『ビートルジュース』
人間退治のスペシャリストは、霊界一のトラブル・メーカー!?
奇才ティム・バートン監督の自由奔放なイマジネーションが開花した霊界コメディ!
ある日突然死んでしまった新婚カップル。
立派な幽霊になるために修業中の二人が、自分たちの住んでいた家に引っ越してきた変人一家を追いだそうと、霊界の用心棒"ビートルジュース" を呼び出した。しかしこの男、霊界一のトラブルメーカーだったから大変ーーー!?
マイケル・キートンの怪演ぶりに加えて、ウィノ・ライダーら豪華スターの若き姿、さらにバートンならではのクリーチャーたちも必見。(DVDジャケットより)
『ビートルジュース』(Beetlejuice)はティム・バートン監督によるホラーコメディ映画。ビートルジュースという名前はベテルギウスの英語読みの発音にbeetle(カブトムシ)とjuice(ジュース)を当てはめたものである。アメリカでは1988年3月29日にプレミア上映されたのち、3月30日に公開され、週末興行成績で初登場から4週連続で1位になり、11週間トップ10内にとどまる大ヒットとなった。第61回(1988年度)アカデミー賞にてメイクアップ賞を受賞した。
ストーリー
ニューイングランドののどかな田舎町に住むアダムとバーバラの夫婦は、車の運転中に事故で橋から自動車ごと転落しあえなく死んでしまう。2人は幽霊になったが、それをなかなか自覚できない。しかし家の外に出ると、サンドウォームのような怪物に襲われ、屋根裏部屋には「新しく死者になった者へのガイドブック」が置かれていたため、ようやく自覚した。
やがてその家に、ニューヨークから金儲けの機会をたえず狙っているチャールズと、一人よがりの彫刻を作っている妻デリア、前妻との娘で妙に冷めているリディアの一家が越して来た。アダムらは彼らを追い出そうと脅かすが、一家には彼らの姿は見えないらしく、まるで効果がない。ハンドブックを頼りに、後世社会(アフター・ライフ)のケースワーカー・ジュノーに相談すると、「ビートルジュースにだけは頼んではいけない」と忠告を受ける。ビートルジュースは正式にはベテルギウスといい、人間を追い出すバイオ・エクソシストの仕事をしている人物のことで、効果はないどころかトラブルが起きるだけだという。一方、一家のひとり娘である孤独なリディアは2人の幽霊の存在に気付き、彼らは仲良くなる。
ある日、チャールズが友人を呼んでパーティを開いたので、アダムらは脅かそうと試みる。その場にいたリディア以外の人物にバナナ・ボートを踊らせてみたが、彼らは驚くどころかチャールズは幽霊博物館を作って金儲けをしようと計画する。仕方なくアダムとバーバラはビートルジュースを呼び出したが、口八丁手八丁でスケベな彼は大騒動を巻き起こす。(Wikipediaより)
キャスト
- ビートルジュース - マイケル・キートン
- アダム・メイトランド - アレック・ボールドウィン
- バーバラ・メイトランド - ジーナ・デイヴィス
- リディア・ディーツ - ウィノナ・ライダー
- デリア・ディーツ - キャサリン・オハラ
- チャールズ・ディーツ - ジェフリー・ジョーンズ
- オーソ - グレン・シャディックス
- ジュノ - シルヴィア・シドニー
- マクシー・ディーン - ロバート・グーレ
- 伝道師 - トニー・コックス(演)/ジャック・エンジェル(声)
配役
キャスティングにおいて、当初リディアの母親役には『アダムス・ファミリー』のモーティシア役で知られるアンジェリカ・ヒューストンが演じる予定だったが、病気のためにキャサリン・オハラが同役を演じた。尚、オハラは同作品の美術を担当したボー・ウェルチと出会い結婚した。
リディア役には数々の若手女優が候補に挙がり、ジェニファー・コネリー、サラ・ジェシカ・パーカー、ジュリエット・ルイス、ブルック・シールズ、ダイアン・レインらがいた。
