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エド・ウッド US版ビデオ&LDプロモオリジナルポスター - 映画ポスター専門店 CINEMA KING 

 

 

 

★エド・ウッド(Ed Wood)

Ed Wood

として知られるエドワード・デイヴィス・ウッド・ジュニア(Edward Davis Wood Jr.、1924年10月10日 - 1978年12月10日)は、アメリカ合衆国映画監督映画プロデューサー脚本家俳優もすべて務めた。

自らが製作した映画がすべて興行的に失敗した為、「アメリカで最低の映画監督」と呼ばれ、常に赤貧にあえぎ、貧困のうちに没した。死因はアルコール中毒

人物・エピソード

没後はしばらく忘れられていたが、映画の上映権を安く買い叩かれた結果、深夜テレビの映画枠で繰り返し放送されることになった『プラン9・フロム・アウタースペース』が一部でカルト的な人気を得て映画評論家の目に止まり、1980年に「ゴールデンターキー賞」という本において「歴代最低映画」として紹介され、「再評価」が始まった。

彼の映画の出来が、一義的には「最低最悪」であることに異論をはさむものは少ない。彼が再評価されたのは、最低最悪の出来の映画ばかり作り、評価も最悪であり続けた(というよりも評価対象以前だった)にもかかわらず、それでもなお映画制作に対する熱意や、ほとばしる情熱を最後まで失わなかったためである。これをもって「ハリウッドの反天才」「芸術の突然変異」との称号(?)で称されることもある。

映画作りへの強い情熱を持っていたものの、周りの環境に恵まれることはなかった。自身の最高傑作と信じた『プラン9・フロム・アウタースペース』に全く買い手が付かず、それどころかフィルムの営業をしていたプロデューサーが疲労と絶望のうちに亡くなってしまう。この事態には、さすがのエド・ウッドも打ちひしがれ、アルコールに依存し酒浸りの生活を送るようになった。また、質の悪い映画の常連でありながらも圧倒的な演技力でメリハリを作っていたベラ・ルゴシが死去するなど、精神的負担が大きくなる出来事が立て続けに起きた。一般に彼の映画のうち「評価」される(つまり彼の個性や作風、映画作りに対する意欲などを明確に感じられる)のは『プラン9』以前の三本までで、以降はただ単に退屈なだけの映画と認知されている。晩年は、旺盛であった映画作りに対する意欲すら失われ、低予算映画の脚本やポルノ小説の執筆で糊口を凌いでいたと言われる。

彼のファンといわれる映画監督にはティム・バートンジョン・ウォーターズデヴィッド・リンチサム・ライミクエンティン・タランティーノなど。

ウッド自身の人物像・生涯は、ジョニー・デップ主演で映画化された『エド・ウッド』で垣間見ることができる。そのほか関連資料『映画秘宝 エド・ウッドとサイテー映画の世界』と伝記『エド・ウッド 史上最低の映画監督』に詳細が掲載されている。

2011年に元恋人で作曲家のドロレス・フラー英語版)、2015年3月グレゴリー・ウォルコット、そして2017年12月にコンラッド・ブルックス英語版)が死去したことで、エド・ウッド映画に出演していた役者は全員鬼籍に入ることとなった。★

 

 

 

エド・ウッド』(Ed Wood)は、「史上最低の映画監督」と言われた映画監督エド・ウッドを題材にした1994年の白黒映画。監督はエド・ウッドのファンであるというティム・バートン

戦前のホラー映画界における大スター、ベラ・ルゴシ役を演じたマーティン・ランドーが各映画賞を総なめし、第67回アカデミー賞アカデミー助演男優賞を受賞、またアカデミーメイクアップ賞も受賞した。

あらすじ

冒頭、カメラは不気味な洋館の中にある棺を映し出す。その蓋が開くと、ある一人の男の口上が始まる……

「ようこそ諸君。君たちはまだ謎めいた何かを求めている。だからここへ来たのだ……それでは事の次第の一部始終をお見せしよう。まやかしは一切なし、全てはこの恐怖の体験を生き延びた人々の秘密の証言によって裏付けられている。諸君の心臓はこの真実に耐えうるか?エドワード・D・ウッドJr.の真実に…。」

