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今夜は『スミス都へ行く』
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名匠フランク・キャプラが正義と理想を高らかに謳いあげた、アメリカ映画史に残る名作
★第12回アカデミー賞® 受賞脚本賞〈原案〉
【ストーリー】
上院議員の急死により、後任議員の指名が行われることに。
ペイン議員らは、政界の事情を知らない少年警備隊の隊長スミスを議員に祭り上げる。
だが、スミスは議会の目論みをよそに、熱意をもって行政にあたり、ペインや政財界のボスであるテイラーの不正に気づく。
彼らは汚職の濡れ衣をスミスに着せ、政界から葬り去ろうと画策。
一度は挫折するスミスだが、秘書サンダースに激励され、ペインたちのダム建設案の不正を暴く勇気に満ちた名演説を始める…。
名匠キャプラが<アメリカの良心>を描く、笑いと感動のヒューマン・ドラマの傑作。
主演は名優ジェームズ・スチュワート。
『スミス都へ行く』(スミスみやこへいく、原題: Mr. Smith Goes to Washington)は、1939年、コロンビア ピクチャーズ製作によるアメリカ映画である。
略歴・概要
原作はルイス・R・フォスター(Lewis R. Foster)の『モンタナから来た紳士』。
主人公スミスは田舎のボーイスカウトのリーダーだったが、死亡した上院議員の代わりに、政界に担ぎ出される。スミスはそこで政治の腐敗と単身対決することになる。
第12回アカデミー賞で、作品賞を含む合計11部門にノミネートされ、原案賞を受賞。主演のジェームズ・ステュアートは、第5回ニューヨーク映画批評家協会賞において男優賞を受賞した。
上院議員が議会で議事妨害(フィリバスター、牛タン戦術)を行う場面がある。
ストーリー
中西部の或る州選出の連邦上院議員が急死した。その州では新聞社を経営するジム・テイラーとその一派が、州知事をはじめとする政治家とともに、新規ダム建設に関する大規模な不正を行っていた。テイラーはある土地を二束三文で買い占めてから、その土地に政府のダムを誘致し、莫大な利益を得るつもりだった。歳出案を可決しダムの誘致を成功させるためには早急に新しい上院議員を選出しなければならない。しかし後継者選びは難航した。テイラーの手先である州知事は迷った挙句、ボーイスカウトの団長を務める青年ジェファソン・スミスを指名した。スミスは子供たちから絶大な人気があり、その親からの票が望めることと、理想は高いが政治に無知で、頭も悪く、テイラーの傀儡にしやすいことがその理由であった。そしてスミスは上院議員に選出され、合衆国の首都ワシントンで政治家となることになった。
出発の日、スミスはもう一人の同州選出連邦上院議員のペインと列車に乗り込んだ。偶然にもスミスの父親クレイトンとペインは志を同じくする親友だった。かつてクレイトンはジャーナリスト、ペインは弁護士として巨悪と戦っていたのである。クレイトンは一人で巨大な組織を敵に回して雄々しく戦ったが、様々な嫌がらせを受けた挙句、殺されてしまった。スミスはペインに問う。「一人の人間が、組織と戦って勝つことはできないのでしょうか」ペインは答える。「できない」
ワシントンに到着したスミスだが、若く純朴で、世間知らずの田舎者が上院議員になったことを世間が放っておくはずはなかった。マスメディアはスミスについてあることないことを書き立て、世間の笑いものにしてしまった。スミスは激怒し、自分を貶した記者が集う酒場に文句を言いに行った。だが合衆国の政治を嫌と言うほど見てきた記者たちは、スミスを能無しの傀儡呼ばわりし、反対にこてんぱんに言い負かしてしまった。スミスは自分は(記者の言う通りの)能無しだと自覚させられ、意気消沈して家路についた。その夜、スミスはペインに会いに行き、少しは政治家らしいことをさせてほしいと懇願する。例えば法案を提出するようなことをだ。ペインはすぐには首を縦に振らなかったが、スミスの熱意に押されたのか、秘書の助けを借りて少年のためのキャンプ場を建設する法案を作ってはどうかと言う。子供が好きなスミスは二つ返事で頷いた。スミスは女性秘書のサンダースの後押しも受けて、法案を猛スピードで書き上げていった。
