『逃げる女 Woman in Hiding』1950年
逃げる女、追う男。女を愛して助ける別の男……。
まず『逃亡者』を想起。
車のシーンで『テルマ&ルイーズ』も想起。
ラストの製材所で争うシーンでは『第三の男』の下水道のシーンを想起。
主人公の女性は、製材所の跡取り娘。母は、主人公が9歳の時に死んでいる。
製材所の工場長セルデンと主人公は、昔付き合っていた。
最近、セルデンは主人公に復縁を迫っている。
しかし主人公の父は、セルデンの軍人のような仕事の進め方の結果を評価はしても、娘の結婚相手としては嫌という立場。
そんな中、主人公の父が製材所で転落死。
落ち込む主人公に、セルデンは求婚。
それを受けて結婚する主人公。
結婚式の後。セルデンが主人公を山小屋に連れて行くと、そこには、少し前までセルデンと付き合っていて捨てられた女がいる。
その女パトリシアは、セルデンが、自分の成功のためなら人も殺す人間である、つまり主人公の父を、事故死に見せかけ殺したのだと仄めかす。するとセルデンはパトリシアを殺そうかという勢いになる。
(左から、セルデン、パトリシア、奧に主人公。)
パトリシアが主人公に鍵を渡し↓、去った夜。
主人公は合点がいく。
父が死んだ日に求婚してきたセルデン。
色々今までのことを考え合わせると、なぜ自分は、セルデンが父を殺したと気付かなかったのかと悔やみ、このままだと自分も自殺か事故死に見せかけて殺される、と、セルデンが寝ているところを、車で脱走。
しかしその車はブレーキが効かない。サイドブレーキも効かない。セルデンが、主人公が車で脱走するだろうと予想し、昼間のうちに細工していたのだった。
主人公は、車が川に落ちる前に、ドアを開けて逃げた。
川から車は上がったものの、主人公の死体は上がらない。
セルデンは、執拗に死体発見にこだわる。死体が確認されない場合、7年間は生存という形になる。それでは製材所をのっとれない。
川辺の茂みで気を失っていた主人公。朝起きて自分の死体捜索が行われている様子を見ると、逃げる。
主人公は、パトリシアを頼ろうとする。同じ男に被害を受けた女性同士というつながり。
しかし住所にパトリシアは不在。
主人公は仕事と家を確保。
仕事はウェイトレス。
すると仕事中に、店の客が、自分の写真が載っている雑誌を開いているのを見る。セルデンが、主人公を見つけたら〇〇ドル、という懸賞金をかけたのだった。
誰もが自分の記事を見ているような強迫観念にとらわれた主人公は、三日分の給料を支配人に貰い、すぐ辞める。
そして逃亡のため、長距離バスのチケットを買う。
すると、バスを待っている間に、キオスクで自分の記事の載った新聞を見つける。主人公はそれを買う。
そのキオスクの店員は、上司から「お前ほどの人間がこんなことをしているな」という理由でクビにされる。
キオスクの店員キースは、視界に入った主人公が新聞の記事の女性と気づき、そのまま追いかける。
このキースは、常に船の模型をいじっていて、エンジェルコーブの入り江で船の修理工場を開いて暮らしたいと夢見ている男。
(左から、キース、キースの上司、主人公。)
一緒のバスに乗った二人。
同じ場所で降りると、キースは主人公に、夕食を一緒にする約束を取り付ける。
キースは、懸賞金が欲しいということもあるにはあったが、主人公が事故のショックで心身喪失になっているのではと思い、夫という保護者の元に帰してやったほうがいいのでは、と親切で思っているのだった。
それゆえキースは、主人公の夫に電話し、主人公の居場所のホテルを告げる。
すると夫セルデンはやってきて、主人公を、父親にしたように非常階段から自殺に見せかけ殺そうとする。
その件で恐怖に陥った主人公。キースを頼る。
するとキースはセルデンに主人公を引き渡す。
裏切られたと落胆する主人公。
気落ちし、セルデンに連れられ帰る列車に乗る。
するとセルデンは、電報の文面を書く。
それは、「精神病の妻を一刻も早く療養所へ」、というもの。
それを知り、「わたしを幽閉するのね?」と主人公。あなたに製材所をあげる。私は死んだことにしていい、とにかくあなたから解放して、と言う。
しかし聞き入れられない。
主人公は怒り、そばにあった花瓶でセルデンの頭部を打つ。すると倒れるセルデン。
殺してしまったのか、と主人公は逃げる。
そして、走っている列車から飛び降りる。
一方セルデンが目覚める。
間もなく駅というシチュエーション。主人公が線路を走ると、人影が追ってきて追いつく。
セルデンか、と思うと、それはキース。
「事情が全部分かったんだ。」とキースは主人公を抱きしめる。
主人公がパトリシアに電話をして事情を話すと、パトリシアは頷き電話を切る。カメラがパンすると、その部屋にはセルデンがいる。二人は(形勢変化のため、再び)グルになっている。
主人公が(味方だと思っている)パトリシアの車に乗ると、主人公は、うちの会社の弁護士に相談しましょうと提案。
じゃあ今すぐ行くべきとパトリシアは車を製材所へ。