評価
レビュー・アグリゲーターのRotten Tomatoesでは62件のレビューで支持率は85%、平均点は7.20/10となった[4]。Metacriticでは18件のレビューを基に加重平均値が70/100となった[5]。
大林宣彦監督の『ハウス』を想起した。
★あらすじ
闇夜に姿を現す美女の幽霊。幽霊の正体は女子高生のオシャレ(本名・木枯美雪)。音楽家を父に持ち、東京郊外のお嬢様学校に通う彼女は、お嬢様然とした風貌に反し、金持ち呼ばわりを嫌う明朗快活な現代っ子。演劇部のエースとして「化け猫伝説」の練習に励んでいたのである。親友で同じ演劇部のファンタもオシャレの勇姿を撮影していた。
夏休みが近いある日、オシャレは突然帰国した父から再婚相手を紹介されショックを受ける。夏休みに父や再婚相手と軽井沢に行きたくない彼女は、いつも演劇部の合宿先に利用していた旅館が一時休業になったと知らされ、代わりの合宿先に長年会っていなかった“おばちゃま”の家を提案してしまう。慌てた彼女は後からおばちゃまに訪問したい旨を手紙で伝え、許可をもらう。
そして、オシャレとその仲間たちは羽臼屋敷に向かう。しかし東郷先生が出発前に事故で遅れてしまい、部員だけで行くことになる。電車の中でオシャレはおばちゃまの悲劇を仲間に伝える。未来を約束されたはずだった最愛の婚約者に赤紙が届き、婚約者は戦地へ行ったきり帰らぬ人となってしまう。悲しみにくれるおばちゃまに追い討ちをかけるように、妹(オシャレの実母)の結婚式が行われる。
電車からバスに乗り換え、さらに徒歩で羽臼邸に到着。7人はおばちゃまに歓迎されるが、その後降り掛かる惨劇のことは予想だにしていなかった――。★
『ハウス』は、やって来た人が家に食われる話。大林宣彦監督作品。
『ビートルジュース』はティム・バートン監督作品。幽霊夫婦が自分の家に閉じ込められ(▼家の外に出てみると生きられない環境、家の中にいるしかなくなった)、やって来た新入居者を追い出そうとする話。
★1985年公開の映画『ピーウィーの大冒険』
を成功させたティム・バートンのもとには多数の脚本が送られてくるようになったが、そのほとんどはバートンを失望させるような想像力に欠けたものだった。そのような状況の中で、バートンはマイケル・マクダウェル
(in『時計じかけのオレンジ』)
が書き上げた『ビートルジュース』の脚本に出会う。マクダウェルの脚本に感銘を受けたバートンは『ビートルジュース』の監督を引き受け、この映画を大ヒットへと導いた。★
★ビートルジュースという名前はベテルギウスの英語読みの発音にbeetle(カブトムシ)とjuice(ジュース)を当てはめたものである。
ベテルギウス▼[16](羅: Betelgeuse)は、オリオン座にある恒星で、全天21の1等星の1つ。おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンとともに、冬の大三角を形成している。バイエル符号での名称はオリオン座α星。★
(赤線:冬の大三角 青線:冬のダイヤモンド)
『ビートルジュース』は、
ラブラブな夫婦が犬をよけてトンネル橋に突っ込んで川に落ち、死んで幽霊になり、
自分の家から出られなくなる話。
家に新しい住人がやって来た。
しかしその住人は、幽霊夫婦が丹精込めてカスタマイズした色々を、ぞんざいに扱う。
繊細な幽霊夫婦は、とても我慢できない。
脅して追い出そうとするが、新住人夫婦には幽霊夫婦が見えない。家には幽霊夫婦と新住人の三人家族が同居。
唯一、夫の前妻の子、冷めたリディア(演/ウィノナ・ライダー)には幽霊夫婦が見える。
「なぜきみにだけ僕らが見えるんだ」と訊く幽霊夫婦の夫アダムに、
「生きている人は奇妙なものを認めないわ」とリディア。