―1950年代のハリウッド。映画監督を目指す青年エドワード・D・ウッド・Jrことエド・ウッドは、撮影所で使いっ走りの仕事をしながら、いつの日か第2のオーソン・ウェルズになることを夢見ていた。恋人の女優ドロレス・フラー、仲間のカールやコンラッド、ゲイのバーニーらと芝居を上演するも成功には程遠く、それ以前にエドには映画監督としての才能が徹底的に無かったが、当の本人は妙に楽天的な性格の持ち主だった。

そんなエドにチャンスが訪れる。性転換手術で女性になり、一大センセーションを巻き起こした元兵士クリスチーネ・ヨルセンゲンの半生を映画化する企画が立ち上がったのだ。エドには服装倒錯趣味があり、自分なら彼の葛藤が描けると自負するがプロデューサーは難色を示す。だがある日、エドはかつてドラキュラ俳優として一世を風靡したベラ・ルゴシと出会う。憧れの存在と親交を深めるエドだが、既にルゴシは落ちぶれ薬物に溺れる老人でしかなかった。ならば、とエドは「かつての大スターを安いギャラで出せる」と彼の起用を提案し、ついにプロデューサーの同意を得る。

かくしてエドは自身の脚本・監督の処女作『グレンとグレンダ』にルゴシとドロレスを出演させ、そして自らを主演に据えて製作を開始。だが話は性転換ではなく服装倒錯性への理解を求めるという、本来の企画とかけ離れたうえにエド独特のセンスが加わる作品と化していた。さらに倒錯性をカミングアウトされたドロレスはエドへの嫌悪感と困惑を隠せない。案の定プロデューサーは激怒し、映画は地方上映のみで惨憺たる結果に終わった。だがエドはめげなかった。自らがプロデューサーとなり資金を集めれば自分の思うように作れる、と。

次の『怪物の花嫁』には、ルゴシ、ドロレスと共にプロレスラーのトー・ジョンソン、バーでスカウトした女優志願のロレッタらの出演で撮影が開始されるが、製作費の肩代わりを目的にロレッタを主演女優とした。結果ドロレスとの関係は破綻したうえ、エドはロレッタの話を勘違いしていたため予算のアテが無くなり製作は中断する。金策に走ったエドは、知り合った肉屋と交渉し「息子を主演にする」のを条件に資金を調達。そしてクライマックスに必要な怪物・巨大タコの実物大モデルを撮影所の倉庫から勝手に拝借してどうにか撮影を再会し完成にこぎつける。だがまたもや映画の出来も観客の受けも散々であり、とうとうエドはドロレスから絶縁される。そして以前から体調を崩していたルゴシが薬物中毒のリハビリ施設に入院することになってしまう。

ルゴシが入院している病院で、エドはキャシーと出会う。遊園地でのデートで、エドはキャシーに自らの女装癖について告白するが、彼女は「男性として女性を愛してくれるなら」と受け入れエドの伴侶となる。一方、ルゴシは治療費が続かず施設を退院することになったが、医師からルゴシの命はもう先が長くないことを知らされる。せめて本人を元気づけようと、新作映画と称してエドは彼の自宅前でささやかな撮影を行う。その数週間後、ルゴシは心臓発作で他界した。彼はドラキュラの衣装で埋葬された。

ルゴシの葬式のあと無気力に陥っていたエドだったが、偶然出会った教会の牧師が「宗教映画を作りたい」と言うのを聞いて、自分の新たな作品につなげようと思いつく。タイトルは『プラン9・フロム・アウタースペース』だったが完全にSF映画の体裁だったため、教会側は難色を示す。更に撮影が始まると、教会は人気の牧師を主演に据えようとしたり、撮影手法に難癖をつけ始めたため、エドは怒って撮影現場から飛び出してしまう。

場末のバーにヤケ酒をあおりに行ったエドは、そこで何とオーソン・ウェルズと出くわす。エドはおそるおそる席に近づき、彼の大ファンであることや、映画の撮影が難航していることを告げると、ウェルズも自らの新作の資金繰りやプロデューサーとの兼ね合いに苦労していることを話す。そして、エドに助言する。「私は『市民ケーン』では信念を貫き通し、プロデューサー連中には一コマたりとも手を触れさせなかった。夢のためなら戦え。他人の夢を撮ってどうなる?」大いに励まされたエドは撮影現場に戻り、教会側の横やりをねじ伏せて、あらん限りの情熱をこめて作品を完成させた。

