星お月様星空『若草の頃 Meet Me in St. Louis』1944年星空お月様星

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Meet Me in St. Louis (1944) - Vincente Minnelli | Synopsis ...

Meet Me in St. Louis (1944) - Posters — The Movie Database (TMDB)

Meet Me in St. Louis (1944) - Posters — The Movie Database (TMDB)

Margaret O'Brien

Meet Me in St. Louis (1944)

セントルイス讃歌。大家族の愛。

1903年の夏から1904の春の万国博覧会開催までの話。セントルイス万国博覧会 - Wikipedia

会場全体

St Louis On A Map Of The Us - United States Map

大家族のスミス一家。

一家の次女エスター(ジュディ・ガーランド)は、二週間前に隣りに引っ越してきたジョンが好きになったのだが、それを隠し接近。

最後には、ジョンがエスターにプロポーズ。エスターは泣いて喜ぶ。

このエスターを主軸にドラマがある。お姉さんはニューヨークのボーイフレンドから遠距離電話でプロポーズされるかと身構えるとそうではなく、一緒に身構えていた一家全員気が抜ける。

このお姉さんは、アイスクリームを買いにいった店の前で出会った大佐からクリスマスにプロポーズされ、結婚することになる。

末っ子の女の子は、不気味で怖い話が好きな年頃。

「〇〇の家では猫の餌に毒を混ぜて食べさせ殺している。その猫を暖炉で燃やすから、あの家からは変な匂いがしてくる」という噂が、同年代の子たちの間で出回る。

ハロウィンの日。一番ヘンテコな仮装をしてきたその末っ子の女の子は、ボス的男子から「〇〇の家に行って〇〇が出てきたら小麦粉を顔にかけ、『〇〇大っ嫌い』と言って戻ってこい」という、子ども界での名誉ある使命を預かる。

ヘンテコ鼻眼鏡をかけたその子が一人で〇〇の家に行き、使命を果たして戻ってくると、ボス男子は「よくやった。これで死を呼ぶ妖精は逃げていった」と言う。そして焚火に、木の椅子を放り投げる。

映画でこのシーンが一番興味深かったのだが、これは日本のどんど焼きのようなもので、季節の変わり目に邪気を祓う儀式・風習なのかと思った。

(どんど焼き)

どんど焼き

(とても活発な末っ子)

a thousand words

一家の「大黒柱」のお父さんは弁護士。共同経営者からニューヨークの支所を任されることになり、お父さんはこれで収入が上がって一家のためになる、と「一家でニューヨークへ引っ越すぞ」と言うが、お父さん以外、誰も喜ばない。むしろ悲しんでいる。

誰もがこの地域の落ち着き、静けさ、住人の人の良さを愛していて、ニューヨークは「誰もが憧れる大都会」かもしれないが、自分たちはここが好きなのだ、と訴える。

 

始め「駄目だ、みんなでニューヨークに行くんだ」の一点張りだったお父さんも、クリスマスに末っ子が「行きたくない」と泣きじゃくったのを機に、家を見回す。

(末っ子と次女のエスター)

Meet Me in St. Louis. 1944. Directed by Vincente Minnelli | MoMA

Meet Me in St. Louis (1944) | The Best Christmas Movies of All Time ...

既に引っ越し準備の最中の家は、壁の絵も下ろされている。

その絵が掛かっていた部分は、そこだけ四角く色が鮮やかなまま。

 

ここに住んできた月日を実感してしみじみしたお父さんは、煙草に火をつけようとしてマッチを擦ってから急にハッとして、一家全員を「起きろ!」と大声で呼ぶ。

そして「ニューヨークには行かない。朽ちるまでここにいる」と宣言。ここに笑った。

Meet Me in St. Louis (1944)

