『小公子Little Lord Fauntleroy』1936年
主人公の男の子セディが、お母さんのことをマイディアレスト(私の一番愛しい人)と呼んでいて、これが変なのだが、これが全ての伏線なのだ。
セディのこの、穢れなき全き愛=本物の信仰が、頑固過ぎる=今まで誰も愛したことのない祖父を変え、祖父が支配する領地=ある世界全てを変えるのだ。
善と悪がくっきりしていて、その悪が善に負ける、いわゆる勧善懲悪。いわゆる御伽話。
それには、善と悪が分かり易くなければならず、つまり見た目で善悪が分からないといけない。
それには記号があり、例えば目をキラキラさせていりオーラのようなボカシが入っていたら善。口を曲げていたり人と話しているときに何か舐めながらだと悪。
というようなその時代の演技的お約束を、役者がきちんと表現している。
この映画は、主人公のセディのお父さんが亡くなったところから始まる。
(気取っている、生意気だということで集団から虐められる、実はイギリスの伯爵の後継者である「みにくいアヒルの子」的セディ)
(左から、セディの母、誕生日に自転車をもらったセディ、この家のメイド)
現在地は1880年代のアメリカニューヨーク市のブルックリン。
セディの父はイギリス生まれ。
セディの母は、夫の父に会ったことがない。
夫の父、つまりセディの祖父は、アメリカが嫌いで、二人の息子も嫌い、その妻も嫌い、子どもというものも嫌い。
しかしセディの祖父は伯爵で、息子二人が死去したため、たった一人の孫であるセディを後継者としてイギリスの領地に迎え、卿にしたいというのだ。
ただ、そのお爺ちゃんは、自分と血の繋がりのない(息子の)嫁が嫌い、会いたくもない。
よって、二人をイギリスに呼ぶが、孫とだけ一緒に暮し、嫁は近いところに住まわせる、生活費はやる、となった。
(セディの祖父の伯爵・領主)
セディが行くと、お爺ちゃんとも愛し合った。
今まで誰も愛したことのなかったお爺ちゃんは愛を知り、変化。
(セディとお爺ちゃん)
ところが突如、セディの父の兄の嫁だという女性が、自分の息子が後継者だと言って名乗り出てきたのだ。
(名乗り出た女性とその弁護士)
この子は11歳。
セディは9歳。
その嫁は弁護士と一緒にやってきたのだが、セディの祖父はどうしても好きになれない。
「法律的には、わしの死んだ後はお前たちの好きなようになるかもしれんが、わしが生きているうちはそうはさせない」とお爺ちゃん。
しかし、ここで出て来るのが、セディのブルックリンでの友人の靴磨きをしている男の子。
この子と野菜&雑貨屋の店主がセディの大親友だったのだが、この靴磨きの子が新聞の似顔絵を見て、「こいつは俺の兄ちゃんの、女優をしている嫁だ!あいつには、兄ちゃんとの子以外には子はいないはず!」と名乗り出て来た女と子の正体を暴く。
(セディと店主)
(店主。店主も靴磨きの子も、セディといつかは事業を共同経営してもいい、と思っている。それくらいの信頼関係。)
(セディと靴磨きの子。靴磨きの子は、イジメられているセディを、体当たりで助けてくれる)
(左から、誕生日に自転車を買ってもらったセディ、靴磨きの子、二人が多勢に無勢で虐められているところを助けにきた警官)
(靴磨きの子はセディに、自分の稼ぎで買った大きなハンカチをお別れのプレゼントにあげる。イギリスに行っても食事の際そのハンカチを胸ポケットに入れている、セディ)
靴磨きの子と店主は、セディを救うべく、海を渡ってイギリスに乗り込む。
現れた自分の夫(=靴磨きの子の兄)を見たその女優は、すぐに降参。
セディを好きになっていた領地の人たちは、他の子が後継者にならずにほっとする。
お爺ちゃんは、財産狙いで出て来たあくどい女を見たあとで、セディのお母さんに会いに行き、「今まで悪く思ってすまない。セディに会って、わたしは変わった」。
セディの母は、「その出てきた人も、自分の息子が可愛い」などと、誰のことも悪く言わない。
(お爺ちゃんのような頑固な人(=現状が物凄く恵まれ、または酷過ぎ、変化を好まない)の事態の進捗にはこのような比較が有効。あっちと比べればこっちがいい、と例え消極的にでも選択するため動きというものが出る。それを利用し、まず1000円と言ってから200円と言って安いと思わせて買わせる商売のやり方もある。引きこもりの人に動きを出すのにもこの方法がとられていると思った。AかBか、その二択しかない、と言い(どちらも外に出ること)、どちらかを選ばせることで子供部屋への籠城という呪いを解くのだ。)
「また来てもいいか」と訊く義父に、セディの母は「もちろんです」。
