『ピーター・パン』
『ピーター・パン』(Peter Pan)は、1953年2月5日にアメリカ合衆国で公開されたディズニーの長編アニメーション作品である。日本での公開は1955年、日本語版による初公開は1963年。1984年には新吹き込みによる新しい日本語版で公開された。
概要
の戯曲『大人になりたくないピーターパン』[2]。それをウォルト・ディズニーが1939年にアニメ化の権利を入手しフランク・チャーチルらとともに制作を開始したが、第二次世界大戦の影響で1949年まで棚上げとなった。製作が再開されたのは1950年で『ふしぎの国のアリス』と並行する形でスタートした。制作にあたりウォルトは原作ではピーター・パンに子供じみた、フック船長に紳士的な描写があったが、それに対し本作ではパンの性格が勇気ある一本気な青年に変更され欠点がほとんどなく(ただし、女の子にもてる事を少々鼻にかけている)、逆にフックは紳士的な一面が取り払われて阿呆で間抜けな男に貶められて描かれ、原作者バリーの込めた含みや皮肉といった隠し味が削除されている[注釈 1]。また、フック船長がワニに食い殺されるシーンも無い[注釈 2]。
真っ赤な肌をした粗暴なインディアンの描写[注釈 3]や、女の子であるウェンディをのけ者にするマイケルやジョン、女=母しか認めない女性観など、人種差別、性差別の論点から批判も多い。
フックの鉤爪は原作では右手であるが、本作では左手とされ、以後このディズニー版に倣って左手が鉤とした舞台や映画が増える事になった。
3年の歳月と400万$(14億4000万円)の費用を賭け、絵の数は200万枚、背景画は934枚。1953年にウォルト・ディズニー・プロダクション創立30周年記念作品として公開された。
尚、本作をもって交通事故で急死したフレッド・ムーア、及び退職したノーム・ファーガソン、メアリー・ブレア。系列会社に異動となったジョン・ヘンチ。そしてナイン・オールドメンが全員集った最後の作品となった。本作と同年4月18日に公開された『ミッキーの魚釣り』をもって会社は1つの時代を終わらせた。
ストーリー
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ロンドンに住むダーリング家の長女・ウェンディと弟のジョンとマイケルは、ピーターパンが本当に存在すると信じ憧れていた。しかし父親のダーリング氏は「ピーターパンごっこ」のために悪戯をするジョンたちを叱り、ウェンディがありもしない話を聞かせていると思い込んで翌日から一人部屋で過ごすように言い渡す。その夜、ダーリング夫妻がパーティーへ出かけた後、ピーターパンが自分の影を探すために家に忍び込む。ウェンディに影を縫い付けてもらったピーターは、彼女が翌日から一人部屋に行くことを知り、彼女をネバーランドに連れていって迷子(ロストボーイ、ピーターの子分たち)のママになってもらうと言い出す。ウェンディの提案でジョンとマイケルも一緒にネバーランドに行くことになり、3人はティンカー・ベル(ティンク)の粉の力で空を飛び、ピーターとともに右から2番目の星にあるネバーランドへ出発した。
しかし、ネバーランドに到着してすぐにピーターの宿敵・フック船長率いる海賊の砲撃を受ける。ピーターからウェンディらを隠れ家に避難させるよう指示されたティンクは、ウェンディへの嫉妬から、ロストボーイたちを唆して彼女を撃ち落とそうとする。命令に背いたティンクに激怒したピーターは、ティンクに永久追放を宣告した(その後ウェンディの頼みで1週間に短縮している)。
その後、ジョンとマイケルはロストボーイたちとともにインディアン狩り[注釈 4]に出かけ、ウェンディはピーターと共に人魚に会いに行くが、そこで酋長の娘・タイガーリリーを誘拐したフック船長らを見かける。フック船長はタイガーリリーを脅してピーターの隠れ家を突き止めようとしていたのだった。ピーターはフック船長の声真似でタイガーリリーを救出しようとするもフック船長に見つかってしまい、激しい戦闘になる。が、そこにフック船長の切り落とされた左手を食べたワニが現れ、フック船長を食べようとする。フック船長は部下であるミスター・スミーと共に、ワニに追い回されながら逃げていった。