お母さんは「じゃあまだ時間があるわね」。

子供達は「最高のクリスマスプレゼントだ!」

お母さんは涙ぐむ。

お父さんは「サンフランシスコはこれから発展する。ここでもチャンスはある。今まで、隣の芝生が青く見えてたんだ。」とニューヨークへの憧れを分析。

長女の恋人になっていた大佐はそのとき突如やって来て、「お前以外とは結婚しないからな!」という勇ましいプロポーズを叫んで長女を指さし家を出て行く。

それを聞いた長女はにっこり、お爺ちゃんは「一人で新婚旅行に行きそうな勢いだな」。そこで全員が笑う。

 

1904の春。

やっとセントルイスの住民が待ち焦がれていた万国博覧会が開かれる。

(着飾って万国博覧会へお出かけする一家)

Meet Me in St. Louis (1944)

その素晴らしい光景に、末っ子の女の子が「博覧会が終わったらあの建物は壊しちゃうの?」と訊く。

Meet Me in St. Louis - Classic Movies Image (4477860) - Fanpop

「みんなの記憶にはずっと残るわ」とジョンとの結婚が決まった次女エスターが言って、ジエンド。

(エスターと、婚約者である隣家のジョン)

Movie Review: Meet Me In St. Louis (1944) | The Ace Black Blog

Judy Garland

(お爺ちゃんと孫(右端が末っ子))

Meet Me in St. Louis (1944)

 

この映画がきっかけでこの映画の監督とジュディ・ガーランドが結婚したというのが分かる。

そういう、温かな家族愛に溢れた映画。

 

原題は『Meet Me in St. Louis』、直訳は「セントルイスで会いましょう」。

ちょっと間違うと政府広報かと思うほど、セントルイス贔屓映画。

しかし、その当時の万国博覧会とは、このようにとんでもなく盛り上がっていたのだ、という証左でもあるのだろう。

 

邦題は『若草の頃』。

日本公開の頃、若草という言葉が流行っていたのだろうと思った。

『若草物語』の原題は『Little Women』、直訳は「小さな婦人たち」。

「小さな婦人たち」では、本も映画も日本でこんなに人気が出なかったのでは、と思った。

 

 

★『若草物語』(わかくさものがたり、Little Women、直訳: 小さな婦人たち)は、アメリカの作家ルイーザ・メイ・オルコットによる半ば自伝的な小説であり、児童文学家庭小説少女小説青春小説教養小説、女性文学である(『若草物語』以外にも多くの邦題がある)。1868年に出版された後、人気を受けて、第二部が1869年に出版された。19世紀後半のアメリカを舞台に、マーチ家の四人姉妹を描いた物語である。続篇としてLittle Men(リトル・メン、第三若草物語)、Jo's Boys(ジョーの少年たち、第四若草物語)があり、次女のジョーが開いた学園の生徒たちが描かれる。★

映画チラシサイト:若草物語

 

ジュディ・ガーランドは本当に、当時のアメリカの夢の体現者だったのだろう。

 

 

 

MEET ME IN ST. LOUIS, 1944, Judy Garland, Margaret O'Brien, Vincente ...

Meet Me in St. Louis (1944) - Kozak's Classic Cinema

Meet Me in St. Louis – Cinéma Public Cinéma Public

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★Wikipediaより★

若草の頃』(わかくさのころ、英語Meet Me in St. Louis, 「セントルイスで会いましょう」の意)は、1944年アメリカ合衆国ミュージカル映画。監督はヴィンセント・ミネリ

出演はジュディ・ガーランド

Judy Garland

マーガレット・オブライエンなど。

Margaret O'Brien

概要

ザ・ニューヨーカー』誌に掲載され、後に小説『5135 Kensington 』となったサリー・ベンソンによる短編小説シリーズをアーヴィング・ブレッチャーとフレッド・F・フィンクルホフが映画化。1903年から1904年セントルイス万国博覧会を控えた時代のアメリカセントルイスを舞台に[2][3]、中流家庭のゆったりとした4つの季節の情景を、美しいカラー映像で描写したミュージカル映画。アメリカでは公開当時、戦争の暗い世相に疲れた人々の心の琴線に触れて大ヒット。現在でもミュージカル映画の枠を超えた、不朽の名作映画の一つに数えられている。