(お爺ちゃん、セディ、セディの母)
ラストは、それまでイギリスや伯爵などを散々悪く言っていたブルックリンの店主が、「もうブルックリンには帰らない。アメリカには代々祖先というような、歴史がない」と言ってジエンド。
この店主は、自分でも言っているように、良く知らないのにそれらを悪く言っていた人。
もしかすると大体の悪口は、良く知らないから悪く言うだけなのかもしれない。
何でもやたら悪く言う「口の悪い人」とは、ただ浅薄なのであって、そういう浅薄な自分自身に自暴自棄になっているだけなのであって、その発言に傷付く必要はないのかもしれない。
(店主はセディのお爺ちゃんの、美術館のような邸宅を案内され、すっかり歴史のあるイギリス贔屓になってしまった)
このように、固定しきった、どちらか一方を悪く見ることで己を安定させている価値観(固定概念・既成概念)(≒差別)をひっくり返す逆転ホームランのような無邪気のことを、愛というのかもしれない、と思った。
つまり全ての、何の価値観もインストールされていない生まれたての赤ちゃんは、愛。
原作の、ドラマになる構成が凄いと思った。
この型は、この作品が発表された頃の、一つの流行だったのだろう。
アメリカとイギリス、義父と嫁、遺産相続人と真の遺産相続人、伯爵と商売人、大人と子供、などを組み合わせると、その時代のドラマになったのだろう。
(原作者のバーネット)
★フランシス・イライザ・ホジソン・バーネット(Frances Eliza Hodgson Burnett、1849年11月24日 - 1924年10月29日)は、イギリス系アメリカ人の小説家、劇作家。彼女は3つの児童小説で最もよく知られています。
リトルロードファウントルロイ(小公子) (1885-1886)、
リトルプリンセス (小公女)(1905)、
秘密の花園 (1911)。★
こういう「その時代のドラマ」では、悪役が芸達者でないと善人役が引き立たない、と思った。
そして、悪役は芸達者であれば交替可能だが、善人役はその佇まいが核なので代替不可能、と思った。
つまり、セディとその母、その友人、お爺ちゃんとその侍従などの善側のキャスティングが大正解。
(セディ)
(母とセディ)
(セディと祖父の犬)
小公子、小公女、というタイトルに訳した人がまず凄いと思ったが、それは翻訳家の若松賤子なのらしい。
若松賤子『小公子』の秘密|明治の女性翻訳家は出産子育てをこなすスーパーウーマンだった | 世界の名著をおすすめする高等遊民.com (kotoyumin.com)
現在のブルックリン
★Wikipediaより★
リトル・ロード・ファウントルロイ』は、フランシス・ホジソン・バーネット
による1886年の同名小説を原作とした1936年のアメリカのドラマ映画です。
この映画は、フレディ・バーソロミュー、
が出演しています。デヴィッド・O・セルズニック
のセルズニック・インターナショナル・ピクチャーズが製作した最初の映画で、『風と共に去りぬ』
まではスタジオで最も収益性の高い映画だった。監督はジョン・クロムウェル。(注2)
この映画は批評家から好評を博し、現在はパブリックドメインとなっています。[3] 2012年、ジョージ・イーストマン・ハウス・モーション・ピクチャー・デパートメントによる修復を経て、キノ・ローバーによってブルーレイディスクでリリースされた。
プロット
若き日のセドリック・"セディ"・エロール(フレディ・バーソロミュー)と、彼が「最愛の人」(ドロレス・コステロ)と呼ぶ未亡人の母親は、父親の死後、1880年代のブルックリンで質素に暮らしている。セドリックの偏見に満ちたイギリス人の祖父、ドリンコート伯爵(C・オーブリー・スミス)は、アメリカ人と結婚した息子をずっと前に勘当していた。
伯爵は弁護士のハヴィシャム(ヘンリー・スティーブンソン)を派遣し、セディをイギリスに連れて行く。伯爵の息子たちは全員亡くなっているため、セディだけが爵位を継承しています。エロール夫人は息子を連れてイギリスに渡るが、ドリンクール城に住むことは許されない。セドリックの幸せのために、彼女はそれが彼の祖父の偏見のせいだと彼に言いません。伯爵の弁護士は、若い未亡人の知恵に好意的に感銘を受けます。しかし、伯爵は、ハヴィシャム氏がセドリックの母親が彼から手当を受け取らないことを彼に知らせると、懐疑的な態度を表明します。
セドリックはすぐに厳格な祖父と他のみんなの心をつかみます。伯爵は、孫、特に妹のレディ・コンスタンシア・ロリデイル(コンスタンス・コリアー)を誇らしげに英国社会に紹介するために、盛大なパーティーを主催します。