ある日の議会。スミスは突然立ち上がり、議場に響き渡る大声で「議長!法案を提出します!」。他の議員たちはスミスを嘲り笑う。議員たちも、スミスを能無しの傀儡だと思っているのだ。極度に緊張しているスミスは、ときどき声を裏返らせながらも自身の法案を読み上げた。スミスの一言ごとに議場は大きな笑いに包まれた。ところが、「このキャンプ場はウィレット川のテリー渓谷に位置し…」。その瞬間、ペインは血相を変え、議場を飛び出していった。傍聴席でこの議会を見物していたテイラーの手下もその後を追う。スミスは知る由もなかったが、スミスはテイラーがダムのために買い占めようとしていた土地に少年キャンプ場を作ろうとしていたのだ。もしスミスの法案が可決されたら、テイラーの野望は叶わない。初めての法案の提出を成功裏に終わらせたスミスだったが、彼を取り巻く環境は既に一変していた。父と同じ正義の味方として尊敬するペインは、とうの昔に悪に屈服しており、テイラーの不正に手を貸していた。そして、ペインとテイラーはスミスの法案を撤回させるために不気味に蠢き始めていた。
とうとうスミスがダムの不正に気が付くときがきた。ペインがテイラーとグルであることにも。まずはテイラーが、続いてペインが、スミスに対して脅迫に近い説得を行い、ダムの不正に目をつぶることと、キャンプ場建設のための法案を撤回することを要求した。スミスはペインが悪に染まっていたことに衝撃を受けるが、法案の撤回にだけは応じなかった。すると翌日の議会で思いもよらぬ事態が起こった。ペインがスミスを告発したのだ。スミスはキャンプ場予定地に私有地を持っていて、法案は彼自身に利益誘導をするためのものだという。もちろんテイラー一派のでっちあげだ。しかし議会は実績のないスミスよりも、ペインを信じた。ペインの求めに応じてスミスの疑惑に関する公聴会が開かれることになった。公聴会では、テイラー一派がスミスが不正を働いたとする証拠、証人を次から次へと提出し、スミスはなすすべもなく追いつめられた。とどめにペイン自身が証人台に立ち、嘘八百を並べ立てた。合衆国の政治に絶望したスミスは折角与えられた反論の機会を放棄し、無言で公聴会を後にした。もはやスミスが不正を働いたと信じない者は誰もいなかった。スミスの支持者の子供たちさえも。その後、秘書のサンダースは、スミスをリンカーン記念堂の中で見つけた。スミスは声を殺して泣いていた。スミスはサンダースに、リンカーンのような政治家に憧れていた自分がいかに愚かだったかを語り、議員をクビになったら故郷に帰るつもりだと明らかにした。だがサンダースは気弱なスミスを叱咤し、テイラーやペインの巨大な組織と戦えと言った。スミスの父がそうしたように。ひとりぼっちで。「でもどうすればいい」スミスは尋ねる。「方法があるわ。教えてあげる」サンダースは答えた。
翌日。議会ではスミスの上院からの追放が満場一致で可決される見込みだった。しかしスミスは議会に現れた。その表情は決意に満ちていた。議会にざわめきがひろがった。クビになるのは避けられないのに、今さら何をしようというのか?いよいよスミスの追放決議案が採決されようというとき、スミスが突然立ち上がり、議長に発言を求めた。「議長!」傍聴人にまぎれたサンダースも野次を飛ばした。「彼に喋らせてちょうだい!」他の傍聴人もサンダースに同調した。「そうだ。彼に喋らせろ!」面白い見世物を期待したのかもしれない。そして議長はスミスに発言権を与えた。「早く私をクビにしたいようですね。あれだけの証拠があっては無理もありません。しかしその前に申し上げたい。この前は阻止されたが今度は言います。言い終わるまで去りません」何かを感じ取ったのか、ペインが起立し発言を求めた。議長がスミスに尋ねた。「発言権を譲りますか」嫌です!と、スミスは激しく拒否する。「わたしは昨夜、ある人から教えを受けましてね。議会では他人に発言を譲る必要はないと知りました。つまり好きなだけ話せるのです」いかなる上院議員も、他の議員の討論をその議員の同意無しには中断させることができない。スミスは上院の規定を利用して議事妨害(フィリバスター、牛タン戦術)を続けることにより、テイラーの不正を全国民に暴露しようと目論んだのだった。
