星お月様星空『モガンボMogambo』1953年星空お月様星

Mogambo (1953)

未定義

 

 

このシーンが一番好きだった。

Mogambo (1953)

 

「モガンボ」とは、「最も偉大なもの」を意味するアフリカの言葉らしい。

 

アフリカジャングルでの、愛の四角関係。

似た者同士の夫婦と、似た者同士の友人男女。

この夫婦と友人男女の性質は正反対。

夫が人類学者である夫婦は、大人しい都市生活者。一方友人男女は、野生動物のような狩猟稼業の男に、世界中を飛び回る、プレイガール。

 

 

アフリカのジャングルで、動物園やサーカスへ売る動物を狩猟している、自身も野生動物のような男ビクター(演・クラーク・ゲーブル)の所へ、インドの王との待ち合わせをすっぽかされたプレイガールのケリーがやって来た。彼女は、戦争で新婚の夫を亡くしてから、遊び暮らすことでその悲しみを忘れようとしていたのだった。

ビクターとケリーは性質が似ているため、たちまち恋人同士っぽい雰囲気に。

Mogambo (1953) - Backdrops — The Movie Database (TMDB)

 

 

しかしそこへ、英国から人類学者夫婦が、ゴリラの生態を調査するためにやって来た。

Mogambo (1953)

(前列左から、ケリー、人類学者の妻リンダ、ビクター。後列左から、人類学者ドナルド、ビクターの相棒)

Mogambo (1953) - Turner Classic Movies

Mogambo (1953)

(左から、ケリー、リンダ、ビクター)

Mogambo (1953)

案内するために接することになるビクターは、性質の違う人類学者の妻リンダに恋をする。

(リンダは世間知らずの奥様。現地の金持ち男が妻を複数持っていると聞き、「夫は、妻の浮気が心配じゃないの?」。するとビクターが、「妻が浮気できないようにするのさ」「どうやって?」と訊くリンダに、ケリーが肩を叩くと、「あ、そういうことね……」と天然なうぶを全開に。(女子割礼のことかと思った))一夫多妻制 - Wikipedia

Mogambo (1953)

リンダもビクターに夢中になり、同期して喜怒哀楽が激しくなる。この辺り、都市生活でオフにしているスイッチがオンになった感じ。夫婦は五歳時からの知り合い。家族がそのまま夫婦になった感じ。

 

(正反対の性質の、リンダとケリー)

Mogambo (1953)

Mogambo - Film (1953) - SensCritique

 

ゴリラを見に行くには、現地族の儀式を受けねばならず、これが、奥地に入る責任者に当たらないように矢を放つというもの。

ビクターは、上半身裸になり、その儀式に耐える。

Mogambo (1953)

Mogambo (1953)

 

 

(左から、人類学者のドナルド、狩猟業のビクター、学者の妻のリンダ)

Mogambo 1953 U.S. Scene Card - Posteritati Movie Poster Gallery

その後ゴリラの声と姿を録音撮影したいという学者に、ビクターは付き添い、ゴリラに狙われた学者を守るため、ゴリラを一頭銃殺する。

ビクターは、殺したくなかったのだろう。

Movie Review: Mogambo (1953) | The Ace Black Blog

これは囮を使い落とし穴に落として生け捕りしてサーカス団や動物園に売る商売のビクターの、職業から来るものでもあり、また動物への愛でもあるのだろう(類人猿であるゴリラは、まるで服を着ていないだけの人間だから、殺人めきもする)。

 

人類学者は、ゴリラ研究には熱心だが、人間の心理に疎い(きっとこの学者の疎さは、笑うべきところ(人類学者なのに?人類学者だから?という))。

Mogambo (1953)

現地の誰もが、ビクターとリンダ(学者の妻)が本気で愛し合ってしまっていると気付いているのに、学者だけ、気付いていない。まるで彼だけ心が蚊帳の外。でもだからこそ、安心できる友達夫、ということでもあるかもしれない。

 

自分に似たケリーには容赦なく強引なキスが出来るビクター。しかしリンダにはなかなか手を出せない。

Mogambo (1953)

Mogambo. 1953. Directed by John Ford | MoMA

その様子を見たケリーは嫉妬に狂う。

 

しかし、くだけた雰囲気のビクターとケリーに、リンダも嫉妬。

Mogambo: Clark Gable on Safari » BAMF Style

(酒を飲みじゃれ合うビクターとケリーに嫉妬する、リンダ。)

