否、神のもとへ行くこと(死去)を選んだ。
ジャンヌはローマにいる教皇と会うことを望んだ(教皇というのは、イングランドやフランスなど国に左右されないだろうという発想)が、イングランドの司教の取り仕切る裁判では、司教に都合の悪いことは書記によって書き残されず(そのように司教が指示)、イングランドから教皇へ送られる裁判記録にジャンヌの願いは記されないのだった。
ジャンヌが火刑にされる罪状は、「異端の魔女、偶像を崇拝した背徳者」というもの。
戦争三昧の獣からヒトが人間になる過程で、人間存在より上の概念を共に信じるという宗教が必要だったのだろうが、その宗教団体のトップが政治権力を私欲の道具、方便として使うと、本気で純粋に宗教を信じる正直者が馬鹿をみるという構造になるのかなと思った。
しかしイングランドの人々の中には、敵であるフランス人のジャンヌに純粋を感じる人もいて、処刑執行人は「わたしは神の子を殺してしまった」と、フランスからジャンヌについてきた牧師に懺悔し嘆く。
一番感動したのは、火炙りになって肉の苦しみに悶え始めたジャンヌに、磔刑のキリスト人形を先につけた長い棒を、ジャンヌの目の前に掲げた人のシーン。
ジャンヌはそれを間近に見ることで他のことがシャットアウトされ、神のもとへ行けるという恍惚の表情で、死んでいくのだ。
(「十字架を」と言ったジャンヌに、駄目だ、と処刑執行人。しかし群衆の中から走って十字架を渡す人。その後キリスト人形を先につけた棒が付き出される。ジャンヌは十字架を胸に、キリスト人形を見て安心してから目を閉じ死去)
ジャンヌは映画冒頭、地元の村で神の声ばかり聞いている。
それを見かねた農夫の父は、「現実逃避もいい加減にしろ」と言う。
しかしジャンヌには神や天使の声が聞こえ続けていて、それはジャンヌに「Go、行け」と言う。
ジャンヌは父たちが食卓で話していたことから、オルレアンの戦況が悪いと知り、まず王太子を戴冠させ、その後自分が従軍してイングランドと戦うべきという声を聞く(覚悟が決まる)。
それで卿に、百年戦争への従軍を申し出にいくのだが、女ゆえ取り合ってもらえない。
しかし何度も「神の声を聞いた、自分が先頭に立って指揮し、フランスに勝利をもたらすのだ」と日参していると、民衆のあいだでジャンヌは有名となり、ファンができる。
(従軍するとなり、髪を切ったジャンヌ。親族の女性は泣いて悲しむ)
王太子は自分ではない者を椅子に座らせるのだが、ジャンヌは客に紛れた初対面の本物を見つけ、「あなたが王太子です」と言い、驚かせ、その直観力が信用される。
(王太子シャルル シャルル7世 (フランス王) - Wikipedia)
(シャルル戴冠式により、王太子はシャルル7世となる)
攻めあぐねていた、フランス領のイングランドの砦は、ジャンヌの指揮により陥落となった。
飲む打つ買う三昧の戦士たちに、神への忠誠を説くジャンヌ。
矢を射られ、負傷。敵はジャンヌ死去を確信したが、ジャンヌは死んでいなかった。
しかし戦死者を見て、「わたしが殺したのだ」と罪悪感で苦しむジャンヌ。
ブルゴーニュはフランスの一部なのにイングランドとグルになっていた。
ブルゴーニュへ行くと、ジャンヌは身代金と引き換えにイングランドへ渡される。
教会の牢ではない牢に入れられると、そこの看守から「死ぬ前にキスの味くらい知っといたほうがいいだろう?」とレイプされそうになる。
ジャンヌはイングランドの司教に脅され、一度「神や天使からの声ではありませんでした、悪魔の声でした」と、死を恐れ身を守るために迎合譲歩するが、しかしやはり嘘はつけない、自分は火刑になるより神に背くことのほうが怖いと、最後は火刑になってジエンド。
(この時代、魔女という言葉や概念は独裁的為政者にとり、非常に都合のよい「口封じ」となったのだろう。)
(「異端の魔女、偶像を崇拝した背徳者」と書かれた貼り紙)
天に煙が上がっていくなか、フランスから付き添ってきた牧師がジャンヌが神の御許へゆけるよう祈る声で、映画は終わる。
殉教者となったジャンヌは、死後も崇拝されることとなった。
ジャンヌ・ダルク
ジャンヌ・ダルクの紋章
天草四郎を想起。
★天草 四郎(あまくさ しろう、旧字体:天草 四郞、元和7年〈1621年〉? - 寛永15年2月28日〈1638年4月12日〉)は、江戸時代初期のキリシタンで、島原の乱における一揆軍の中心人物とされる[4]。