ロードショー館でのプレミア上映の夜、「この映画をベラ・ルゴシに捧げる」と挨拶したエドは、これこそ自らの最高傑作だと感慨に浸る。そして上映が終わった後、自分を支えてくれたキャシーにプロポーズしたのだった。


…エド・ウッドはその後もハリウッドで戦い続けたが、次第に酒におぼれ、1978年に死去した。以後、新世代のファンを獲得。「史上最低の映画監督」の称号で呼ばれている―。

キャスト

役名 俳優 日本語吹替
エド・ウッド ジョニー・デップ 平田広明
ベラ・ルゴシ マーティン・ランドー 内田稔
ドロレス・フーラー サラ・ジェシカ・パーカー 高乃麗
キャシー・オハラ パトリシア・アークエット ならはしみき
アメージング・クリズウェル ジェフリー・ジョーンズ 稲葉実
バニー・ブレッキンリッジ ビル・マーレイ 江原正士
ヴァンパイラ リサ・マリー 幸田直子
トー・ジョンソン ジョージ・スティール 郷里大輔

 

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やる気が空回りしている、やる気(愛)しかない人の話。

その人物を俯瞰してみれば、例えばこの映画になるような面白さ。

 

その道の才能が歯車に噛んでないが、その道への思いは人一倍という人。

何としてでもそうしたいのだが、そう思えばそう思うほど、事態は遠のいてゆく。

 

劇中でプロデューサーが、エド▼のなりふり構わぬ売り込みに根負けして

エド・ウッドの画像一覧 | 映画ポップコーン

エドが撮ったフィルムを観る。

一緒に観ていた誰もが「何だこれ?これは映画か?」と顔をそむける。

映されていた少しで観客にもその駄目さが分かる。

ドラキュラの感じにオーバーラップして西部劇の感じがかぶさり、更に劇中当時のセンセーショナルだった性転換した男性の記事に端を発して、カミングアウトしたエド自身の女装趣味の映像。

つまりてんこ盛り。

てんこ盛りのエネルギー横溢B級焼きそば映画というのはあるのだろう。しかしそうでもない。そう振り切れてもいない。このフィルムではエドがそんな風に梶をきっていないから。

作品とはつまり、ある勇気なのかもしれない。

てんこ盛りにしない勇気。

一つだけで勝負する勇気。

その切り落しの潔さ、武器の少ない無防備の裸に、人は感動するのかもしれない。

その、ぎりぎり身一つが入れるだけの穴から覗き見するように入った先に人の脳内同様の宇宙が広がっていることに、人は非日常の先の日常を感じる。つまりそれが感動の正体なのかもしれない。

 

プロデューサーは、「あの男はふざけてるのか?一杯食わされたな」と隣の人と笑い合う。エドは、このてんこ盛りでやるならここまでやらねばならなかった。自分で撮って、演じて、それを異化、メタ化するためにもう一段作品を突き放さねばならなかったのだ。

「と、そういう映画史上最低の映画監督がいました」までやってパッキングせねば自立した作品ではなかったのだ。そこまでの厳しい客観性が入って初めて、それは一個の作品なのだろう。

 

なんとなく、ではダメなのだ。

ただ「やる気は人一倍あります!」では、コントロールの必須な、というかコントロールそのものの監督業は無理なのだろう。

 

しかし、エドほどとことん実験をやったら、それはもう伝説の偉業。

このように後世の監督ティム・バートンに愛されてその人生が映画化される。


 

 

 

エド・ウッド役のジョニー・デップ▼が凄い。ティム・バートンがインタビューで、「彼は100パーセントキャラクターになりきるから」と言っていたが、映画によってまるで別人に見える。この映画では、エドの、やる気しかないキャラクターに100パーセントなりきっていた。口の開け方や目や顔や手の動かし方つまり筋肉の運動表現で、知的に全体を統括コントロール出来ていない様が観客に感受されるのだ。それは、一人の人間としては抜けのある、憎めない奴。しかし映画監督となると、友人ではない関係者には時間と金とエネルギーをそれこそヴァンパイアのように吸う迷惑な人物でしかなかったのだろう。

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シネフィル通り エド・ウッド(1994)

THE PRETTIEST STAR エド・ウッド 1994年のイベント

【映画】史上最低の映画監督の半生をティム・バートンが描いた「エド・ウッド」 (page 2) - Middle Edge(ミドルエッジ)

《We real Cool》 只用24个单词就入选了100首必读的英文诗!

