『不思議な少年 My Brother Talks to Horses』1947年
ぬいぐるみのくまのプーと話せたが成長してその回路を失ったクリストファー・ロビンの、馬と話せた版だと思った。
イマジナリーフレンドの話とも言える。イマジナリーフレンド - Wikipedia
父が死去し、健康食品や交霊や呼吸法にハマっている母と銀行員の兄と、十年間発明に失敗しかしていない下宿人と一緒に暮らしているリュイリー。
(母とリュイリー)
(リュイリーと兄)
お兄さんのジョンには婚約者がいるのだが、お金が貯まらないため、なかなか結婚に踏み切れない。
リュイリーは不思議な少年で、歩けばそこらじゅうの犬が付いてきて、馬とは話せる。
そんな中。
観に行った競馬で、リュイリーの一番の親友の、一等になると思っていた馬が転倒する。渾身の力で応援していたリュイリーは気を失って倒れ、その後間もなくその馬は射殺され安楽死させられる(サラブレッドは細い脚を骨折すると残された脚だけでは自分の体重を支えられないため、そのような措置がとられる、と聞いたことがある。)
失意のリュイリーは寝込む。
その馬は、そのレースで売りに出されていた。その馬とリュイリーが一緒がいられるようにと、兄と馬の飼育員がお金を出し、買い付けをしていた。よってレース後、馬は死んだのに兄は飼育員に大きな借金があるという形。
しかし、そんな時に兄は遅刻が続いて銀行をクビに。
収入の断たれた兄は婚約者を遠ざけるようになる。
兄は、無線機(ラジオ)の開発をしていた。これが金になればいいと思うも、まず初期投資が必要。しかしその金はない。
しかし、競馬場で出会ったボルティモアの名士が、出資してもいいと言う。それを聞いて兄は開発に励む。
けれど兄は、その名士が何のために自分に出資するのだ?と訝る。
もしや弟の能力を利用して、競馬で儲けようとしているのか、とリュイリーに不安を話す。
しかしそう話している間に、そうだ、正にぼくたちがその方法を使えばいいんだ、となり、競馬場に行くことに。
競馬場には、母に誘われた婚約者も来ている。発明家の下宿人もいる。
名士を怪しいと思っていたが、怪しいのは名士の仲間の二人。
病み上がりのリュイリーが馬と話す能力を失ったと分かると、二人は金儲けしたかった本性を露わに。
その二人のうちの一人に兄がつかみかかると、名士は兄に加勢。
二人が警察に連行されると、名士と兄は握手。
さあ、一家の命運を懸けたレースがスタート。
リュイリーは、馬と話せなくなったものの、新たに大好きになった馬がいて、一家はそのダークホースに有り金を全部賭けている。
その馬は本命の馬に妨害されるものの、僅差で一位に。
それまでの負が有り余るプラスに転化し、みんなで笑顔で抱き合う。
翌日。
リュイリーが学校へ行こうと家を出ると、もう犬は一匹も付いてこない。
その横を行く別の不思議な雰囲気の少年に、犬はたくさん付いていく。
よそよそしい顔の犬たちに寂しい気分になっていると、いつも自分を誘ってくる同じ学校の女の子が家から出て来て、リュイリーは馬のように走って追いかけていくのだった、でジエンド。
こどもはみんな不思議な少年であり、クリストファー・ロビンなのだろう。
少年時代の不思議な能力を失ったあとは、好きという気持ちに交霊能力の秘密が秘められることになるのだろう。
リュイリーは、「馬は人のことを話すの?」と母に訊かれ、「人間と同じ。自分のことしか話さない」と答える。
同種の生き物同士のコミュニケーションの可能性と、他種間との不可能性を思った。
しかし、例えばファーブルは、その不可能性に屈しない。
オトシブミ。
★オトシブミ(Apoderus jekelii)はオトシブミ科の昆虫で、前翅が赤いのがよく目立つ。クヌギやクリ、ハンノキなどに揺籃を作る。ナミオトシブミとも呼ばれる。★
★オトシブミは「ゆりかご=揺藍(ようらん)」を作る習性がユニークな虫たちです。
オトシブミのメスは植物の葉の中心に卵を産みつけ、それを巻いてゆりかごを作ります。
オトシブミのゆりかご
産みつけられた卵は安全なゆりかごの中で孵化をし、幼虫は内側の葉を食べて大きくなります。
そして葉の中で大きく育ったオトシブミは、成虫になると葉の外へと出ていくのです。
このように、ゆりかごは「シールド機能」と「えさ機能」を兼ね備えた、画期的な装置。
ゆりかごの中にいる幼虫は、安全と成長を同時に手にすることができるのです!★
馬がリュイリーに顔を寄せる度に「二人の会話」としてテルミンのような電子音が流れるのが、テレパシーっぽくて、良かった。
つまり会話とは、無線なのだ。
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(作詞 松本隆、作曲 南佳孝)
下宿人は、「食べられるビール瓶」の発明に成功したかに見えたが(クッキーっぽい素材)、みんながビールを飲んで瓶を一口食べたあとで、ビールは瓶から染み出て、シューシューと飛び散る(映画に出て来る発明家、あるある(笑))。
こちらは食べられるコップ、もぐカップ。
こちらは寒天で出来た、食べられるコップ。
洗う必要がなく捨てることもない、食べることができるコップ - GIGAZINE
物語の舞台、ボルティモア。
リュイリーがハマり役だった、「みんなの夢の弟」こと、ジャッキー・ジェンキンス