原題の「Meet Me in St. Louis (セントルイスで会いましょう)」は1904年セントルイス万博のテーマソングであり、その他の楽曲も1903年当時の流行歌が主に使われている。その一方でヒュー・マーティンとラルフ・ブレインによって新たに作られた3つのオリジナル曲は、いずれ劣らぬスタンダードナンバーとなった。「The boy next door 」、「The Trolley Song 」、「Have Yourself a Merry Little Christmas 」。特に「Have Yourself a Merry Little Christmas 」はクリスマスソングの定番として今なお歌い継がれている楽曲である。プロデューサーのアーサー・フリードが、映画使用曲のうち1曲を作曲し演奏もしている。

第17回アカデミー賞では4部門のノミネートし、受賞はなかったが、本作を含めた評価でマーガレット・オブライエンがこの年のAcademy Juvenile Award(子役賞)を受賞している。興行的にも『我が道を往く』に続き1944年および1945年の全米興行成績第2位を記録[4]。MGM社にとっても当時『風と共に去りぬ』に次ぐ高い利益をあげたヒット作となった。AFI's 100 Years of Musicalsの10位でもある。

この作品を期に、暖かい家族を描いてアメリカ人のノスタルジーを刺激する映画がブームとなった。日本にも輸入された代表的なものに20世紀フォックス製作の『ステート・フェア』(1945)がある。MGMもジュディ・ガーランドを再度主演に起用して『懐かしき夏の頃』(1949/日本ではビデオ公開)という懐古的作品を製作している。また本作の直接的な続編として『ニューヨークで逢いましょう(Meet Me in New York)』という作品も予定されていたが、こちらは企画倒れとなった。

ストーリー

万国博を翌年に控え、皆が浮き足立っているような1903年夏のセントルイス。父アロンゾ(レオン・エイムズ)、母アンナ(メアリー・アスター)とローズ(ルシル・ブレマー)、エスター、アグネス、トゥーティの4人娘と長男ロン・ジュニア(ヘンリー・H・ダニエル・ジュニア)が暮らす中流階級のスミス一家。次女エスター(ジュディ・ガーランド)は隣家に住むジョン・トゥルーイット(トム・ドレイク)を想っていたが、彼は彼女に気付かない。ウォーレン・シェフィールド(ロバート・サリー)からのプロポーズを望む長女ローズは彼からの電話を待っていたのだが、ウォーレンは相変わらず煮え切らない。

大学進学で家を離れるロンを壮行するパーティでエスターはようやくジョンと知り合うことができ、全ての客が帰った後に2人きりになると、エスターはジョンに家中のガス灯を消す手伝いを頼み、2人はロマンチックな雰囲気になりかけたが、ジョンの無神経な言葉で台無しとなる。

ハロウィンの日、トゥーティ(マーガレット・オブライエン)は怪我をして帰宅し、ジョンにやられたと語る。隣家へ走ったエスターはジョンに殴りかかり、貶す。エスターが帰宅すると、実はトゥーティとアグネス(ジョーン・キャロル)が危険な悪ふざけをして警察に捕まりそうになったところをジョンに助けられたのだと反省することなく語る。真実を知ったエスターはすぐに隣家のジョンを訪ねて謝罪をし、2人は初めてのキスをする。

季節が過ぎ、ようやく2人が恋人らしくなった頃、エスターの父ジョンに突然ニューヨークへの転勤話が持ち上がり、一家は引越しをすることになってしまう。一家はひどく落胆し、特にローズとエスターは恋愛、友情、学業の計画が全て台無しになることを恐れる。エスターはさらに万国博覧会に行くことができなくなることを残念がる。