 

エドは思いつきですぐ映画を撮り始めてしまう。そして頓挫する、または座礁する。

フットワークが軽いとも言えるが、思慮と根気が足りないというのは、映画監督にとって致命的だろう。

 

登場人物が家を出るときに作り付けの家に当たって家全体がグラグラしてカメラマンが「撮り直しますか?」と訊いても、「いいんだ、彼はいつも家を出るときああして家にぶつかるんだ」と、撮影の予定は変えずにキャラクターの方を変更してしまう。

故に常に撮影順調(笑)。

滞ることはない。完成度のハードルを下げて適応してしまうから。

こういうエネルギーというのは、一つの才能だろうと思う。納期厳守のビジネスマン。

とにかくやってしまう人。同じティム・バートン監督作品の『ピーウィーの大冒険』を想起した。ティム・バートンは、こういう人が好きなのだろう。裏がない人。計算できない人。思ったら、思いのままのスピードでそのビジョンを外在化させようとする人。つまり素のこども。

『原子の花嫁』というタイトルも、当時の時事関心原子とそれまでの人間の関心事花嫁をくっつけたもの。今エドが存命なら、『プーチンの平和』というタイトルで映画を即効で作って、ロシアに一人で入ってプーチン本人に対して上映を敢行したかもしれない。案外、エドのような人が、プーチンのような人物の聞く耳を開かせたりしたのかもしれない。『プーチンの平和』というタイトルのエドのハチャメチャ映画を観たプーチンは、ハチャメチャがハチャメチャで修正され、こどもの頃の正気に戻り、ハッと自身の大悪行に気づき懺悔したかもしれない。

「ピーウィーの大冒険」映画 あらすじ | おうち映画

『原子の花嫁』改題

★『怪物の花嫁

Bride of the Monster photo - 1956.jpg

(原題: Bride of the Monster)は、1956年アメリカ映画エド・ウッドが監督・原案・脚本を務めたSFホラー映画である。日本では1995年に公開された。『ナイト・オブ・ザ・グールス』(en)という続編も存在する。

ストーリー

とある町の沼に立ち入った者が行方不明になる事件が相次ぐ。新聞記者ジャネットは沼のそばの屋敷へ調査に行くが、屋敷の主人ヴォーノフ博士の下男ロボにつかまる。同じころ、怪奇現象の専門家ストロースキー教授は、ヴォーノフが原子力の研究の末に「原子の超人」なる者を生み出すと考え、屋敷に来るが、沼にいた大ダコに食べられてしまう。ヴォーノフ博士はジャネットを実験台にしようとするが、気変わりしたロボの妨害やジャネットの婚約者であるディック・クレイグ警部補の登場により窮地に立たされる。そして、ヴォーノフ博士は自らを「原子の超人」にして逃亡するが、警官隊に追い詰められた末、沼に落ち、大ダコに襲われて死亡する。

キャスト

  • エリック・ヴォルノフ博士:ベラ・ルゴシ
  • ロボ:トー・ジョンソン
  • ジャネット・ロートン:ロレッタ・キング
  • ディック・クレイグ:トニー・マッコイ
  • トム・ロビンス:ハーヴェイ・B・ダン
  • ウラジミール・ストラウスキー教授:ジョージ・ベックワー
  • ケルトン:ポール・マルコ

スタッフ

  • 監督・脚本・原案:エド・ウッド
  • SFX:パット・ディンガ
  • 制作補:トニー・マッコイ★
  •  

 

エドは、資金集めも行き当たりばったり。レストランで「親に反対されたがお金を持って一人でハリウッドに来た」という話を耳にすると、その初対面の女性を映画に出すことと交換でお金を出させてしまう。

役を失った同居の恋人ドロレス(サラ・ジェシカ・パーカー)▼は怒り出す。

エド・ウッドの画像一覧 | 映画ポップコーン

撮影所から請求が来て、その女性にお金をもっとお願いしようとすると、もうないと言われ撮影隊全員締め出されてしまうなど、エドはことごとく脇が甘い。

小学生の思い付きで大人がどんどん動いていってしまうのを見ているよう。

漫画のキャラクターならワハハだが、リアルに近くにいたら、不安(笑)。

 

プロレスを観て感動すると、即巨体の男に出演交渉。サクサク行くが、すぐ袋小路。

一事が万事、この感じ。

 