そしてスミス上院議員、最後の演説が始まった。
ザ・カタルシス。
誰よりも議長▼が嬉しそうで良かった。
最後、スミスと同郷の、スミスのお父さんと同級生だったペインが、猫の首にやっと鈴を付けてくれて、ジ・エンド。
途中から、このテイラー軍団がロシアのプーチンに見え、スミスがウクライナの人々に見えてきた。
国連、G7が、最後のペイン▼の役を担えたら、と祈る。
大人たちは実業家テイラーから利益を受けているため、テイラーの思うままに動くしかない。
テイラーはペインやスミスの州の実力者。テイラー王国と言ってもいい、テイラーの資金で回っている州。
マスコミも買収してしまうため、その州に報道の自由などない。
でもそれで安泰。テイラーの言うことを聞いていれば、政治家は落選の心配もない。
政治家というより政治屋。政治ビジネス。
スミスは地元上院議員の急な死去を受けて議員になった。
スミスはハッピーというテイラー傘下の政治家の子供たちのボーイスカウトの団長で、ハッピーが急遽代わりに推薦する上院議員の二択で悩んでいたときに、こどもたちが推薦したのだ。
ハッピーは、ズブの素人の方が懐柔し易いだろうと、そのスミスを推薦。
スミスはペインと首都ワシントンへ「上京」。
原題は「MR.SMITH GOES TO WASHINGTON」。
邦題は「スミス都へ行く」。
スミス役のジェームズ・スチュワートは、『素晴らしき哉、人生!』の主演の役者。『素晴らしき哉、人生!』の公開が1946年、この映画の公開が1939年。どちらも監督はフランク・キャプラ。
相性がいいのだろう。
なんというか、バカ正直な人、という役が似合う人。
この映画でも、とにかくとことんバカ正直。
最初「お上りさん」風に描かれていて、スミスは国会議事堂を見て感動、
同行の人達のことを忘れて一人で観光バスに乗り、国会議事堂やワシントン記念塔▼や
リンカーン記念堂▼などに行き、その壁面に刻まれた「人民の、人民による、人民のための政治」という文言に本気で感動する。
ひょんなことから議員になったスミスの、正義を求める血筋の才能が開花してゆく。
スミスは本気。
本気でリンカーンに心酔している。
本気で理想に燃え、自由の実現のために政治はある!と再確認。
物凄い若さ。
心の若さ。
熟練の政治家たちやジャーナリストたちには「ターザン」、と言われたり、とにかくバカにされる。
国会議員として個人部屋が与えられる。その部屋で出迎えるのが、個人秘書のサンダース▼。
何にも知らないスミスは、サンダースに色々訊く。
ペインは政治屋に成り下がっているため、そんな生真面目なスミスを嗤う。
うまくやっていればそんなことしなくてもいいとばかりに。
うまくやる、とは恐ろしい言葉だ。
つまり長い物に巻かれて社交辞令をしていればなんとかなる、というズルい生き方。
しかしスミスはそれを許せない。
スミスの父親クレイトンはジャーナリストだった。クレイトンとペインは志を同じくする親友だった。かつてクレイトンはジャーナリスト、ペインは弁護士として巨悪と戦っていたのである。クレイトンは一人で巨大な組織を敵に回して雄々しく戦ったが、様々な嫌がらせを受けた挙句、殺されてしまった。スミスはペインに問う。「一人の人間が、組織と戦って勝つことはできないのでしょうか」。ペインは答える、「できない」。
その父の孤独な戦いを引き継ぐかのように、スミスは一人で戦う。
スミスは、法案を勉強するには法案を通してみることがいいと思い立つ。
地元にキャンプ場を作って都会の子たちをキャンプに招待して自然を体験させてあげたい、そのために必要な法案を通そうとする。しかし、あろうことか、その場所はテイラーが安く買ってダムにして高く売ろうとしていたそのダムの川岸だった。
よって、テイラー側にその法案通過を阻止される。
孤立無援となったスミスは、議長に発言を許された議員は発言が終わるまで発言し続けることが出来るという法を利用して時間稼ぎとして発言し続ける。
傍聴席から見守るサンダース▼
これは、一つの作戦だ。
その間に地元の市民の応援が得られると見込んでいたのだが、テイラー▼は権力を総動員して情報操作もする。