誘拐されたタイガーリリーを救出したピーターはインディアンの酋長から酋長の一人に任命され、フライング・イーグルと名乗ることを許される。ピーターやジョン、マイケル、そしてロストボーイたちは踊り回って宴会を楽しむが、女性であることを理由に薪運びを命じられたウェンディは、怒りや落胆とともに一足先に隠れ家に帰り、ネバーランドから家に帰る決心をする。帰りたくないと訴える弟たちにウェンディは母親の存在の必要性を語り、家に帰るよう説得した。一緒にウェンディの話を聞いていたロストボーイたちもウェンディたちと共にネバーランドを去ることを決め、皆は隠れ家を出た。
一方、ティンクがピーターから追放されたという噂を聞いたフック船長は、今度はティンクの嫉妬心を利用し、ピーターの隠れ家を聞き出すことを計画する。果たして計画は成功し、フック船長はティンクから隠れ家の場所を聞き出すことができた。フック船長はティンクをランプケースに閉じ込め、ウェンディら姉弟やロストボーイを全員捕縛し、ピーターにはウェンディからの贈り物と偽って時限爆弾を贈る。
海賊船に連れてこられたウェンディたちは、フック船長から海賊の子分にならないかと持ちかけられ、子分にならなければ甲板に渡した板から海に飛び込んでもらう(海賊のリンチ)と脅迫される。ジョンたちは脅迫を恐れて子分になろうとするが、ウェンディはピーターの救助を信じていた。が、フック船長の口からピーター殺害の計画を聞かされ、自分たちが罠に嵌められたことに気がつく。そしてその直後、ピーターのもとに届いた時限爆弾が爆発した。
ピーターは爆発寸前にランプケースから脱出したティンクに助けられ、あわやというところで一命を取り留めた。ティンクはウェンディたちが危ないので救出に行ってほしいと訴えるが、ピーターは自分にとって一番大切なのはティンクなので、ティンクを助けるのが先だと主張する。その後共に隠れ家を脱出したピーターらは、最初に板から飛び降りたウェンディを救出。次いで捕縛されたジョンやマイケル、ロストボーイたちを全員解放する。ジョンたちはマストの上の見張り台に立てこもり、襲い来る海賊たちと接戦を繰り広げる。かくてピーターとフック船長の最終決戦が始まった。
登場人物
- ピーター・パン(Peter Pan)
- ピーター・パン#ディズニー版を参照。
- ウェンディ・モイラ・アンジェラ・ダーリング(Wendy Moira Angela Darling)
- ウェンディ・モイラー・アンジェラ・ダーリング#ディズニー版を参照。
- ジョン・ダーリング(John Darling)
- ダーリング一家の3姉弟の2番目。年齢は10歳前後。
- 太縁の丸メガネとシルクハット、コウモリ傘を持った少年。弟のマイケルと共に毎晩ピーター・パンごっこをして遊んでいる。作中ではロストボーイたちのリーダー格としてふるまう。
- 頭脳派で、何事にもまず計画を立てて挑もうとする性格。だがそのために周りが見えなくなることもあり、インディアン狩りの際にはそれが原因で逆に包囲され、捕まってしまう。
- 原作では終盤、ウェンディと同様、大人に成長した姿が描かれており、髭を生やした男性に成長した。
- マイケル・ダーリング(Michael Darling)
- ダーリング一家の3姉弟の末っ子。年齢は5~6歳。
- クマのぬいぐるみを持った短髪の少年。兄のジョンと共に毎晩ピーター・パンごっこをして遊んでいる。
- 原作では終盤、ウェンディ、ジョンと同様、大人に成長した姿が描かれており、鉄道の機関士となっている。
- ティンカーベル(Tinker Bell)
- ティンカー・ベル#ディズニー版を参照。
- フック船長(Captain Hook)
- フック船長#ディズニー版を参照。
- ミスター・スミー(Mr. Smee)
- フック船長の部下で、海賊船の水夫長。青い横じまのTシャツと赤い短パン、鼻眼鏡をかけた小太りの男性。泣き上戸。
