2015年度第四問、藤原新也「ある風来猫の短い生涯について」というエッセイからの出題です。

 

この問題の最終設問(四)について考えてみましょう。

 

1.各設問と設問(四)その統一的なあり方

★各設問と設問(四)における筆者の心のあり様

設問(四)は次のようなものです。

 

(四)「不意にその臭いのことが愛しく思い出されるから不思議なものである」(傍線部エ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

 

この傍線部エを含む最終段落を引用してみます。

 

〔引用文〕

死ぬと同時に、あの肉の腐りかけたような臭気が消えたのだが、誰もが不快だと思うその臭気がなくなったとき、エ不意にその臭いのことが愛しく思い出されるから不思議なものである

 

なぜ、なにが「不思議」なのでしょうか?
 

この設問を考える前に、本問の四つの設問を並べてみます。

どういうことが見えてくるでしょうか。

 

設問

(一)「なにか悠久の安堵感のようなものに打たれる」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。
(二)「死ぬべき猫を生かしてしまったのだ」(傍線部イ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(三)「私はそれはそういうことではない、と薄々感じはじめていた」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(四)「不意にその臭いのことが愛しく思い出されるから不思議なものである」(傍線部エ)とあるが、どういうことか、説明せよ。(下線による強調はすべて引用者)

 

各設問に私が施した下線部分に注目してください。

 

この下線部に示された筆者の状態はすべて、筆者の藤原氏が意識しないで、受け身、あるいは自発的に、いつのまにかそうなっている、そうなっていた、ということです。

 

この藤原氏は、猫とのかかわりにおいて、「意識的に能動的である」ということがほぼないのです。このことが意味するところが問われているのです。

 

本文は次のように展開します。

 

藤原氏は一匹の野良猫を保護します。日頃、藤原氏は山中の筆者の家近くの野良猫について、「自然に一体化したかたちで彼らの世界で自立している」と思い、餌やりがかえって、野良猫の生き方のシステムを歪めると考えて、餌やりや保護をしていなかったのです(こうした点においては、ある程度まで「意識的」です)。ところが縁あって一匹の猫を保護してしまう。体の状態はひどく、腐ったような臭いもする。「私は再びへまをした。死ぬべき猫を生かしてしまったのだ」。

 

★本問のクライマックス 慈悲の気持ちはどこから?そして、本問の出題意図

そしてこの猫について藤原氏がつぎのように述べるくだりがあります。藤原氏が猫とのかかわりで様々感じていく中での、クライマックスです。

 

〔引用文〕

 私が病気の猫を飼いつづけたのは他人が思うような自分に慈悲心があるからではなく、その猫の存在によって人間であるなら誰の中にも眠っている慈悲の気持ちが引き出されたからである。つまり逆に考えればその猫は自らが病むという犠牲を払って、他者に慈悲の心を与えてくれたということだ。

 

筆者は慈悲心があり、自発的に猫を保護したのでしょうか。ちがう、と藤原氏は言います。病んだ猫の姿が、藤原氏をいわばその「意識の外」から駆り立てた。そして「人間であるなら誰の中にも眠っている慈悲の気持ち」が引き出されたのです。

 

慈悲の気持ち、言い換えると、慈悲心と言われるものですが、これは、仏や菩薩が生けるものに快を与え、苦を取り除いてあげようとする心です。そういう仏や菩薩につながる心を、藤原氏は不意に持ったのでした。

 

さらに、ここで人は、孟子の「惻隠の情」を思い浮かべるかもしれません。小さな子が井戸に落ちそうな状況になっているのを見れば、救おうとするではないか、褒められたいとか、そうしないと非難されるとか、子の家族と親しくなりたいなどと思うなど一切なく、ただ小さいものへの哀れみから救おうとするではないか。こうした、いたたまれなくなるような、可哀そうに思う「惻隠の情」は「仁」という深い徳の端緒になると孟子は語ったのでした(『孟子』(上)岩波文庫、140~141頁)。

 

あるいは、宣王という中国(斉)の王が、目の前を曳かれていく牛が、これから儀式の犠牲になると知って、たまらなくなり(忍びない心)その牛をを離してやるように命じたという孟子にある逸話を思い起こすかもしれません(同書52~53頁)。こうしたふと感じた忍びない心を、さらに多くの事柄に広げていくことが、また仁につながっていくのでした(同(下)424頁)。

 

藤原氏の「慈悲心」もけっして惻隠の情や忍びない心とは無縁のものではないでしょう。それは、仁という人の根源に潜在的にあるものへとつながるなにかではないでしょうか。病んだ猫との出会いによって藤原氏の無意識が、激しく動き、走り始めたかのようなのです。

 

慈悲心というものは、「意識的に」持とうと思っても、わいてくるものではありません。病んだ猫、幼い子、犠牲になる牛、こうしたものとの「出会い」において、触発され、意識しないうちにわき上がってくる、そういう性質のものです。

 

ここには、東大の先生たちの問題意識があります。

 

人は意識的に考えようとし、意識こそが行動の始まりを画していくものだ、と考えがちである。たしかに意識は素晴らしいものかもしれないが、人は意識しない、という状態で大きな恵を受け取ることも多いのではないか、こうした問題意識ではないか、と思われます。

 

さて、そうすると、本問の最終設問(四)は、どういうことが問われているのでしょうか。

 

2.設問(四)猫の死後、あいつ、再び……

設問(四)は、「「不意にその臭いのことが愛しく思い出されるから不思議なものである」(傍線部エ)とあるが、どういうことか、説明せよ。」というものでした。

 

なぜ、なにが「不思議」なのでしょうか?
 

生きていた時の猫の悪臭が不思議と愛しく思い出される、あんな臭いをよくもまあ、愛しく思い出されるものだ、という藤原氏の感慨がどういうことかについて問われています。

 

さて、ここでも筆者は、自分でも思いもかけず、猫の悪臭が愛しく思い出されてきています。

 

本問の各設問は藤原氏の、意識の介在しない、受け身、あるいは自発的な心の動きが問われていたのでした。

 

クライマックスの設問(三)では、筆者が思いもかけず、猫に慈悲の気持ちを引き出されたということに関わるものでした。

 

猫の死後において、またしても、藤原氏は思いもかけないことに出くわしたのです。

 

通常、普通、悪臭を愛しく思い出すだろう、などとは人は思わないでしょう。意識の上では、悪臭を愛おしく思い出すことはないだろう、と思うのが通常の人の心でしょう。

 

あるいは、悪臭について、思い出す、思い出さないなどということも、ことさらに意識せずに生きているのではないでしょうか。

 

さて、そんなとき、「不意に」猫の悪臭が愛しく思い出されてくる。なんと以外なこと、との感慨を持つ。

 

猫はまたしても、藤原氏の不意を打ったのです。

 

これが「不思議」なのだと考えられます。

 

藤原氏からすれば、生きているときに不意に慈悲の気持ちを引き出してくれた猫が、死んだ後もなお、不意に自分の心を打ち、思いもかけなかったことを思わせてくれたという感慨を持ったことでしょう。

 

自分の思いもかけない心の動きをあの猫がもたらしてくれた。自分がいくら意識的に生きても、出会えないかもしれない心の動きや感覚にあの猫のおかげで巡りあえた。

 

生きているとき、死んだあと、猫は不意に、意識していても持てないような、心、感慨、感覚をもたらしてくれるなあ、またしてもやってくれたなあ、という趣旨のことを書けばよいのではないかと思います。

 

〔解答例〕

①猫との関わりの中で、慈悲心に続き、悪臭を愛しく思い出すなどという、思いもかけない心のあり様が再度もたらされたことは驚きであるということ。

 

②猫との関わりの中で、慈悲心と悪臭を愛しく思い出すという思いもかけない心のあり様が二度ももたらされたことは驚きであるということ。
 

東大現代文2016年度第一問 そのクライマックスと核心

 

今日は東大現代文の2016年度第一問、内田樹「反知性主義者たちの肖像」からの出題です。

 

この問題は、「正しい、正しくないとよく言われるが、こういうことは、頭の問題だろうか。知識や理論の問題だろうか。もっと体の感覚というものの働きも大事なのではないだろうか。信用してもいいのではないか。頭に比べて体は軽んじられているのではないだろうか」ということを思いながら読むと、親しみやすくなると思います。

 

1.設問(五)の概略~人物鑑定の基準の確かさを求める

本問の設問(五)について考えてみましょう。設問(五)は次のようなものです。

 

「この基準を適用して人物鑑定を過ったことはない」(傍線部オ)とはどういうことか、本文全体の趣旨を踏まえた上で100字以上120字以内で説明せよ。

 

この傍線部のある最終段落を引用してみます。

 

〔引用文〕

 個人的な知的能力はずいぶん高いようだが、その人がいるせいで周囲から笑いが消え、疑心暗鬼を生じ、勤労意欲が低下し、誰も創意工夫の提案をしなくなるというようなことは現実にはしばしば起こる。きわめて頻繁に起こっている。その人が活発にご本人の「知力」を発動しているせいで、彼の所属する集団全体の知的パフォーマンスが下がってしまうという場合、私はそういう人を「反知性的」とみなすことにしている。これまでのところ、オこの基準を適用して人物鑑定を過ったことはない

 

ここでは、次のように一旦整理してみます。

 

この基準を適用

→人物鑑定を誤ったことはない

 

このことは、「この基準」を適用すれば、人物鑑定を誤ることはない、という確信に基づいているでしょう。

 

では、なぜ誤らないのか?これを読み取るのが核心という問題作りになっています。

 

なぜ誤らないのか、その理由の部分はどこなのか?

