『ウィーンからのワルツ』1934年
ヒッチコック監督作品。
(「美しく青きドナウ」ピアノ初版譜の表紙(C.A.シュピーナ社出版))
「美しく青きドナウ」誕生物語。
偉大な音楽家ヨハン・シュトラウスの息子ヨハン・シュトラウス二世はまだ無名だった。
パン屋の娘との恋が彼にエネルギーを与えるが、同時に彼女の束縛により、自由に音楽に打ち込めない。彼女の父は、家業のパン屋を継いでくれる男でなければ娘と結婚させないと言う。彼は音楽をやめようとする。
そんな中で、彼の音楽の才能に気づき育て励まし、自分の詩に曲を付けて出版して彼の父の楽団で演奏させようとした(つまりパトロン)伯爵夫人がいた。伯爵夫人と音楽出版会社社長の企てにより、彼のお父さんヨハン・シュトラウスを祭りの音楽会に遅刻させ、彼に指揮をさせ彼が作曲した「美しく青きドナウ」を楽団に演奏させると、貴族たちは聞き入り踊り出し拍手し、彼は一夜で有名人に。
この曲は、実は彼が彼女に贈った曲で、彼女は「自分の曲」だと思っている。故に彼女は伯爵夫人に嫉妬する。
しかし、伯爵夫人の、彼の才能を伸ばそうとする愛に自分の心の狭量を自覚し落ち込みもする。
ここで彼女の心の急成長がある。
伯爵夫人と音楽会の成功を祝福し合っていた彼の下宿に、伯爵が押し入ろうとする。すると、彼の下宿の構造を知っている彼女が外から梯子を使い、伯爵夫人と入れ替わって伯爵の前に出る。彼女の姿を見た伯爵は、「いや、これは失敬」。
梯子から下りて外から玄関への階段を上がってきた夫人は伯爵に、「あなたも彼を祝福に?」。「あ、ああ。もちろん」(笑)。彼と彼女は愛を確かめ合い、父ヨハン・シュトラウスは、「サインください」と女の子が差し出した色紙に、息子に敬意を表して「ヨハン・シュトラウス一世」と書き、満足気に、涙が出そうなのか目をしばたたかせながら、祭りの音楽会の会場を後にするのだった。でジエンド。
この祭りとは、聖ステファノ祭り。聖ステファノの日 - Wikipedia
(聖ステファノ(初致命者首輔祭聖ステファン))
★ステファノは、新約聖書の『使徒行伝』に登場するユダヤ人キリスト教徒(35年または36年頃没)。キリスト教における最初の殉教者、すなわち信仰のために自らの命を犠牲にする者であったとされている。ラテン語ではステファヌス、ギリシャ語ではステファノスないしはステパノス(古代ギリシア語: Στέφανος・Stéphanos)とも表記する。日本ハリストス正教会(正教会)では初致命者首輔祭聖ステファンと呼ばれている。
記憶日(記念日)は8月3日および12月26日。8月3日は、彼の遺体がホノリウス帝の治下で発見された日であるとされる。★
(ケルン大聖堂のステンドグラス「聖ステファノの殉教」)
ドイツのケルン大聖堂。
ヨハン・シュトラウスは、ウィンナ・ワルツ作曲家家系。ヨハン・シュトラウス - Wikipedia
(当時18歳、デビューしたてのヨハン・シュトラウス2世)
1890年のヨハン・シュトラウス2世。
★Wikipediaより ★
単に「ヨハン・シュトラウス」とだけ書いた場合、通常は2世を指す。1世は「ヨハン・シュトラウス1世」または「ヨハン・シュトラウス(父)」とするのが通例である。3世はドイツ語圏では「Enkel(孫)」と呼ばれるが、日本では「ヨハン・シュトラウス(孫)」などとする表記はほとんどみられない。
- ヨハン・シュトラウス1世
- ヨハン・シュトラウス2世 : 1世の長男。
- ヨハン・シュトラウス3世 : 2世の末弟エドゥアルト・シュトラウス1世の長男。
なお、3世の長男の名もヨハンであり、さらにその長男もヨハンである(彼らは音楽家ではないが、言うなればヨハン4世、ヨハン5世)。また、1世の祖父の名はヨハン・ミヒャエルであり、叔父の名はヨハン・アダムであった。
対象の変遷
元々は「ヨハン・シュトラウス」といえば1世のことを指していた。他に同姓同名の作曲家はおらず、呼び分ける必要がなかったためである。やがて1844年に2世がデビューを果たすと、人々は1世を「ファーター(父)」、2世を「ゾーン(息子)」と呼んで両者を区別するようになった[1]。
当時「ワルツ王」と呼ばれ、息子を圧倒していたヨハン1世は自ら「ファーター」と名乗ることはせず、単に「ヨハン・シュトラウス」と名乗った[1]。しかし彼の死後やがて2世のほうが有名になる。元々は父親を指していたあだ名「ワルツ王」は2世のことを指すようになり、さらに「ヨハン・シュトラウス」についても通常2世を指すようになった。
こうして2世が「ヨハン・シュトラウス」と呼ばれるようになったが、1898年12月に甥のヨハン3世が音楽家デビューを果たす。すると、区別のために今度は3世が「ジュニア」を付して呼ばれるようになった[2]。(2世はそのまま「ヨハン・シュトラウス」)
現在でも通常は「ヨハン・シュトラウス」といえばやはり最も有名な2世を指すことが多い[3]が、父との区別のために2世に再び「ジュニア」などを付けて呼ぶことも多くなった。この動きに伴って、いつしか3世も「ジュニア」ではなく「エンクル(孫)」と呼ばれるようになった。★
ヨハン・シュトラウスという名の薔薇。