- 間抜けで臆病なところはあるが、フック船長の良きパートナー。劇中では何度かフック船長の手助けをしようとするが、ドジを踏んでしまい結果的にフック船長にとってマイナスの結果となってしまう事が多い。
- 胸に「MOTHER」と書かれたハートの刺青があり、作中ではウェンディの歌を聞いて泣き出し、フック船長に窘められている。
- チクタクワニ(Tick-Tock the Crocodile)
- ネバーランドの海に棲む大きなワニ。ピーターが切り落としたフック船長の左手を食べ、味を覚えてからはフック船長を食べようとしつこく追い回している。ただし、フック船長を口の中に入れても噛み付かずに飲み込んでしまう事が多い為に毎回逃げられている。
- フック船長本人の代わりに目覚まし時計を飲み込んだことがあり、ワニが近づくとこの目覚まし時計の音でわかる。
- 迷子(ロストボーイ)(Lost Boys)
- ピーター・パンの部下の少年たち。全て動物の形の衣装を着ている。
- 2で名前が明かされており、それぞれキツネがスライトリー(Slightly)、クマがカビー(Cubby)、アライグマがツインズ(The Twins)、ウサギがニブス(Nibs)、スカンクがトゥートルズ(Tootles)。カビーは原作での名称はカーリーである。
- 最後はウェンディたちとともに現実の世界に帰ろうとするが、次の機会にすると言ってまたネバーランドに帰った。なお、原作ではウェンディたちとともに現実の世界へ帰り、ダーリング家の養子となる。その後、ウェンディたちとともに学校へ通い、立派な大人に成長した(成人に成長後、カーリーとニブスが社会人となり、スライトリーは貴族のご令嬢と結婚し、トゥートルズは裁判官となった)。
- 酋長(Indian Chief)
- ネバーランドのインディアンの酋長。噓が大嫌い。
- ロストボーイたちにタイガーリリー誘拐の嫌疑をかけ、捕縛したが、ピーターがタイガーリリーを救出したことで疑いは晴れた模様。
- タイガーリリーを救出したお礼の宴会でピーターを酋長の一人に任命した。作中では宴会で足を激しく動かすダンスをしている。
- タイガー・リリー(Tiger Lily)
- 前述のインディアンの酋長の娘[2][注釈 6]。ピーターと親しい。
- ピーターの隠れ家を聞き出すためにフック船長に誘拐されるが、頑として口を割らなかった。
- インディアン(Indians)
- ネバーランドの一角に住んでいる。ジョンの言うところによるとブラックフット族。樹になりきってマイケル達に近づいた。かなりの荒くれで粗野な部族という設定がなされている。
- ロストボーイたちのことを「白人の子供」と呼んでおり、彼らとは何度も戦いを繰り広げてきた。もっとも戦いといっても「戦争」というよりは「戦争ごっこ」とでも言った方が正しく、相手を捕まえては逃がすという一種のゲームのようなもののようである。酋長によると「勝つこともあるし、負けることもある」とのこと。
- タイガーリリーを救出したお礼の宴会で据え置き型の太鼓を叩きながら歌を唄った。
- 彼らによると挨拶の言葉である「ハウ」は何も知らなかったインディアンが質問するときに使った言葉で、気に入らないために使う言葉「アグ」は妻の母(義母)を見たインディアンが驚いたときの言葉、また宴会の歌詞である「ハムナムナンダ」の「ハム」「ナム」「ナンダ」は全て「何?」という意味らしい。
- 彼らが赤い肌をしているのは、100万年前のインディアンがメイドにキスして赤くなったからとのこと。
- 人魚(Mermaids)
- ネバーランドの一角に住んでいる。全て女性。ピーターと親しいが、最近はなかなか会えないでいるらしい。
- ピーターがフック船長の左手を切り落とし、ワニに与えた話がお気に入りで何回も聞いている。
- ウェンディと遊ぶと称して水の中に引きずりこもうとしたり、水を浴びせかけたりしてウェンディの怒りを買った。
- フック船長のことを恐れているらしく、フック船長が近くに来たと知るとあわてて水の中に飛び込んで隠れる。
