『マトリックス』
多重現実もの。
公開から24年経った現在、ほとんど誰もが二つの顔を持ち、仮想空間(SNS)で本音を漏らしている。よってその昔電脳と言っていた空間に、本音の言霊が溜まり、本音プールは濁っている。そこをクリアにするには救世主という名のそれぞれの自制心と良心召喚が必要なのだろう。
約四半世紀前公開の映画故、キアヌ・リーヴス演じる主人公の向こうでの発現には肉体的産みの苦しみが必要だった。しかし21世紀になり、人類は脳内をネット空間に集団移住させたかのよう。映画の主人公は一人イエス・キリストを演じねばならなかったが、今は誰もがイエス・キリスト。他人への助言は自分への助言。他人への辛口は自分への辛口。そんな鏡の国の閉塞した仮想空間に、我々は自分の自意識を放ってプレイしている。心理学の言う集団的無意識が顕在化したのが現在のネット空間なのかもしれない。無意識の地下茎はワールドワイドウェブとなった。寝なくても夢を見られるのだから、もう誰も本気では眠らない。永眠したあとで、我々はぐっすり眠って本当の夢を見るのだろう。
主人公は、青と赤のカプセルの二択を迫られ、赤を飲んだ。つまり真実を求めるアリスになった。
暴走するAIとの戦いに本気で挑み、その中で才能を開花させるネオ。しかし今、誰もがネオで、誰もがその自意識つまり言霊の才能を、日々開花させ続けている。そしてプールされた言霊は、ネット空間で集まり組織化つまり有機体となり、人間の仮想敵になる。我々はその鏡の中の自分たちと戦い、議論し、疲れたらログアウトし、やがて肉体からもログアウトし、本当の真実に放たれる。
きっとそこには、物質やその母胎の時空間などという野暮で愛しいものは、存在しないのだろう。そことも呼べない、実は自身の芯への美しい収束、=無なのだろう。
スーパーマンやバットマンなどのアクションものの象限拡張版とも言える。
『ブレードランナー』も想起。
「ネオが救世主である」と信じるモーフィアスを助けようとして、ネオは本気になる。そういう動機を持てるのが愛ある本物の救世主。予言者はネオに、モーフィアスと自分自身との命の二者択一を迫られるだろうと告げる。この予言者は一般家庭にいる。いかにも、という洞窟の中や祭壇にはいない。この予言者の、いわば予定調和を、愛で破るのがネオ。そのとき、ネオは覚醒して本物になる。しかし仮想空間でネオは撃たれて死ぬ。これはゲーム空間のようなもの。しかしプレイヤーと命が同期していて、仮想空間で死ぬと実体の肉体も死ぬというシステム。トリニティ
が、仮想空間で死んだネオの実体に「予言者は私に、私が愛した男が救世主だと告げたの」とキス。するとネオは生き返る。本物の救世主なので復活する、という聖書ベースシステム。
敵のエージェントは何者にも変身できる。ほとんど不死身な感じ。しかし退治方法はあり、つまり精神の強いほうが勝ちという禅的強弱。
心の世界が視覚化されていて、その心が肉体と同期しているというなら我々個人が見る夢と同じなのかというとそれは違って、つまり夢の世界を、同じ夢を見ている人たちと共有できるのだ。しかし、それはつまり現在のネット社会、ネットのゲーム、とも言える。
実体に戻るには、仮想空間で鳴っている電話を取らなければならない、というシステムが物凄くリアルだと思った。ラスト、ネオはすっかりマトリックスの住人、人類の救世主然として堂々と自信に満ちて電話ボックスから出てくるのだが、電話ボックスは異世界との通路になる、と腑に落ちる。
船というので「宇宙戦艦ヤマト」や「マクロス」を想起。赤いカプセルを飲んだシーンで「銀河鉄道999」の哲郎を思った。ネオは真実を探しに、哲郎は永遠の機械の体をもらうために旅に出た。
赤いカプセルを飲むというのは、自分というものに没入することの比喩なのかもしれない。自問自答・つまり禅問答に入ることなのかもしれない。ファンタジーとは脳内の自問自答の風景なのだろう。
救世主oneとはつまり自分のことだ。群れるとエブリワンになってしまう自分を一人にして自問自答して本当の答えを見つけることをしてあげる、ファンタジーはその導き役になるのだろう。
どっちがリアルか、という問題。この映画では圧倒的に仮想空間の方がリアルだった。そう作ってあるのだけれど、リアルで仮面をつけている場合、仮想空間の方が断然リアルだろう。心を解放せよ、というワードが何度も出て来るが、心を解放できるのは、自分だけが見ている夢の中。複数で一緒に同じ夢を見ている(という仮想空間)となると、自分の心だけを解放したら迷惑な人になってしまうはず。その心の有効な解放の仕方というのが、つまり力の使い方抜き方、カンフーなどの技芸なのだろう。
