『長ぐつをはいたネコ』
『長ぐつをはいたネコ』(なぐつをはいたネコ、原題: Puss in Boots)は、2011年のアメリカ合衆国のコンピュータアニメーション・コメディ映画[6]。
シャルル・ペローのお話で世界中の人が知っている長靴をはいたネコのルックスを持った猫のプスが、故郷で兄弟分ハンプティ・ダンプティの銀行強盗に加担、追われて町を出る。相棒ハンプティ・ダンプティと恋人でもある武士策士としてスペックの高い雌猫と冒険し緑色に光る魔法の豆を手に入れ、その豆を見るからにへんてこな雲の下に植え、秒で巨大化した豆の木に登ってみたり、金の卵を探そうとしたりしながら、身内に裏切られそれでも信じて最後には仲直りして一緒に故郷の為になろうとするお話、西部劇テイスト。
長靴をはいたネコというルックスが、猫の独立独歩感を表現しきっているため、古今東西の人を魅了するのだろう。
↓なるほどと思う。
「長靴をはいた猫」はなぜ長靴をはく必要があったのか?あらすじや教訓も考察 | ホンシェルジュ (honcierge.jp)
★「長靴をはいた猫」はなぜ「長靴」をはく必要があったのか
あらためてあらすじを振り返ってみると、なんとも不思議なお話です。猫が主人である三男を出世させていくのも興味深いですが、そもそもなぜ猫は「長靴」を求めたのでしょうか。タイトルになっているにもかかわらず、物語のなかで重要な役割を果たしているようには見えません。
ここで当時の時代背景を考えてみましょう。
シャルル・ペローが「長靴をはいた猫」を出版したのは、1697年です。革命が起こる前のフランスが舞台で、貴族が絶大な権力をもっていた時代でした。実は本作における「長靴」は「ブーツ」を指していて、🔶🔶🔶🔶当時においてブーツすなわち貴族の象徴だったのです。🔶🔶🔶🔶
🔶🔶🔶🔶つまり長靴をはいていれば、百姓であろうと子どもであろうと、そして猫であろうと貴族に見えたということ。🔶🔶🔶🔶
長靴をはいた猫は、王様や王女、そして百姓たちにも対等、もしくは上の立場から接しています。王様は猫からの献上物をなんの不思議もなく受け取っていますし、百姓たちも「ここはカラバ侯爵の土地と言え」という猫の命令に従っています。
それは本作における長靴をはいた猫が、貴族と同等とみなされていたからに他なりません。どんな者でも長靴さえはけば貴族になり、そして人々は見せかけの権力に簡単に屈してしまう……猫に長靴をはかせることで、シャルル・ペローの貴族社会に対する皮肉を感じることができるのではないでしょうか。★
それぞれの時代と土地に、ルックスでシチュエーションを表現してコミュニケーションの通りを良くする形がある。
首輪の数や入れ墨の有無や模様や、髪型やお歯黒や振袖留袖や指輪の有無や位置.....。
時計や靴や車でその人の資産状況を窺い知ることもあるし、故に逆利用し、金持ちを装うためにバブル時代ならロレックス、BMWを借りるということもあっただろう。
いわゆるステイタスイメージの利用。
シャルル・ペローは、
猫に長靴をはかせた。
日本に変換すると、狼に刀を持たせて侍にする、とかだろうか。
猫に小判、豚に真珠も通底する。つまり、身分不相応を強引実装。
面白いのは、まず、猫であるというところに突っ込むべきなのに異種が市民として生活しているところには人間誰もがスルーというところ。
焦点は、貴族か否かだけで、長靴を履いているなら貴族だとしてスルー、が、問題の所在のすり替えマジックのようで面白い。
木は森に隠せトリックを想起。
ペローはこうして、権威のメッキをはがしたのかもしれない。猫だって同じ外見にすれば貴族、中身はどうでもいいんですよというような。
パディントンでも、誰も、熊が市民していることは問題にしない。それが非常に面白い。
