『1941』
名匠スピルバーグが弱冠32歳で撮った実験的意欲作×初コメディ。『ブルース・ブラザース』の主演コンビに何と三船敏郎も共演!
【キャスト】
ダン・エイクロイド/ジョン・ベルーシ/三船敏郎
【スタッフ】
監督:スティーブン・スピルバーグ
制作年:1979年
『1941』(邦題としてはいちきゅうよんいちと読ませる)は、1979年に公開されたアメリカ映画。ユニバーサル映画とコロンビア ピクチャーズの共同製作。スティーヴン・スピルバーグ監督、ロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルが脚本。ミッキー・ロークのデビュー作である[3]。
概要
『ジョーズ』、『未知との遭遇』とヒット作を飛ばしてきたスティーヴン・スピルバーグが『未知との遭遇』に続いて監督した作品。
冒頭から『ジョーズ』のオープニングのパロディを用いたり、『サタデー・ナイト・ライブ』のキャストらを使った贅沢な映画だが、興行的には失敗。本作以降、コメディ関係は若手などに監督を任せ、スピルバーグは製作という立場をとることになる。2008年8月にユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン(現:ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントジャパン)からDVDが発売された。
本作のモチーフとなったのは、伊17によるカリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド製油所攻撃や、伊26によるカナダのバンクーバー島攻撃など、太平洋戦争中に遂行された日本海軍潜水艦による一連のアメリカ本土砲撃、そして日本軍の攻撃に対するアメリカ人の恐怖が引き起こしたロサンゼルスの戦いである。また1943年のズートスーツ暴動(英語版)もモチーフの1つとされる。
ストーリー
日本海軍による真珠湾攻撃から6日後の1941年12月13日。西海岸の住民は、次は自分たちだという見えない恐怖に包まれていた。やがて南カリフォルニア防衛の任を負う陸軍第3軍団[注 1]司令官にジョセフ・スティルウェル少将が着任し、陸軍、海兵隊に動員命令が下される。同時に市民防衛作戦が発令され、アメリカ国民は南北戦争以来の、母国の"守り"に就くこととなる。
そんな中、日本海軍の伊19潜水艦[注 2]は羅針盤が故障したため、カリフォルニア州沿岸に迷い込んでいた。艦長のミタムラ中佐[注 3]は現在位置がアメリカ本土に近いことを知ると、「軍事的価値は薄いものの、ハリウッドを攻撃すればアメリカ人の戦闘意欲を喪失させる効果はある」とハリウッド攻撃を計画する。しかし、伊19に同乗するドイツ海軍の観戦武官、フォン・クラインシュミット大佐[注 4]はミタムラの作戦に懐疑的だ。
迎え撃つは、「真珠湾の次はロサンゼルスが標的にされる」と信じて疑わないP-40 トマホーク(戦闘機)の飛行士、沿岸の住宅地に高射砲を据える軍曹、それを見て愛国心を燃やす老人、貧弱な民間防衛組織、ダンスと女の子に夢中の青年、爆撃機を見ると欲情する女秘書官、芋畑に敵の秘密飛行場があると確信している大佐、慰問局の開いたダンスパーティにはしゃぐ兵士達、そして、この秋に封切られたアニメ映画『ダンボ』に涙しつつ「この街の住人は変な人ばかり」と嘆くスティルウェル司令官。
一方、ハリウッドを目指すためミタムラは忍者や侍の子孫である水兵たちを上陸させ、名前がハリウッドに似たホリー・ウッドという名前の木こりを拉致する。彼の荷物からスナック菓子のおまけであるおもちゃの小さなコンパスを見つけた日本兵は歓喜するが、ホリーはそれを強引に飲み込んでしまう。そのため彼は、再びコンパスが出て来るまで日本兵たちに監視され続ける羽目に陥る。
やがて、空襲警報が鳴り響くロサンゼルス上空に未確認機が飛来し、沿岸では伊19が浮上する。遂にサンタモニカに広がる遊園地をハリウッドの一部と誤認した日本軍の攻撃が開始された。
スタッフ
- 監督:スティーヴン・スピルバーグ
- 製作:バズ・フェイトシャンズ
- 製作補:ジャネット・ヒーリー、マイケル・カーン
- 製作総指揮:ジョン・ミリアス
- 原案:ロバート・ゼメキス、ボブ・ゲイル、ジョン・ミリアス
- 脚本:ロバート・ゼメキス、ボブ・ゲイル
- 撮影:ウィリアム・A・フレイカー
- プロダクションデザイン:ディーン・エドワード・ミッツナー
- 美術:ウィリアム・F・オブライアン
- 衣装デザイン:デボラ・ナドールマン
- 編集:マイケル・カーン
- キャスティング:サリー・デニソン
- 音楽:ジョン・ウィリアムズ
- 舞台装置:ジョン・P・オースティン
キャスト
役名 | 俳優 | ||
---|---|---|---|
フランク・トゥリー軍曹 | ダン・エイクロイド | ||
ウォード・ダグラス | ネッド・ビーティ | ||
ワイルド・ビル・ケルソー大尉 | ジョン・ベルーシ | ||
ジョーン・ダグラス | ロレイン・ゲイリー | ||
クロード・クラム | マーレイ・ハミルトン | ||
ウォルフガング・フォン・クラインシュミット大佐 | クリストファー・リー | ||
ルーミス・バークヘッド大尉 | ティム・マシスン | ||
アキロー・ミタムラ中佐 | 三船敏郎 | ||
マッドマン・マドックス大佐 | ウォーレン・オーツ | ||