- ナナ(Nana)
- ウェンディたちの子守りの犬。犬種はセント・バーナード[2]。
- ウェンディの話を聞きに来ていたピーターの影を奪ったことがある[注釈 7]。
- 激怒したダーリング氏に外につながれるが、終盤で再び屋内に戻されている。
- ジョージ・ダーリング(George Darling)
- ウェンディたちの父親。ピーター・パンの物語を子供のおとぎ話だと思っている。
- 短気かつ現実主義な性格で、激高すると心にもないことを言ってしまうが、本心では子供たちのことを心から愛している。
- 作中ではパーティーに遅れそうになってアタフタしていたところに、付けていくカフスボタンをジョン達に「宝物」として勝手に使われた上、胸当てを「宝の地図」代わりにマーカー[注釈 8]で落書きされた事で激怒し、ジョン達の落ち着きのない行動が、彼らやウェンディをいつまでも「子供」として扱っている事だからと決めつけて、ウェンディに一人部屋暮らし(すなわち「大人」として扱う事)を宣告してしまう。だが帰宅後は落ち着きを取り戻し、先の発言に関して素直に反省していた。終盤、夜空に浮かぶ海賊船の形をした雲を見て過去に自身も空飛ぶ船を見たことがあると話した。
- メアリー・ダーリング(Mary Darling)
- ウェンディたちの母親。ピーター・パンの物語は子供の空想だと思っているものの、ジョージの様に頭ごなしに否定しようとはせず、彼らの話を頑なに「与太話」と拒絶しようとするジョージを宥めたり、ジョージの言動に反感を抱くジョンを諭すなど、家族の中では良き仲裁役として、夫や子供達の双方を温かく見守っている。
原作本『ピーターとウェンディ』。
(1911年に発表された小説『ピーターとウェンディ』(Peter and Wendy)はイギリス・スコットランドの作家ジェームス・マシュー・バリーの作品。空を飛ぶことができる少年ピーター・パンが架空の国ネバーランドで冒険する物語である。)
作者のジェームス・マシュー・バリー。
ロンドンの空は重力が弱いのだろう。
だからよく、人が飛ぶのだ。
(メリーポピンズ)
(ピーター・パン)
ピーターパンが何から変身したのかとずっと不思議で、バッタだろうかと思ったこともあったが、
ピーター・パンはネバーランドから来たこどもだった。
ティンカー・ベルはネバーランドからピーターパンと一緒に来た妖精。蛍のようだ、とこどもたちも言う。光の精という感じ。ピーターパンの守護霊なのかもしれない。
ティンカー・ベルは喋らない。というか、余りにも小さい為、声の音波が人の耳に届きにくいということなのかもしれない。
ピーター・パンには通じる。というか、観客には通じる。
ティンカー・ベルのアイデンティティーは「女」なのだ。
なので関心が、女という言葉の対概念、男にしかない。
彼女にとっての男は、ピーター・パンただ一人。よって新たな女であるウェンディにやきもちを焼く。
ティンカー・ベルの嫉妬は、この作品では彼女のエネルギー。
彼女の生きる動機はピーター・パンなのであり、嫉妬が激しいと炎のようになり、それで葉っぱを焼き突き抜けたりする。
これはラムちゃんにも似ている。嫉妬が可愛く表現されているというのは、もの凄くフィルターがかかっているのだろう。現実の嫉妬は、ただ醜いと思う。逆に言うと、アニメこそその嫉妬を可愛く使えるということだ。
ピーター・パンがなぜウェンディーの家に来たのかもよく分かっていなかったが、それはピーター・パンが、ウェンディーたちの家に影を忘れていったからだった。
この設定に大納得。いかにもピーター・パンが来る理由。ファンタジーは、このいかにもが描けるかが肝なのだと思う。
これが通ると、もうファンタジーは現実よりも濃く強くなる。
ファンタジーの必然性として、誰かが強烈にその世界を信じていなければならない。
この映画で信じているのはウェンディー。
彼女は、誰に何を言われても、その信念を曲げない。
その世界を守っている。
だからピーター・パンが来る。来られる。