 

ところで、「この基準」とは、ある人を「反知性的」とみなせる基準です。

 

「個人的な知的能力はずいぶん高いようだが、その人がいるせいで周囲から笑いが消え、疑心暗鬼を生じ、勤労意欲が低下し、誰も創意工夫の提案をしなくなるというようなことは現実にはしばしば起こる。きわめて頻繁に起こっている。その人が活発にご本人の「知力」を発動しているせいで、彼の所属する集団全体の知的パフォーマンスが下がってしまうという場合」に、ある人を「反知性的」とみなせると内田氏は書きます。

 

なぜ、その人がいると、「彼の所属する集団全体の知的パフォーマンスが下がってしまう」とはっきり分かってしまうのか?

 

この、なぜはっきり分かるのか、という事柄が基準の確かさにつながっています。

 

2.筆者(内田樹氏)がもっとも「ノッて」書いているのはどこか?

★具体例の重み

今日は、文章でその筆者がもっともノッて書いている箇所、というものに注目してみたいと思います。ノッて書いていれば、そこにこそ、その文章の核心があるのではないか、との推定が成り立つからです。

本問で内田氏の筆がもっとも走っているのはどこか?それは第9段落です。引用してみます。

 

〔引用文〕

ある人の話を聴いているうちに、ずっと忘れていた昔のできごとをふと思い出したり、しばらく音信のなかった人に手紙を書きたくなったり、凝った料理が作りたくなったり、家の掃除がしたくなったり、たまっていたアイロンかけをしたくなったりしたら、それは知性が活性化したことの具体的な徴候である。私はそう考えている。「それまで思いつかなかったことがしたくなる」というかたちでの影響を周囲にいる他者たちに及ぼす力のことを、知性と呼びたいと私は思う。

 

「たり~たり~」と畳みかけるような文体になっています。文章が走り始め、加速し始めています。

 

ここで書かれていることは、いわゆる「具体例」で、何かをしたくなる、ということを例示していきます。

 

そして、最後にまとめとして、「『それまで思いつかなかったことがしたくなる』というかたちでの影響を周囲にいる他者たちに及ぼす力のことを、知性と呼びたいと私は思う。」と書かれます。

 

これが内田氏が「知性」と呼ぶものです。

 

第8段落で「私は、知性というのは個人に属するものというより、集団的な現象だと考えている。人間は集団として情報を採り入れ、その重要度を衡量し、その意味するところについて仮説を立て、それにどう対処すべきかについての合意形成を行う。エその力動的プロセス全体を活気づけ、駆動させる力の全体を「知性」と呼びたいと私は思うのである。」と書かれていたことを展開したのが、第9段落です。

 

さて、「『それまで思いつかなかったことがしたくなる』というかたちでの影響を周囲にいる他者たちに及ぼす力のことを、知性と呼びたいと私は思う。」のでした。論理的な文章のなかの一文としては、かなりくだけた定義の書かれ方です。

 

もう少し「一般論化」するとどうなるでしょう?

 

★具体例の意味を自分で一般化すること

知性的な人と接した人たちが、それまで思いつかなかったことをしたくなる。「ずっと忘れていた昔のできごとをふと思い出したり、しばらく音信のなかった人に手紙を書きたくなったり、凝った料理が作りたくなったり、家の掃除がしたくなったり、たまっていたアイロンかけをしたくなったり」ということです。

 

この具体例はどういう事態を言っているのでしょうか?具体例を「例にすぎない」と読み飛ばすのではなくて、この「具体例」をどういうふうに一般論として、自分で考えていくのか、このことが問われています

 

単に本文中に、一般的な命題を探そうとするのではなく、自らで具体例から考える、このことが問われているのです

 

もう一度引用します。「「ずっと忘れていた昔のできごとをふと思い出したり、しばらく音信のなかった人に手紙を書きたくなったり、凝った料理が作りたくなったり、家の掃除がしたくなったり、たまっていたアイロンかけをしたくなったり」、このことの意味は何か?です。

 

実は、なにも難しいことが言われているのではありません。

ここで言われているのは、知性的な人は、周りの人々を、彼らが無意識のうちに、その身体的状態を活発にしている、能動的にしている、ということです

 

ということは、知性的な人に接すれば、身体状態が活発になる、逆に言うと、ある人と接して、自分の身体状態が活発になったと感じれば、その「ある人」が知性的であると、「事後的に」分かるのです。第11段落を引用してみましょう。

 

〔引用文〕

知性は個人の属性ではなく、集団的にしか発動しない。だから、ある個人が知性的であるかどうかは、その人の個人が私的に所有する知識量や知能指数や演算能力によっては考量できない。そうではなくて、その人がいることによって、その人の発言やふるまいによって、彼の属する集団全体の知的パフォーマンスが、彼がいない場合よりも高まった場合に、事後的にその人は「知性的」な人物だったと判定される(強調:引用者)

 

逆に、最終段落では、「その人が活発にご本人の「知力」を発動しているせいで、彼の所属する集団全体の知的パフォーマンスが下がってしまうという場合、私はそういう人を「反知性的」とみなすことにしている。」とされていました。

 

そして、こうしたふたつの段落で言われていた、「知性的・反知性的」とみなす基準の確かさを私たちは求めていたのでした。

 

なぜ、その人がいると、彼の所属する集団全体の知的パフォーマンスが上がったり、下がってしまうとはっきり分かってしまうのか?

 

その理由は「身体実感」です。自分の身体状態が活発になっているか、徒労を感じているのか。こうしたことは、誰かと接してみれば、直ちに自分で実感できます。ある実感は、あるか、ないか、このどちらかだからです。

 

この自らの実感に照らしてみれば、まさに「事後的に」、その誰かが「知性的」か「反知性的」かが、たちどころに判断できます。だからこそ、内田氏は、自分の基準の確かさを確信しているのです。

 

「身体実感」ということを、内田氏は、手紙を書きたくなる、アイロンをかけたくなる、などの例で、まさに身体状態が加速していくような文体で表現してみせたのでした。

 

こうした、文体が走り始め、加速していく箇所、筆者が「ノリノリ」の部分にはきっと、本文で最も重要なことが書かれているにちがいないと思います。

 

設問(五)の解答には、「身体実感があるから直ちに判断できる」という趣旨のことを書けばよいのではないか、と思います。

 

しかし、さらにもう少し考えてみたいことがあります。

 

3.本文における「身体」の重み

★設問(一)における「身体」

今、私は、内田氏の挙げた具体例を身体の活発化の実感というように一般化しましたが、実は、本問では、まさに「身体」が問題にされていた設問があります。傍線部アに当たる設問(一)です。

 

傍線部アを含む第3段落の一部を引用してみます。

 

〔引用文〕

この言葉はロラン・バルトが「無知」について述べた卓見を思い出させる。バルトによれば、無知とは知識の欠如ではなく、知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることができなくなった状態を言う。実感として、よくわかる。「自分はそれについてはよく知らない」と涼しく認める人は「自説に固執する」ということがない。他人の言うことをとりあえず黙って聴く。聴いて「得心がいったか」「腑に落ちたか」「気持ちが片づいたか」どうかを自分の内側をみつめて判断する。アそのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる人を私は「知性的な人」だとみなすことにしている。その人においては知性が活発に機能しているように私には思われる。

 

設問(一)は、「『そのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる人』(傍線部ア)とはどういう人のことか、説明せよ。」というものです。

 

「身体反応」という言葉が使われています。なにのか話をとにかく聞く。そのときに、納得のいくような身体反応があれば、その話は正しいものとして受け入れていく。

 

設問(五)とは文脈は異なりますが、内田氏は身体の反応ということをひとつの確かな基準として述べています。

 

内田氏は、本文全体をとおして、身体の感覚こそを知性という問題においては、重く考えていることがわかります。

 

本文の中盤以降では、「身体」という言葉を表面的には使ってはいませんが、「それまで思いつかなかったことがしたくなる」という表現(第9段落)で、身体反応というものを、知性という問題を考えるときの核心としてやはり重視しているのでした。

 

