『何という行き方! What a Way to Go!』1964年
1964年、東京オリンピックの年公開の映画。
戦後の解放感が全開になっているのだろうと思った。
ある意味お祭り騒ぎ。
拝金主義、訳の分からないものを最先端だとし、分かったふりをするような、「お芸術」時代への批判もコミカルにしているのではと思った。
とにかくシャーリー・マクレーンが魅力的。日本でいうと戸田恵子さんなのかと思った。
知性あるコメディエンヌ。
ルイザは、教会に行く習慣のある、貧乏な家出身の女性。
彼女の母は、実は敬虔などではない。教会で「自分ではなく隣人を愛しなさい」という説教を聞き、家の壁にその文句を刺繍したものを飾るが、実際のところ娘に「今が花。今が最大高値。今のうちに自分を売って町一番の金持ちの家の息子と結婚しなさい」と言う人。母親は、自分の夫の「不甲斐なさ」にうんざりしている女性、という設定。
(壁の刺繍とルイザの母と父)
この時代(公開が60年代、ルイザが子どもの頃とは即ち50年代ということだろう)、価値観の激変により、特に女性は自己犠牲から自己実現へという過渡期で混乱していただろう。ルイザはそれをそのまま受け入れられるだろうが、ルイザの母世代は、「自分は今までこんなに自己犠牲で我慢してきたっていうのに女性解放?冗談じゃない、じゃあ今までの自分の、自分たちの(嘘の)我慢はどうしてくれるっていうの」とキレた人もいただろう。それで下の世代に「最近の若い人は……。」と苦言を呈して「田舎の」部活の先輩が後輩を体育館の裏に呼び出してネチネチイジメ、というような上意下達的鬱憤伝達バケツリレー、または娘にだけはこんなことさせない、とばかり、自分そっちのけで奮起した人もいたことだろう。
ルイザは、母の薦める町一番の金持ちの男を、母が薦めるがゆえに嫌がった。
しかしこの物語は結局、この男とルイザがくっつくことになる。
このいけ好かない男レナードが、ルイザと関わったがために人生が落ちる(ルイザは、「この町できみだけが僕の追っかけをしない」という理由でレナードから求婚される。しかしルイザは、レナードが馬鹿にしていたエドガーという貧乏店主と結婚、このエドガーが奮起して彼の店が大会社になったためにレナードが破産)。
ルイザは、その後何度も結婚してその度夫が最下層からトップへ、そしてその絶頂でルイザに莫大な遺産を残して死ぬ、を繰り返し、最後に清掃員になっていたレナードに再会、ルイザは「あなたの、高慢な外側の奧の愛に触れたかったの」と言い、レナードを抱き締めキスし、そして結婚するのだ。
二人は簡素な生活が一番という主義で結婚生活を始め、子供が四人できる。
掘立小屋のような家の前で、レナードがトラクターに乗って畑を耕している。
レナードは、夫婦の愛読書、というか聖書にあたる、シンプルな生活を提唱するソローの本を読みふけっている。
さあ御飯よ、という段になってもレナードが来ない。
そこへプシューッという音。
ルイザが外に出ると、黒い液体が噴出している。
「石油だ!石油が出たぞ!」と言うレナードに、またか(また死亡フラグである「超金持への道爆走」か)と不吉に感じるルイザ(ルイザは、自分が、結婚した男を絶頂で死なせてしまう呪いをかける魔女ではないかと疑い分析医にかかっていた)。しかし間もなく車が走ってきてそこから出た人が「うちのパイプが破損したんだ」。
「良かった(≒呪いが解けた)!」とルイザの表情は明るく晴れ、石油まみれのレナードと抱き合う。
塞翁が馬的(何が幸福で何が不幸かの価値の定め難さ的)ムード、昔話の雰囲気もある。
コメディーだからいいけれど、だったらルイザが最初からこのレナードと結婚していれば、間にサンドイッチされた男たちは死なずに済んだのに、とも思う。
また、母の呪い、とも思う。
結局、この娘ルイーザは、母の望んだ男と結婚したのだから。
しかし、母の思惑(とにかく金持ち)という呪縛は解かれ、母も娘も、レナードも、呪いが解けた。
しかしその時代の呪いを解くために何人もの男の死体が捧げものとして必要だったのか、と思うと、それは辛いと思うと同時に、人生とは、犠牲なしには進行しない、とも思う(または資本主義社会の、金に狂う拝金祭り儀式の映画化)。