その来訪タイミングも重要。
ウェンディーは、その夢見がちな感じをお父さんに咎められ、子供部屋から一人部屋へ明日移ることになったのだ。
そういう今夜だから、ピーター・パンが忘れた影を取りにやって来た。
しかし、信念だけでは空は飛べない。
ここで、光の精ティンカー・ベルの光の粉が振りかけられる。
ここに感動した。
いかにも、という感じマックスで。
ティンカー・ベルは、まるで花粉のように光の粒子をまとっている。
それをピーター・パンは砂糖のようにつまんで、ウェンディーたちに振りかけるのだ。
それは飛ぶだろう、と納得する。
このタイミングが凄い。お父さんは会社のパーティーに行かねばならない。
お母さんも一緒に行く。
しかしお父さんは、自分の金のカフスが見つからない。
それで家中がドタバタする。ドタバタすると、人間のキャラクターが短時間で出る。
よって観客はすんなり、この家の人たちの性格や事情を知ることが出来る。
しかしここで、ドタバタのきっかけや内容は、深刻なことであってはならない。
金のカフスが見つからない。それくらいの、外から見たら笑える程度のこと。
そんなことで家中ひっくり返ってるの?ということが可笑しく楽しい。
こども思いのお父さんだからこそ、心配して色々かっかしてしまう。
こどもたちも、それを十分に分かって、だからじゃれてゆくのだ。
犬のナナも可愛い。
自分も人間だと思っているその様子がよく出ている。
お父さんにより、子供部屋から強制退場(笑)。
一番下の子マイケルがナナにもティンカー・ベルの粉を振りかけ、一緒にネバーランドに行こうとするのだが、犬小屋に強制退場させられたナナの首輪には紐が付いていて、飛べない。ここもリアル。
ウェンディーは、いつも弟のジョンとマイケルにピーター・パンの話を聞かせていた。
よって三人は世界観をシェアしている。
何の説明もなしに、後は、ピーター・パンが住んでいる、大人にならなくていいネバーランドを目指せばいい。
とても仲のいい三人は部屋を別にされたくない。
ウェンディーは、「大人になんかなりたくない」と言う。とてもよく分かる流れ。
ネバーランドはずっと子どもでいられるところ。
国だと政治めくのだろう。
だから、ランド。あくまでも「そういうところ」、陸地。島。
フック船長は一体なぜ左手がフックなのだと分からなかったが、ピーター・パンと戦ってそうなったらしい。左手がそうなったことより船長が気にしているのは、その左手をピーター・パンが海に投げ、それをワニが食べて味をしめ、体全部を食べようと狙ってやって来ること。ここが面白いと思った。
お話的、肉を切らせて骨を断つというか。
このワニの設定が秀逸で、フック船長の左手の後で時計を食べたために、接近してくるとチクタクチクタク音がするということ。普通には、あり得ない。ワニは即時計を吐き出す or ワニは時計を消化できず排泄 or 時計が詰まるか時計の何らかの成分で死ぬ。
しかしお話、ファンタジーとしては、この普通の自然さはつまらない。
ファンタジーとは空想であるから、人類に周知された科学のカテゴリーや定説を利用しつつ、その枠からの0.5の飛躍が必要なのだろう。飛躍し過ぎると訳わからなくて自滅する。この塩梅が、きっと一流料理人のそれなのだ。その塩梅こそが命なのだろう。
フック船長の手下のミスター・スミー▼がまた秀逸。名前は、日本人が「ミスをする」と使うミスの逆からか。このとぼけぶり、ずっこけぶりは他の追随を許さない感じ。
フック船長の髭剃りを、鼻歌混じりで始めて、
船長の頭に鳥が乗っかったことに気づかない(笑)。
どころか(笑)、その鳥を船長の頭だと思い込み、鳥のおしりにクリームを塗り、鳥のお尻の羽を剃ってしまってお尻が丸裸。
鳥の方が気づいて飛び立つと、「船長の頭がない!」と慌てる(笑)。
そして船長の頭を探す。もう凄いと思う。
この、心配の重みの優先順位が間違っているというのが、ほんものの、天才間抜けキャラ。
そこは、船長が死んだことを嘆くのであって、頭を探すっておかしいでしょ、と誰もが思う。
しかしスミ―は思わないのだ。