『原子の花嫁』という映画のラストは、博士が湖に落ち、自分で作った大蛸に食われて死ぬ、以上、となった(笑)。

これはエドが撮影所で、ある試し撮りの、コラージュのようなフィルムを観て、「自分ならこれで一本撮れる」と言っていた、そのフィルムを種に育てた話だ。

 

資金調達のために肉屋に入ったエド。(もうほとんどピーウィー)

これこれこういう話なんです、お金を出してもらえませんか?と言うと、「二つ条件がある」と肉屋の主人。

「なんですか?」と訊くと、「一つは、ラストを大爆発にしてくれ、煙をうんとな。もう一つは、うちの息子を映画に出してくれ」。「分かりました」。

 

かくして、映画はまるで、建て増し建て増しのボコボコ家▼のような展開に。これは、初期の計画、設計図がないからこうなるのだ。全体図のイメージ、範囲というものがないからこうなるのだ。まずとりあえず着手。ちょっと住んでみてここ都合が悪いから○○、ここ要らないからカット、人が来たから建て増し……としているうちに、窓多過ぎ、窓が壁?な事態になる。本末転倒というより、転倒しかない(笑)。

こういう建物いいよな | 廃屋, 廃墟になった屋敷, 建物

 

感情移入したのは、マーティン・ランド―演じたベラ・ルゴシ▼だった。ルゴシは、落ちぶれて薬物中毒になっている、元大スター。この人がいなかったら、躁っぽいエドのその場しのぎ力に振り回され、疲労感しか残らなかっただろう。こういう、物陰的人物がいないと、映画は陰影を失い落ち着き、いわば心の居場所をなくす。

貴方は「ベラ・ルゴシ」! ( 俳優、女優 ) - 神宮寺真琴のつぶやき - Yahoo!ブログ

#ed wood on Tumblr

Эд Вуд - отрывок 1 из фильма - YouTube

 

彼のタタータタータという引きずる跳ねないスタッカートのような発音のリズムは、来るぞ来るぞのゾクゾク感創出ホラー映画のお約束技術なのだろう。

『スリラー』でのヴィンセント・プライスのホラー声を想起した。

(02:18~)

ヴィンセント・プライス。

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実際のベラ・ルゴシ。

ベラ・ルゴシ考察文 | 偏食クリーチャー日記

Bela Lugosi as "Dracula". | Bela lugosi, Dracula, King fashion

 

 

マーティン・ランド―演じたベラ・ルゴシが本気で頑張れば頑張るほど、体力がなくなればなくなるほど、悲しみがひたひた来て泣きそうになる。薬物中毒が極まって、ルゴシは真夜中エドに電話する。こうして頼れるのが、エドしかいない独り者なのだ。

エドはすぐに駆け付ける。それがエド。

ドアを開けるとルゴシは拳銃を手にしている。エドが落ち着かせて話を聞くと、失業保険が切れた、もう家賃も払えない、生きていけないから死ぬ、一緒に死んでくれ。

ちょっと待って、僕はきみの味方だ、とエド。

泣き出しそうな表情のルゴシを、エドは施設に連れてゆく。

入院したルゴシの病室に、カメラを持ったマスコミがやって来る。

追い払って「あいつらはきみを見世物にしようとしている」と言うエドに、ルゴシは「どんな記事も宣伝だ。〇〇新聞はトップに載せると言った。ここから出たら、うんと元気になって、いい演技を見せたい」と言う。こういう向日性がスターの条件なのだろう。よってその結果、大スターは長生きする。

ルゴシの仕事ぶりに感動した。撮影期間がとにかく短い。よってかつての大スタールゴシが、朝の四時に偽の湖で巨大蛸と格闘するという事態に。蛸のモーターが用意されていないとなると、ルゴシは自力で蛸の加害と自身の被害を一人で演じる。この注力に、胸が絞めつけられた。なんでも真剣にやる、それが大スターの矜持。ルゴシは過去に大スターだったから、その名を汚すわけにはいかないのだ。