クリスマス・イヴに舞踏会が催される。エスターは、ジョンが仕立て屋の閉店時間までに間に合わずにタキシードを受け取れず、エスターを舞踏会に連れて行けなくなったことに落ち込む。そんなエスターを祖父(ハリー・ダヴェンポート)が代わりに舞踏会に連れて行くこととなる。会場でエスターは初めて会ったルシル・バラッド(ジューン・ロックハート)をローズのライバルと思い込み、偽のダンス・カードを渡そうとする。しかし、ルシルがロンに興味を示したため、ルシルに渡そうとしたカードではなく自分のカードを渡し、エスターは偽のカードに記入した器量の悪いパートナーと踊らなくてはならなくなる。祖父に助けられたエスターは、なんとかタキシードを手に入れて現れたジョンに喜び、その後2人はずっと一緒に踊り続ける。その後ジョンはエスターにプロポーズをし、エスターはこれを受け入れる。

エスターが帰宅するとトゥーティはまだ起きていた。エスターの歌う『Have Yourself a Merry Little Christmas 』でトゥーティは心をさらけ出し、数日後に控えた転居への落胆から階下に下りて寒い冬の夜に外に出ると、昼間皆で作成した家族の雪だるまを次々と壊していく。父は2階の窓からこれを見ていた。

父は転居が家族に多大な影響を及ぼすことをようやく悟ると、転居を取りやめにする。そこにウォーレンが突然やって来て、ローズにプロポーズしてそのまま出て行き、これが家族の前で2人の結婚が明らかになった初めての瞬間となる。こうして家族全員が万国博覧会に行くことができるようになる。

万国博覧会での夜、スミス一家と将来の婿や子どもたちの恋人を含み、会場中央にあるグランド・ラグーンに無数の光が灯されるのを皆で眺める。

キャスト

音楽

クレジットには出ていないが、アソシエイト・プロデューサーでもあるロジャー・イーデンスが音楽を担当。コンラッド・サリンジャーの楽団をジョージ・ストールが指揮した。いくつかの曲はセントルイス万国博覧会の使用曲またはその時代の曲を用い、それ以外はこの映画のために作曲された。

受賞歴

アカデミー賞の撮影賞作曲賞歌曲賞(ラルフ・ブレイン、ヒュー・マーティンによる『The Trolley Song 』)、脚色賞にノミネートされ、『若草の頃』を含むいくつかの映画に出演したマーガレット・オブライエンがアカデミー子役賞を受賞。

1994年アメリカ議会図書館により重要文化映画とみなされ、アメリカ国立フィルム登録簿に認定された。

アメリカン・フィルム・インスティチュートミュージカル映画ベストで『若草の頃』を第10位に、アメリカ映画主題歌ベスト100で『The Trolley Song 』を第26位に、『Have Yourself a Merry Little Christmas 』を第76位に位置付けした。

派生作品

1993年9月にカナダオンタリオ州アマーストバーグにあったボブロ・アマースト・パークに、閉園するまでこの映画で使用された19世紀ヴィンテージメリーゴーラウンドが展示されていた。解体され、一般の収集家に売却された。

他の作品への登場

  • 2005年、『幸せのポートレート』 - エスターとジョンのダンス・シーン、エスター(ジュディ・ガーランド)が歌う『Have Yourself A Merry Little Christmas 』のシーンが登場。

備考

  • 監督のヴィンセント・ミネリと主演のジュディ・ガーランドはこの作品がきっかけで1945年に結婚した。
  • DVDの音声解説で当時66歳のマーガレット・オブライエンが出演している。
  • この映画が出るまで、テクニカラーは照明が無いと上手く映らないと思われていたが、この映画のハロウィーンシーンがきっかけで暗い場面の撮影がされるようになった。
  • 四姉妹のうち三女のアグネスは、この映画の原作の雑誌短編小説を書いたサリー・ベンソン自身がモデルであり、彼女の少女時代の実体験が本作の題材となっている。なお原作では結末が映画とは違い、一家は本当にニューヨークへ引越してしまうため、セントルイス万国博を見ることはできない。★