星お月様星空『郵便配達は二度ベルを鳴らす Ossessione』1943年星空お月様星

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郵便配達は二度ベルを鳴らす(1942) (1943) - 映画やドラマの評価・レビュー情報見るならWATCHA PEDIA

 

 

 

映画の原題は『Ossessione』。直訳は『妄執』。

原作小説の原題は『The Postman Always Rings Twice』。この和訳が『郵便配達は二度ベルを鳴らす』。

 

 

この「郵便配達は二度ベルを鳴らす」という警句(アフォリズム)のような詩のようなフレーズに惹かれるのだが(小学生のとき、このタイトルを知ってゾクゾク興奮した)、原作小説では、郵便配達夫が出て来て、そのシーンが暗喩として機能しているのでは、と思った。「運命という名の手紙を届けるとき、郵便配達は二度ベルを鳴らす」ということらしい。

このフレーズが真か偽かは、調べようがないのでは、と思った(論理クイズの話でもあるのかもしれないこれは面白い! 論理クイズ傑作53問題まとめ【子供から大人まで】 - 明日は未来だ! (sist8.com))。

それが運命を大いに動かす手紙になるとして、その内容を知れるのは開封して読んだ人だけ。読んだとして、それが運命を動かすと分かるのは当人だけで、郵便配達夫がたとえ規則に反して手紙を読んだとして、内容が受け取り人の運命を大きく変えるか否かの判断はつかないのでは、と思った。

だから、その内容に応じて、普通郵便ならベルは一度、運命を変える郵便なら二度、などと変えられるのか、というような話。

全部の郵便に対して、ベルが二度なら、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は、「箸は二本で一対である」とか「魚は水の中に棲んでいる」とか「動物園には動物がいる」とか(笑)と同じく、ただ事実を言っただけなのでは、と思った。

いやしかし、これは批判ではなく、このフレーズがとても好きだということ。

でもだったら、サスペンス映画のタイトルに、「常識」をそのまま付けるとこんな雰囲気が醸し出されるのか。

例えば、サスペンス映画『朝が来ると人は起きる(構えが大雑把過ぎる)』?

サスペンス映画『歯磨き粉はバナナ味(←常識ではない)』?

サスペンス映画『椿は斬首のように落花する(近すぎ?)』?

『シャツの裾はズボンに入れない(←常識ではない)』?

郵便配達編。

『郵便配達はバイクのエンジンを切らない』?

『郵便配達は二時半にお腹が空く』?

『郵便配達は足音もなく階段を駆け上がる』?

『郵便配達はココスでカレーを食べない』?

『郵便配達はココスでスマホを見ない』?

『郵便配達はローソンで現金を使わない』?

『郵便配達は靴下を履かない』?

 

というか、まず郵便配達という職業が、サスペンスやミステリー要素を含みやすいのだろう。知らない人の家に行ける仕事だから。

それから、ミステリーやサスペンスのタイトルは、何か不穏でなければ効果的ではないのかもしれない。

アガサ・クリスティーの、『そして誰もいなくなった』など、もうタイトルだけでミステリーでありサスペンスであり、物語。まず、「そして」から始まる。「そして誰もいなくなった」ということは、それまでにも複数いなくなったんでしょうねと推測が可能。

「誰もいなくなった」ということを、一体誰が確認するのか、というのがミステリー。少なくとも語り手はいないと「そして誰もいなくなった」という経過を知り報告できない。でも語り手がいると、誰もではない、一人いる。

というようなことが面白い。

 

「そして三番目の夫は、」と言った段階で、「この人は既に二回結婚して二回離婚したんだ」と分かるような、含み情報量の多さ。

 

 

Ossessione (1942) : 郵便配達は二度ベルを鳴らす | 100ItalianFilm.com

郵便配達は二度ベルを鳴らす(1942) - 星屑シネマ

この映画は、『バグダッドカフェ』に似た雰囲気があると思った。

映画『バグダッド・カフェ』には人の心を癒す作用がある!?【名作を徹底解説】 | ciatr[シアター]

 

 

『バグダッドカフェ』は、一人のストレンジャーとしての女性が、停滞した雰囲気のバグダッドカフェに新風として来て、ラストで女性はそこの常連のトレーラーハウスの住人男と結婚する。

『郵便配達は二度ベルを鳴らす Ossessione』は、大分年上の、支配的な男と結婚した女が、その従属的な生活にうんざりし、ストレンジャーとしてやってきた定住のできない男と駆け落ちしようとして一回断念、しかし再会、今度は共謀して夫を殺害、しかし女が死んだ夫の保険金をもらったと知った男が憤慨、他のダンサー女に走ったところで