『エド・ウッド』の情熱は間違いなのか | 徒然逍遥 ~電子版~

施設で、父の見舞いに来ていたキャシー▼と、エドは付き合うことに。エドはキャシーには飾らず、生い立ちなどを一気に話した。

THE PRETTIEST STAR アカデミー賞助演女優賞授賞のパトリシア・アークエットって、、

初めて観た映画が『魔人ドラキュラ』で、

Dracula movie poster Style F.jpg

観てからしばらく明かりをつけたまま寝ていたということが同じだった二人は意気投合してお化け屋敷の車に乗る。

するとギロチンの前で故障して車が止まる。

するとそこでエドはキャシーに、自分の女装趣味を告白。キャシーは少し変な顔をしたけれど、二人の男女関係に支障がないと分かるとエドの肩に頭を乗せる。

 

ルゴシが、医療費が払えず施設から追い出された。

エドはルゴシに「先生が退院していいって」と優しい嘘をつき、ルゴシを退院させる。

施設から出るとすぐ、ルゴシは「また映画を撮ろう。次の予定はいつだ」と言う。

「すぐだよ、もうすぐだ」とエド。

エドは、ルゴシを元気付けるために一人カメラを構えて嘘の撮影をする。

ここは『最後の一葉』のよう。

ルゴシは演技のアイデアをどんどん出す。

「行ける、それで行こう」とエド。

 

『原子の花嫁』は、配給会社の希望で『怪物の花嫁』に改題された。

 

出演者たちでプレミア上映が始まった映画館に行くと、

「観客が大暴れしています!」と係の人。

 

入っていくと、観客はポップコーンをスクリーンに投げたりしている。

ブーイングかと思いきや、エドは楽し気な様子で「じゃあ、舞台挨拶を」と言いルゴシやプロレスラーたち出演者を促す。

ポップコーンの嵐の中舞台へ向かう出演者。

 

観客席の中のマイクで「今は夜中の十二時、墓から死者が甦る」と観客を脅えさせてムードで沈静化を図るエド。

しかし観客はますます暴れ、「おっぱい触らせろ!」と女優の胸をつかんだりする。「財布を盗られた!」と捜す出演者も。

 

上映直前場内の明かりが消されると、「危ない!」とエドが走り出す。

映画が始まると、エドたちは映画館を逃げ出す。

すると外の車にも人がたかり、タイヤを外したりしている。

 

ブーイングの意味だろう、映画館からこぞって出てくる観客たち。

もう手つけられない。

関係者全員がタクシーに飛び乗ると、

「あれぞプレミア」と運転手。鬱憤晴らしのために、映画を観るつもりなどない人たちがお祭り騒ぎで押し寄せていたのだと解釈。または当時、荒れるプレミアというのは流行だったのかも、と思った。

 

シーン変わってエドとルゴシ。

「お礼を言うよ。この数日は楽しかった」とルゴシが言うと、

「完成品を観せたかった」とエド。

 

気持ちの入ったルゴシは、その場で『怪物の花嫁』の自分のセリフを演じ始める。すると周りに人だかりが出来、「サインしてください、○○は良かった」などと昔のことを言う。「今の方がいい。74歳にして、気の持ちようで若者になれると分かった」とエドの肩に手を回すルゴシ。

 

その夜、エドがキャシーに本を読んでいると、ルゴシの死を知らせる電話がかかってくる。

 

ルゴシは、自身の代表作のドラキュラの姿で棺に入っていた。

 

ルゴシの葬式のあと無気力に陥っていたエドだったが、家賃の催促に来た家主が「宗教映画を作りたい」と言うのを聞いて、自分の新たな作品につなげようと思いつく。タイトルは『宇宙外からの死体泥棒(墓荒らし)』改題、『プラン9・フロム・アウタースペース』(個人的にルゴシを撮った彼最後の短いフィルムを種にし、背格好と顔の似た素人の整骨医を替え玉にして水増しして作ったもの。その撮影をするために、関係者は全員洗礼を受けた。)。

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しかし完全にSF映画の体裁だったため、教会側は難色を示す。更に撮影が始まると、教会は人気の牧師を主演に据えようとしたり、撮影手法に難癖をつけ始める。

面白いのは、「君は映画とは何だか分かっているのか?」と説教していた教会の人たちが、嬉々としてその駄目な映画作りに参加してくることだ。

これは『天使にラブソング』を想起。息苦しい、正しさを求められる現場にいる人たちは、駄目な、道徳的でない映画で自分を解放したいのだろう。

 

楽屋で「あいつらはバカだ!!」と一人叫んだエドは、「落ち着け」と鏡の中の自分に言って女装する。つまり別人格になって、怒りキャラをいったん脱ぐ。アンガーマネジメントには一旦服を着替えることが有効かもしれない。いや、服を着替えることが重要なのではない。服を着替えよう、という気持ちのギアチェンジが必要なのだろう。