いかにもスミ―らしい。いかにもスミ―らしい、と思うのは、もうそれまでにスミ―の間抜けぶりが何度も何度も薄紙を重ねるように重ねられてきたから。このスミ―の日本語訳吹き替えは熊倉一雄さんしかいないと思って調べると(わたしは音は英語で視聴)、果たしてそうだった。熊倉さんは、ピノキオのゼペットじいさんの声も入れている。熊倉さんは、声で命を吹き込める俳優さんだ。
インディアンの酋長の娘タイガー・リリー
が溺れているところを救ったピーターパンは、酋長から厚くもてなされる。
この辺りの描写には色々問題はあると言えるが、未来が過去を「遅れている」と糾弾しても、それは遅れているに決まっている。
ここはもう、そういう設定のそういうキャラクターだと思って楽しめばいいと思う。
「遅れている」ことが劣っているかというと、一貫していると考えればそちらの方が、浮かれず宗教的かもしれない。
この映画は、全員を愛を持って描いていると思う。それが分かれば、悲しくはならない。
スミ―は船長の耳に、ゴシップを入れる。
曰く「女の話です。ウェンディーという女に嫉妬したティンカーベルを、ピーターパンは切ったらしいんです。」
すると船長は、「嫉妬というのは使える。」と言い、「そのティンカーベルに先導してもらおう。」と言う。
何を先導するかというと、ピーター・パンの居場所。船長とスミ―は、ピーター・パンの居場所を知らない。船長はスミ―に言われて、元の海賊の生活に戻ろうとしているらしく、明日船出するから今日のうちにピーターパンを懲らしめたいらしいのだ。
船長に命令され、スミ―がティンカーベルを蛍のようにつかまえると、船長はベルの女の部分に働きかける。
「ウェンディーという女が来て、ピーターパンがその女にうつつを抜かしたんだな?……」
とこれを聞いているとまるでピーターパンは光源氏。
分かってくれたのね!と喜びを隠せないティンカーベルは、船長の罠に嵌ってピーターパンの居場所を教えてしまう。
言葉は使わないティンカーベル、船長の地図にその場所を示す。とたんに、フックはベルをガラスの箱に閉じ込める。
酋長から、タイガーリリーを救ったお礼にワシの羽の冠を貰ったピーター▼は、すっかりここに染まってしまう。このとんでもない適応力というのは、こどもそのもの。ウェンディーの二人の弟も、すっかりここに染まって、お母さんが犬のナナだと思ってしまっているほど、家のことをすっかり忘れている。ここは、ゾッとする怖いシーン。ずっとこどもならいいな、ずっと夏休みならいいなと思いつつ、それは恐ろしいことだと、成長したこどもは気づく。何もしないでだらけていると、自分というものを失うのだ。自分が、自分ではなくなって、しまいには犬や木や、空になってしまうのだ。自分解放と自分喪失は、一見似ているが、実は全くの別物。
実は、自分を解放するには、自分を失わずに、自分を制御コントロールしなければ、というか、そうする以外になく。ピアニストがピアノを練習するように、自分を解放するには自分をコントロールして自由に扱える練習をしなければならないのだ。
そういうことは、経験で分かる。縄跳びの二重跳びが出来るようになるには、寝っころがって二重跳びが出来る夢を見ているだけでは駄目なのだ。
ウェンディーは、ネバーランドではみんなのお母さん役になる。
ここでずっとこうしていては駄目、と気づく。
ここにリアリティーがある。
ウェンディーは少し前まで、女として、タイガーリリーに嫉妬していた。
しかしはっとして、お母さんになったのだ。
こういう、一人の中での役割チェンジは、まるで自転車のギアチェンジのよう。
チェンジする時を逃すと、人生詰んでしまう。
ウェンディーが母親讃歌を歌うと、みんなうっとり。外で聞いていたスミ―も、お母さんが恋しくなって泣き出す。
こどもたちは「今すぐお母さんのところに戻ろう!」と目が覚める。
するとウェンディーは、「行きましょう、うちのお母さんもあなたたちを歓迎するわ(ネバーランドの子たちもお母さんに会いたいとなったので)」