内田氏の考える、身体という視点から捉えられた知性的な人や知性的なあり方について整理してみると次のようになります。

 

①何かが正しい、間違っているということについて、得心がいくか否かという身体実感をもとに、自分の考え方の枠組みをそのつど作り変える人である。そこには相手の話を聞いて、自分の知の枠組みを変えるという、相手への尊重の姿勢がある(反知性主義者の逆。第4段落では、反知性主義者とは、自分が正解を知っているので、相手の同意や考え方を自分には必要がないと考える人物として書かれていました)。

②そうした身体実感は、集団的なあり方の中での相互関係において感じられるものである。言いかえれば、知性とは集団的な現象であり、構成員の相互関係の中で、絶えざる身体実感に基づく知の枠組みの作り変えによる合意形成のプロセスである。

③知性的な人同士による、そうしたプロセスの中にいれば、自らの身体が活性化していくことを感じることができる。逆に、自分が正解を知っているので、相手の同意や考え方を必要がないと考える反知性的人物に接すれば、身体が不活性化していくのを感じる。ある人に接することによってもたらされる身体の活性化、不活性化という実感の有無によって、その相手が知性的であるか否かが事後的に判断される。この判断は実感の有無という明確な基準(あるか、ないか)に基づくものなので誤りがない。

 

★設問(一)と(五)をつなげる

そこで、、今見た設問(一)と(五)とを「身体」、「身体反応」、「身体実感」という視点をとおして合わせて考えるとどうなるでしょうか。

 

これまでの記述では、断片的に設問(二)~(四)の視点も取り入れています(これらの設問についての詳細な記述については、また別の機会を設けます)。そのうえで解答例を作ってみましょう。おおよその流れは次のようになります。

 

知性的であるとは、他者の話を聞いて、得心のいく身体実感の有無を基準として、自分の知の枠組みを変えていくことのできる人であり、こうした点で知性とは相互の関わりの中で合意形成を行う集団的なものである。そして、知性的な人に接すれば、周りの人は身体が活性化することを実感する。こうした実感の有無は明確なので、これを基準とすれば、ある人が知性的であるか否かの判断を誤ることはない。

 

これで185字です。この内容を120字以内に収める工夫が必要です。

 

〔解答例〕

知性的な人は集団の中で話を聞き、得心のいく身体実感の有無を基に自分の考え方の枠組みを変えていき、集団の人々の身体を活発化する。この活発な感覚の有無は明確なので、これを基準とすれば、他者が知性的であるか否かの判断を誤ることはないということ。(119字)

 

4.2001年度第一問との姉妹性

本連載の第4回、第9回でも、触れましたが、今回の2016年度第一問と2001年度第一問の類似性について触れてみます。

 

2001年度第一問の第10段落を引用してみます。

 

〔引用文〕

日本から、中国大陸に渡り、はじめて天安門広場を歩いたとき、あまりにも巨大な「公」の場所の中で、逆に私小説的な語りへと想像力が走ってしまった。アメリカとは異った形で自らの言語の「普遍性」を信じてやまない多民族的大陸の都市の中を、歩けば歩くほど、一民族の特性であると執拗なほど主張されてきた島国の言語でその実感をつづりたくなった。まずは、血も流れた大きな敷石の踏みごたえと、そこに隣接した路地の、粘土とレンガを固めた塀と壁の質感を、どうすれば日本語で書けるか、という描写の意欲を覚えた。そのうちに、アメ リカ大陸と中国大陸の二つのことばを媒体とした感情が記憶の中で響く一人の主人公の物語を、想像するようになった。(強調:引用者)

 

文体が走り始め、加速していくようなものになっています。本問は、アメリカ生まれで、民族も生まれ育ちも日本とは関係のない小説家が、日本語に惹かれ、日本語で小説を書くということについて述べたものです。

 

私が強調した下線部に注目してみてください。無意識にわき上がってくる想像力や意欲、構想について述べられています。

 

まさにこうした瞬間こそ、2016年度第一問で内田氏が描写した、「それまで思いつかなかったことがしたくなる」という具体例と共鳴するものです。

 

東大の現代文は、こうした無意識的、意識が介在せずに始まる心や身体の能動性にかかわる文章を、積極的に出題してきます。

 

そうした文章を「自分の体験の総体を媒介に考え」てほしいのです高等学校段階までの学習で身につけてほしいこと | 東京大学 (u-tokyo.ac.jp)

 

これまでの本連載でも述べてきましたが、そうした多くの問題があります。自分自身が生きることに鑑みて、「意識と無意識、身体」ということを考えていけば、東大の現代文や、教授が身近に感じられてくるはずです。

 


 

 



 

 

 

 

 



 

 

本連載の第4回で2001年度第一問、リービ英雄氏のエッセイを扱った際に、「本問は少なくとも過去40年間では、東大国語第1問としては唯一のエッセイとなっています。なぜ、そうなのか、その理由は設問(五)にあると私は考えています。本問は「第一問の設問形式」で出されてこそ味わい深い問題となったのだと思います」と書きました。

 

なぜ本問がエッセイなのに、国語の第一問なのか、このことは次のように考えられるのではないでしょうか。

 

設問(五)は、問題文の総まとめの問題です。エッセイとして第四問で出題されていれば、おそらく設問(四)として、60字前後で解答することになります。もし、「オ世界がすべて今の、日本語に混じる世界となった」という言葉の解釈だけであれば、リービ氏が、日本語で世界を感知して日本語で世界を書けるようになったということを60字前後で何らかの表現で解答すればいいということになると思います。ただ、これだと、最後の設問としてはかなり易しい問題になります。

 

東大は、リービ氏の「体験」の意味を問いたかったでしょう。その体験とは、まさしく芸術における無意識的創造であり、この過程が素晴らしい文体で綴られていく。なんとしても東大はリービ氏の文章を受験生に読んでもらいたかった。そうであれば、これを設問とするためには、第一問の100~120字という字数が必要だということになります。

 

素晴らしい文章構成とそれに対応した傍線部と設問の妙。文章とはこうやって読むものだということを教えてくれる、東大現代文の歴史の中でも名作の中の名作と感じられます。おそらく、この問題を作成した東大の先生も「この問題は、文章、設問とも傑作だ」と、なんとしても出題したいと思っていらしたと想像しています。

 

それともう一つ理由があると思われます。通例の第一問は論説文、評論、批評文で、エッセイに比べると、やはり論理構造がきわめて強固なものです。

 

ところで、2001年度の第一問のリービ英雄氏のエッセイはきわめて美しい論理構造をしています。このことは、本連載の第4回で設問相互の関係として述べたとおりです。

 

東大の現代文史上、あるいは、日本の大学入試の現代文史上、随一、名作中の名作問題です。

2022年度第四問について、再度書いてみたいと思います。

 

東大の現代文だけでなく、大学入試の現代文の設問構成というものは、その設問の解答をつなぎ合わせると、問題文そのものの要約になる、というようなことが言われます。

 

では、この2022年度第四問の設問にどのように解答すれば、問題文の要約になるのでしょうか。

 

今回も、東大の現代文の様々な過去問に書かれた内容を参照しながら、考えてみたいと思います。

 

これまでの本問に関する連載記事(第5回、第7回)では、本問の意味を、過去問で意識というものの狭さが度々問題になっていたことを参考にして、次のように考えてきました。

 

この世界には、人間の意識や視覚という、素晴らしいものがある。しかし、意識にも視覚にもその力には限界があり、そうしたものでは捉え難い、見えないけれでも確かに存在し、人に訴えかけてくるものがこの宇宙にはある。

 

こうしたことをもとに筆者の武満氏の過去の体験が振り返られます。各設問が、それぞれ全体の要約の一部になるためには、どういうことを考えればいいのかについてのヒントと、最後に解答例を書いてみたいと思います。

 

1.設問(一)では、どういうことが問われているのか

 

まずは、設問(一)です。

 

「8年程前、ハワイ島のキラウェア火山にのぼり、火口に臨むロッジの横長に切られた窓から、私は家族と友人たち、それに数人の泊り客らとぼんやりと外景を眺めていた。日没時の窓の下に見えるものはただ水蒸気に煙る巨大なクレーターであった。 朱の太陽が、灰色の厚いフェルトを敷きつめた雲の涯に消えて闇がたちこめると、クレーターはいっそう深く黯(くら)い様相をあらわにしてきた。それは、陽のあるうちは気づかずにいた地の火が、クレーターの遥かな底で星のように輝きはじめたからであった。

誰の仕業であろうか、この地表を穿ちあけられた巨大な火口は、私たちの空想や思考の一切を拒むもののようであった。それはどのような形容をも排けてしまう絶対の力をもっていた。今ふりかえって、あの沈黙に支配された時空とそのなかに在った自分を考えると、そこではア私のひととしての意識は少しも働きはしなかったのである。」

 

