『青の光 Das blaue Licht』1932年
言葉が通じずボロ服を着ていて行動に突飛なところがあるため魔女呼ばわりされていた、果物売りの、山の中腹に(多分)弟と住んでいる女性が、実は誰も登れない剣のような山に登れ、その山の頂の水晶を愛していた。
(剣の山の下の滝壺に落ちていた水晶を拾う女性)
しかし馬車で途中下車を余儀なくされた旅の男がその女性ユンタに恋し、
(ユンタが齧っていた林檎が落ち↓、それで上に人がいる、多分ユンタが、と気づく旅の男)
一緒に山小屋で過ごし、
(旅の男は、絵を描く)
ユンタを追って剣の山に登って水晶の存在を知ると、
「これをきみが見つけたとふもとの村の人に言ったら、村は金持ちになってきみはありがたがられ、きみはもうこんなボロを着て逃げ回らずに済むと思う」(言語が違うので、意味は通じない)とそのことを村人に告げに行くと、村人は計画を立てて登頂、水晶を採掘しまくり、金持ちに。
ありがたがられた旅の男は、酒に付き合わされ、ユンタの所へ行けない(戻るつもりでいた)。
男に恋しているユンタが、マント姿の誰かの姿に気づき後をつけると、点々と水晶と木槌が落ちている。はっとなったユンタは、マントの誰かに先回りして素手と素足で剣の側面を登頂(生まれ持った性質ゆえか、訓練のたまもの)、採掘され切った水晶の空間を見て、(わたしはあの人に騙されたんだ)となり失望、最後に一つだけ落ちていた水晶を持って下りようとすると、その水晶のせいで手元が狂い、滑落、それに気付いたマントに深帽子の者はあの旅の男で、ユンタの死体を見て「ユンター!」と嘆くのだった。
それから時が経ち、その村ではユンタが伝説となっていて、非常に厚い伝記本となり、聖書のように大事にされている。このシーンで回想がサンドイッチされるというスタイル。この村に、他の国の都会から飛行士夫婦がやって来て、二人が食堂に入る前にユンタの写真入りの置物を子どもが渡してくる。
中に入った夫婦は、そこで主人の「あの本を持ってこい」で子どもが持ってきたユンタの伝記本を開くのだった、で物語スタート。
満月の夜になると剣の山の裂け目が青く光り、それに魅入られたふもとの村の若い男が登ろうとして、何人も命を落としている、というのは、世界各地にあるお話の一つのパターンなのだろう。
この青い光とは、満月を反射した水晶(クオーツ)だった。
コミュニケーション不全の様は「人魚姫」っぽく、旅で行ったら帰りたくないは山版「浦島太郎」、見ないでと言ったのに見てしまったの約束破り衝動のような展開は「鶴の恩返し」っぽい。
ユンタと(多分)弟との関係は(二人暮らし、親の姿はない)、「アルプスの少女ハイジ」のペーターと大人ハイジという感じ。
ユンタは女「クリフハンガー」とも言える。
言語が通じずジェスチャ―というシーンでは、「奇跡の人 ヘレンケラー」を想起。
山奥の「魔性の女」に入れ込み、定住しそうになったという意味では、泉鏡花の「高野聖」にも似ている。
冒頭の、物凄い水量の滝の下の岩をユンタが歩く姿が、「もののけ姫」のようで、神聖だった。
Wikipediaを読むと、この映画の監督レニ・リーフェンシュタール↓が政治利用されたことや、「パクリ疑惑」などありそうだが、この時代に女性が脚本監督主演をして成功というのは、正に映画『青の光』のユンタ的、伝記になる偉人。
「20世紀を四回生きた女性」。時代の変換期に生きた芸術家の運命。
レニ・リーフェンシュタール監督作品のベルリンオリンピック開会式映画。
ある一人の指示者の、何を、どう撮るか、という抽出作為が働かざるを得ないという意味において、「純粋に客観的なる記録動画(=神の視点)」などというものは存在しないのだろうと思う。
★この映画の美学は、特にその自然の描写において、アドルフ・ヒトラーの関心を呼んだと言われており、おそらくは、その後リーフェンシュタールにプロパガンダ映画の制作を委嘱するひとつの契機になったのかもしれない[4]。★
★グスタフ・レンカー (Gustav Renker) の小説『Bergkristall』(仮訳「山の水晶」:1930年)は、『青の光』のあらすじと数多くの類似点があり、バラージュとリーフェンシュタールによって、無断であらすじとして用いられた可能性もある。★
↓この批評に同感。
★『ニューヨーク・タイムズ』紙は、この作品について「あらすじを要約しても、この映画のアクションの美しさや驚異的なカメラワークを、特に光の効果を、充分に伝える事はできない。」と記した[1]。★