奇妙というのは、何かの平均値から遠く離れているという偏見、バイアスなのだが、この偏見というのは、共同体が己を持続させるための安全弁だ。
襲われて惨殺されて消滅してはならない。
だから今までのメンバーに異物が混じっていないか、別の誰かが密かに混じり込んでいないか、点呼して、数が同じだったら、密かに入れ替わっていないか、間違い探しをして確認しなければばらない。
その太古の共同体の名残りが、村八分や差別という、シャットアウトシステムとして残っているのだろう。
リディアが、
撮った幽霊夫婦の写真を継母に見せても、継母は信じない。
物陰から様子を見ていた幽霊夫婦は、行き詰まって自分たちの屋根裏部屋に行く。
すると、夫が作っているこの街のジオラマの中から気配がする。
妻のバーバラが覗き込んで、「ビートルジュースよ」と言う。
さっき二人は、自分たちのケースワーカーから「ビートルジュースと三回言うと彼が出てきてしまう。でも絶対絶対呼んじゃ駄目」と言われていた。(お話約束ではこれは反語。呼べ、呼ばなければ話が進まないというフラグ)。
しかし、この家から新住人を追い出すことがうまく行かない二人は、「バーバラ、呼べ」「ビートルジュース、ビートルジュース」と三回名前を言ってしまった。
すると次の瞬間。二人は小さくなってアダムが作ったジオラマの中にいる。
あり得ないほどテンション高過ぎなビートルジュース▼に面食らった幽霊夫婦▲は、「おうち、おうち、おうち」と三回言って家に戻った。この時のビートルは、アダムと服装が全く同じ。黒白のチェックのシャツの中に赤い丸首シャツ、カーキ色のワークズボンにベルト。実はアダムが転生したのがビートル?そして幽霊夫婦はタイムスリップをしている?と一瞬思った(違うらしい)。
★ある日、新住人のリディアの父チャールズが友人を呼んでパーティを開いたので、アダムらは脅かそうと試みる。その場にいたリディア以外の人物にバナナ・ボートを踊らせてみたが、彼らは驚くどころかチャールズは幽霊博物館を作って金儲けをしようと計画する。仕方なくアダムとバーバラはビートルジュースを呼び出したが、テンションが超常現象レベルである彼は大騒動を巻き起こす。★
怖いとは、自分より強い物に対する感情のことだろう。
弱いものには、庇護してあげたいという保護本能、補填衝動、が出てくる。
ではなぜ、絶対的に小さい蜘蛛が怖いのか。
多分彼らは、技巧的に生命力が強いのだ。別水脈の強さ(やり方の違う生き方、サバイバル方法)なのだ。
それで、どこに進むが見当がつかず怖い、となるのだろう。
予想のつかない怖さ。そして、話し合いのつかない怖さ。
こっちの都合に決して忖度してくれないだろう、共感のない怖さ。
映画では、新住人の父が幽霊を恐れず、利用してショーで儲けようと考える。
リディアの継母の前衛彫刻家は、「どんな関係であれ、相手より優位に立たないと!」と言う。相手が幽霊であっても。
幽霊夫婦は隠れる。
そこで、超常現象の専門家が、二人を呼び出す。
結婚式の衣装の中に呼び出された二人は、とたんに老い、骨に皮のような容姿に。
「死んじゃう!」とリディア。もう死んでるのに、という。
つまり死ぬとは、その自己同一性オーラが弱まる、拡散することなのではと思った。
幽霊にも生者と死者があって。
というか、肉体に宿っていようがいまいが、霊に光のルクスのような強弱があって。
リディアは、実の両親より幽霊夫婦の方が好き。
バーバラは、リディアを自分の娘のように可愛く思っていて。死にたいと言うリディアを、死の先輩として(笑)止める。
ビートルジュースは、気に入ったリディアと強引に結婚式を挙げようとする。
すっかりリディアの親気分になっていた幽霊夫婦は、それを阻止しようとする。