 

エドは女装のまま撮影現場に行く。するとみんなは目を丸くする。

教会関係者が「女装なんて!恥を知れ!」などと言うと、

エドは「もう限界だ!」とキレて撮影現場から飛び出してしまう。

 

 

女装のまま場末のバーにヤケ酒をあおりに行ったエドは、そこで何と大ファンで目標であるオーソン・ウェルズ(▼本人の写真)

 

オーソン・ウェルズのドキュメンタリー日本初放送、「市民ケーン」「第三の男」も - 映画ナタリー

と出くわす。エドは金髪のかつらを取り、おそるおそる席に近づく。

彼の大ファンであることや、映画の撮影が難航していることを告げると、ウェルズも自らの新作の資金繰りやプロデューサーとの兼ね合いに苦労していることを話す。そして、エドに助言する。「私は『市民ケーン』

市民ケーン : ポスター画像 - 映画.com

【映画】「市民ケーン」 | 言葉の森でひとやすみ

では信念を貫き通し、プロデューサー連中には一コマたりとも手を触れさせなかった。」

この話を聞いているときのエドを演じるジョニー・デップの、夢見るような瞳が凄い。

「夢の為なら戦え。他人の夢を撮ってどうなる?」そう言われてエドの目に闘志が湧く。こういう影響されやすさがエドの愛しさであり、ダメなところ。しかしティム・バートンはこんなエドが大好きなのだ。愛を込めて撮っているのが伝わってくる。


 

 

大いに励まされたエドは撮影現場に戻り、教会側の横やりをねじ伏せる。こういう、一気呵成のエネルギーが凄い。

エドは、エネルギー出しの天才だったのだろう。そういう、昔の言葉で言うと脳天気なエドを、ジョニー・デップが、憑依されたかのように演じ切っている。

 

オーソン・ウェルズのオーラを受けたエドにはもう怖いものはない。つまり迷いが一切ない。

この迷いのなさが作品というもので、観客は監督という脳の迷いのない偏愛を楽しく観ているのだろう。

 

エドは、あらん限りの情熱をこめて作品を完成させた。

観客が礼儀正しいプレミア上映の夜、「この映画をベラ・ルゴシに捧げる」と挨拶したエドは、これこそ自らの最高傑作だと感慨に浸る。そして上映が終わった後、灰皿そっくりの空飛ぶ円盤を作ってくれたりして自分を支えてくれたキャシーにプロポーズしたのだった。

 

この後は文字と写真だけで登場人物たちのその後が語られる。
………エド・ウッドはその後もハリウッドで戦い続けたが、次第に酒におぼれ、1978年に54歳で死去した。その2年後、「史上最低の監督」に選ばれた。以来、新世代のファンを獲得し続けている。キャシーは20年彼と連れ添い、彼の死後は再婚していない。ベラ・ルゴシは、103本の映画にその演技を残し、現在関連作品の売り上げは、当時ルゴシがライバル視していたカーロフ▼を凌ぐ。……

Boris Karloff

 

★ボリス・カーロフBoris Karloff1887年11月23日 - 1969年2月2日)は、イギリスロンドン出身で主にアメリカで活躍した俳優。世界中の誰もが「フランケンシュタイン」と聞いて思い浮かべる、面長で頭部が平たく、額が張り出した無表情なモンスター役をユニバーサル映画フランケンシュタイン』(1931年)で最初に演じた俳優として知られる。

ドラキュラ役で知られるベラ・ルゴシと並び、ユニバーサル作品を中心に1960年代末まで多くのホラー映画に主演した。ホラー映画の分野における大スターである。★

 

 

 

 

トンデモ映画の素晴らしさ、今回とてもよく分かった。

とんでもない馬鹿を真剣に大真面目にやること。それがプーチンのようなやり方に反対する平和運動なのだ。

 

 

 

 

 

「プラン9」とは、死者を蘇らせる計画。

 

『エド・ウッド』、何もかも素晴らしくて感動。白黒がカラフルでキラキラに感じられた。

ジョニー・デップがこんなに本物の役者とは知らなかった。

ジョニー・デップとティム・バートンが出会った奇跡に感謝キラキラキラキラキラキラ

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