ハンドルネームのネオを本名として名乗ったとき、ネオがネオを実装した。つまり充填され100%満ちた。
この感覚がキアヌ・リーブスによって遺憾なく表現されていた。
トリニティの削ぎ落された硬質な美しさに見惚れた。
ザイオンのコードを、モーフィアスは命を懸けて言わなかった。拷問されても大事なことを決して言わないというのが、正に精神力、信仰の強さ深さの試練と思った。
コンピューターの支配を人類の抵抗軍が打ち破るという構造。舞台は21☆☆年辺り、22世紀らしい。近い将来こうなるとして、相手は、我々の脳の神経細胞・心が産みだしたメンタル子孫だ。
「人類は哺乳類じゃない、病原菌」だというエージェントの言葉は、未来からの我々への警句。
AIたちと人類が戦争にならないように、メンタル遺産を優しくしたい。
人類をコンピューターの支配から解放する戦いとは、我々が我々の実体の肉体を、パソコンの前からピクニックに連れていくことで完了するのかもしれない。
そういう感じ、分かる、という感じが映像になり続けていることの奇跡に感嘆した。
キアヌ・リーヴスは、当たり役。彼はチャラくなれないスピリットの持ち主。
求道者。
アクションで、相手が肉体がないはずなので、これは爽快だった。つまり自分自身の内面の悪と戦っているので、怠けや不正や狡猾さを、死滅させたいと思った。
これは、あらゆる祭りが行っている、つまりお祓い、厄除けなのだろう。
アクションムービーとは爽快な厄除け、と感じた。
人間の大部分はコンピュータの動力源として培養され、使用済みは破棄される、という設定は、人間がパソコンの前で消費した時間や課金の比喩、と思った。
頭がプラグ(の差込口)になっているというのは、正に電脳世界に実体がジャックされていることの視覚化、と思った。
この映画を観ると、今現在というこの感覚は夢の中なのかも、と思う。
早く何度も夢から覚めて、蛹が蝶になるように、真実の世界をはばたきたい、と思った。
それにはネオのように、修業して魂のステージを上げることが必要なのだろう、と実感した。
バレットタイムという映像表現。つまり超高速を遅さで表現するということ。
これは、集中すると球が止まって見えるというような、ゾーンに入った没入のことだろう。
我々の感覚は普段使いのときは社会の平均ピッチに合わせているが、実はもっとバリエーションがあるのだろう。そして物凄く集中すると、中の刻みをいくらでも細分化でき、一ミリに何億ものスラッシュを入れられ、入れたとたんに時間が伸びてくれるのだろう。
そういうとき、我々は時間と友好関係を結び、相棒になれるのだ。
★バレットタイム(英語: Bullet-time)(Bullet=小銃・ピストルなどの)銃弾、弾丸、小球、(釣糸の)おもり)はSFXの一つで、被写体の周囲にカメラをたくさん並べて、アングルを動かしたい方向にそれぞれのカメラを順番に連続撮影していき、被写体の動きはスローモーションで見えるが、カメラワークは高速で移動する映像を撮影する技術、またはその効果を指す。タイムスライス、マシンガン撮影 ともいう。また、並べたカメラを一斉に同時撮影すると、被写体は静止ないし低速で動作した状態でカメラアングルが動く映像が作れる(『マトリックス』で「ビルの屋上での銃撃戦で主人公ネオが足に弾丸を受ける」シーン)。
この技術の源流は1870年代にエドワード・マイブリッジが手掛けた、疾走する馬のギャロップを12台のカメラによる連続写真で撮影した技法に求める事が出来る(『動く馬』
を参照)。マイブリッジは同時期に階段を昇降する人間の動きを様々な角度のカメラから同時に撮影する試みも行っており、マトリックスにおけるタイムスライスの原型とも言えるものである。しかし、マイブリッジの多数のカメラを用いた連続撮影技法は、その後マサチューセッツ工科大学のハロルド・ユージン・エジャートン教授が開発したストロボスコープ
の登場により主流ではなくなっていった[1]。★
★『マトリックス』