設問(一)は、傍線部アの「私のひととしての意識は少しも働きはしなかったのである。」という箇所について、それはなぜかを説明せよ、というものです。

 

本文全体の趣旨のひとつは、意識には限界があるということでした。そうすると、設問(一)では、そうした意識というものの限界性について言及すればいいのではないかという方向が見えてくると思います。

 

これまでの連載で見てきたように、東大の現代文では、意識というものの限界が度々触れられてきたことが思い出されます。

 

2.設問(二)では、どういうことが問われているのか

 

では、次の設問(二)についてはどうでしょうか。

 

設問(一)と同じ状況で、

「その時、同行していた作曲家のジョン・ケージが私を呼び、かれは微笑しながら nonsense! と言った。そして日本語で歌うようにバカラシイと言うのだった。そこに居合せた人々はたぶんごく素直な気持でその言葉を受容(うけい)れていたように思う。

 そうなのだ、これはバカラシイことだ。私たちの眼前にあるのは地表にぽかっと空いたひとつの穴にすぎない。それを気むずかしい表情で眺めている私たちはおかしい。人間もおかしければ穴だっておかしい。だが私を含めて人々はケージの言葉をかならずしも否定的な意味で受けとめたのではなかった。またケージはこの沈黙の劇に註解をくわえようとしたのでもない。イ周囲の空気にかれはただちょっとした振動をあたえたにすぎない。」

 

 

設問の内容は、傍線部イについて、どういうことかを説明せよ、というものです。

 

この設問の解答にも過去問の想起が役立ちます。次のような過去問を思い出すと、次第に読む方向性が見えてきませんか。

 

2015年第四問

死んだ猫の臭気について、「不意にその猫のことが愛しく思い出されるから不思議なものである。」(強調は引用者、以下同じ)

 

この問題では、本連載第2回でも触れたように、病んだ猫を思わず保護したことから、筆者の心に慈悲心がわき上がってきたという趣旨のことが述べられていました。このこと自体がまさに筆者にとって不意打ちだったのでした。そして、この不意打ちという、意識の想定していない出来事によって、筆者は慈悲の心へと導かれたのでした。

 

2016年第四問

「青空の青に不穏のにおいが混じるこの夏の季節を、私は以前よりも楽しみに待つようになった。平らかな空がいかにかりそめの状態であるのか、不意打ちのように示してくれる午後の天候の崩れに、ある種の救いを求めていると言っていいのかもしれない。」

 

ここでも、「不意打ち」から話が始まっています。

 

人が意識しないでいるとき、外から何かがやってくる、こうしたことから人は感じることを始め、また考え始める、こうした事態を東大の現代文は、大変重視していると言って間違いないと思います。

 

2019年第四問です。

「迷い子になった。

 僕が六歳か七歳の時だったと思う。母とふたりで買いものに出掛けた帰り途。乗り慣れた東武東上線の電車の中での出来事だった。車窓の風景を見るのが何より好きだった僕は、座っている母から少し離れたドアの前に立ち、夕暮れの街並みを目で追っていた。風景が止まり、又動き出す、その繰り返しに夢中になっていた僕は視界から遠ざかっていく「下赤塚」という駅名に気付いて凍りついた。それは僕たちが降りるはずの駅だった。あわてて車内を振り返ったが、母の姿は既にそこには無かった。あとになってわかったことだが、乗降客の波に一瞬僕を見失った母は、下赤塚で降りた別の少年を僕と見間違い、改札の外まで追い掛けてしまったらしい。」

「(どうしようどうしよう)じっとしていることに耐えられず、僕は途方に暮れてただ右往左往を繰り返した。その時の、僕の背負い込んだ不幸には何の関心も示さない乗客たちの姿が強く印象に残っている。それはぞっとするくらい冷たい風景だった。」

 

筆者が迷子になった話です。迷い子というのは、不意にいつのまにかそうなってしまうというものです。そうして、ハッと気づく。まさに「不意打ち」です。本問の筆者も、迷子の突然なってしまったということから様々なことを感じ始め、また考え始めています。

 

こうした、過去問から考えていくと、2022年度第四問の設問の(二)は、火山のすさまじい光景に不意打ちされたということに触れればいいのではないか、という方向が見えてくるのではないでしょうか。

 

不意打ちされた状態にケージがものを言った。そうして、人々は、我に返って、火口とそれを見ている自分ということをめぐって考え始める、という姿が見えてくるのではないでしょうか。

 

人が考えを始めるのは、不意打ちをされるということがきっかけになる。言いかえると、考えるということは自発的なものでなく、外からのショックによるものだ、という思想が現れています(本連載で何度も言及したフランスの哲学者、ジル・ドゥルーズ『差異と反復』、河出文庫(上)354頁以下を参照してください、めくるめく面白さです)。

 

本問は、この不意打ちの体験をきっかけに、話が始まっていくのでした。不意打ちという、無意識的、非意識的な事柄が、「意識の彼方」という問題とつながっていきます

 

3.設問(三)では、どういうことが問われているのか

 

では、設問の(三)についてはどうでしょうか。

 

「[インドネシアの]寺院の庭で幾組かのグループが椰子油を灯してあちこちで一斉に演奏していた。群衆はうたいながら踊りつづけた。私は独特の香料にむせながら、聴こえてくる響きのなかに身を浸した。そこでは聴くということは困難だ、音の外にあって特定のグループの演奏する音楽を択ぶことなどはできない。「聴く」ということは(もちろん)だいじなことには違いないのだが、私たちはともすると記憶や知識の範囲でその行為を意味づけようとしがちなのではないか。ほんとうは、聴くということはそうしたことを超える行為であるはずである。それは音の内に在るということで音そのものと化すことなのだろう。

 フランスの音楽家たちはエキゾチックなガムランの響きに夢中だった。かれらの感受性にとってそれは途方もない未知の領域から響くものであった。 そして驚きのあとにウかれらが示した反応は〈これは素晴らしい新資源だ〉ということだった

 

設問の内容は、下線部ウについて、どういうことか説明せよ、というものです。

 

この箇所で肝心なのは、「『聴く』ということは(もちろん)だいじなことには違いないのだが、私たちはともすると記憶や知識の範囲でその行為を意味づけようとしがちなのではないか。ほんとうは、聴くということはそうしたことを超える行為であるはずである。それは音の内に在るということで音そのものと化すことなのだろう。」という主張でしょう。

 

フランスの音楽家たちは、こうした筆者の考えに反するものでした。ガムラン音楽は、「かれらの感受性にとってそれは途方もない未知の領域から響くもの」だったはずなのに、「かれらが示した反応は〈これは素晴らしい新資源だ〉ということだった」。ガムラン音楽に入り込むのではなく、頭において、ガムラン音楽のあり方を自分たちの音楽に取り入れようと発想し、ガムラン音楽の持つ意味や意義を自らの記憶や知識の範囲で位置づけていこうとしていたのです。

 

ここで、また東大の過去問を思い出してみましょう。

 

2012年度第四問

「ひとり遊びとは、自分の内部に没頭するという以上に、対象への没頭なのであろうと思う。川底の小蟹を小半日見ていてなお飽きない、というようなことがよくあった。時間を忘れ、周囲を忘れ、一枚の柿の葉をいじったり、雨あがりのなまあったかい水たまりを裸足でかきまわしたり、際限もなく砂絵を描いたりするのが子供は好きなのである。なぜかわからない。けれどそれらは何と深い、他に較べようもないよろこびだったことだろう。」

「考え、計算するより先に、ひたぶるに一心に、暴力的に対象にぶつかっていく。幸か不幸か、現在の私は、実人生でよりも、歌作りの上で、はるかに強く意識的に、このことを実践している。」

 

まさに「対象への没頭」の重要性が述べられています。フランスの音楽家は、「かれらの感受性にとってそれは途方もない未知の領域から響くもの」だったはずのガムラン音楽に「没頭」することをやめて、あれこれと思いめぐらし始めていた点が筆者の武満氏からすれば非難すべき反応に思えたのでしょう。

 

この設問(三)の解答では、こうした筆者のフランスの音楽家への批判的視点として、「フランスの音楽家たちはガムラン音楽の内に入り込まずに(没頭せずに)、~だった。」というふうに、批判的なニュアンスのことを含めて書けばよいのではないかと思います。

 

没頭するということもまた意識を超えたあり方のひとつなので、やはり「意識の彼方」という問題の展開として、本文の一部になっています

 

この「入り込む」ということに関しては、本連載第2回の2008年第四問でも問題になったことでした。

 

舞台で、役者が役柄の感情をどうすれば最もよく表現できるのか。あらかじめ、あれこれと感情のあり様を意識的に思い描いたり、想定したりするのではなく、全身で役柄の状況を演じていけば、おのずと感情は表現される、という趣旨のことが書かれていたのでした。

 

2022年度第四問の設問の(四)については、本連載の第5回,第7回で触れました。

 