と言ってから、「ピーターパンが許可すればね」と言う。ここはもう、ピーターパンの妻のような発言。
すると奥から出て来たピーターパンは、「帰ればいい!でも、一旦帰ったら、もう二度とネバーランドには来れないぞ」と言う。
ここがリアル。いつでも何でも出来たら、お話は緩む。
角野栄子さんがインタビューで、「キキの魔法は飛べることだけにした、何でもアリだと嘘っぽくなるから」というようなことをおっしゃっていたが、そういうことだ。
一回性。何度でも出来たら切実性はゼロ。一度しか出来ないから、それが貴重な話になるのだ。
こどもたちが「一生のお願い!」と何度も言うのは、こどもには一瞬一瞬が命懸けの一生なのであり、笑ってはいけないのかもしれない。
こどもたちが「お母さんのところに出発だ!」と階段を上がっていき、遅れて、ピーターパンにお別れをそっと言ってウェンディーが上がっていくと、そこでは、こどもたちが船長の手下に捕まってグルグル巻きになっている。はっとなったウェンディーも口を塞がれ捕まる。
船長は、ベルから聞いたピーターパンの居所に、ロープでリボン付きのプレセントの箱を下ろす。
フック船長の船のマストに、子供たちは縛り付けられた。
船長はこどもたちに、「今日は特別な日だ。今子分になれば、無料でイレズミを入れてやろう。」と言う。すると、ウェンディー以外のこどもたちは、腕にイレズミをした海賊のパフォーマンスにゲラゲラ笑う。ウェンディーだけが覚醒している。ウェンディーは保護者。絞って言うと、ピーターパンが遊び人の夫で、ウェンディーはこの子たちのお母さん。
この話は、ウェンディーが強く信じているから始まったのだが、ウェンディーは、強く信じているから覚醒しているとも言える。
ウェンディーにとって、この夢のような時間は理想の体現なのであり、ただの夢のようなお話になってはならないはずだ。
ウェンディーはだから、この世界での不正に怒る。唯一本気でここに来ているウェンディーだから怒れるのだ。
船長は、子分になることをもし断るなら今この板から落ちてもらう、と言う。
その板というのは、船から海に突き出しているのだ。
甲板の海賊たちは、「卑怯者は、一度やったらやめられない。宝物がざっくり」などと楽し気に、踊りながら歌う。
この一見誘惑に見える、やったら酷いことになりますよという愛は、凄く効くなと思う。
こういう、一見楽なのは、後でツケが回ってくるものなんだということを、こどもは成長しながら気づいてゆくのだ。
しかしまだ幼い、ウェンディー以外のこどもたちは、「子分になります!」と言い、海賊たちはロープを切る。するとこどもたちは喜んで船長の所に走ってゆく。するとウェンディーが「恥を知りなさい」。「でも船長の言うことを聞かないと、海に落とされちゃうよ」と言うこどもたちに、
「大丈夫よ、ピーターパンが助けに来てくれるわ」とウェンディー。
すると船長が待ってましたと「ピーターパンにプレゼントをおくった。その手紙には、『6時まで開けないでね、ウェンディーより』と書いてある。箱の中には時計があって、6時になったら時限爆弾が爆発、ピーターパンはこの島から吹き飛ばされるのさ!」と笑う。
脅えるウェンディー。それを聞いていたベルは、閉じ込められていたガラスの箱の中でバタバタする。すると箱は倒れ、ガラスは割れ、ベルは飛び立ってゆく。
「あと15秒で爆発だ」とフック船長。
しかしベルは光の速さの妖精。
もうすぐ6時。ピーターパンが箱を開けようとすると、光の速さで飛んできたベルが、全身で駄目と言ってリボンを引っ張る。
そして全身で「それはフックからの物で!中には爆弾が!」と言う。しかし信じないピーターパン。なおも箱を開けようとすると、ベルは箱を奪って外にでる、と同時に箱が爆発。
その煙を見た船上のフックは、「惜しい人を亡くしました……」などとおどけて大仰に言う。
爆発現場は黒焦げ。気が付いたピーターパンは、「本当に爆弾だった……。」と言い、「ティンク!」と探す。すると遠くに弱い光と鈴の音。「ティンク!死ぬな!僕にとって世界一大事なのはおまえなんだ!」とピーターパン。ここが、ファンタジーのリアルだと思った。