Mogambo (Mogambo) (1953) – C@rtelesmix

最後にリンダは、嫉妬のあまりビクターに向けて銃を発砲。それはビクターの腕のかすり傷となる。

銃声に驚きやって来たリンダの夫に、ケリーは「酒を飲んでビクターがリンダに言い寄ったので、リンダが正当防衛として発砲」と、一番全員が丸く収まる言い訳をとっさにし、それなら、と夫は、長期滞在を切り上げ、即帰国することになる。

 

 

しばらくして、ビクターとケリーのシーン。

現地の人の漕ぐ舟に乗って離岸したケリー。

ビクターが、相棒に「ケリーをよろしく頼む」と何度も言うと、ケリーはにっこりし、川に飛び込み岸に戻り、ビクターと抱き合って、ジエンド。

似た者同士の愛の勝利。

 

野生のゴリラを見つけ、彼らを絶滅から守ろうとした女性の映画、『愛は霧のかなたに』を想起。愛は霧のかなたに - Wikipedia

愛は霧のかなたに : ポスター画像 - 映画.com

 

 

Mogambo (1953) – FilmFanatic.org

(恐らく合成のため、)こんなシーン(ゴリラの襲撃↑)はなかった(絵だから盛れた)。

 

 

冒頭、タイプの違う二人の男性と同時に付き合う女性の心理を歌った「けんかをやめて」を想起。

 

また、「あたしより強い男を探してた」、中森明菜の「BLONDE」も想起。

 

 

グレース・ケリーがリンダで、エヴァ・ガードナーがケリーという名の役名であることに、違和感を感じた(逆じゃないか、と)。

しかし、それが面白かったのかもしれない(二大女優の名前交換のようで)。

リンダ(ラ行にンの転がる音にダの濁音)には快活なイメージがあり、ケリー(ドライなカ行の下方の音(エ段)ゆえ奥ゆかしさ、+リーの優雅と滑らかさ)には淑女っぽさを感じる。そのケリーの名前のイメージを作ったのは、グレース・ケリー本人だったのだろうけれど。

Royalty - Grace Kelly - Pictures - CBS News

Steal that style: Grace Kelly | Fashionbride's Weblog

 

グレース・ケリーとエヴァ・ガードナーは、素麺と照り焼きチキンくらい、さらさらとコテコテコントラストだった。

でも次第に、さらさらの内面がコテコテになってゆくのだ。好きの対象が同一であるこの二人は、都会の会社の同僚だったらきっと大親友になるだろうと思った。

Mogambo (1953)

 

 

★Wikipediaより★

モガンボは、ジョン・フォード監督、

John Ford

クラーク・ゲーブル

カメラを前に見るゲーブル

エヴァ・ガードナー

Ava Gardner Last Photo

グレース・ケリー主演、

グレース ケリー | VINTAGE PARIS

ドナルド・シンデン主演

未定義

の1953年のテクニカラーアドベンチャー/ロマンチック・ドラマ映画です。赤道アフリカでロケを敢行し、コンゴで録音された実際のアフリカの部族音楽のみで構成されたサウンドトラックで、ウィルソン・コリソンの戯曲「レッド・ダスト」をジョン・リー・マヒンが脚色しました。この映画は、ベトナムを舞台にした『赤い塵』(1932年)のリメイクで、ゲーブルも同じ役を演じています。

映画のオリジナルの予告編では、「モガンボ」は「最も偉大なもの」を意味すると説明されていますが、実際には「モガンボ」という言葉はまったく意味がありません。プロデューサーのサム・ジンバリストは、ハリウッドの有名なナイトクラブであるモカンボの名前を変えてタイトルを思いつきました。

プロット

エヴァ・ガードナー(Mogambo)

ニューヨークの社交界の名士、エロイーズ・"ハニー・ベア"・ケリーは、裕福なマハラジャの知人を探して、人里離れたアフリカの前哨基地に到着したが、彼の王国の不安のために旅行をキャンセルしたことに気づく。[2]次の川のボートを待っている間、彼女は最初に評判が悪いと彼女を見ている米国からの勤勉な大物ハンターおよび野生動物の捕獲者ビクターMarswellとスパーリングする。マースウェルのビジネスパートナーは、「ブラウニー」として知られる勇敢なイギリス人で大物ハンターのジョン・ブラウン・プライスです。「ブラウニー」はケリーに同情的であり、彼女の「傷跡は目に見えないが、そこにある」と信じている。マースウェルはまた、彼の従業員である無愛想なロシア人レオン・ボルチャクと半ば敵対的な関係にある。その後、ケリーとマーズウェルは互いに惹かれ合い、愛を交わす。その後、川のボートはロンドンのカップルドナルドノードリーと彼の妻リンダを運びます。ハニー・ベアはマースウェルの勧めでイギリス人船長と一緒に汽船を出かけるが、彼女はマースウェルと一緒にいたいと言い、マースウェルは二人の別れを後悔する。ノードリー夫妻は、ゴリラの鳴き声を記録するためにサファリに行きたいと願っています。マースウェルは困難を理由に彼らをそこへ案内することを断り、ノードリー夫妻の抗議にも関わらず、助手が合意したルートを案内することを主張した。ハニーベアは、汽船がエンジン故障に見舞われ、その後座礁した後、グループに再び加わります。