★ジャッキー・"ブッチ"・ジェンキンス(Jackie "Butch" Jenkins、1937年8月29日 - 2001年8月14日)は、1940年代に短いながらも注目すべき映画キャリアを積んだアメリカの子役。
経歴
女優ドリス・ダドリーの息子としてロサンゼルスでジャック・ダドリー・ジェンキンスとして生まれたジェンキンスは、MGMのタレントスカウトがサンタモニカのビーチで演奏しているのを見て、彼の元気な姿に感心し、6歳の時に『ヒューマン・コメディ』(1943年)で「ユリシーズ・マコーリー」として映画デビューを果たした。[1]ミッキールーニーの弟(ヒューマンコメディ)としての彼のパフォーマンスは好評を博し、ジェンキンスは一連の映画に出演しました。
彼は1946年の映画『ボーイズ・ランチ』でスター賞を獲得した。恵まれない少年たちに家と教育を提供したテキサス州の実在の牧場に触発され、MGMは『ボーイズ・タウン』(1938年)の後継映画としてこの映画を宣伝した。共演はジェームズ・クレイグで、ジェンキンス監督の他の映画『ヒューマン・コメディ』や『リトル・ミスター・ジム』にも出演している。ジェンキンスの他の映画には、National Velvet(1944年)、Our Vines Have Tender Grapes(1945年)、My Brother Talks to Horses(1947年)、The Bride Goes Wild(1948年)、Summer Holiday(1948年)、そして彼の最後の映画Big City(1948年)が含まれます。(注1)
ジェンキンスは1940年代にMGMで人気を博した子役の1人であり、エリザベス・テイラー、ロディ・マクドウォール、マーガレット・オブライエン、ディーン・ストックウェル、ジェーン・パウエル、クロード・ジャーマン・ジュニア、ダリル・ヒックマンなど、MGMと契約していた他の若者たちとともにスタジオの学校で教育を受けた。[要出典]
彼は「シーンスティーラー」と見なされ、スタジオの子役スターの間では、従来の「かわいい」存在ではないことで有名でした。映画脚本家のソル・シャネレスとアルバート・ウォルスキーは、彼を「歯とそばかす、乱れた髪の毛の間にスペースがあり、スクリーンに登場するかわいい子供たちとは対照的な、オールアメリカンの少年として観客に人気がある」と評した。[1] ポーリーン・ケールは、パフォーマーとしての彼の有効性を肯定的に書き、ヒューマンコメディで電車に手を振るのを楽しむ5歳児としての彼の外観は、映画を高めるのに役立ち、ナショナルベルベットでの彼のパフォーマンスは彼を「みんなの夢の弟」にしたと述べました。[2] 1946年、出展者(映画館のオーナー)は彼を2番目に有望な「明日のスター」に投票しました。(注3)
その後の生と死
ジェンキンスは吃音を発症した後、11歳で俳優業を引退し[4]、大人になってからは映画のキャリアを懐かしく、後悔することなく振り返った。しかし、彼は特に演技を楽しんでいたわけではなく、演技のキャリアを積むとは思っていなかったと述べました。[要出典]
後に「ビジネスマン・アウトドアマン」と評されたジェンキンスは、ハリウッドから離れて成功したキャリアを確立し、1970年代後半にノースカロライナ州に引っ越す前にテキサス州ダラスに長年住み[5]、そこで「険しい山の中腹」に家を建て、そこで3番目の妻グロリアと暮らした。(注5)
2001年8月14日、ノースカロライナ州アッシュビルで63歳で死去した。[6]彼の死後、彼は火葬され、彼の遺灰は彼の家族に戻されました。(注6)★
★Wikipediaより★
My Brother Talks to Horsesは、フレッド・ジンネマン監督、
の1947年のアメリカのコメディ映画です。
プロット
ボルチモアで家族と暮らす9歳のルイス・ペンローズ(ブッチ・ジェンキンス)は、馬と会話したり、今後のレースの勝者を選んだりできると主張する。それはあたかもルイスが真実を語っているように見えるとき、彼は次のプリークネスステークスで"確実なもの"を必要とするギャンブラーリッチローダー(チャールズラグルス)の関心を引き付けます。一方、ルイスの兄ジョン(ピーター・ローフォード)は、美しいマーサ(ビバリー・タイラー)とロマンスを繰り広げる。(注2)
キャスト
- ジャッキー・"ブッチ"・ジェンキンス(ルイス・ペンローズ役
- ピーター・ローフォード - ジョン・S・ペンローズ
- ビバリー・タイラー - マーサ・スターリング
- エドワード・アーノルド(ミスター・ブレッドソー役
- チャールズ・ラグルズ:リチャード・ペニントン・ローダー
- スプリング・バイイントン(ミセス・'マー'・ペンローズ役
- O.Z.ホワイトヘッド(ミスター・パディ役
- ポール・ラングトン(ミスター・ガレスピー役
- アーネスト・ホイットマン(ミスター・モルデカイ役
- アーヴィング・ベーコン(ミスター・パイパー役
- リリアン・ヤーボ(プシュケ役
- ハワード・フリーマン - ヘクター・ダムソン
- ハリー・ヘイデン(ミスター・ギブリー役
レセプション
この映画は興行的には成功せず、米国とカナダで733,000ドル、その他の地域で243,000ドルを稼ぎ出し、867,000ドルの損失を出した。(注1)
関連項目