上述のように考えると、各設問が相互につながっていって、設問の答えを通して読めば、本文の要約になっているのではないでしょうか。

 

最後に解答例を書いてみます。

設問(一)

不意に現れた激烈な光景の背後には、意識を構成する空想や思考、言葉などの力では思い及ばす、意味づけられないような力が存在していたから。

 

設問(二)

ケージの短い一言は、不意に現れた激烈な光景を前に沈黙するほかなかった人々にとって、その状態について思いを巡らせる契機にはなったということ。

 

設問(三)

未知だった音楽に没頭して聴く姿勢を捨てて、その音楽的特性を既知の音楽的論理の範囲で分析し、自らの音楽に大いに取り込もうとしたということ。

 

設問(四)

人間の意識や視覚の力では捉え難い、見えずとも確かに存在し、人に訴えかけてくるものがこの宇宙には存在しているということを感じたということ。

 

 

 

 

前回に続いて、2022年第四問を見ていきましょう。東大の他の年度の過去問、2004年第四問と2013年第四問を参照し、関連付けながら、東大が問題文を通じて受験生に送るメッセージを受け止めてみようと思います。

 

1.見えるものと見えないもの 見えない力を感じるということ

 

前回では、本問は、「見えないものを見る」、ということがテーマだということを簡略に見てきました。人間の「意識」や「視覚」というそれ自体は素晴らしい働きをするものであっても、まだまだその外がある。私たちの想定することや、見ているものを凌駕する世界がある。こうしたことが、宇宙との交感という場面で述べられていたのでした。

 

この世界、宇宙には、人の意識や視覚という制限や限界のあるものでは普段捉えられないような、見えないけれども確かに存在し、人間に訴えかけてくるものがある、この気づきと驚きが最終段落で述べられていたのでした。

 

〔引用文〕

だがその時、私は意識の彼方からやってくるものがあるのを感じた。私は何も現われはしない小さなスクリーンを眺めつづけた。そして、やがて何かをそこに見出したように思った。

 

最終段落において筆者の武満氏が到達したのが、「見えないけれども、確かに存在し、人に訴えかけてくるものがあるということの体験」でした。

 

本問には三つの「具体例」が論じられていました。①ハワイの火山体験、②ガムラン音楽体験、そして③影絵体験です。

最後の③の影絵の体験が武満氏の到達点で、本文はここで完結します。

 

武満氏が最後に見たものが、宇宙からの「見えないもの」であり、本文は、この到達地点から武満氏が「振り返って」書いたものです。いわば、「最後を見た者」が過去を振り返って、過去の体験の意味をあらためて問うたのが本文です。

 

「最後を見た者」としての武満氏が、執筆時という「現在」において、第2段落にある次のような感慨を述べます。

 

〔引用文〕

寒気の未だ去らない信州で、棘のように空へ立つ裸形の樹林を歩き、頂を灰褐色の噴煙にかくした火山のそこかしこに雪を残した黒々とした地表を凝視(みつ)めていると、知的生物として、宇宙そのものと対峙するほどの意識をもつようになった人類も、結局は大きな、眼には感知しえない仕組の内にあるのであり、宇宙の法則の外では一刻として生きることもなるまいと感じられるのである。(下線による強調は引用者による、以下同様)

 

この現在の位置から、「生物としての進化の階梯を無限に経て、然し人間は何処へ行きつくのであろうか。」(第3段落)という問いかけとともに、過去の体験があらためて意味づけられていきます。

 

題4段落からは、「ハワイの火山」体験が振り返られます。

 

〔引用文〕

8年程前、ハワイ島のキラウェア火山にのぼり、火口に臨むロッジの横長に切られた窓から、私は家族と友人たち、それに数人の泊り客らとぼんやりと外景を眺めていた。日没時の窓の下に見えるものはただ水蒸気に煙る巨大なクレーターであった。 朱の太陽が、灰色の厚いフェルトを敷きつめた雲の涯に消えて闇がたちこめると、クレーターはいっそう深く黯(くら)い様相をあらわにしてきた。それは、陽のあるうちは気づかずにいた地の火が、クレーターの遥かな底で星のように輝きはじめたからであった。

 誰の仕業であろうか、この地表を穿ちあけられた巨大な火口は、私たちの空想や思考の一切を拒むもののようであった。それはどのような形容をも排けてしまう絶対の力をもっていた。今ふりかえって、あの沈黙に支配された時空とそのなかに在った自分を考えると、そこでは私のひととしての意識は少しも働きはしなかったのである。しかし私は言いしれぬ力によって突き動かされていた。あの時私の意識が働かなかったのではなく、意識は意識それ自体を超える大いなるものにとらえられていたのであろうと思う。私は意識の彼方からやって来るものに眼と耳を向けていた。私は何かを聴いたし、また見たかも知れないのだが、いまそれを記憶してはいない

 

第5段落では、「今ふりかえって」と、武満氏の「現在の視点」から、過去の出来事の意味が言葉にされていきます。

印象的なのは、「私は何かを聴いたし、また見たかも知れないのだが、いまそれを記憶してはいない。」という一節です。

 

武満氏は、目の前の火山の活動を目で見て、そしてその音を耳で聴いていたのでした。特に眼前にある光景は圧倒的なものでした。そのうえで、現在の武満氏は、「私は何かを聴いたし、また見たかも知れないのだが、いまそれを記憶してはいない。」と書きます。

 

現在の武満氏、すなわち、影絵体験において、この宇宙、この世界には見えないけれども確かに存在するものがあるということを知った武満氏からすると、火山体験において、本当に体験されていたことは、何か、見えないもの、聴こえないものの持つ力だったのではないか、ということです。

 

ここで、補助線を一本引いてみたいと思います。これまで、本連載では、「私たちは見えない世界を求めている」という観点から東大の現代文を見てきました。ここでもう一つ、さらに「見えるものと見えないもの」ということについてある言葉を見てみたいと思います。

 

「ドイツの初期ロマン主義者」、ノヴァーリスの次の言葉です。「可視のものはみな不可視のものと境を接しー聞き取れるものは聞き取れないものとー触知しうるものは触知しえないものとーぴったり接している。おそらくは思考しうるものは思考しえないものに」(ノヴァーリス作品集第一巻サイスの弟子たち・断章、今泉文子訳、ちくま文庫、2006年、350頁)。

 

広く知られた言葉ですが、私たちは、自分たちの東大の現代文を読むという体験において、この言葉を存分に味わうことができると思います。何かを見、聴く体験の内には、まさしく、「見えないもの、聴こえないもの」の持つ力に触れることがあるのだ、ということを武満氏は教えてくれたのでした。

 

「今ふりかえって」ということで、「そこでは私のひととしての意識は少しも働きはしなかった」と、意識の観点が取り上げられます。まさに宇宙との交感を、意識の彼方からと感じた武満氏が、過去の体験を、意識という視点から感じ直し、捉え返しました。「意識の彼方」を知った武満氏のもつ全体的な視点が過去の個々の具体例をあらためて意味づけていきます。

 

2.カメラと影絵 東大過去問と本問

 

東大現代文の、出題文を通した、私たちに対する問題意識の提示、あるいは問題提起とはなにか。それは本連載でこれまで見てきたような、「無意識・超日常・超個人・根源性」というテーマに現れています。

 

私たちは、この日常で懸命に折り合いをつけながら生きている。しかし、この日常で使っている意識というものは、まだまだ狭いもので、もっと広大な世界を私たちは知り、生きることができるのではないか、これが東大の私たちに対する呼びかけです。

 

意識というものは狭い、ほかにも人は色々な限界で生きているのではないか。例えば、視覚はどうか、まだまだ日常的な視覚を超える世界があるのではないか、こうした東大の問題意識が現れた問題が、写真ということに関連して2問あります。

 

2004年第四問(多木浩二『写真論集成』)と2013年第四問(前田英樹『深さ、記号』)です。ここでは簡略に見ておきますので、皆さんでさらに検討してみてください。

 

★2004年度第四問

2004年第四問では、最終段落で次のように述べられます。

 

〔引用文〕

おそらく写真家は、あらゆる表現者のうちでもっとも不自由な人間かもしれない。心のうちなる世界をあらわそうとしても、うつるのは外にある対象である。だが、そのような世界とのずれた関係が、実は、私をひきつけるのだ。写真家は、世界が自己をこえていること、そこには不気味なものもあることをもっとも明確に見出した最初の人間であるかもしれない。世界とは、人間そのものではなく、人間の意識によって構成されるものでもない。世界は存在し、かつ人間も存在している。世界とは反人間的な、あるいは超人間な構造と人間という生まの具体性とが織りあげる全体化のなかにある。

 

写真家は実際に撮ろうと意図したとおりに写真が撮れるものではない、自分の思惑を超えて、思いもかけず、日常や自らの研ぎ澄まされたと思っている視覚を超える世界を、カメラという機械が捉えることがあるという趣旨が述べられています。