Ossessione (1943) – FilmFanatic.org

女がそれを見つけ、「妊娠しているの、あなたの子を」と言うと男が改心、ダンサー女とは別れ、一緒にどこかへ行こう、この土地では俺達二人は殺人犯として既に疑われている、となる。

警察から逃げようと二人で車で走ると、家になぜかいるどこかの子ども(この子はストーリー上必要なのだが、一体どうしてここにいるのか不明、浮浪児とかそういうことかと思った(それまでは出て来なかったのに突如出現))が警察に逃亡先を言ってしまい(その子が前夜逃亡計画を立てている二人の部屋のドアの鍵穴から聞き耳をたてていた(しかし一夜明けてその逃亡先の地名を覚えていて警察に即言えるのが不自然))、警察の車が追いかける。

二人の車の前に、スピルバーグの『激突!』みたいに大きなトラックがあり、黒煙をもくもく出している。妊娠している女は、子どものためにも黒煙を吸いたくない、避けたいと言う、そして男がハンドルを急速に切ると崖から落下。女は胎内の子ともども死ぬ。

そして警察の車が追いつき、生き残った男は連行されることになる、でジエンド。

激突! – 24-7 映画レビュー

 

この主人公ジョヴァンナは、男に「なんであんな年の離れた男と結婚したんだ」と問われ、「することもお金もないのがどんな気分か分かる?場所が必要だったの。だから体を売ったの」と言う。これが売春をしてその客だったことから縁づいたのか、又は愛のない結婚の比喩か、それは分からなかった。このジョヴァンナの発言を裏付けるべく、夫は「ここの家主は俺だ、とっとと〇〇しろ」などという暴言を吐く。ストレンジャー男は駆け落ちを提案、ジョヴァンナは支度をして逃げるが、途中で「明日も分からないそんな不安定な生活はできない、わたしはあなたとは違う」と家に帰るのだ。しかし運命のいたずら、又は世界は狭いで、二人は再会、燻っていた炭火は燃え上がり、二人で夫を殺害するのだ。

映画【郵便配達は二度ベルを鳴らす(1943)】あらすじ感想。ヴィスコンティ監督版ね│天衣無縫に映画をつづる

 

 

原作は、実際の事件が元になっているらしい。原作は過激な性暴力描写があったようだが、映画ではなし。しかしキャスティングの成功だろう、この二人の内部の抑圧されていた性衝動の発露が、その視線、仕草、物腰、声などから伝わってきた。目が合ったとたん、この二人はもう共犯。

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夫の不在時に、二人は交わる。しかしそのシーンはなし。しかしなくて成功、画面から熱が漏れてくる。

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A publicity still from Luchino Visconti's OSSESSIONE (1943) | Ludwig

受け身で被害者意識しかなかったジョヴァンナは、男が来て人生が変わった。というか、初めて自分で決めて行動、ここから本当の人生が始まるというところで、身籠ったまま、死去。

Ossessione (1943) | Cinema of the World

郵便配達は二度ベルを鳴らす (1942):作品情報|シネマトゥデイ

 

ある日平凡な女の人生を変える男がやって来るという筋は、『マディソン郡の橋』にも似ていると思った。

The Bootleg Files: Ossessione – Cinema Crazed

Review: Clint Eastwood’s The Bridges of Madison County on Warner Blu ...

 

 

 

↓だから映画のタイトルが『Ossessione』で、『The Postman Always Rings Twice』ではなかったのだ(そうしてはならなかったのだ、違法だから)、と納得。

★原作はジェームズ・M・ケインの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』だが、🔶クレジットでは示されていない。原作者の許諾を得ることなく映画化された違法な作品であるため🔶、イタリア公開時に数日で上映禁止となり、長らく「幻の処女作」と呼ばれていた。アメリカでの公開はヴィスコンティの死後、1976年のニューヨーク・フィルム・フェスティバルであった。日本ではタイトルをケインの小説に合わせて1979年に公開された。★

 

★『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(ゆうびんはいたつはにどベルをならす、原題:The Postman Always Rings Twice)は、1934年に出版されたジェームズ・M・ケインの小説である。彼の初めての小説になる。

共謀して夫を殺した妻とその愛人の関係を描いているが、過激な性の暴力の描写が話題になった。実際の事件が元になっているという。

1946年にはケイン自身がこの作品を戯曲化し、ブロードウェイで上演もされた。★

 

 