クラーク・ゲーブルとグレース・ケリー(モガンボ)

マースウェルはリンダを豹から救い出し、ハニーベアは彼らがお互いに惹かれ合っているのを見ます。マースウェルはリンダと個人的に話し合った後、ノルドリー家をゴリラの国に連れて行くことに同意し、ハニーベアを地区委員に連れて行き、地区委員は彼女を文明に連れ戻すことができます。しかし、彼らはコミッショナーが最近好戦的な原住民によって致命傷を負っているのを見つけます。援軍を数日後に控えた小隊は、長官を連れて辛うじて脱出する。一方、マーズウェルとリンダの間には真剣なロマンスが芽生えていた。ドナルドだけが状況に気づいていません。マースウェルは、彼とリンダの気持ちを彼に話すことを計画しますが、ドナルドが妻をどれだけ愛しているか、そしておそらく彼女が彼と一緒にいた方が良いことに気づいた後、考え直します。マースウェルがしぶしぶドナルドを救うためにゴリラを撃ち、ゴリラの赤ちゃんを捕まえるチャンスを逃すと、状況は悪化します。マースウェルは意気消沈してキャンプに戻り、テントで大酒を飲み始める。 ハニーベアも加わる。

リンダが現れると、二人は抱き合っている。マースウェルは、リンダに自分を憎ませることですべてを解決できると判断し、この抱擁を見せた後、リンダが「ホワイトハンター」に夢中になっていることについて否定的な発言をして彼女を激怒させます。残念なことに、リンダが自分のピストルで彼を撃ち、腕を負傷させたとき、彼の策略はあまりにもうまくいきます。ハニーベアは他のメンバーに嘘をつき、マーズウェルがしばらく前からリンダに近づいていたと告げ、ついにリンダに酔った状態で彼を撃たせた。翌日、一行はキャンプを解散して戻り、マーズウェルはサファリの費用を稼ぐために若いゴリラを捕まえようとします。マーズウェルは、ハニーベアへの気持ちを自分自身に認め、彼女にとどまるように頼み、彼女にプロポーズしますが、彼女は彼を拒絶します。しかし、カヌーが出発すると、彼女は突然水に飛び込み、彼のところへ戻っていきます。

キャスト

ドナルドシンデン、グレース・ケリー、クラーク・ゲーブルデニス・オディアエヴァ・ガードナーフィリップ・ステイントンと共演

生産

エヴァ・ガードナー(Mogambo)

開発

1946年、ロサンゼルス・タイムズ紙は、MGMがマリリン・マクスウェルを主演候補に起用して『レッド・ダスト』のリメイクを検討していると報じた。 1948年3月、マリー・マクドナルドはジーン・ハーロウ役のスクリーンテストを受けたと伝えられ[4]、1949年5月にはマクスウェルとジーン・ケリーが主役候補に挙がっていた。(注5)

ソロモン王の鉱山』(1950年)や『クオ・ヴァディス』(1951年)など、海外でロケ地を撮影した古い映画のカラーリメイクで大きな成功を収めた。1951年8月、MGMはアフリカでロケを敢行した『モガンボ』を製作すると発表した。プロデューサーは『ソロモン王の鉱山』を手がけたサム・ジンバリスト、主演はクラーク・ゲーブル。(注6)

1952年2月、ジンバリストは6週間にわたってアフリカのロケ地を偵察した。6月、ジョン・フォードが監督を引き受けた。(注7)

鋳造

シェリー・ウィンターズが共演候補として挙げられた。[8] パトリシア・ニールも議論された。[9] 1952年6月、エヴァ・ガードナーが署名した。

グレース・ケリーは、リンダ・ノードリー役の第一候補ではなかった。ジーン・ティアニーは、アリ・カーンをパリに残したくなかったので、撤退した。(注10)

