ようこそ映画の小部屋へ
今夜は『ラストエンペラー』
をお迎えしました
枕草子の美学×源氏物語の帝王学×平家物語の敗北感、兵どもが夢の跡、という感じ。絢爛豪華な退廃感。
対比の落差がエクスタシー。
そして長椅子の後ろに手を突っ込む。
ほらあった、
と溥儀は何かを取り出す。
それはあの、壺。コオロギが入っていた、あの壺。(当時映画館で観た時、これがコオロギ?バッタじゃない?英語もグラスホッパーと聞こえたような…でも鳴き声はコオロギか…とモヤモヤしたが、一緒に観ていた人が「国によって名前が微妙に違うんじゃないか」と言って、保留。今回も再びこのことが一瞬引っかかった(笑))
コオロギ
バッタ
溥儀は男の子にさあ、と壺を渡す。
男の子が蓋を開けても、なんだろう、という感じ。
男の子が辺りを見回すと、さっきのおじいさんはいない。
ふと壺に目を戻すと、中からコオロギがかさかさと出てくる。
まるで、溥儀がコオロギになってしまったかのような、イリュージョン。
そしてカメラは大量の騒々しい観光客に移る。
引率のツアーコンダクターがアルプス一万尺のサイレンを鳴らして注意喚起すると、観光客は静かに。そこで、
「清朝最後の皇帝溥儀は、1967年に死去しました」。
ここで、泣いてしまった。
ここで時空が異化される。
溥儀が紫禁城に来る前のシーンのデモは1967年だったので、カメラが移り変わる前に溥儀は死んだ、とも解釈できるし、
溥儀は、立ち入り禁止のロープの向こうに入ったときに、あの世に行ったのかもしれない。
壺のあの同じコオロギが生きている訳がなし、壺の中で繁殖世代交代、でもないのだろう。
立ち入り禁止の向こうに足を踏み入れたところから、もうこの世にはいなかったのかもしれない。
そして「そこに入っちゃ駄目だよ」と言う男の子も、この世の者ではなく、紫禁城に棲みつく幽霊なのかもしれない。
男の子が一人でいるというのが不自然なので。
それまでずっと史実に忠実だった(役者のルックスも史実に似せていた)ためか、この部分の微量の、しかし禁断っぽい毒にも薬にもなるファンタジーが効いて、感動してしまう。
朕は君主である、朕の命令に逆らえる者はいない、と常にエンペラー然としていた溥儀の、戦後戦犯として収容所行きが決まってからの自殺未遂、助けられて後の収容所生活、最期の一市民、庭師としての諦めのような地に足がついた幸福のような素朴な佇まいに、胸打たれる。天国から地獄まで味わった人間の、流されて流されて最後に残った僅かな砂金のような輝き。
1967年、亡くなる年、収容所で教育係だった人が文化大革命の赤衛兵のデモで罪人として引き回されているのを見た溥儀は、「この人は悪い人ではありません!」と救い出そうとする。しかし迸る時代の流れを、溥儀には止めることは出来ない。
ものごころつく頃には皇帝だった。何でも自分の思い通りだった溥儀。墨を飲めと命令すればお付きの者は墨を飲む。
何度も毒味をされる食事は、毎回盛大なショーのよう。
(黄色は皇帝の色。皇帝以外が着てはならないという掟)
(▼実際の溥儀)
▼『アラビアのロレンス』のピーター・オトゥール演じる家庭教師。
視力が落ちたとき、皇帝はメガネをかけないという紫禁城の因習を破ってメガネをかけ、
婉容と結婚し、
側室▼が一人。
辮髪を
切り落とし、テニスなどもして、西洋化。
婉容も、西洋化。
婉容は情緒不安定か、パーティー中に、飾ってあった生花を貪る。
婉容は溥儀の運転手の子を身籠る。
生まれた子は溥儀の後継者になるはずだったが、子供は生まれるとすぐに殺されてしまう。
溥儀には死産と報告される。
相手の運転手も暗殺される。
この件は日本人甘粕(坂本龍一)▼と川島芳子▼による陰謀であることがほのめかされる。二人は男女の仲であるようなムード(川島芳子が、この映画では誰とでも寝るノーボーダーな、ある意味人類総フレンドリーな人物として描かれている。ルックスは常に武人モード)。
男装の麗人、日本軍に協力する清朝の王女、としてマスコミに騒がれた川島芳子。
静養を終えた婉容は廃人のようになり、目を合わせた人に次々唾を吐く。
その後の婉容の様子は描かれていないが、史実では日本の敗戦と満洲国の崩壊に伴い、溥儀が日本への亡命を企て逃亡した後、義妹らわずかな親族や従者と共に取り残され、その後孤独のうちに四十歳になる前に死去したらしい。
凛としていて瑞々しく、お美しいです。
紫禁城とコオロギの取り合わせが芸術。マクロとミクロ。コントラバスとピッコロ。
コオロギ漢字変換→蟋蟀
🔶🔶🔶🔶コオロギ(蟋蟀、蛬、蛩、蛼)は、昆虫綱バッタ目(直翅目)キリギリス亜目(剣弁亜目)コオロギ上科の総称である[1]。分類体系によってはコオロギ科ともなるが、指し示すものは同じである。🔶🔶🔶🔶
コオロギは、バッタ目、キリギリス亜目、コオロギ上科。
会社で言うと、バッタ会社にキリギリス部署があり、その中にコオロギ課がある。
だからバッタでもキリギリスでもコオロギでもいいのだろう。
わたしはバッタ会社の者です、わたしはキリギリス部署の者です、わたしはコオロギ課の者です、いずれも正しい。
長年のモヤモヤ解消(笑)。
撮影の様子。大事業。壮観。
劇中、溥儀が自転車で走ったところ▼。紫禁城では自転車は体に悪いと言われていた。しかしピーター・オトゥール演じる家庭教師が乗って見せ、そんなことはないことを実証。溥儀も乗る。
溥儀と乳母のアーモの関係▼は男女関係。
溥儀はアーモを「好きな女」、「自分の蝶」と言う。
溥儀の幼少期を演じたこの子▼は、母国語が英語だったのだろうか。そうじゃないとしたら、とんでもない天才。この幼さで、外国語で自然にふざけたり遊んだりするって。
ルックスも動きも、とにかくアジア人の可愛さが凝縮された子。
インディ・ジョーンズのこの子▼もそうだった。無邪気で快活、恐れや諦めや疲れを知らない、アジアの可愛い男の子。
ジョン・ローンは、イギリス領時代の香港出身のアメリカ人(お借りした画像より)。この切り抜きはロードショーかスクリーンだろうか。キャプションの独特な文体、表記、ウケる。
▼ロードショーとスクリーン。表紙はいずれもジェニファー・コネリー。この頃の2誌はよく買っていました。大学で映画の字幕翻訳家の先生の授業を取っていて、その流れで
ジョン・ローンの、他出演作品。
ベルナルド・ベルトルッチ監督
他監督作品。
ピアノと二胡のラストエンペラー世界の宝、坂本龍一
オーケストラのラストエンペラーコオロギに始まり、文化大革命で終わるかのような、演奏。