 

★2013年度第四問

2013年第四問ではどうでしょうか。

 

〔引用文〕

肉も神経系もなく、行動も努力もしない機械が物を見る時、何が起こってくるのか。これは単なるレトリックではない。実際、リュミエール兄弟たちが開発した感光版「エチケット・ブルー」によって驚くべきスナップ写真が生まれてきた時、人はそれまで決して見たことのなかった世界の切断面、たとえばバケツから飛び出して無数の形に光る水をみたのである。それは身体が近くするあの液体だとか固体だとかではない、何かもっと別なもの、しかもこの世界の内に確実に在るものだった
 いや、スナップ写真でなくともよい。写真機が一秒の何千分の一というようなシャッタースピードを持つに至れば、肖像写真は静止した人の顔を決して私たちが見るようには顕わさない。

 

日頃の私たちの見る世界、視覚世界を超えた、しかし確実に存在しているものをカメラによってはじめて知ることができきるという趣旨が述べられています。

 

〔引用文〕

写真機で撮ったあらゆる顔は、どこかしら妙なものである。職業的な写真家やモデルは、そこのところをよく心得ていて、その妙なところを消す技術を持っている。けれども、それはうわべのごまかしに過ぎない。顔は刻々に動き、変化している。変化は無数のニュアンスを持ち、ニュアンスのニュアンスを持ち、静止の瞬間など一切ない。私たちの日常の視覚は、相対的なさまざまの静止を持ち込む。それが、生活の要求だから。従って、私たちのしかじかの身体が、その顔に向かって働きかけるのに必要な分だけの静止がそこにはある。写真という知覚機械が示す切断はそんなものではない。この切断は何のためでもなく為され、しかもそれはウ私たちの視覚が世界に挿し込む静止と較べれば桁外れの速さで為される
 写真のこの非中枢的な切断は、私たちに何を見させるだろうか。持続し、限りなく変化しているこの世界の、言わば変化のニュアンスそれ自体を引きずり出し、一点に凝結させ、見させる。おそらく、そう言ってよい。私たちの肉眼は、こんな一点を見たことはない、しかし、持続におけるそのニュアンスは経験している。生活上の意識がそれを次々と闇に葬るだけだ。写真は無意識の闇にあったそのニュアンスを、ただ一点に凝結させ、実に単純な視覚の事実にしてしまう。これは、恐ろしい事実である。〔引用文終わり〕

 

私たちの視覚は、生活の要求や、生活上の意識によって制限を受けます。しかし、カメラにこうした制限はない。それゆえ、カメラという機械は私たちの視覚を超えた世界を見せてくれる。まさに2004年の多木氏と同じ趣旨が述べられます。

 

こうした、「私たちの視覚を超える世界」という問題意識がさらに展開したものが、2022年の第四問とは言えないでしょうか。カメラは人の肉眼による視覚を超える世界を、写真というものにして、まだ肉眼で見える範囲で見せてくれました。しかし、「影絵」、星の光だけをたよりにする影絵は、そうではない。もはや、肉眼では捉えることができない、しかし確かに存在するものを人が捉えられるようにする、そういう「装置」として存在しているのでした。

 

カメラという装置、そして星の光だけに頼る「影絵」という装置、こうした装置によって、私たちは自らの日頃の限界を超えていく。

 

人というものはなにかと制限を受けている。そうした制限を超える世界があるのではないか。こうした問いを東大の現代文は、問題文を通じて、私たちに送り続けています。

 

3.余談 生活上の意識と、死の間際の走馬灯

 

先に見た2013年第四問は前田英樹氏による文章でした。そこでは、視覚が生活上の必要による制限を受ける趣旨が述べられていました。

 

この「生活上の必要」ということに関してひとつお話しておきたいことがあります。前田氏はフランスの哲学者、アンリ・ベルクソンの専門家なのですが、このベルクソンが面白いことを述べています。

 

死の間際に人は、それまでのすべての記憶が走馬灯のように頭の中を駆け巡るといわれ、実際そういう体験をベルクソンは聞きます。

 

そして、なぜそうしたことが起こるのかについて、おおむね次のような趣旨を述べます。

 

人は生きてきたすべての記憶を保持している。しかし、日常では、当面生活に必要な行動に合わせて、記憶の中から関連のあるものを呼び出そうとする。しかし、もう死の間際には、そうした生活上の行動を考える必要もない。ならば、すべての記憶が解放されて、走馬灯のように駆け巡る(アンリ・ベルクソン『物質と記憶』、杉山直樹訳、講談社学術文庫、2019年、224頁)。

 

 

 

 

 

 

東大現代文の「無意識の思想」の流れと系譜 東大現代文を統一的に読む 第6回            伊藤 幸生

 

1.具体例Ⅰ 2020年度第四問

東大現代文は、「無意識」ということを問題にし続けてきました。大学入試の現代文で「無意識」という言葉は時々問題になりますが、東大現代文における「無意識の思想」は、様々な滋味深い表現の中に包み込まれて、独特の展開をみせます。

 

本連載の第1回から第5回まで、この「無意識の思想」を見てきましたが、今回はその一部を概観してみたいと思います。

 

ある過去問が別の過去問と次々とつながっていく、このことを感じてもらえればと思います。東大現代文は過去問どうしが絡み合って一体として存在しています。

 

最初に次の文章を読んでみましょう。詩人の谷川俊太郎さんが、自分の作品がどのようにできるのかについて述べたものです(谷川俊太郎『詩を考える 言葉が生まれる現場』、詩の森文庫、思潮社、2006年)。

 

〔引用文〕

 作品をつくっているとき、私はある程度まで私自身から自由であるような気がする。自分についての反省は、作品をつくっている段階では、いわば下層に沈澱していて、よかれあしかれ私は自分を濾過して生成してきたある公的なものにかかわっている。私はそこでは自分を私的と感ずることはなくて、むしろ自分を無名とすら考えていることができるのであって、そこに私にとって第一義的な言語世界が立ち現れてくると言ってもいいであろう。(強調は引用者)

 

「自分についての反省」、いわば意識は「下層に沈殿していて」、自分のものではない「ある公的なもの」が自分を濾過して「生成」してくるというのです。

 

言いかえると、自分が意識しないうちに、なにかが作品の言葉として自分のなかに湧きだしてくるということが谷川さんにとっての作品の創作過程であると言えると思います。

 

こうして、芸術家(詩人)の創造過程を例に、人の無意識的な働きの過程についての文章が出題されました。これをまずは確かに踏まえておきたいと思います。

 

2.具体例Ⅱ 1996年度第五問

こうした考え方がいかに東大現代文において重視されているかは、同じような内容が1996年度第五問において出題されたことからもうかがえます(三善晃「指の骨に宿る人間の記憶」)。

 

右手の状態が悪くなって、ピアノが弾けない状態のピアニスト、三善晃氏が、ただ鍵盤に指をおいて触れます。

 

〔引用文〕

 しかし、そうすると、ピアノの音が指の骨を伝って聴こえてくる。もちろん、物理的な音が出るわけではない。だが、それはまぎれもなくピアノの音、というよりもピアノの声であり、私の百兆の細胞は、指先を通してピアノの歌に共振する。こうして、例えばバッハを”弾く“すると、子どものとき習い覚えたバッハの曲は、誰が弾くのでもない、大気がずっと歌い続けてきている韻律のように”聴こえて“くる。(強調は引用者)

 

音が意識しなくても聴こえてくる、ということを語られています。「指の骨を伝わって」、すなわち、頭の中で音を出していこうという意識なしに、指=身体=無意識の動きの中で音が響き始める様が描かれます。

 

意識することなく、「無意識的に」言葉や音が自分の中に湧きだしてくる。こうした人の無意識の動きについての東大の関心は、さらに展開していきます。

 

いままでの2問はそういう無意識の動きが比較的読み取りやすいかたちで書かれていました。

 

3.具体例Ⅲ 2001年度第一問

では、次の文章はどうでしょうか。東大現代文の中でも随一の名作問題といえる2001年第一問からです。アメリカ生まれの米国人作家リービ英雄氏が、日本語で小説を書く体験について述べたものです。中国大陸に渡ったときに感じたことを次のように書きます。

 

この部分は、東大現代文の歴史の中でも最も難しい問題といえる、本問の設問(五)に関わってきます。ここに書かれていることがいわば「具体例」だとすると、これを「抽象化」するとどういうことになるのでしょうか。

 