射撃

ゲーブルは1952年11月1日にケニアに到着し、マウマウ蜂起のために武装警備員を与えられた。(注11)

撮影は11月17日に始まった。フランス領コンゴのオカラタカでロケが行われました。ケニア山ティカケニア - ケニアのリフトバレーティカ近くの14の滝の両方にあるロンゴノット山とナイバシャ湖は、背景として見られます—カゲラ川タンガニーカウガンダのイソイラとインテリアは、イギリスのハートフォードシャーボアハムウッドにあるMGM-ブリティッシュ・スタジオで撮影されました。[12]

フランク・アレンと彼の妻は、ロケ撮影を構成する6週間のサファリのガイドでした。(注13)

撮影は大変でした。ガードナーは中絶(赤痢と報告された)を受けるためにイギリスに飛び、飛行機で帰国した。クラーク・ゲーブルがマウマウ族に暗殺されるという噂があったので、ジョン・フォードは場所を移した。乗組員のうち2人はマウマウであることが明らかになった。[15] ユニットは雨に悩まされ、すでに質の悪い道路に悪影響を及ぼしました。助監督のジョン・ハンコックを含む3人の乗組員が交通事故で死亡した。[16][17]

当時、パインウッド・スタジオランク・オーガニゼーションの契約スターだったドナルド・シンデンは、次のように回想している。

「10人の白人ハンターが我々の部隊に出向し、我々の保護と新鮮な肉の提供に充てられた。その中にはマンデヴィル子爵やウォールズコート卿マーカスもいたが、フォードはひどく、時には非常にサディスティックに扱った愉快な男だった。フォードの目には、この哀れな男はまともなことは何もできず、部隊全体の前で絶えず罵声を浴びせられていた(ある意味では、彼は時折私から熱を奪っていた)。親愛なる親切な男が決してふさわしくないこの恐ろしい扱いの理由を、私たちの誰も理解できませんでした。彼自身もかなり途方に暮れていました。数週間後、フォードの義理の兄弟から原因がわかった:アメリカに移住する前、フォードの祖父は当時のウォールズコート卿のアイルランドの地所で労働者をしていた。魅力的な光景ではありません。[18] (銃撃の)初日の朝、キャンプを離れる前に、私は美容局のテントに報告するように言われ、そこで電気バリカンで武装したメイクアップの男たちを見つけました。「何の用だ?」私は「命令」と尋ねた。胸に毛が全くないクラーク(・ゲーブル)は、多毛の胸を露出する映画に出演する俳優は他にいないと常々主張していたことがわかった。これには、シャツを着ていない乗組員も含まれていました。彼はそれを自分の男らしさを軽視していると考えた。[18]ロンドンのMGMスタジオに戻り、すべての室内シーンを撮影しなければならなかった。誰かがフォードに、ロケ撮影の間中ずっと私にひどいことをしていたことを指摘したに違いなく、私が初日の仕事のために到着したとき、彼は私たちのサウンドステージの入り口に大文字で「BE KIND TO DONALD WEEK」と書かれた大きな通知を描いていたことに気づきました。彼はその言葉通り、正確に7日間、善良でした。8日目に看板をはがし、いつものいじめに戻った。[18]

ポストプロダクション

映画に登場する音楽は、ハリウッドでは珍しく、地元の先住民族(ガードナーを除く)によって演奏され、伝統的なアフリカとサファリのスタイルが記録されています。

フランコ主義のスペインの検閲官は、姦淫がスクリーンに映し出されることを許さなかった。そのため、スペインで公開された吹き替え版では、リンダ・ノードリー(ケリー)とドナルド・ノードリー(シンデン)のキャラクターの関係を妻と夫から姉弟に変更し、ベッドが1つしかない寝室のシーンを削除する必要がありました。

レセプション

MGMの記録によると、この映画はアメリカとカナダで4,576,000ドル、その他の地域では3,692,000ドルを稼ぎ出し、2,026,000ドルの利益を上げました。[1] 現在、Rotten Tomatoesで13件のレビューに基づいて77%の評価を得ています。[19]

受賞歴

グレース・ケリーはゴールデングローブ賞の助演女優賞を受賞し、この映画はアカデミー賞の主演女優賞(ガードナー)と助演女優賞(ケリー)の2部門にノミネートされました。 この映画は、英国アカデミー賞の最優秀作品賞にもノミネートされました。★