すると暗い工場の中にセルデンがいて、主人公を、父親を転落事故に見せかけ殺した同じやり方で、主人公を殺そうとして追いかけてくる。
セルデンは暗闇の中で、パトリシアを主人公だと誤認し転落させる。
駆け付けたキースをセルデンが追いつめたところで、
セルデンの視界に主人公が入り、さっき殺したのはパトリシアだったのか!、と一瞬放心し、その流れで転落、製材カッター機の中へ。
悪を倒したキースと主人公は、オープンカーに乗り、キースが夢見ていたエンジェルコーブの入り江へと向かう。
(エンジェルコーブ)
風に吹かれる二人は気持ちよさそう。
「いいニュースがあるの」と主人公がキースに耳打ちすると、キースの目が輝き、ジエンド。
このいいニュースとは、二人のこどもが出来たということだろう。
身内が敵、というのが、一番怖く、且つ厄介なのだなと思った。
スリルと緊張が途切れず、凄いカメラワーク。
しかし、緊張が切れたら、それはサスペンスではなくなるのだろう。
サスペンスの意味が、宙づり状態ということなのだから。
ほっこりまったりしたとたん、サスペンスは死ぬ。
原題は「Woman in Hiding」。
隠れているといえば言えるが、「逃げる女」の方が直線的スピードを感じ、活きがいい。
この映画は、執着心のある追う男役が重要。
その点、大正解。
蛇のごとく、決して諦めない、しつこい粘着感が役者の全身から視線から滲み出ていた。
(主人公の夫セルデンを演じた、スティーヴン・マクナリー)
★Wikipediaより★
『隠れている女』は、マイケル・ゴードン監督、
アイダ・ルピノ、スティーヴン・マクナリー、ハワード・ダフ主演の1950年のアメリカのフィルム・ノワール犯罪映画です。[1][2][3][4]
プロット
デボラ・チャンドラー・クラークは、警察がノースカロライナ州の川を引きずって遺体を運んでいるのを目撃している。彼女は、工場の所有者である父親が、デボラと工場のゼネラルマネージャーであるセルデン・クラークとのロマンスを認めなかったことから、彼女をこれに導いた出来事を詳述します。
彼女の父親は水車小屋で転落死する。セルデンは彼女を慰め、プロポーズする。新婚旅行中、嫉妬深く怒りっぽいパトリシア・モナハンという女性が現れ、セルデンと恋愛関係にあったと主張し、デボラと結婚したのは単に工場を支配するためだと主張する。
デボラは結婚の取り消しを要求する。出発中、彼女の車のブレーキが故障します。彼女は川に墜落する直前に飛び出します。夫の有罪を証明できないと考えたデボラは姿を消し、ノックスビルに引っ越し、アン・カーターと名乗る。
元兵士のキース・ラムジーはアンに興味を持ち、彼女を尾行する。彼が本当に興味を持っているのは、夫から提示された5,000ドルの報酬です。満員のコンベンションを主催するホテルで、セルデンは妻を殺すことに成功するところだった。キースはついにデボラが本当に危険にさらされていることに気づきます。
パトリシアは彼女の話を確認できたので、デボラは彼女を追跡します。しかし、パトリシアはセルデンに恋をしている彼女を裏切る。工場で、彼は父親を殺害したのと同じ方法でデボラを死に追いやろうとします。暗闇の中で、彼は代わりにパトリシアを誤って殺します。セルデンとキースは岩棚で生死を賭けた戦いを繰り広げるが、セルデンがデボラがまだ生きているのを見てショックを受け、転落死したことで中断される。デボラとキースは後に結婚する。
キャスト
- アイダ・ルピノ:デボラ・チャンドラー・クラーク
- スティーヴン・マクナリー:セルデン・クラーク
- ハワード・ダフ - キース・ラムジー
- ペギー・ダウ - パトリシア・モナハン
- ジョン・リテル:ジョン・チャンドラー
- テイラー・ホームズ:ルシウス・モーリー
- アーヴィング・ベーコン(リンク役)
- ドン・ベドー(ファット・セールスマン役
- ジョー・ベッサー(ドラム付きセールスマン役
レセプション
公開時、批評家のボズレー・クラウザーは、この映画を概ね肯定的に評価した。「決してメロドラマ以外の何物でもないが、『隠れた女』は、このジャンルの多くの作品とは異なり、そのサスペンスに説得力のある性格描写を加えている。この2つの属性の組み合わせは、この基準への新たな到着を、海岸から発せられるこのカテゴリーの通常よりも一段も二段も上回ることに成功している。そして、あまり刺激的ではないクライマックスを除けば、新婚夫婦が殺人犯の夫から必死に逃げるというこの物語のマイケル・ゴードンの演出は、あちこちで信じがたい側面があるにもかかわらず、緊張感が高まる方向に進んでいます。(注5)
映画評論家のデニス・シュワルツは、この映画を「つぎはぎのメロドラマ」と呼んだ。「作為的なサスペンス脱出シーンが多すぎて、結末が軽薄すぎて、地味なスリラーと変わらないつぎはぎのメロドラマだが、苦悩する乙女を演じたイーダ・ルピノは素晴らしい。マイケル・ゴードン(『ピロートーク』『ボーイズ・ナイト・アウト』『シラノ・ド・ベルジュラック』)は、職人的で有能な演出をしている。(注6)★