ジョセフ・W・スティルウェル少将 | ロバート・スタック | ||
チャック・ストレッチ・シタースキー伍長 | トリート・ウィリアムズ | ||
アメリカ人魂を見せつけられたというか、スピルバーグのエネルギーを見せつけられた。
どんな題材であっても、陽気な元気充溢のスピルバーグ料理に仕上げてしまう。仕上がってしまう。
この映画は、戦争を、人間たちのおバカな大カーニバルとして料理したもの。
真珠湾攻撃の年1941年は、『ダンボ』の公開年だったのか、としみじみする。劇中に『ダンボ』の映像が出てくる。『ダンボ』を劇場で見ながら、合わせて歌い出す上官がいる。この平和を戦争は壊したのだな、と胸が痛くなる。
予告編だけで涙が出てくる。
スピルバーグが、この映画に三船敏郎を出しているのが凄い。
三船がこの映画に出ることで、アメリカと日本は、あの戦争を題材にエンターテインメントを作った共作者、つまり過去にした、ということになる。
最高の仲直りの儀式。
しかしその作品の中では、米日はあくまで敵同士を演じなければならない。
そうでなければリアリティーが出ず、戦争反対宣言にならない。観客に対しての戦争抑止効果にならない。
(左から、ドイツ人ウォルフガング・フォン・クラインシュミット大佐役を演じたクリストファー・リー、スピルバーグ、三船敏郎)
カリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッドとは、アメリカの心の聖地。
そこをクリスマスシーズンに襲撃されるとなったら、アメリカ人は総出で迎撃しなければ、となる。
サンタクロースもディズニーもクリスマスツリーも観覧車もインディアンも総出で。一家のお父さんも黙っていない、アメリカ人として恥じない戦いをします、となる。
しかしとことんバカバカしい戦い方。気持ちが空回りして、準備したことがドミノ倒しに倒れてゆく。
工場も家も遊園地も自らぶっ壊してしまう。
そのバカバカしいカタルシス。
解放感。
潜水艦の上のドイツ語はアコースティックギター、三船の言葉はお琴、そして米語はエレキギター。そのそれぞれの独自の音を崩さないのが、自己尊重の尊い調べ。
三つの言語楽器が醸し出すハーモニー。
しかし全体的には狂騒曲。強烈にドタバタ、ハチャメチャ。
戦争時代に生き合わせたら、それを土台に生きねばならない。
それが生活になり、その中で息抜きや希望を見つけねばならない。
その希望とは、戦争中ならば「早く勝ってこれを終えたい」、だろう。
戦争中の関心事は戦争。よってアニメの題材も戦争になる。
のらくろも戦争漫画。戦争が日常となったら、その勝ち負けや味方同士の上下関係という力学を、ゲーム的に、スポーツ的に楽しむということになってくるのだろう。というか、それしかないことが、危険。しかし、命が懸かっている。それ以外に注意を向けることは出来ないし、それ以外に注意を向けたら命が危険。
よって長引くと、それで遊ぶしかない。それで楽しむしかない。それに憧れるしかない。兵隊さん人形然り。
大山のぶ代さんが歌うオープニング。独特のアクセントが「いなかっぺ大将」のオープニングっぽい。
アメリカンドリームそのものであるスピルバーグ監督の、夢のパワーが炸裂しているのが凄い。
また、こういうアメリカの夢を壊すなよという日本に対する仕返し的オーラではなく、一緒に、壊さないようにしようという握手を感じるのが凄い。
握手しようとしているから、日本人司令官役に三船を出すのだ。三船に三船リズムでものを言わせるのだ。
アメリカ軍人が、相手が日本軍人か否かを見分けるときに「日本人は小さいから、竹馬に乗ってないか調べてみろ」と命令し、部下が相手軍人の脛を蹴り、「日本人じゃありません!」というシーンに笑った。こっちに短い思考が要されて。その後「それはドリフだろう?」と思って。
ドリフの爆発オチ▼。これはそういう爆発力の表現。誰かを傷付ける目的ではなく誰かと一緒に日常からの解放を爆発的に楽しむ爆竹や花火なら、いい。
芸術は、爆発だ。きっとそれは、平和宣言。
燃えられずに燻った心が、陰湿ないじめや鬱につながるのではないかと思う。
だとすると、常に心をカラッと陽気にしておきたい。しかしなかなか現実はそううまくいかない。
という人々のために、花火は代替的に、燻った心の身代わりに上げられるのかもしれない。
そういう燻った、燃えられない人々のために、太陽の塔はずっとそこで、代替的に、満たされない心の核融合をしてくれているのかも、しれない。
そこから、数値化視覚化できない元気を、こっちに送り続けてくれているのかも、しれない。
パラボラアンテナたちは、太陽の塔から飛散した、元気の胞子なのかも、しれない。
カササギは、その胞子から孵化した唯一の生物なのかも、しれない。
『1941』の音楽はジョン・ウィリアムズ。『未知との遭遇』のこの▼テーマ曲もジョン・ウィリアムズ。わたしはこの曲を初めて聴いたときからしばらく、そのメロディーに病みつきになっていました。シンプルであるがゆえに、人類の祖先からの暗号のように脳内をジャックするメロディー。または未来の宇宙人からのメッセージ。
しかし嫌いになるということはなく、本能的に拒絶するということもなく、そのメロディーはただただ、魔除けのように脳外の雑音から脳内の泉の静寂を守ってくれたのでした。
免震構造のビルが、地震で敢えて揺れることによって芯がほとんどブレないように。二重の入れ子構造を逆に揺らすことで、外からの揺れを相殺する仕組みのように。
ジョン・ウィリアムズ