シャーリー・マクレーンの芸達者ぶり、くるくる変わる表情、脚線美、最先端ファッションを鑑賞する映画、と思えば、それらの物語のための架空犠牲も致し方なし、とも言える。
そう言えるくらい、とにかくシャーリー・マクレーンの魅力が全開。
つまり一言で言うと『あげまん』、とも言える映画。あげまん - Wikipedia
(『雨に唄えば』のジーン・ケリー演じる売れない役者も、ルイザの夫の一人となり大スターへの道を駆け上がり、その絶頂でファンの大群に踏まれて死ぬ(笑)この時代の大スターとは、つまり一極集中の媒体。その媒体によって自己を確認していた大衆の時代(「自分は〇〇のファン」というアイデンティティー。その集会(≒礼拝)への参加による帰属意識(またはある種の信仰心)の満足)
ルイザは、結婚生活はお金じゃない、愛だ、という思想の持主。その無欲なオーラが、魅力的な男を次々引き寄せる。結果「きみを幸福にしたい」と万年貧乏男の気合に火をつけ(又は休息なし男に休息を与え)、あっという間に大金持ち、人生が燃え尽きる(死)。加速した凝縮人生とも言え、そういう人生を夫に送らせてしまう女性ルイザは、500年以上生きている吸血鬼のようでもあり、やはり魔女的である。
ルイザは、その時代の夢見がちな、よくいるありふれた女性である。つまり『奧さまは魔女』は、普通の結婚生活そのものの比喩なのかもしれない。
オードリー・ヘップバーンっぽい、シャーリー・マクレーン
『マイ・フェア・レディ』でのオードリー・ヘップバーン
全身ピンクでも負けないシャーリー・マクレーンの個性。
裸が衣装。
わたしがシャーリー・マクレーンのことを初めて知ったのは大学生の時、当時の日本でスピリチュアル本とみなされていた『アウト・オン・ア・リム』の著者としてであった。(この本の訳者ご夫婦が、「引き寄せの法則」ブームの火付け役、と言われることのあるお二人。山川紘矢 - Wikipedia)
★『何という行き方!』(What a Way to Go!)は1964年のアメリカ合衆国の映画。
監督はJ・リー・トンプソン。出演はシャーリー・マクレーン、ポール・ニューマン、ロバート・ミッチャム、ディーン・マーティン、ジーン・ケリー、ボブ・カミングス、ディック・ヴァン・ダイクなど[3]。
ストーリー
シンプルな結婚生活を望むルイザは、エドガーという男性と結婚する。 ある日、ルイザの母親から気に入られていた金持ちのレナードが家を訪れ、彼の冗談から刺激を受けたエドガーは一生懸命働き、大金持ちとなり、レナードを破産に追い込む。だが、エドガーは拝金主義者になり、やがて心臓まひで死ぬ。多額の遺産を受け取ったルイザは、パリへ行き、タクシー運転手で生計を立てる画家のラリーと結婚する。ラリーは絵画の世界で成功するも死亡する。帰国したルイザは、ロッドという男と出会い結婚する。そして、彼女が夢見た簡素な生活のため、牧場経営を始めるも、ロッドは牛にけられて死ぬ。その後、ルイザはニューヨークへ行き、売れない道化師のピンキーと結婚する。やがてピンキーも成功するが、群集事故により死亡する。 一人ぼっちになったルイザが精神科医に相談していたところ、ビル小間使いとなったレナードが現れる。 そして、2人は結ばれ、幸せに暮らす。
キャスト
※括弧内は日本語吹替(初回放送1971年5月9日『日曜洋画劇場』)
- ルイザ:シャーリー・マクレーン(小原乃梨子)
- レナード:ディーン・マーティン(羽佐間道夫)
- ラリー:ポール・ニューマン(川合伸旺)
- ロッド:ロバート・ミッチャム(浦野光)
- エドガー:ディック・ヴァン・ダイク
- ピンキー:ジーン・ケリー(柳沢真一)
- ビクター:ボブ・カミングス(大塚周夫)
- 画家:レジナルド・ガーディナー
- ビキニを着た女性:バルバラ・ブーシェ
- ダンサー:テリー・ガー
スタッフ
- 監督:J・リー・トンプソン
- 製作:アーサー・P・ジェイコブス
- 原作:グエン・デイヴィス
- 脚本:アドルフ・グリーン、ベティ・コムデン
- 撮影:レオン・シャムロイ
- 編集:マージョリー・ファウラー
- 衣装:イーディス・ヘッド
- 音楽:ネルソン・リドル★