『沼の上の空 Cielo sulla palude』1949年
貧しいカトリックの農民大家族の長女が聖体拝領を受けたあとで、同じ家に住む、あと三か月で兵役に出る男にレイプされそうになり、必死に身を守ると刺され、病院に運ばれたが間もなく、「彼を許してください」と神に祈りながら息絶えた話。
★聖体拝領
〘名〙 ローマ‐カトリック教会でいう聖餐式。イエス‐キリストが最後の晩餐で、パンと葡萄酒をとり、「これわがからだなり、わが血なり」と言ったことに基づき、キリストの血と肉とをあらわす葡萄酒とパンとを会衆に分かつキリスト教の儀式。★
主人公マリアのキャスティングが正解。この子が純朴で正に聖体を拝領したかに見える。
この子を守りたいと観客は思う。
しかし環境がヤバい。
六人子どものいる一家は、故郷で仕事が契約解除になり、住居も追われ、仕事を探してこの沼地近くの荒地に来た。
土地の伯爵に、とにかく縋ってお願いしていると、伯爵夫人が「可哀そう」と気を止めてくれ、
伯爵に話を付けてくれ、領地の農家の家に住めることになった。しかしこの農家の主人は最初拒む。この主人の妻は死去している。もうすぐ兵役に行く息子アレッサンドロがいる。その二人暮らしだった。色々あり、大家族はこの家に住み、主人とアレッサンドロと一緒に荒地を耕し収穫できるように努力することになる。しかし間もなく大家族の父がマラリアで死去。長女マリアは、その遺体のそばで「わたしが死んだら、この沼の上の天国でお父さんに会えますように」と祈る。
アレッサンドロは父と喧嘩して町に行って生活していたが、大家族が町に卵売りに来た際に「海が見たい」と言うマリアを海に連れて行き、
そこでマリアに惚れ、
家に帰ることにすると、隙あらばマリアと性交しようと付け狙い、蛇のように執念深く二人になれる瞬間を見つけようとする。
水汲みに行ったマリアを尾行するアレッサンドロ。
逃げるマリア。
マリアに拒まれたアレッサンドロは、「このことを誰かに言ったらお前を殺す」と言い、
(アレッサンドロから「誰かに言ったら殺す」と言われているため、一人で逃げ、周囲の大人にはその行動原理が不明。「とにかく家に帰りたい」というような言い方で、何とかアレッサンドロと二人にならないよう、行動。)
家ではマリアにきつく当たる。
洗い乾かされたシャツを、マリアの弟が「マリアが洗濯した」とアレッサンドロに持っていくと、マリアの所へ行き、「汚れが取れていない。洗い直せ」と投げる。
「どうしたの、親子で悪いものにでも取りつかれたの?」とマリアの母親。この母親は、この家の主人である、アレッサンドロの父から「夫が死んで良かったな。太ってますます綺麗になった」と求婚され、拒絶したばかり。
マリアは聖体拝領の勉強をするために、町の教会に行く。
(左から、マリア、町の、恋人のいる、開放的な女の子)
聖体拝領を受けたマリアは、魂が恍惚としている。それを見た(見に来ていた)アレッサンドロは、マリアの視線の先の磔のキリスト像を見ると、気持ちを振っ切るように目をそらし、教会を走り去る。
しかしアレッサンドロは、諦めない。
マリアが「朝の仕事をしたから、午後は子守をしていなさい」と母親に言われると、わざと仕事があるように振る舞い家から出ず、隙を見てマリアを犯そうとする。しかしそれでも必死に身を守るマリア。アレッサンドロはとうとう、ナイフでマリアを何度も突き刺した。マリアは病院に運ばれ、警察が来て、アレッサンドロは手錠をかけられ連行される。
マリアが病院に運ばれると、マリアがもうすぐ死ぬと聞いた人々が詰めかける。「まるで聖人のように死んでいくよ」と言う人がいる。マリアは衆人環視の中、「アレッサンドロ」と声を出し、「あなたの罪が許されますように。それを祈っています」と言い、絶命、でジエンド。