ベルリンオリンピックの開会式の様子に『アドルフに告ぐ』を想起。
★Wikipediaより★
『青の光』(ドイツ語:Das blaue Licht)は、1932年制作のドイツの白黒映画で、脚本と監督はレニ・リーフェンシュタール
であり、クレジットはされていないが、カール・マイヤー(ドイツ語版)が脚本を担当した。このリーフェンシュタールの映画作品では、リーフェンシュタール自身が演じる主人公ユンタ (Junta) は、観る者が共感するようなキャラクターとして描かれている。撮影はスイスの ティチーノ州にある ドロミーティ・ディ・ブレンタと、
(『青の光』の撮影シーンだろう)
で行なわれた。
あらすじ
村外れにひとりで暮らしている少女ユンタ(リーフェンシュタール)は、その孤立と奇矯から、魔女だと思われている。何かしか理由があって彼女が村のなかへやってくると、村人たちは彼女を追い払うのが常であった。村人たちは、数人の村の若者がひとりまたひとりと、いずれも満月の夜に、取り憑かれたかのように地元の山に登ろうとして転落死した事に、ユンタが何らかの形で関わっているのではないかと感じている。
ユンタは、村を囲む山々の静寂の中で、若い羊飼いの少年との接触があるのを例外として、ほとんどひとりぼっちで生活している。ユンタは、生まれ育った丘や森で、自由に過ごしていた。ユンタは素朴で、無垢であるが、何か神秘的なものが見えている。ユンタは地元の山々に登攀し、急斜面や難所を登ることを愛している。
満月の夜になると、地元のひときわ高い山の裂け目から光が差し込み、美しい水晶で満たされた小さな洞窟の中が、月の光で輝く。魔法のような青い光に輝く、この上なく美しいこの場所は、ユンタにとって聖なる空間だ。遠くから差し込む青い光の輝きは、麓の村にも届き、それが村の若者たちを引き寄せるのであったが、その誰もが険しい山の斜面から転落してしまい、たどり着く事ができたものはいなかった。
町からやって来た画家の男が、村の中を通り、ユンタを見初めた。男はユンタを追い、彼女が羊飼いの少年と暮らしている小屋までついて行き、しばらくそこに逗留する。男はドイツ語しか話さないが、ユンタはイタリア語しか話さないので、2人のやりとりは断片的なものになる。すべては喜びと善意、純潔のうちに時が過ぎて行くが、次の満月の夜がきたとき、男はユンタが山に登って行くのを見かける。男はユンタの後を追い、美しい洞窟までたどり着き、ユンタがそこで輝く水晶に囲まれて恍惚としているのを見つける。
この無数の水晶が、ユンタや村人たちに莫大な富をもたらすと考えた男は、すぐさま山を下りて、村人たちにこのことを知らせ、洞窟にたどり着く正しい経路を告げる。ユンタは、男がそのような行動をとった事に、翌日になって水晶の一部やそれを掘り出すのに使った道具が村へ通じる道に落ちているのを見つけるまで気づかなかった。洞窟に駈け戻ったユンタは、貪欲な村人たちによって、水晶がすべて持ち去られた事を知る。一方、村人たちと画家の男は、祝宴を開く。ユンタは聖なる洞窟への冒涜と、信頼した他所者の裏切りによって、打ち拉がれ、身を投げて死ぬ。
キャスト
クレジット順
- レニ・リーフェンシュタール - ユンタ
- マチアス・ヴィーマン - ヴィーゴー
- ベニ・フーラー (Beni Fuhrer) - トニオ
- マックス・ホルツボーア (Max Holzboer) - 宿屋の主人
- マルタ・マイア (Martha Mair) - ルシア
- フランツ・マルダケア (Franz Maldacea) - グッツィ
制作の背景
1993年のドキュメンタリー映画『レニ』(ドイツ語: Die Macht der Bilder: Leni Riefenstahl:英語: The Wonderful, Horrible Life of Leni Riefenstahl)のなかで、リーフェンシュタールはアグフアが R-Stock と称される新しいフィルムを提供した事について述べている。(昼間に)赤いフィルターをかけて撮影すると、空が真っ黒に写るようになっていた。その映画は、ほとんどロケーション撮影によって作られた映画としては最も早い時期に制作されたトーキー映画である。