コンピュータプログラマーとしてニューヨークの企業で働くネオ。凄腕ハッカーという別の顔を持つ彼は、最近 "起きてもまだ夢を見ているような感覚"に悩まされていた。そんなある日、自宅のコンピュータ画面に、不思議なメッセージが届く...「起きろ、ネオ」「マトリックスが見ている」「白うさぎの後をついていけ」。正体不明の美女トリニティーに導かれて、ネオはモーフィアスという男と出会う。そこで見せられた世界の真実とは。やがて、人類の命運をかけた壮絶な戦いが始まる。キアヌ・リーブス主演、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス共演。驚異のVFX(視覚効果)による、かつてない映像表現が話題となった近未来アクション超大作。
『マトリックス』(英: The Matrix)は、1999年のアメリカのSFアクション映画。
概要
真実を知らず仮想世界マトリックスで人生を送る主人公が、外部からの介入により機械に支配された現実世界の救世主であることを知らされ、自信が持てないまま様々な無理難題の解決を経て成長して行く過程を描いており、当時ハリウッドで一般的でなかった哲学的要素や東洋的なワイヤーアクションやバレットタイムが導入された事で「驚異の映像革命」などと評された[4][5][6]。ウォシャウスキー兄弟が監督・脚本を務め、キアヌ・リーブス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス、ヒューゴ・ウィーヴィング、ジョー・パントリアーノらが出演する。本作はウォシャウスキー兄弟の監督作品としては2作目で、デビュー前に脚本のみ完成させていたマトリックスの約6000万ドルのスポンサー契約締結が行えなかったため[7]低予算で『バウンド』
という映画を制作して高評価を得て、本作のスポンサー契約を締結している[8]。但し、当初の『ニューロマンサー』
の映像化を目指した脚本ではスポンサーが付かず、脚本は『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』
に着想を得る方向性で書き直された。
SFのサブジャンル、サイバーパンクの一例で、同ジャンルを好むウォシャウスキー兄弟のオタク的知識が大量に投入されている。アクションシーンは、日本の武道・アニメ映画の影響を受けており、日本や香港のアクション映画の殺陣やワイヤーアクションの技術が使用され、その後のハリウッドのアクション映画作品に影響を与えた。また、カメラが通常の速度でシーンを移動しているように見える一方で、画面内のアクションをハイスピードカメラのようにスローモーションで進行させることで、特定のキャラクターの超人的な速さの動きを1つ1つ知覚できるように表現する「バレットタイム」と呼ばれる視覚効果を広めた。特に主人公のネオが仰け反りながら銃弾を避けるシーンはバレットタイムの象徴となり、様々なCMや映画やゲームで盛んにパロディやオマージュが行われている。20世紀末にCGの採用がブームになっていた中で、「ジュラシック・パーク」や「スターウォーズ エピソード1」などで行われていたような、従来ならミニチュア模型で作っていた映像をCGに置き換える使い方に留まらず、高度な哲学的テーマと特殊な映像技術と東洋的アクションをストーリ展開上意味ある形で組み合わせた映像は「驚異の映像革命」などと言われ、その後の映像作品に与えた影響は計り知れないものがある[4][5][6]。特に知的なストーリー展開や、アクションシーンを効果的に演出する方法として参考にされる事が多い。
高度な技術が投入されている一方で人間関係は分かりやすく描かれており、主人公の成長は当然のこととして、新しくチームに加わった主人公に対する仲間の不信感、仲間の裏切り、自己犠牲、多数の仲間の喪失、主人公とヒロインのラブストーリーなども盛り込まれ、サイバーパンクに詳しくない一般的な視聴者でも感情移入しやすくなっている。
1999年3月31日に米国で公開され、全世界で4億6,000万ドル以上の興行収入を記録した。また、アカデミー賞4部門(視覚効果賞、編集賞、音響賞、音響編集賞)のほか、BAFTA賞、サターン賞などを受賞した。史上最高のSF映画のひとつと考えられており、2012年には「文化的、歴史的、美学的に重要な作品」として、米国議会図書館のアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。
2003年には続編の『マトリックス リローデッド』と『マトリックス レボリューションズ』が公開され、2021年に『マトリックス レザレクションズ』が公開された。
ストーリー