サンダースからの電話を受けたスミスのお母さんがボーイスカウトの子供たちと新聞を作って、テイラー軍団の陰謀を暴こうとして配ろうとすると、新聞が強奪される。
議場に、ペインが地元の声として持ち込んだ大量の手紙は、スミス不支持(これもテイラー側の仕込みのヤラセ)。
スミスが発言できるのは、立っている間、この議場にいる間、である。
立ちっぱなしで演説していたスミスは、とうとう倒れてしまう。
もはやここまでか、観客は失望。トンネルが塞がれた、と感じたそのとき、
ペインが走り出し、議場を出て、銃声が数発聞こえる。
自殺か?と観客は思う、ペインが自殺したら、日本で秘書が自殺して不祥事の真実が闇に葬られるのと同様、テイラーを潰せない……
と思っていると、
ペインが走ってきて、「自分には議員の資格がない!」と叫び、
全てを早口でぶちまける。
スミスの命に別状はない。
サンダースもほっと一安心。
スミスとサンダースの心は繋がっている。
今後もいい関係が続くのだろう。
議長が、アメリカの理想や良心をスミスの中に見て嬉しそうにポケットから何か出して口に入れ、
微笑しながら食べ出したところで、ジ・エンド。
報道の自由、政治の理想、一人一人の自由、豊かな生活のための政治、という理想を失わない一人の若きアメリカ人の姿が描かれている。
つまり民主主義とは何なのだ、という自問自答が描かれている。
第12回アカデミー賞で作品賞を含む合計11部門にノミネートされ、原案賞を受賞、に納得。
ストーリーの本筋が面白い。
エンドロールで、「アルプス一万尺」が流れる。
これは、「ヤンキードゥードゥル」。アメリカの独立戦争のときの愛国歌なので、ここで流れるのだ。
🔶🔶🔶🔶『ヤンキードゥードゥル』(Yankee Doodle)。
アメリカ合衆国の民謡で、独立戦争時の愛国歌である。1978年にはコネチカット州の州歌に採用された[1]。
原詞(一部)
Yankee Doodle went to town,
a-riding on a pony;
Stuck a feather in his cap
and called it macaroni.
[ Chorus ]
Yankee Doodle Keep it up,
Yankee doodle dandy.
Mind the music and the step.
And with the girls be handy!
和訳(一部)
マヌケなヤンキー(ヤンキードゥードゥル)が
子馬に乗って町へ行った
帽子に羽根を一本さすだけで
イタリア仕込みの洒落男気取り
ヤンキードゥードゥル その調子ヤンキードゥードゥル イカしてるね
音楽にあわせてステップ踏めれば
女の子たちだってイチコロだ!
🔶🔶🔶🔶
日本語訳「アルプス一万尺」。こどもの頃は「アルプス一万尺 子ヤギの上で アルペン踊りを さあ踊りましょ」と動物虐待を推奨してしまっていたが、正しくは「小槍▼の上」。
🔶🔶🔶🔶「小槍」とは槍ヶ岳の山頂(標高3180m)付近にある岩である[6]。ただし、小槍はロッククライミングの技術がなければ登れないので、実際にそこで踊るのは簡単ではない[7]。🔶🔶🔶🔶
(お借りした画像より)
映画デビュー1年前、1934年のジェームズ・スチュアート
🔶🔶🔶🔶191cmの長身で、その誠実な人柄と、日々の生活で困難に立ち向かう「平均的な中流階級のアメリカ人」の善良な役柄を多く演じたことによる印象から「アメリカの良心」と呼ばれた。米国ボーイスカウト連盟の功労賞シルバー・バッファロー章の数少ない受賞者の一人でもある。(Wikipediaより)
🔶🔶🔶🔶
in『甦る熱球』
in『裸の拍車』
in『裏窓』
in『夜の道』
軍服姿
1973年撮影
1981年撮影。全部かっこいい宝田明さんを想起した。
宝田明さん
in徹子の部屋
それまで、俳優のイメージがあるからとお話されなかった戦争の体験を、役者ならではの表現でオープンに語ってくださったこの動画、まっすぐな気持ちで視聴しました。ありがとうございます。
🔶🔶🔶🔶『近代映画』→『Kindai』 - 1945年12月に創刊。元は邦画情報誌だったが、後に男女両方扱うアイドル誌に転換、2009年11月号を最後に休刊🔶🔶🔶🔶