原作では、猫が長靴をはいて貴族を装った。
丸坊主にして僧侶を装う、もありだろうし、落語のなかにはそういうものもあるのかもしれない。
『ビルマの竪琴』は、言葉を交わさずしてこのルックス▼だけで仲間に決意を伝えることができた。このルックスだけで、水島の、(自分は、慰霊(埋葬)をするためにここに僧侶として残る。一緒には帰らない)が伝わる。
長靴で貴族に変装。ただの靴では駄目なのだ。長くなければならないのだ。
『スチュワーデス物語』の片平なぎさ▼を想起。この怨念(あなたのせいで手がこうなったのに、こういうあたしを捨ててその子を愛せるというの?という脅迫シーン(笑))の手袋は、短いと手術中か運転手。業務用手袋になってしまう。しかも短いと、この噛んでスーッと引っ張る、という見せ場時間を作れない。
- ★新藤 真理子(浩の元婚約者)
- 演 - 片平なぎさ
- 新藤商事の社長・久之の一人娘。25歳[8]。3歳からピアノを始め、ピアニストを目指してパリのコンセルヴァトワールに留学。彼女のピアノの評判を聞いてエクサン・プロヴァンス音楽祭を留学先のパリから聴きに来た浩と出会い、二人は付き合い始める。19歳の時ウィーンの音楽コンクールで優勝。
- しかし、スキーに行った際に浩と衝突し、両手の指を粉砕骨折したために義手となり、夢を諦めざるを得なくなった。
- 以来心が荒み、浩への憎悪から浩に生涯の責任を強迫したり、千秋への嫉妬に狂って嫌がらせをしたりする。義手は、浩の前でよく両手袋を歯で引き外して彼に心理的プレッシャーを与える。
- ちなみに真理子の義手は細かい動きや素早い動きは無理なようだが、"ワイングラスを持つ""電話をかける"などのごく簡単な動作はできる[9]。
- しかしその後、イタリア・アッシジで結婚式をあげる直前になって浩に憎しみからは何も生まれないと諭され、「あなたを憎み続けることに疲れた」「(千秋から)あなたを取り上げる楽しみも無くなっちゃった」と浩への憎悪や千秋への嫉妬に生き甲斐を感じていた自分の愚かさを告白し、浩との婚約を解消する。愛車は、赤いBMW[注 5]。思い出の曲[10]は、ショパン作曲「木枯らし」[注 6]。フランスのマルセイユの街が好き[11]。★
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高校生のときにこれを観て、「男女のしがらみって何て恐ろしいんだろう......」とビビった(笑)。
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↑真理子の長手袋≒スケキヨのゴム仮面↓。どちらも隠すのは、人生そのものである、一身上の大都合。
中森明菜の『十戒』も想起。このレースの手袋が短かったら、二戒止まりになってしまう。
ニーハイブーツが流行ったとき、日本人の足イメージが変わった。足って、どこまで?というような。
同時に、靴って、何?というような足靴ゲシュタルト崩壊。
流行時、日本中の玄関に、抜け殻ニーハイが出現した。「脱ぐ」ではなく「脱皮する」と言う人が散見された。蝉ではなく、蛇の方(笑)。
わたしは子供の頃、長靴は雨の日の靴と思い込んでいた。これは、日本人特有の思い込みなのかもしれない。
今もわたしの脳内では、NAGAGUTSUとはビニール製のレインブーツのこと。
「長靴をはいたネコ」の原題は、仏: Le Chat botté。直訳は「ブーツを履いた猫」。ブーツが長靴かというと、ブーツと長靴はわたしの中ではイコールではなく、ブーツは冬用、長靴は雨用。『長靴をはいた猫』が履いている長靴だけ例外という感じだった。今もそう。
★[形] 長靴を履いた.