トーマス・アンダーソンは、大手ソフトウェア会社のメタ・コーテックス[注釈 2]に勤めるプログラマーである。しかし、トーマスにはあらゆるコンピュータ犯罪を起こす天才ハッカー「ネオ」という、もう1つの顔があった。平凡な日々を送っていたトーマスは、ここ最近、起きているのに夢を見ているような感覚に悩まされ「今生きているこの世界は、もしかしたら夢なのではないか」という、漠然とした違和感を抱いていたが、それを裏付ける確証も得られず毎日を過ごしていた。
ある日、トーマスはパソコンの画面に「起きろ、ネオ(Wake up, Neo.)」「マトリックスが見ている(The Matrix has you.)」「白ウサギについて行け(Follow the White rabbit.)」という謎のメッセージを受け取る。ほどなくしてトリニティと名乗る謎の女性と出会ったトーマスは、トリニティの仲間のモーフィアスを紹介され「あなたが生きているこの世界は、コンピュータによって作られた仮想現実だ」と告げられ、このまま仮想現実で生きるか、現実の世界で目覚めるかの選択を迫られる。日常の違和感に悩まされていたトーマスは現実の世界で目覚めることを選択する。渡された赤いカプセルを飲み、心停止した瞬間、トーマスは自分が培養槽のようなカプセルの中に閉じ込められ、身動きもできない状態であることに気づく。トリニティたちの言ったことは真実で、現実の世界はコンピュータの反乱[注釈 3]によって人間社会が崩壊し、人間の大部分はコンピュータの動力源として培養されていた。覚醒してしまったトーマスは不良品として廃棄されるが、待ち構えていたトリニティとモーフィアスに救われる。
トーマスは、モーフィアスが船長を務める工作船「ネブカドネザル号」の仲間として迎えられ、ハッカーとして使っていた名前「ネオ」を名乗ることになった。モーフィアスはネオこそがコンピュータの支配を打ち破る救世主(The One)であると信じており、仮想空間での身体の使い方や、拳法などの戦闘技術を習得させた。人類の抵抗軍の一員となったネオは、仮想空間と現実を行き来しながら、人類をコンピュータの支配から解放する戦いに身を投じ、仲間の信頼を得ながら才能を開花させて行く。
キャスト
「マトリックスの登場人物一覧」も参照
役名 | 俳優 | |||
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ネオ(トーマス・A・アンダーソン) | キアヌ・リーブス | |||
モーフィアス | ローレンス・フィッシュバーン | |||
トリニティー | キャリー=アン・モス | |||
エージェント・スミス | ヒューゴ・ウィーヴィング | |||
スタッフ
- 監督:ウォシャウスキー兄弟(アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー)
- 製作:ジョエル・シルバー
- VFX:マネックス・ビジュアル・エフェクツ(MVFX)
- 音楽:ドン・デイヴィス
- カンフーアクション指導:ユエン・ウーピン
作品解説
「マトリックス」という語
詳細は「マトリックス」を参照
「Matrix」はラテン語の「母」を意味するmaterから派生した語で、転じて「母体」「基盤」「基質」「そこから何かを生み出す背景」などの概念を表す。
🔶🔶🔶🔶本作では、コンピュータの作り出した仮想現実を「MATRIX」と呼んでいる。🔶🔶🔶🔶
撮影
ロケーション撮影はシドニー(オーストラリア連邦)で主に行われた。
影響
作品はウィリアム・ギブスン
から、日本と香港のアクション映画や日本のアニメまで様々なものに影響を受けた上で、
の哲学を基調としたとウォシャウスキー兄弟は語っている。ギブスンはマトリックスを「間違いなく究極のサイバーパンク芸術品」と絶賛している[11]。「MATRIX」という言葉自体はギブスンの『ニューロマンサー』にも見られ、ボードリヤールの著書『シミュラークルとシミュレーション』
の中にも掲げられており、これが出所となったという見方もある。作中ではハードカバーのボードリヤールの本が映るシーンも見られる。2作目からボードリヤール本人をアドバイザーに迎える計画があったが、断られたという。
ウォシャウスキー兄弟曰く、脚本の大部分はレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの『Wake Up』
を聴きながら書き上げたとのこと。映画でもエンディング・テーマに起用されており、そのバンド名やその活動自体が正にマトリックスの世界そのものとされている。★