清明April
大貫妙子の『色彩都市』。ノリが『やっぱり猫が好き』のオープニングに似ている(=^・^=)
『やっぱり猫が好き』のオープニング、矢野顕子の『David』(=^・・^=)
ラジオ文芸館。林芙美子の「風媒」。林芙美子 風媒 (aozora.gr.jp)
舞台は京都。
29歳の早苗は、小学生の時に母を亡くし、長いこと老父と二人きりで暮らしてきた。しかしその老父も死去。
おじが一人いるが、彼はアメリカ在住。
孤独を感じた早苗は、新聞広告を読み、産院から赤ちゃんをもらおうとしている。
赤ちゃんの母は、出産後間もなく死去。
赤ちゃんの父笹原は、会社員。
早苗は、「一回結婚したが夫が死去、子供もいないので育てたくなって、」と嘘をついている。
実は早苗は一度も結婚したことがなく、結婚という制度は自分にとって何の利益もないという考え。しかし、この年で一度も結婚したことがないというのは変だと思われるのでは、ということで嘘をついたのである。
その嘘情報を信じたために、笹原は赤ちゃんを早苗に育ててもらおうと思ったのだったが、産院側が調べてそれが嘘だとわかると、様子が変わった(これから早苗が結婚したら、独身時代にもらった赤ちゃんをお荷物に思い、赤ちゃんが精神的に健康に育たないのでは、という笹原の思案から)。
その変化に気づいた、既に頭の中がその赤ちゃんのことで一杯になっている早苗は、自ら笹原の家に赴く。
この小説の視点は二つ。
早苗と笹原。
二人の価値観は食い違う。
早苗は笹原と話しているうちに、冷たく金属のようだった自分の芯が溶け、沈潜していた女性性が蘇るのに気づくのだった、という話。
そこまでで終えているのが凄い、と思った。
雌花の蕊に、風で飛んできた雄花の花粉がつくような、正に「風媒」。
語り手が自身の感情を抑えているため、話がそのままこっちに来る。
リアルでその場にいるような気分になり、思わず泣いてしまった。
この小説には、林芙美子が自身の生活から体得した哲学や美学が込められていて、その情報量に読者が感動するのでは、と思った。
京都の地理も、目に浮かぶように記述されている(笹原の住まいは、銀閣寺の近く)。
芙美子自身、新生児を貰い受け、養子にしたらしい。
そのような体験があったとして、それを「そのまま」書けるかという話。
また、書ける技術があったとして、書く内容としての「そのような体験」があったのかという話。
芙美子は、人生の果敢な冒険者であり、ジャーナリストだったのだろう。
神様からスタート地点を低く設定され、さあ登れ、とけしかけられ、実際素手素足で登りつめた人だったのだろう。
川端康成が弔事でまるで父親のように芙美子の代わりに謝っていたというのが頷ける。
★1943年に新生児を貰い受けて養子にした★
★7月1日、自宅で告別式が執り行われた。近在の市民が大勢参列した。葬儀委員長の川端康成[注 1]は、『故人は、文学的生命を保つため、他に対して、時にはひどいこともしたのでありますが、しかし、後二、三時間もすれば、故人は灰となってしまいます。死は一切の罪悪を消滅させますから、どうか故人を許して貰いたいと思います』と弔辞の中で述べた[8][24]。★
(林芙美子の葬儀委員長を務める川端(1951年))
銀閣寺
三遊亭圓生の、「茶の湯」。
蔵前で銀行の前身のような商売(石高(こくだか)の石を、米ではなく金に換え、渡す商売。利用客が月給を前借りすると金利がついたため、それが後の銀行になったらしい)をしていた人が隠居をすることとなり、根岸に隠居所を見つけ、そこに小僧の定吉と移り住んだ。その隠居所は三世帯の家主も兼ねることになっていて、三世帯の家賃の上がりも入ることになる。
暇な御隠居は、茶の湯をしようと思い付く。しかし御隠居ももちろん定吉も、流儀を知らない。
二人でこんなもんか、どんなもんかと思い付くままをやってみるうちに、二人独自の茶が出来た。それは、青黄粉(あおぎなこ)とむくの皮を煮たもの(青黄粉が粉茶代わり、それを湯と混ぜても泡が出ないので、むくの皮を入れた)。
茶の湯の招きを受けた三軒の店子は、自分は流儀を知らないと、こぞって引っ越しの準備。
(豆腐屋と大工の親方の二軒が、手習いの先生の一軒に行ってその真似をしようとすると、手習いの先生も引っ越しの準備)
しかし豆腐屋と大工の親方が手習いの先生に頼んで、何とかやってみようと隠居の所に行くと、両者誰も本当の流儀を知らないため、頓珍漢な場となる。
(三人の客はまずいものを「結構なお点前で」と知ったかぶりをして、御隠居側はそうかこれで合っているのかと、腹のさぐりあいといった様相。)
御隠居はこれでいいのかと自信をつけ、近所の人たちを茶の湯に呼びまくる。
すると「あの家ではまずい茶に、一流の菓子を出す、菓子だけもらって帰ればいい」という噂がたつ。
御隠居は菓子に金を使い過ぎたとなり、定吉と手作りの、さつまいもと蜜と黒砂糖のものを出す。
するとある日、呼ばれた者が、菓子を一口食べまずい、となる。
庭に行き、お寺の向こうの畑に向かって投げると、農業をしていたお百姓の横っ面に当たり、お百姓が「また茶の湯か」と言って下げ。
青黄粉。きな粉 - Wikipedia
その昔、緑という言葉や認識がなく、まず黄色ベースで、それが青方向に寄ったらもう青だったのかなと思った。その名残が、どう見ても(今生きている人には)緑色の「青信号」なのかなと思った。
抹茶と茶筅(噺では、茶の湯に無知な御隠居は、茶筅という言葉が出ず、ささらと言っている)。
★ささらとは、茶筅を長くしたような形状をしており、竹の先を細かく割ってつくり、「ささら子」という刻みをつけた細い棒でこするとサラサラと音のする道具である[1]。この音は、歴史的には「ささら」と把握され、秋の稲穂が擦れあう擬音を意味してきた。楽器の「ささら」は、この擬音を表現する道具という意味に由来する名であり、漢字ではしばしば編木という表記がなされる。★
抹茶の容器、棗(なつめ)。
(果実の棗と形が似ているための命名なのだろう)
泡を立てるために使った「むくの皮」とは、椋の木の皮のことだろうか。
店内に置いてあった、絵本三冊。
『とこやにいったライオン』、
『チュンタのあしあと』、
『ようかいしりとり』。三冊全部おくはらゆめさんの絵本。店主さんがおくはらさんのファンなのかなと思った。
聞きなしの「ホー、ホケキョ」がしっくりくるから、まるで友人からの挨拶を待つように、鳴き声を待てるのだろう。聞きなし - Wikipedia
聖子ちゃーん
夏本番
愛がほかほか
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