★Wikipediaより★

郵便配達は二度ベルを鳴らす』(ゆうびんはいたつはにどベルをならす、Ossessione[注 1])は、1943年[注 2]イタリア犯罪ドラマ映画ルキノ・ヴィスコンティ監督

Luchino Visconti

の長編処女作で、出演はマッシモ・ジロッティ

Massimo Girotti

クララ・カラマイなど。

クララ・カラマイ Clara Calamai

概要

原作はジェームズ・M・ケイン

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の『郵便配達は二度ベルを鳴らす

Amazon.co.jp: 郵便配達は二度ベルを鳴らす (新潮文庫) : ジェームズ・M. ケイン, Cain,James M., 俊樹, 田口: 本

だが、クレジットでは示されていない。原作者の許諾を得ることなく映画化された違法な作品であるため、イタリア公開時に数日で上映禁止となり、長らく「幻の処女作」と呼ばれていた。アメリカでの公開はヴィスコンティの死後、1976年のニューヨーク・フィルム・フェスティバルであった。日本ではタイトルをケインの小説に合わせて1979年に公開された。

本作をもって「最初のネオレアリズモ映画」と言われることがある。一般に、映画におけるネオレアリズモの端緒はロベルト・ロッセリーニ監督による1945年の映画『無防備都市』であると言われているが、反ファシズム的な内容や屋外での撮影、素人役者の起用は本作が最初であるとヴィスコンティは主張した。ただしネオレアリズモ風の作品は本作以前にもいくつか存在するため、何をもって最初の作品とするかは意見が分かれるところである。現在ではやや控えめに「ネオレアリズモの先駆的作品」と呼ばれることが多い[要出典]

ヴィスコンティがスラムの人々の生活に目を向けたのはジャン・ルノワール監督の自然主義的リアリズムの影響であると言われている。ヴィスコンティはルノワールの『トニ』で助手として働いていた[要出典]

ファシズム体制下での撮影だったため、あからさまなファシズム批判はなされていないが、反フランコの象徴としての「スペイン人」の登場や、不倫という「公衆良俗に反する」内容は十分に反ファシズム的である[要出典]

ブラガーナがのど自慢大会で歌ったのは『椿姫』のアリアである[要出典]

ストーリー

北イタリア、ポー川の食堂に風来坊のジーノ(マッシモ・ジロッティ)が現れる。店主ブラガーナ(ファン・デ・ランダ)の歳の離れた美しい妻ジョヴァンナ(クララ・カラマイ)はジーノに惹かれ、その日のうちに関係を持った。お人好しのブラガーナはジーノに数日の滞在を許す。ジーノとジョヴァンナはブラガーナの留守中に駆け落ちしようとするが、ジョヴァンナは、放浪生活は無理だと途中で引き返してしまう。

ジーノは列車の中で出会った「スペイン人」を名乗る旅芸人と放浪を続け、ジョヴァンナを忘れようとするが、旅先の港町でブラガーナ夫婦と再会してしまう。ブラガーナの説得もあり、車に同乗し、食堂に戻る道すがら、ジーノとジョヴァンナはブラガーナの殺害を決意する。自動車事故を装って、ジーノたちはブラガーナ殺しを実行する。

しかし新しい生活を始めた2人の間には終始気まずい雰囲気が流れ、ブラガーナに多額の生命保険がかけられていたことを知ったジーノはジョヴァンナをますます信じられなくなり、別の女アニータのところへ入り浸るようになる。一方、警察は目撃者の証言からブラガーナが殺害されたことを確信し、2人を指名手配する。ジーノはジョヴァンナが密告したのではないかと疑ったが、彼女の一途な愛と、彼の子を身ごもっている事実を知ると2人での再出発を決意する。しかし車で逃亡しようという矢先、トラックを追い越そうとして事故を起こし、ジョヴァンナは死んでしまう。そこに警察が追いつき、ジーノは連行されることになる。

キャスト

作品の評価

Rotten Tomatoesによれば、15件の評論の全てが高評価で、平均点は10点満点中8.1点となっている[4]

脚注

注釈

  1. ^ イタリア語で「妄執」の意。
  2. ^ 映画データベースによっては「1942年の映画」としているものもある[2][3]が、初公開は1943年である[1]。★

 

 

いくつかのバージョンあるのですがヴィスコンティが作ったバージョンでは映画の冒頭に「運命という名の手紙を届けるとき、郵便配達は二度ベルを鳴らす」というクレジットが入りますがここからきたようですね。



原題は妄執{OSSESSIONE}ですね。

なんか強引で映画の内容と題名が一致しないものとして有名ですね