『特急二十世紀 Twentieth Century』1934年
ニューヨークブロードウェイの話。冒頭は、オーディション映画『コーラスライン』を彷彿。コーラスライン (映画) - Wikipedia
ザ・夫婦喧嘩スポーツの鑑賞。
主演二人の愛の大喧嘩と仲直りを鑑賞する映画。
夫婦喧嘩は犬も食わぬ、なのだが、その二人が独裁的天才劇作家(プロデューサー)と彼が育てた新進女優のため、周囲が振り回されることこの上ない。
(この映画での天才の定義は、情熱が溢れていること。)
とにかく主演二人が、シェイクスピア劇のように、または歌舞伎役者の見得のように、いちいち大仰過ぎ、この二人はこの二人で相殺してもらわないと、関係者が疲れて大迷惑。
独裁的劇作家に女性として見初められ女優として見込まれたこの女性は、演技のレッスンに体当たりで臨む。この辺りは『Wの悲劇』の蜷川幸雄×薬師丸ひろ子のシーンを彷彿。
01:05~蜷川幸雄の愛の特訓。
劇作家は、食い下がる女優に「情熱こそ才能、鍛えがいがある」と執心。この女性はすぐにニューヨークブロードウェイの人気女優に。しかしプライベートで同居すると、劇作家は女優を常に監視下におき、束縛。女優はキレそうになるが、二人はエネルギーが同等のため、ここだけ嵐の異常気象。喧嘩のたびに、「さすがは元下着のモデル、洗濯屋の娘、品がない」と劇作家。それに怒った女優が出て行こうとすると、とたんに足に縋って「出ていかないでくれ、お前が命だ」。この辺りは『男女七人夏物語』的、又は卓球のラリー的、愛の打ち込み合い。
大喧嘩の後大仲直りをするたび、二人はヘトヘト。
喧嘩別れをして女優がハリウッドに行くと、成功。対照的に夫の劇作家は、新たな女優での『ジャンヌダルク』が失敗、シカゴの劇場の使用料を払えず、保安官に追われる。
ニューヨークへ逃げる劇作家一行と、ハリウッドから休暇で恋人とニューヨークに行こうとした女優が同じ列車の隣り部屋に。この恋人に「あたしに求婚しないの?」と女優が言うと、「したくないかと思ってた」とあっさり。この淡泊さが、こってり劇作家に育てられた女優には物足りない。そこへ、隣室に劇作家がいると知った女優。ドタバタあり、妄想で(笑)薬屋の社長を名乗る宗教布教老人に一行がスポンサーを頼んでしまったりがある中、結局劇作家と女優が元鞘に。劇作家と女優はニューヨークに戻り、新たな劇の練習を始めるのだった、という話。
(列車の車中での、恋人と女優)
宗教布教老人と揉め、老人が発砲。劇作家は自分が死んだと思い込み倒れるが、それは心理的なショックから来たもので、弾はかすりもしていなかった。この老人役のいかがわしさが良かった。これがないと、ただ大騒ぎしている自意識過剰な男女がうるさく目立ち、白けたと思う。この老人が、「悔い改めよ、審判の日は近い」というような大きな円のステッカーを、唾で濡らして窓や帽子や乗客の背中にペタペタ密かに貼りまくる姿が幼児的で不気味で真実味があった。
この発砲事件を利用。死んだふりをして、既に銀幕の大女優となっている女優に舞台出演のサインをさせてしまう、劇作家と腹心二人の「三銃士」。その舞台とは、キリストの「受難劇」。これこそ人類が演じ続けてきた究極の劇だと列車車中で閃いた劇作家は、女優にマグダラのマリアを演じさせ、復活のための大ヒットを目指そうとする。受難劇 - Wikipediaマグダラのマリア - Wikipedia
様々な人が乗車している列車シーンは、『オリエント急行殺人事件』っぽかった。
天才劇作家を演じたジョン・バリモアは、ドリュー・バリモアの祖父。顔が饒舌なのに、更に声も饒舌で、コテコテ濃厚ソースという感じ。それが妙味。
ドリュー・バリモア
女優役のキャロル・ロンバートの威厳が、女神的で美しかった。
★Wikipediaより★
『特急二十世紀』(とっきゅうにじっせいき、原題・英語: Twentieth Century)は、1934年に製作・公開されたアメリカ合衆国の映画である。チャールズ・ブルース・ミルホランドの戯曲に基づき、ハワード・ホークスが製作・監督、ジョン・バリモアとキャロル・ロンバードが主演した。
1978年にはベティ・コムデンとアドルフ・グリーンの脚色、サイ・コールマンの作曲によりミュージカル化された(日本語題・『20世紀号に乗って』)[1]。2011年、アメリカ国立フィルム登録簿に登録されている。
キャスト
- オスカー・ジャフィ:ジョン・バリモア
- リリー・ガーランド(ミルドレッド・プロトカ):キャロル・ロンバード
- オリヴァー・ウェッブ:ウォルター・コノリー
- オーウェン・オマリー:ロスコー・カーンズ
- ジョージ・スミス:ラルフ・フォーブス
スタッフ
映画賞ノミネーション
- ヴェネツィア国際映画祭ムッソリーニ賞(外国映画)候補★