『危険な女 The Locket』1946年
一度ロケットペンダントを手にした結果危険な女になってしまった不幸、と言うべきだろうか。
物の呪い系話とも言える。
『赤い靴』を想起。
『危険な女』の主人公ナンシーは貧しい家庭に生まれ、母は使用人として豪邸で仕事をしていた。
豪邸に出入りしていたナンシーは、そこに住む同じくらいの年齢の女の子と仲良くなる。
「誕生日に来て」と女の子は言ってくれたが、当日ナンシーは蚊帳の外。使用人の子と仲良くなってほしくない母親の仕切りでそうなっているのだが、女の子は台所のナンシーに会いに来て、本物のダイヤモンドの入ったロケットを首にかけてくれる。
その輝きにうっとりしたナンシーは目を閉じ、「神様、これ以外は何にも要りません」と言う。(ここで神への誓い現実化フラグが立った。)
そこへ、屋敷の女の子の母親がやってきて、そのロケットを取り上げる(日本語字幕ではブローチとなっているが、原題も鑑みるとブローチはイメージをややこしくすると思った。)
その後、そのロケットが無くなったとなり、ナンシーはお屋敷の母親に呼び出され、疑いをかけられる。
それと同じ時間、屋敷の女の子のドレスを繕うことになったナンシーのお母さん。確かめていると、捜しているロケットペンダントがフリルの間から出てきた。お母さんが行くと、女の子の母親は、親子でグル、または親の所にペンダントを紛れ込ませたとして、やっぱりナンシーが盗んだ、怖い子ね、と決めつける。ナンシーは、盗んでいないのに自白強要され、盗んだ、と嘘の自白をしてしまう。
ナンシーの人生は、この一件で決定してしまった。
その後、ナンシーは高価な宝石を盗み、男を騙し、疑われればその男を去り、次の男のもとへという人生を送る。
最初に付き合った画家の男は、最後、ナンシーの次の男である精神科の医者の医院の窓を突き破って飛び降り自殺をしてしまう。
画家の男と付き合っている間も、ナンシーは宝石を盗み、その濡れ衣を着せられた無実の使用人が死刑になった。画家の男は、その使用人の無実を証明したかったが、ナンシーへの恋心もあり、医師に落ち着けと出された睡眠薬のせいで眠っている間に死刑は執行。その後衝動的に自殺するのだが、これはある意味、あてつけ自殺とも言える。
この精神科の医師に宝石泥棒がバレたナンシーは、今度は医師をサイコ病人呼ばわりして、次の金持ち男へ身を移す。
戦争中のあっぱれな女の世渡り、という感じではない。こんな風になってしまったナンシーの、トラウマを作ったあの屋敷の母親が、視聴者としては憎い。
結婚式の日。
義理の母親となる女性が控室に来て、「これは、生きていたら娘がつける物だったのよ」とあのハートのペンダントにそっくりの物をナンシーの首にかける。
そこでナンシーの様々な記憶が蘇る。無意識に封印していた記憶が蘇る。
最後、これから結婚式という所で、ナンシーは事実を思い出してゆく。しかしそのまま、結婚式は挙げられるようだ……でジエンド。
観客があれ?と思うのは、その首にかけられたロケットが正にあのロケットで、ナンシーは回想としてあのお屋敷の女の子のことを「生きていたら○○○○」と言っていたから、もしやナンシーはあのお屋敷のあの母親の息子と結婚する?母親の顔も似ているような……。実は屋敷の親子は何等かの事情で名前を変えていて……。
だとしたら因果中の因果、と思うも、そんな結婚、あの自白強要した母親が許す訳もなく、この母親は「息子を愛してくれる女性が現れて良かった」と言いナンシーはその言葉に安心した表情を浮かべるのだから、ただの偶然なのだろうが、偶然にしては都合が良すぎる。
しかしそういう都合が良すぎるのが、こういうドラマなのだろう。
ナンシーは美しく純真で素直で頭が良く適応性も天才で、あのトラウマさえなければ、と悔しいが、しかしそれが製作者側の思う壺。ナンシー役の女優(ラレイン・デイ)が、次次と男を乗り換える女の後ろめたさ皆無の様子を上手く演じていた。つまりナンシーはある種の記憶喪失。人生に有利なことだけ覚えていて、不利なことは忘れている。
しかし、脳とは、そういうシステムなのかもしれない。
脳とは、所持アイデンティティーに都合の良い利己的システムなのだろう。脳はオーナーの幸福に都合の良い、整合性がある物語を生み続ける肉組織。
ナンシーの罪悪感なしな様子が、常識で考えるとサイコ。つまりナンシーの心が、あの自白強要の一件で壊されたのだと分かり、悲しい。
あの最初の件は無実だというのは観客には明らか。それを、肉体的苦痛を回避するために、やったと言わされた、言うしかなかった。早く楽になりたくて、そう言ってしまった。
この強烈な屈辱と大人への不信感、世間というものへの怒りというのは、人生を悪へ舵切りしてしまうだろうと思う。
あの屈辱への復讐として、ナンシーは天使の容姿の悪人になったのだ。本人は、気付いていない。裏切られた体験が無意識を黒く染め、その無意識がナンシーを悪へ悪へと連れてゆくのだ。
監督はジョン・ブラーム。
『戦慄の調べ』もこの監督。話が似ているというより、そっくりだと思った。ストーリーに都合の良い、記憶喪失。
小学生のとき、「ここはどこ?わたしは誰?」というセリフがこどもたちの間で流行っていたことを思い出した。
それくらい、記憶喪失ドラマやアニメや喜劇が流行っていたのだ。そのセリフが言われるシーンは、決まって病院のベッドの上か、嵐で転覆した船から漂流して打ち上げられた(笑)浜辺。
『危険な女』で飛び下り自殺した画家を演じたのは、ロバート・ミッチャム。ジェームス・ディーンの大人版、と思った。
『帰らざる河』でのロバート・ミッチャムとマリリン・モンロー。
ジェームス・ディーン