〔引用文〕

 日本から、中国大陸に渡り、はじめて天安門広場を歩いたとき、あまりにも巨大な「公」の場所の中で、逆に私小説的な語りへと想像力が走ってしまった。アメリカとは異った形で自らの言語の「普遍性」を信じてやまない多民族的大陸の都市の中を、歩けば歩くほど、一民族の特性であると執拗なほど主張されてきた島国の言語でその実感をつづりたくなった。まずは、血も流れた大きな敷石の踏みごたえと、そこに隣接した路地の、粘土とレンガを固めた塀と壁の質感を、どうすれば日本語で書けるか、という描写の意欲を覚えた。そのうちに、アメリカ大陸と中国大陸の二つのことばを媒体とした感情が記憶の中で響く一人の主人公の物語を、想像するようになった。

 

あらためて問うてみます。一体、この文章が意味しているのはどういうことなのでしょうか。リービ氏の「中国大陸での体験の意味」とは何なのでしょうか。注目すべきなのは、いくつかの文末です。

 

「想像力が走ってしまった」、「その実感をつづりたくなった」、「描写の意欲を覚えた」、「想像するようになった」。これらの文末は、まさに、リービ氏の中におのずと、意識されることなく、わきあがってきたものがあることを表しています。

 

まさに、2020年度第四問の谷川氏や1996年度第五問の三善氏のように、無意識のうちにわきあがってくるものがあったのです。リービ氏が日本語で小説を書く過程での核心となる体験がこのときのものでした。

 

リービ英雄氏のこの引用箇所についてのさらに詳細な意味は、本連載第4回をぜひ読んでください。

 

このように、東大の現代文においては、人の「無意識的なものの動き」というものが極めて大きなテーマとして存在しています。

 

そして、ある過去問に書かれていることを導きとして、他の過去問を読むことができるのです。

 

さらに、過去問を見てみましょう。

 

4.具体例Ⅳ 2008年度第四問

竹内敏晴『思想する「からだ」』(晶文社、2001年)からの出題です。

 

舞台演劇で、役者がいかに感情表現をすべきかについて述べられた文章です。何と何とが二項対立的に述べられているか、読み取ることがなかなか難しい問題になっています。

次の箇所を読んでみましょう。

 

〔引用文〕

 (前略)本来たとえば悲劇の頂点で役者のやるべきことは、現実に対する全身での闘いであって、ほとんど「怒り」と等しい。「悲しみ」を意識する余裕などないはずである。(強調は引用者)

〔引用文〕

 (前略)感情の昂まりが舞台で生まれるには「感情そのもの」を演じることを捨てねばならぬ、ということであり、本源的な感情とは、激烈に行動している〈からだ〉の中を満たし溢れているなにかを、外から心理学的に名づけて言うものだ、ということである。それは私のことばで言えば「からだの動き」=actionそのものにほかならない。

 

 竹内氏の主張では、感情の表現は役柄の生きる状況を全身(「からだの動き」)で演じれば、おのずと生み出される、というものです。この「からだの動き」ということの主張と二項対立をなすものは、ひとつめの引用文にあった「意識」というものです。

 

ここでもやはり、意識している間もない「からだの動き」という無意識的なものの働きが重要なものと考えられています。

 

まずは現実に対する全身での闘いがあるのであって、そのときに感情というものが生まれてくる。感情が生まれて、その後に、この感情を「意識する」のであって、はじめに意識的に感情のありようを思い描くことは本末転倒だということでしょう。

 

だめな役者は意識的に、役柄がどのような感情を内面にもつものかをあらかじめ想定して演じようとします。このような女優たち(あるいはそれ以下のだめな女優)が具体例として登場してきます。それでは舞台での感情の高まりの表現にならないというのが竹内氏の立場です。

 

ふたつめの引用文にあるような、「感情の昂まりが舞台で生まれるには『感情そのもの』を演じることを捨てねばならぬ」、とは、まさしく「意識的に」感情をあらかじめ想定して演じてはならない、ということでしょう。

 

この2008年度第四問においても、「意識しなくても、おのずとわき上がってくるものがある」ということが、再度テーマになっていることがわかります。

 

無意識のありようということで、さらに見ていきましょう。

 

5.具体例Ⅴ 2009年度第一問

2009年度第一問です(原研哉、『白』、中央公論新社、2008年)。「白」ということについて述べられた、印象に残る文章です。最終段落をい見てみましょう。

 

〔引用文〕

 弓矢の初級者に向けた忠告として「諸矢を手挟みて的に向ふ」ことをいさめる逸話が『徒然草』にある。標的に向う時に二本目の矢を持って弓を構えてはいけない。その刹那に訪れる二の矢への無意識の依存が一の矢への切実な集中を鈍らせるという指摘である。この、矢を一本だけ持って的に向う集中の中に白がある。(強調は引用者)

 

まさにここでも「無意識の動き」が問題にされています。二本の矢を持てば、2回目がある、と「無意識に」思ってしまって、一本目の矢が甘くなる。私なりに言いかえれば、一本目の矢へのいわば「無意識的にわき上がってくる集中力」を高めるためには、矢を二本持つべきではない、という趣旨のことが述べられています。

 

ここでも無意識の動きが問題にされていました。

 

もうひとつだけ、東大現代文の「無意識の思想」の具体例をあげておきます。

 

6.具体例Ⅵ 2016年度第一問

2016年第一問(内田樹「反知性主義者たちの肖像」、内田樹編『日本の反知性主義』所収、晶文社、2015年)に次のようなくだりがあります。

 

 〔引用文〕

 私は、知性というのは個人に属するものというより、集団的な現象(注:強調は原文)だと考えている。人間は集団として情報を採り入れ、その重要度を衡量し、その意味するところについて仮説を立て、それにどう対処すべきかについての合意形成を行う。その力動的プロセス全体を活気づけ、駆動させる力の全体を「知性」と呼びたいと私は思うのである。

 ある人の話を聴いているうちに、ずっと忘れていた昔のできごとをふと思い出したり(注:強調は引用者、以下同様)、しばらく音信のなかった人に手紙を書きたくなったり、凝った料理が作りたくなったり、家の掃除がしたくなったり、たまっていたアイロンかけをしたくなったりしたら、それは知性が活性化したことの具体的な徴候である。私はそう考えている。「それまで思いつかなかったことがしたくなる」というかたちでの影響を周囲にいる他者たちに及ぼす力のことを、知性と呼びたいと私は思う。

 

この引用文から、先に見たリービ英雄氏の2001年第一問における、「想像力が走ってしまった」、「その実感をつづりたくなった」、などのたたみかけるような表現を思い出さないでしょうか。内田氏の文章でも、無意識が動き始めるというありようが書かれているのでした。

 

7.無意識をめぐる東大現代文の過去問35題

このように東大現代文は様々な題材で「無意識の思想」を展開していきます。この思想の現れ、あるいは、この思想の問題圏にある過去問として、次のような問題を挙げておきます。35題を、出題年度と問題番号を示してあります。★印は、芸術論であることを示します。東大現代文は、芸術と様々な人生や生活を横断する「無意識の思想」を問題文を借りて展開していると言えます。

 

本稿で具体例として挙げた6題には、それぞれに兄弟姉妹といえる問題があります。そうした問題をこの35問の中から見つけ出してみてください。同じことが変奏されて繰り返し出題されているということに驚嘆することと思います。

 

今、私は「無意識の問題圏」という言葉を使いました。これは、「非個人性・超日常・根源性」という概念のことです。

これらの事柄については、本連載第1回~第3回で述べましたので、参照してください。

 

これらの思想がいかに現れているのか。ぜひ、次の過去問から読み取ってみてください。

 

★1996ー5 ★1999-5 2000ー1 ★2000ー4

★2001ー1 ★2001ー4 2002―1 2003―1   ★2004―4 2005―1 2005―4 2006―4 

★2007―4 ★2008―4 ★2009―1 2010―1 ★2010―4 2011―1 2011―4 ★2012―4 ★2013―4 2014―1 2014―4 2015―1 2015―1

2016―1 2016―4 2017―4 2018―4 2019―4 2020―1 ★2020―4 ★2021―1 ★2021―4 ★2022―4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東大現代文2022年度第四問 一体何が問題か

東大現代文を統一的に読む 第5回

                   伊藤 幸生

 

1.「意識」や「視覚」という限界のあるあり方

東大現代文の2022年度第四問で問題になっていることは、一体どういうことでしょうか。武満徹著『樹の鏡、草原の鏡』(新潮社、1975年)からの出題でした。本問は、本連載で見てきた過去問の集大成ともいえる問題です。

 

具体例の持つ意味を問う、一読して得る印象を超える複雑な言葉の連なりを感じるような問題になっていますが、今回は、過去問との関係も含めて、本問の大きな枠組みを捉えていきたいと思います。

 

ハワイの火山、ガムラン音楽、灯をともさない影絵という三つの体験は、いわば人を圧倒するようなものとして書かれています。

 