リーフェンシュタールを女優として起用し、監督として山岳映画 (Bergfilm) を何本も撮ったアーノルト・ファンクは、最初の段階でこの映画の編集に関わったが、リーフェンシュタールはその出来に満足せず、フィルムを完全に再編集した。
反響
この作品は商業的にも、批評的にも、そこそこの成功を収めた。ヨーロッパ各地やイギリスでは好評だったが、ドイツでは評価が分かれた。左翼系の新聞は嘲笑を浴びせたが、一方で右翼系の新聞は賞賛を送った。山岳映画が新しかったロンドンやパリでは、商業的にも、批評的にも相当の成功を収めた[1]。さらにこの作品は、ヴェネツィア国際映画祭では銀メダルを獲得した[2][3]。
『ニューヨーク・サン』紙は、この作品について「今年の映画の中で最も絵のように美しかった作品のひとつ。作家、監督、スターを兼ねるレニ・リーフェンシュタールは、賢い女性であり、登攀の達人だ。」と記した。
『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙は、「素晴らしく絵のような美しさ」と賞賛し、「主演し、脚本を書き、監督をしてこの作品を完成させるとは、何と非の打ち所のない女性なのだろう」とリーフェンシュタールを賞賛した。
『ニューヨーク・タイムズ』紙は、この作品について「あらすじを要約しても、この映画のアクションの美しさや驚異的なカメラワークを、特に光の効果を、充分に伝える事はできない。」と記した[1]。
この映画の美学は、特にその自然の描写において、アドルフ・ヒトラーの関心を呼んだと言われており、おそらくは、その後リーフェンシュタールにプロパガンダ映画の制作を委嘱するひとつの契機になったのかもしれない[4]。
再編集版
ナチ党の権力掌握後の1937年には、マイヤー、バラージュ、ソーカルらユダヤ人の名を取り除いた再編集版が再発表された。
1951年、イタリアの企業が出資し、この映画の再編集版が発表された。リーフェンシュタールは86分だった作品を、73分まで圧縮し、サンタマリアの村に現代的な都会人が到着する場面などが除去された。この再編集版は、「レニ・リーフェンシュタールによる山の伝説」と宣伝文句がつけられた。1951年11月、新たな編集、音楽、サウンドトラックによる版がローマで公開され、その特別興業の上映の際の華やかさは、リーフェンシュタールが「目もくらむばかり」と表現するほどだった。この再編集版は『サンタマリアの魔女 (Die Hexe von Santa Maria)』と題されてドイツにも配給され、オーストリアでも限定的に公開された[1]。
作品の源泉と考えられるもの
ドイツには『青の光 (Das blaue Licht)』という同じ題名の伝説があり、これがリーフェンシュタールの脚本に何らかのインスピレーションを与えた可能性がある。汎ゲルマン主義のエートスが席巻していた当時のドイツでは、映画の観客たちはこの古い伝説に親しんでいたはずであり、この映画がそれをなぞるように展開すると期待したことだろう。しかし、この映画には、伝説との共通性はほとんどなく、しかも伝説から離れて思いもかけない方向へ展開し、レニ・リーフェンシュタールを、魔女ではなく、不当に魔女扱いされる美しい孤高の存在として描き出している。
1810年にグリム兄弟が採集し、1920年代のヒトラーに先んじた国家主義者たちによって広められた元々の伝説は、王のために戦って不自由な身となり、お払い箱になった兵士の物語である。軍隊を離れた兵士は、癒しを求めて森に入り、魔女の家にたどり着く。そこで兵士は、自分を治してくれるかと魔女に尋ねる。魔女は兵士の身体を治す事を約束し、そのために3つのことをするよう、兵士に要求する。その3つめの務めが、深い空井戸に降りて、その底にある古代のランプを取ってくる事だった。
伝説では、井戸の底で小人のようなものに出会う。奇妙なランプから立ち現れるそのランプの精は、不思議な青い光に輝き、最後には魔女を破滅させる事になるのだが、リーフェンシュタールの構想と、それ以前から存在していたこのドイツの神話との結びつきは、これ以上はほとんど無いといってよい。
グスタフ・レンカー (Gustav Renker) の小説『Bergkristall』(仮訳「山の水晶」:1930年)は、『青の光』のあらすじと数多くの類似点があり、バラージュとリーフェンシュタールによって、無断であらすじとして用いられた可能性もある。★