Le Chat botté|「長靴を履いた猫」(ペローの童話)
Elle est bottée de cuir.|彼女は革のブーツを履いている. ★
ブーツは冬用。
長靴は雨用。
このアニメには、「ガチョウと黄金の卵」の話も入っていて、滅茶苦茶のエネルギー。
ハンプティ・ダンプティと雌猫キティは実はグルで、橋で猫がハンプティを見捨てたことを恨み、仕返ししたかったハンプティ。
バタバタしているうちに猫はつかまり牢獄へ。
同じ獄中におじいさんがいて、その人はハンプティと同獄だったときに彼に魔法の豆を盗られたと言う。
おじいさんは通称ジャックで、他人の牛を豆と交換してしまって......と言う。
原作では、父から猫をもらってがっかりしている三男に「私をもらって良かったとなると思います」と猫が言い、立派な長靴と袋を用意させ、うさぎをつかまえ大きな城の主に献上、三男を裸で湖に入らせ「盗賊に盗られてしまったんです」で貴族の服をもらい受け、大きな城の主の通るときに畑仕事をしている人たちに「ここは〇〇(三男)の土地です」と言わせ、この土地の城主の大男(オーガ・変身できる)に「まさかネズミにはなれないでしょう?」と煽り、大男がネズミになったとたんに猫の面目躍如でそのネズミを食い、大きな城の主を招くと凄い城だねとなり、娘は男を好きになり、大きな城の主は男を娘婿に迎え、猫も貴族待遇に、というもの。
パズルのようにハマる。特にネズミにして食べるところ。
オーガという駒があると、ハマらない曲線部分がハマる。
いろいろごたごたな部分まとめて、オーガのせいにできる。せいにできるから鬼なのであり、鬼とは、神の一種なのだろう。
神には祈りをきく神対応も必須だが、掃除屋的、後片付け、都合合わせも必須。オーガは万能スパイスのよう。
★ オーガ(英: ogre)、あるいはオグル(仏: ogre)、
オーグルとは、伝承や神話に登場する人型の怪物の種族である。女性はオーグリス(英: ogress)またはオグレス(仏: ogresse)と呼ばれる。
北ヨーロッパでは凶暴で残忍な性格であり、人の生肉を食べるとされる。一方で、引っ込み思案で臆病という面もある。知性や賢さといったものはほとんどなく、人間が彼らを倒すことは難しくない。また、自由に動物や物に姿を変えることができると言われている。住処は大きな宮殿や城、または地下である。
絵画などでは豊かな髪の毛とぼうぼうのあごひげをはやした大きな頭とふくらんだ腹と強靭な肉体をもつ大男として描かれている。
児童文学にはオーガに誘拐されたお姫様を救出する勇敢な騎士の話がたくさんある。また、ファンタジーゲームや映画の中にもよく登場する。
スカンジナビア半島の国々ではオーガはトロールと関連付けられている。彼らは山の中に建てられた城の主人であり、莫大な財宝をもっていると考えられている。
元々は人食い怪物のことで明確な名前があったわけではなかったが、オーガ(オグル)という名前がシャルル・ペローの小説『長靴をはいた猫』で初めて与えられた。
日本では「鬼」と訳されることが多い。★
ハンプティ・ダンプティと猫は同じ孤児院出身のいわば兄弟。しかしハンプティは居場所がなく町も愛していなかった。猫プスが「ママ(孤児院経営者)の為に、町の為に生きよう、お前は心のおっきい発明家だったじゃないか」と言うと、ハンプティは自尊心を取り戻し、「俺は一体今まで憎しみ起因で何やってたんだ。やり直したい」となるが、またあのトラウマの橋のところで猫のプス、ハンプティ、ひよっこグースが宙づりに。橋の瓦礫にはさまれたママグース(マザーグース)。ハンプティは「ひよっこグースの方を助けてあげてくれ」とつかまっていたロープから手を放し自己犠牲的に落ちる。ひよっこを助けたプスが橋の上から見下ろすと、ハンプティは崖の上。ハンプティが死んだと思ったプスは、「お前は最初からいい奴だったよ」と追悼。しかしエンディングではガチョウ親子とダンスしているハンプティ。プスは町の悪者から英雄に。雌猫キティとはルパンと峰不二子な関係。
ラストプスと孤児院のママが抱き合うシーンに『坊つちやん』のラストの坊ちゃんと清を想起。