これはウェンディーの夢かもしれないのだ。
でももし、ウェンディーの夢なら、ピーターパンはこう言わないだろう。
いや、これは全てウェンディーの夢なのだ、とも言える。ウェンディーは、夢の中で急ピッチで心の成長を遂げているのだ。
明日、こども部屋を出るから。
ウェンディーがこどもだったら、ここでピーターパンはこんなことを言わないのだ。ウェンディーがこどもだったら、ピーターパンはウェンディーのことだけを愛しているのだ。
いや、ウェンディーが今日までこどもだから、ピーターパンはこんな純潔を言うのかもしれない。
「さあ、子分になるサインをするか、それとも板で海に落ちるか」と迫るフックに、
ウェンディーは「わたしたちはあなたたちのクルーにはなりません」と言う。
すると「ではレディーファーストでどうぞ」とフック。
ウェンディーはためらわずに板を渡る。
そして落ちる。
しばらくして、「しぶきがあがりません!」とスミ―。
しぶきも音もしない、不吉だ、と海賊たち。
船の下ではウェンディーをお姫様だっこしたピーターパンとその回りを飛び回るベル。
「しぶきがありません!不吉です!」と騒ぐ船員に、
「じゃあしぶきを見せてやろう!」と船員の一人を海に落とすフック。
「次はお前だ」と言ったその時、ピーターパン登場。
「もうお前の好きにはさせないぞ!」とマストを飛び移るピーターに、
「やったー!」とこどもたち。
「生きてる……。」と脅えるスミ―。
「今日こそ決着をつけてやるぞ!」とフックは剣を構えた。
ピーターパンも剣を構え、まずこどもたちのロープを切り、解放する。
船長とピーターがやり合って、マストの上に行くと、「飛んでばっかりでお前はスズメだ」(笑)と船長。
「よし、飛ばずに、こっちも片手だけで勝負だ!」とピーター。
見ていられないウェンディー。「飛んで、ピーター」と叫ぶが、ピーターは「僕は自分が言ったことは守る!」。
剣で戦っていると、ピーターが勝ち、フックを帆で包んだ。すると慈悲を乞うフック。
気を許すとフックは抗戦に。
最後に一撃を与えてフックがマストから落ちると、そこにはあのワニが口を開けていた。
しかし生命力の半端ないフックは、そのワニのしっぽにまで呑み込まれたのに脱出、海面を走ってゆくのだった(笑)。
後を小舟で追いかける、海賊たち……。
海賊船の上のピーターは、「さあ、この船で出発だ!」と言う。
すると「船長」とウェンディー。
「どこに行くの?」とウェンディーが訊くと、
「ロンドンだ!」とピーター。
「まあ!」とウェンディー。
そこでティンクが妖精の粉を振りかけると、船は黄金になってピカピカに光った。
黄金の船は、浮かびあがり、空を飛び始めた。
11時近くなり、ウェンディーの両親がパーティーから帰ってくる。
こども部屋を開けると、ベッドにウェンディーはいない。
窓辺を見ると、窓は大きく開いていて(ウェンディーが「ピーターパンが来るから窓を閉めないで」と言ったのだ。)、窓辺にウェンディーが。
目覚めたウェンディーは、興奮気味にネバーランドのことを語る。
なんだ、ウェンディーが見た夢だったのか……と観客が失望していると、
「ピーターパンの船さばきを見せたかったわ」とウェンディー。
その時お父さんが外を見てびっくり。お母さんもびっくり。
夜空の満月を、船が横切っていくのである。
お父さんは、「何だか懐かしいな。昔、子供の頃、自分もあれを見た気がする。」
「まあ……。」とお母さんとウェンディーはお父さんに抱きつく、というハッピーネバーランドエンディング。
これは、数学の証明問題の模範解答なのだと思う。
『不思議の国のアリス』を書いたルイス・キャロルが数学者だというのが大変腑に落ちる。
ファンタジーとは、仮説を立てた証明を解くことなのだ。
そしてスマートに解かれた証明問題は、真実をたっぷり含むと同時に、とてもシンプル。
ルイス・キャロル
この映画『ピーターパン』。絵の数は200万枚、背景画は934枚とのこと。
今観ても凄いが、当時リアルタイムで観た人たちの驚きはいかほどだっただろう、と想像する。