パーティーの後、ハヴィシャムは伯爵に、セドリックは結局明らかな相続人ではないと告げる。アメリカ人のミンナ・ティプトン(ヘレン・フリント)は、息子のトム(ジャッキー・サール)が亡き夫である伯爵の長男の子孫だと主張する。悲嘆に暮れた伯爵は、彼女の一見正当な主張を受け入れるが、トムはかなり不愉快な若者であることが判明する。
セディの友人ディック・ティプトン(ミッキー・ルーニー)は、新聞の写真からミンナに気づく。彼はトムの本当の父親である兄のベンをイギリスに連れて行き、ミンナの主張を反証します。伯爵はセディの母親に謝罪し、喜ぶセディと一緒に自分の屋敷で暮らすように誘う。
キャスト
フレディ・バーソロミュー、ミッキー・ルーニー
ヘンリー・スティーブンソン、フレディ・バーソロミュー、ドロレス・コステロ、ウナ・オコナー
C.オーブリー・スミス、フレディ・バーソロミュー、ドロレス・コステロ
Little Lord Fauntleroyのキャストは、American Film Instituteの長編映画カタログに掲載されています。(注4)
- フレディ・バーソロミュー:セドリック・"セディ"・エロール、ファウントルロイ卿
- ドロレス・コステロ・バリモア("Dearest" Errol役
- C・オーブリー・スミス(ドリンコート伯爵役
- ガイ・キビー - サイラス・ホッブス
- ヘンリー・スティーブンソン(ミスター・ハヴィシャム役
- ミッキー・ルーニー:ディック・ティプトン、ブルックリンのブーツブラック
- ウナ・オコナー(エロール家の使用人メアリー役
- コンスタンス・コリアー(ドリンクールの妹、レディ・コンスタンシア・ロリデール役
- ジャッキー・サール:トム・ティプトン
- ジェシー・ラルフ(ブルックリン出身のアップルウーマン役)
- ヘレン・フリント:ミンナ・ティプトン
- ウォルター・キングスフォード(ジョシュア・スネード役、ミンナの弁護士)
- E・E・クライヴは、コンスタンシアの夫であるハリー・ロリデール卿を演じる
- アイヴァン・F・シンプソン(モーダント牧師役
- ヴァージニア・フィールド(Miss Herbert)役、パーティーの歌手
- エリック・オールデン(ディックの弟ベン・ティプトン役
- ウィリアム・インガーソル(ドクター役
ノンクレジット
- レジナルド・バーロウ(ドリンコートの借金取り、ニューイック氏役)
- ライオネル・ベルモア(農夫ヒギンズ氏役
- テンピ・ピゴット:村の女性、ディブル夫人
- ギルバート・エメリー(パーヴィス、城のドアマン役
- ジョセフ・トーザー(城の召使いトーマス役
- メイ・ビーティは、城の女中であるメロン夫人役
- ローレンス・グラント(Lord Chief Justice)
- ロバート・エメット・オコナー(ブルックリンの警官役)
- エルザ・ブキャナン:パーラーメイドのスーザン
生産
『リトル・ロード・ファウントルロイ』は、デヴィッド・O・セルズニックがメトロ・ゴールドウィン・メイヤーを去ったときに制作した、セルズニック・インターナショナル・ピクチャーズが制作した最初の映画である。セルズニックはMGM在籍中にメアリー・ピックフォードからこの物語の権利を11,500ドルで購入し、デヴィッド・カッパーフィールドが発見したフレディ・バーソロミューの演技を確保した。[1]: 194, 200 ソフィー・ワクナーが衣装をデザインした最後の作品となった。(注5)
ベン・ヘクト、リチャード・シャイヤー、そしてセルズニック自身が、ヒュー・ウォルポールに依頼した脚本を推敲した。ジョン・クロムウェルが監督したこの映画は、1935年の最後の2ヶ月間に撮影されました。[1]: 201 500,000ドルの予算内で制作され、最終的な製作費は590,000ドルでした。[1]:202、206
この映画は、1936年3月4日にジョージア州ウォームスプリングスのファウンデーション病院でワールドプレミアが行われた後、ユナイテッド・アーティスツから発売された。(注4)
興行収入
1939年までに、リトル・ロード・ファウントルロイは推定447,000ドルの利益を上げた。『風と共に去りぬ』までは、セルズニック・インターナショナル・ピクチャーズにとって最も収益性の高い映画だった。[1]:206
批判的な反応
ラジオシティ・ミュージックホールで映画が初演されると、フランク・S・ニュージェントは1936年4月3日にニューヨーク・タイムズ紙でこの映画をレビューし、好意的な評価を与えた。(注6)★