すべての映画は、宗教映画なのだろう。人間というものは、祈り信じることで未来を不安から希望に変えて進むしかないのだから。
被害者は、加害者を呪うと心理的に加害者になってしまう。祈るという天にアクセスする心理状態は、そういう悪循環から救ってくれる、正に心の救済システムなのだろう。
聖体拝領勉強の学校のような教会のような場で、字の読めないマリアの為に教科書を朗読してくれたこの写真の右の女の子は、「故意に」という言葉の説明として、「例えば、男の子が『きみ可愛いね』と言う。それで『おいで』と言う。それで、何をされるか分かっていて付いていくこと」と言い、マリアは「分かった」と言う。しばらくすると口笛が聞こえ、この女の子は嬉し気にその口笛の主の男の子に付いていくのだ。このエピソードがこの物語の伏線と言えば言える。
世の中はタイミングとマッチングなのだろう。マリアがもう少し年上で(マリアの年齢設定は11歳)アレッサンドロを好きなら、その強引さを「男らしくてかっこいい」と感じたのかもしれない。
この映画は、カトリック教会の守護聖人、(純潔を守るために殺された)マリア・ゴレッティのことを描いた話らしい。マリア・ゴレッティ - Wikipedia
★マリア・ゴレッティ(Maria Goretti, 1890年10月16日 - 1902年7月6日)は、11歳で殺人被害者となったイタリアの少女。カトリック教会の殉教者、聖人。彼女を列聖した教皇ピウス12世から
と讃えられ、その生涯から少女や青少年、貧しき者、犯罪や性的暴行の被害者の守護聖人とされている。★
やはり、先人の一人の犠牲者を思うことは、魂を怒りから逃し、救済してくれるのだろう。
途中、『伊豆の踊子』や『野菊の墓』などのアイドル映画を想起した。アイドルとはつまり、キリスト同様の犠牲者。祭り上げられ、火を焚かれて炎上。よっぽど信者(ファン)が自覚自制して守らねば、偶像は灰になるまで焼き尽くされる。
★Wikipediaより★
沼地の天国(イタリア語:Cielo sulla palude)は、アウグスト・ジェニーナ監督、
★アウグスト・ジェニーナ(Augusto Genina、1892年1月28日 - 1957年9月18日)は、イタリアの映画界のパイオニア。彼は映画プロデューサー、監督でした。★
イネス・オルシーニ、ドメニコ・ヴィリオーネ・ボルゲーゼ主演の1949年のイタリアの歴史メロドラマ映画です。この映画は、聖マリア・ゴレッティの生涯を描いています。アウグスト・ジェニーナは、この映画でナストロ・ダルジェント監督賞を受賞しました。[1] 2008年、この映画はイタリア文化遺産省の「1942年から1978年の間に国の集合的記憶を変えた」100本の映画のリストである「保存すべきイタリア映画100本」に含まれました。[2] 映画のセットはヴィルジリオ・マルキによってデザインされた。
キャスト
- ルビ・ダルマ(ラ・コンテッサ・テネローニ役
- ミケーレ・マラスピーナ(イル・コンテ役
- ドメニコ・ヴィリオーネ・ボルゲーゼ(イル・ドットーレ役
- イネス・オルシーニ:マリア・ゴレッティ
- Assunta GorettiとしてAssunta Radico - La madre di Maria
- ルイジゴレッティとしてジョヴァンニマルテッラ - イルパドレディマリア
- マウロ・マッテウッチ - アレッサンドロ・セレネッリ
- フランチェスコ・トマリロ(ジョヴァンニ・セレネッリ役) - il padre di Serenelli
- マリア・ルイサ・ランディン(ルチア役
- アイダ・パオローニ(テレサ役
- フェデリコ・メローニ(アンジェロ役
- ジョレ・サヴォレッティ(アンナ役
- ジョヴァンニ・セスティーリ(マリアーノ役
- ヴィンチェンツォ・ソルフィオッティ(アントニオ役★