本名は益田 時貞(ますだ ときさだ、旧字体:益󠄁田 時貞)。洗礼名は当初は「ジェロニモ(Geronimo)[1][2]」だったが、のちに「フランシスコ(Francisco)[2]」に改める。一般には天草四郎という名で知られる。また、後述の通り、豊臣秀頼の落胤であったとする伝説もあるが、信憑性は低い。★
ジャンヌ・ダルクはオルレアンの乙女とも言われていた。
(ジョルジュ・サンク橋とオルレアン大聖堂)
オルレアン大聖堂には、ジャンヌ・ダルク物語を表現した10枚のステンドグラスがあるらしい。
★Wikipediaより★
『ジャンヌ・ダーク』(原題: Joan of Arc)は、1948年のアメリカ合衆国の伝記映画。 1946年にニューヨークで初演されたマクスウェル・アンダーソン原作、イングリッド・バーグマン主演の戯曲『ロレーンのジョーン』(Joan of Lorraine)に基づく映画作品であり、舞台初演に引き続いてバーグマンがジャンヌ・ダルクを演じ、ヴィクター・フレミングが監督を務めた。
テクニカラー作品として撮影されている。オリジナルは145分だが、現在は100分のカット版が流布している。
ストーリー
イングランドとの百年戦争の最中にあった15世紀前半のフランスを舞台に、神の啓示を受けた少女ジャンヌ・ダルクが、フランスを勝利に導いてシャルル7世の戴冠に大きく貢献、国民的ヒロインとなるものの、敵軍に捕らえられた末に19歳の若さで魔女として火刑に処せられるまでが、ジャンヌの信仰心や心理的葛藤とともに描かれる。
「ジャンヌ・ダルク#ジャンヌの生涯」も参照★
★Wikipediaより★
ジャンヌ・ダルク(フランス語: Jeanne d'Arc、古綴:Jehanne Darc[注 1]、IPA: [ʒan daʁk]、英: Joan of Arc、ユリウス暦1412年ごろ1月6日[注 2] - 1431年5月30日)は、15世紀のフランス王国の軍人。フランスの国民的ヒロインで、カトリック教会における聖人でもある。「オルレアンの乙女」(フランス語: la Pucelle d'Orléans[4]/英: The Maid of Orléans[5])とも呼ばれる。
概要
ジャンヌは現在のフランス東部ドンレミ(現在はドンレミ=ラ=ピュセルという街)に、農夫の娘として生まれた。神の啓示を受けたとしてフランス軍に従軍し、イングランドとの百年戦争で重要な戦いに参戦し勝利を収め、各都市をフランスへ取り戻し、のちのフランス王シャルル7世の戴冠を成功させた。
その後ジャンヌはブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、身代金と引き換えにイングランドへ引き渡された。イングランドと通じていたボーヴェ司教ピエール・コーションによって「不服従と異端[6]」の疑いで異端審問にかけられ、最終的に異端の判決を受けたジャンヌは、19歳で火刑に処せられてその生涯を終えた[7]。
ジャンヌが死去して25年後に、ローマ教皇カリストゥス3世の命でジャンヌの復権裁判が行われた結果、ジャンヌの無実と殉教が宣言された[7]。その後ジャンヌは1909年に列福、1920年には列聖され、フランスの守護聖人の一人となっている[注 3]。
ジャンヌは、王太子シャルル(後のシャルル7世)を助けてイングランドに占領されていたフランス領を奪還せよという神の「声」を聞いたとされている。これを信じた王太子は、イングランド軍に包囲されて陥落寸前だったオルレアンへとジャンヌを派遣し、オルレアン解放の任にあたらせた。オルレアンでは古参指揮官たちから冷ややかな態度で迎えられたが、わずか9日間で兵士の士気を高めることに成功したジャンヌは徐々にその名声を高めていった。そしてジャンヌは続く重要ないくつかの戦いの勝利にも貢献し、劣勢を挽回した。結果、王太子はランスでフランス王位に就くことができフランス王シャルル7世となることができた。
フランスを救い、シャルル7世の戴冠に貢献したことから、ジャンヌは西洋史上でも有名な人物の一人となった。ナポレオン1世以降、フランスでは派閥を問わず、多くの政治家たちがジャンヌを崇敬しているといわれる。世界的に著名な作家、映画監督、作曲家たちがジャンヌを主題とした作品を制作している。★