『嘆きの天使 Der blaue Engel』1930年
巡業劇団の歌手ローラ・ローラ(マレーネ・ディートリッヒ)に入れ込んだ堅物のギムナジウムの教授が、その歌手ローラと結婚、ギムナジウムを辞め、五年間ローラに養ってもらったが、自分も何かしないともう劇団にはいられないとなり、故郷の、教授が通った「嘆きの天使」という小劇場でピエロとして出演、市長や同僚には嘆かれ、生徒たちには嗤われ、緊張して身動きもとれず退場、スカした演劇人の男にキスされても逃げない妻ローラを見て発狂、警察が来る事態となり、元教授は夜中ギムナジウムに忍び込み、教壇に縋りつくようにして冷たくなって死去、という話。
救われない『フランダースの犬』かと思った。
嘆きの自業自得映画。
美少年に入れ上げ自滅する老作曲家を描いた『ヴェニスに死す』に似ていると思った。ベニスに死す (映画) - Wikipedia
原作本のタイトルは、『ウンラート教授 : あるいは、一暴君の末路』。
正に『ウンラート教授 : あるいは、一暴君の末路』だった。原作のハインリヒ・マンはこの「一暴君」を、当時のドイツの権力の象徴とし、鬼退治のちの浄化(お葬式)をしたのかと思った。
劇中、寄港した船長がローラに「これはカルカッタのお土産だ」とパイナップルを渡して言い寄ると、「奴隷商人めが!」とラート教授は言う。そういう時代のそういう言葉、そして人間関係。
生徒は、真面目な学級委員長以外は教授のことをクズラートと言って馬鹿にしている。その生徒たちの見回り(取り締まりのようなもの。ギムナジウムとは男子生徒のみの寮付き学校のため、教授は文学を教えつつ生活指導もするのかと思った)として劇場に行き、生徒がアイドル的にハマっているローラに自分がハマり、日参。
ローラも、自分を強引な船長から守ってくれた教授に心を開き、劇場の控室で共に一夜を過ごし、結婚。
ここまでは、禁欲的にせねばならぬ環境で鬱憤がたまっていた教授が酒と女で軟化して良かった良かった、だったのだが、そこからが元教授の本番人生。
町の名士と持ち上げられていた元教授に生活力はなく、貯金は底をつき、ローラに食わせてもらって五年。
(このシーンでのローラの(多分)葵の御紋の着物のガウン的着崩し方が、モネの『ラ・ジャポネーズ』のようで素敵だった)
クロード・モネの『ラ・ジャポネーズ』クロード・モネ - Wikipedia
元教授はローラのお色気写真を売る事を禁ずるが、代替案として売ろうとした色気なしのものは売れず、さあどうするんだ、と劇団の団長である手品師に詰め寄られ、元教授は手品師のアシスタントのピエロ(道化師)として、故郷で初舞台を踏むことになるのだが、これは凱旋ではない。
屈辱の、Uターン。出戻りというか、晒しものにされ、それで観客の優越感となるという見世物。
このときの元教授が惨め過ぎ、胸に迫った。
これは恋愛映画ではなく、再就職失敗話、または私生活の内容が貧困でいきなり推しの沼にハマった中年の虚しい末路だ。
映画は、上げるだけ上げ、そして下げるというお仕置きをこの教授にする。
上映年が1930年のドイツ映画ということを考慮すると、これは、権威への処刑なのかもしれないと思った。
冒頭、教授が飼っていた小鳥が死ぬ。すると通いのメイドが「歌わなくなったんですよ」と何の感傷もなく竈(かまど)の中に捨てる。この小鳥が恋や情熱の象徴だった。この小鳥が死んだから、教授はローラにハマるのだ。
マレーネ・ディートリッヒが健康的でカラカラ乾いた笑いをして歌が上手いことが、救いだった。
★Wikipediaより★
『嘆きの天使』(なげきのてんし、独: Der blaue Engel)は、1930年製作・公開のドイツの映画である。ハインリヒ・マンの原作を、
ハリウッドからドイツに渡ったジョセフ・フォン・スタンバーグが監督した。
ヒロインのローラ・ローラを演じたマレーネ・ディートリヒは、本作で国際的な名声を得た。
ドイツ最初期のトーキー映画である(ドイツ語と英語で撮影された)。原作はハインリヒ・マンが1905年に発表した小説『ウンラート教授 : あるいは、一暴君の末路』[2]で、マン自身も本作の脚本制作に関与している[3]。
公開から約30年後の1959年、アメリカでエドワード・ドミトリク監督により同題の映画『The Blue Angel(邦題:嘆きの天使)』としてリメイクされ、ヒロインのローラをスウェーデン出身の女優メイ・ブリットが演じた。
ストーリー
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イマヌエル・ラート教授は融通の利かない謹厳実直な英語の教授だった。そして、彼の毎日は変化のない退屈なものであった。今日も悪戯好きの悪童学生を叱りつけながら講義を進める。
その日、学生の一人が授業中に絵葉書を落して、それを見た教授はあまりの品の無いいかがわしさに仰天した。それは街のキャバレーに巡業に来ている歌妓舞踊団の踊り子の絵葉書で、いかがわしい遊びに誘うものであった。教授は学生達が酒と女の誘惑に負ける事を深く悩み、心配するのであった。
その晩、教授はその事実を確かめるべく責任上から意を決して、生まれて初めてキャバレーの扉を開く事となる。喧噪のなかで戸惑う教授の姿を認めた不良学生は直ぐに逃げ出し、教授は絵葉書に描かれた踊り子のローラの部屋に案内される。あまりに謹厳実直で生真面目な教授は団員達から驚かれながらも、興味をひかれたローラから歓待される。不良学生を見つけて取り逃がしてしまった教授はローラに不思議な魅力を感じながらも、酔客のトラブルに巻き込まれて帽子を忘れて帰っていく。帰る先は殺風景な書籍に囲まれた部屋に、寒々とした寝台がポツンとあるだけであった。
キャスト
- ローラ・ローラ: マレーネ・ディートリヒ
- イマヌエル・ラート: エミール・ヤニングス
- キーペルト: クルト・ゲロン
- グステ(キーペルトの妻): ローザ・ヴァレッティ
- マゼッパ: ハンス・アルバース
作品の影響・評価
- ルキノ・ヴィスコンティ監督
- は1969年公開、のちに「ドイツ三部作」の第1作目となる映画『地獄に堕ちた勇者ども』でマルティンを演じる25歳のヘルムート・バーガーに本作のマレーネ・ディートリヒに扮した女装をさせ、本作と同じく「Falling In Love Again」を歌わせている。本作『嘆きの天使』はヴィスコンティがもっとも愛した映画の一つであったともいう[4]。
- ニュー・ジャーマン・シネマを代表する監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは本作をもとに、作品の舞台を1950年代ドイツに置き換えたオマージュ作『ローラ(Lola)』(1981年)を制作している[5]。
リメイク版
- 『嘆きの天使』 "The Blue Angel" (1959年) 米=西独合作
- "Pinjra (Marathi: पिंजरा; Cage)" (1972年) 印 ※日本未公開
- 『ブルーエンジェルカフェ』 "Blue Angel Cafe" (1989年) 伊
- "La Venus bleue" (1993年) 仏 ※日本未公開
- ニュー・ジャーマン・シネマを代表する監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは本作をもとに、作品の舞台を1950年代ドイツに置き換えたオマージュ作『ローラ(Lola)』(1981年)を制作している[5]。★