一回灰のようになって小人として復活したアダムは、ジオラマの中の車を走らせ、誓いの言葉を言わないリディアの代わりに腹話術のように言い終えようとしているビートルジュースの足に突っ込む。
すると天井を突き破って実物大の車が落ちてきて、ビートルジュースを潰す。
この、アップサイドダウン、ミクロがマクロ、ミニチュアが実物大へ、という互換性が、生死二つの世界が混在しているこの家にふさわしく、自然。
この、作品の世界観にピッタリのことが起こり続けるということが、作品的自然で、この独特の自然を観せおおせることが、時間芸術である映画作品の意味というか存在意義なのでは、と思った。
この作品は一見滅茶苦茶に見えるが、滅茶苦茶なものほど太い筋が通っていなければとても見るに堪えないということになるのだろう。
この作品には、古くから人間社会に伝わる死のイメージ、死者のイメージ、あの世のイメージ、がシチューのように煮込まれている。
それでいて、古くない。
こういう古典的な箱には異常なほどのエネルギーを詰め込まねば、古臭く嘘っぽくなるのだろう。
このような設定の作品の主人公には、異常なほどのパッションが必須で、ビートルジュース演じたマイケル・キートンは、毛頭からも爪先からもそのパッションを出しまくっている。この人の霊魂が超常現象レベルのエネルギーを持っているため、役が不自然でも、不自然×不自然で自然にすぽっと収まってしまう。
ウィノナ・ライダーが演じたリディアも、いかにもあっちの人が求婚しそうなオーラ。ブラックかぐや姫という感じ。
こういう役にハマるのは、ウィノナ・ライダー。
そしてヘレナ・ボナム=カーター。
幽霊夫婦の、アレック・ボールドウィン演じた夫のアダムは、昭和の草刈正雄っぽい、二枚目の真面目な常識人。
昭和の草刈正雄さん。
ジーナ・デイヴィス演じたバーバラは、小花柄のワンピースが似合う可愛い妻。リディアに母性を発動する。
次のシーンでは、学校から帰ったリディアが、幽霊夫婦に試験の結果報告をしている。
アダムが教えていた理科がいい点だったので、お祝いが始まる。
すると階下で『生者と死者の共存』という本を読んでいたリディアの父が、顔を上げて、「リディアがAを取ったのか」と言う。
リディアが踊り出すと、宙に浮かぶ。
その頃ビートルジュースは、死者の役所で順番待ち。
右の死者の若い番号の整理券を自分の遅い番号のものとすり替えるというズルをすると、仕返しに、左の死者のように顔を小さくされてしまう。
宙に浮かんだリディアは、階段の横を天井近くまで上がっていって、幽霊たちと一緒にノリノリな様子のところで御機嫌エンディング。
面白い映画は、あり得ない!、を普通にする。
そのあり得ない!が普通になる縄跳びのような運動が笑いという現象なのかもしれない。
あり得ないが普通になればなるほど、自分という既得イメージが大きくなり、世界は広くなる。
だから、荒唐無稽なのに面白い映画は、観終わるとすっきりするのだ。
物でいっぱいだった心の部屋が、急に広大になって、足の踏み場が出来て。
リディアのお母さん役のキャサリン・オハラは、
『ホームアローン』シリーズのお母さん役で有名。
「霊界コメディ」というと、『大霊界』を想起する。作者は大真面目だったのかもしれないが。
★『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』(たんばてつろうのだいれいかい しんだらどうなる)は、1989年制作の日本映画。
心霊学と霊界の研究家としても知られる俳優の丹波哲郎のベストセラー「丹波哲郎の大霊界」の映画化作品。丹波は原作・脚本・総監督も兼任。後に舞台化もされた。
続編『丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!』(1990年)[2]、『大霊界3 死んだら生まれ変わる』(1994年)も制作された。★