人の何を圧倒するのかと言えば、人の意識や視覚という、それ自体、きわめて有用な人の力と考えられるものをです。意識も視覚も素晴らしい働きをするものですが、これらを超えるものがこの世界にはある。そして、圧倒されることでまた人は未知の世界を知ることができる、あるいは、人が未知の世界を知るのは、意識的な体験によるよりもむしろ圧倒される体験によるのではないか、こういった問題意識で書かれているのではないか、ということが見えてきます。

 

最後の設問(四)は、最終段落での、「だがその時、私は意識の彼方からやってくるものがあるのを感じた。私は何も現われはしない小さなスクリーンを眺めつづけた。エそして、やがて何かをそこに見出したように思った。」という箇所の下線部エを、「どういうことか、説明せよ」というものです。

 

筆者、武満徹氏は、何を見出したのでしょうか。それは、「見た」ということとはまた違うことのようです。なにか「具体的なもの」を見た、ということではないように思われます。

 

この傍線部エの前に、「意識の彼方からやってくるものがあるのを感じた」とあることに注意したいと思います。

 

この「意識の彼方からやってくるもの」という表現は、第5段落に一度出てきます。この段落では、さらに、「意識は意識それ自体を超える大いなるものにとらえられていたのであろうと思う」という文もありました。

 

本問で問題になっていることのひとつは、「意識」ということのようです。

 

本連載では、これまで、東大の現代文の過去問では、意識を超えた次元や世界が問題にされている、ということを見てきました。たとえば、芸術における創造は、意識的になされるものではなく、無意識的な働きによるものであること(1996年度第五問、2001年度第一問、2008年度第四問、2020年度第四問、あるいは無意識的なものを取り込んだ意識の働きによること)について検討してきました。

 

本問でいわれる「意識」とは、「意識の彼方からやってくるもの」や、「意識それ自体を超える大いなるもの」との関係で言われているものです。言いかえると、「意識」とは、世界と比べると非常に狭小な、制限されてあるものだ、というふうに位置づけられています

 

このことは、本連載第1回、第2回で、意識とは原則的に狭小で制限されたものであるということを見てきました。「意識」とは、心というもの全体のごく表面的な部分で、心にはもっと膨大な世界が広がっている、だから意識を超えた世界を東大現代文は問題にしてきたのだ、ということを検討してきました。

 

意識とは制限のあるものだ、ということを武満氏はインドネシアでの「影絵」体験によって知ったのでした。そのとき武満氏は、「意識の彼方からやってくるものがある」ということをはっきりと感じたのでした。

 

本文は、この「影絵」体験から、それまでのいくつかの体験を振り返って書かれたものです。第1段落から、すべての言葉は、「影絵」体験をもとにしています。最後の設問(四)で問題になっている、その「影絵」体験の意味とは一体何なのでしょうか。

 

ところで、本問の第2段落では「意識」について一度は次のように述べられています。

 

〔引用文〕

寒気の未だ去らない信州で、棘のように空へ立つ裸形の樹林を歩き、頂を灰褐色の噴煙にかくした火山のそこかしこに雪を残した黒々とした地表を凝視(みつ)めていると、知的生物として、宇宙そのものと対峙するほどの意識をもつようになった人類も、結局は大きな、眼には感知しえない仕組の内にあるのであり、宇宙の法則の外では一刻として生きることもなるまいと感じられるのである。(強調は引用者)

 

ここで「意識」は、「宇宙そのものと対峙するほど」のものという、かなり広大なものとして述べられていることになります。続けて次のように書かれます。

 

〔引用文〕

しかし、そうした意識をもつ人類も、やはり、「眼には感知しえない仕組の内にあるのであり、宇宙の法則の外では一刻として生きることもなるまいと感じられる」とあらためて述べられます。(強調は引用者)
 

ここで「眼には感知しえない仕組」という文言があります。

ここからは、私なりに、「視覚には限界がある」、「視覚で捉えられるものには限りがある」ということが言えそうです。人の視覚の世界とは案外狭いもので、私たちは視覚を超えたもっと広大な世界、宇宙と関わっている、あるいは、それらの中にいるのだという世界観へと私たちを向かわせてくれます。

 

(※繰り返しになりますが、この「眼には感知しえない仕組」ということについても、「影絵」体験を経た武満氏によって書かれています。ここからいわば逆算して、影絵体験の意味を考えることができます。すなわち、影絵体験とは、「見えないけれども、確かにその存在を感じられるものの体験だった」という意味だと考えることができます。ただし、影絵体験の時点では、その「見えないもの」について、「仕組み」、「法則」などの名前を与えるまでには至らず、ただ、すぐには名づけられないような「見えないもの」の衝撃を受けていたものと考えられます。)

 

もちろん、見ることは多くのことを私たちに教えてくれます。見ることから暴力的な衝撃を受けることもあります。しかし、それでもなお、世界には視覚を超えたレベルの衝撃的な事柄があふれているにちがいありません

 

ここで、本連載第2回で引用した文章をもう一度引用します。

 

〔引用文〕

確かに私達はこの現実の中で生きている。そこで恋愛し、殺し合い、死んでいく。ところが私達の思考はそうしたものを超えた、見えないものを求めて常に活動している。(渋谷陽一、『音楽が終った後に』、ロッキングオン、1982年、97頁、強調は引用者)

 

私は、この引用文で言われているようなことこそがまさに本問の問題文の目指しているところではないかと考えています。なにか、日頃の、あるいは通常の感覚、知覚、思考といったものを超えたものを求める私たちの衝動、芸術を希求する私たちの根源にある志向というようなものです。

 

たとえば、本連載第2回で見たように、音楽家は見えないが確かなものだと感じさせるものを創造し、画家は、物に内在する見えない力を見えるようにするのでした。ゴッホの「ひまわり」のあの色彩は、「ひまわりの種子の驚異的な力」を「見えるもの」にして表現していたのでした(ジル・ドゥルーズ『感覚の論理学』、河出書房新社、81頁を参照してください)。

 

このように私たちは「見えないもの」を求めています。本問における「眼」すなわち、「視覚」は、制限され、限界のうちにあるものだと位置づけられている、このことをまずは、たしかに押さえておきましょう。

 

ここで、もう一度「意識」に戻りましょう。

整理すると、本問での意識の位置づけは次のようになります。

 

宇宙そのものと対峙するほどの存在

しかし、↓

「意識の彼方からやってくるもの・意識それ自体を超える大いなるもの」との関係では狭小なもの

 

この「意識の狭さ」というものが、ハワイ島のキラウェア火山の火口の光景に圧倒された経験という具体例によって述べられます。そこにおいて、「意識それ自体を超える大いなるもの」、「意識の彼方からやって来るもの」という表現が現れていたのでした。

 

先にも触れたように、最終段落で筆者の武満氏は、意識の彼方からやってくるものを感じたのでした。第5段落に、「今ふりかえって」とあるように、その体験から振り返ってみると、火山での体験も、意識の彼方からやってくるものを感じる体験だったのだなあ、とあらためて武満氏は感じたのでした。

 

ただ、その時点では、「私は意識の彼方からやって来るものに眼と耳を向けていた」のですが、「私は何かを聴いたし、また見たかもしれないのだが、いまそれを記憶していない」というふうに、はっきりと、意識の彼方という言葉では理解していなかったようです。

 

さらに、インドネシアのガムラン音楽に出会った経験について、次のように述べられています。

 

〔引用文〕

「聴く」ということは(もちろん)だいじなことには違いないのだが、私たちはともすると記憶や知識の範囲でその行為を意味づけようとしがちなのではないか。ほんとうは、聴くということはそうしたことを超える行為であるはずである。それは音の内に在るということで音そのものと化すことなのだろう。(強調は引用者)

 

ここでは、自分の知っていることを超えた世界への対し方が述べられています。世界に比すれば狭い自分の心の一部で、自分の心を超えた世界を意味づけようとはしないこと。「意識」という言葉はここでは使われてはいませんが、私たちを圧倒してやまないものは、私たちの狭い心を超えたものとしてたしかに存在しているという筆者の驚嘆の体験が、火山体験に続いて書かれています。

 

2.「意識」や「視覚」を超える

そして、最後に、インドネシアの「影絵」へと至ります。

 

灯りをともさずに、星の光のみをたよりに影絵を行っている老人。最終段落の次のくだりを読んでみましょう。

 

〔引用文〕

私は通訳のワヤンに訊ねた、老人は何のためにまた誰のために行なっているのか。ワヤンの口を経て老人は、自分自身のためにそして多くの精霊のために星の光を通して宇宙と会話しているのだと応えた。そして何かを、宇宙からこの世界へ返すのだと言ったらしいのだ。(強調は引用者)

 

「星の光」を通してはスクリーンには何も映りません。「星の光」は目に見えて存在するものとして、老人にとって「宇宙と会話」するための手がかりです。そして、人間のともす灯りではなく、「星の光」によって、老人にはたしかに何かをスクリーンに映すことができるのです。

 

ここで、最初にも引用した箇所をもう一度読んでみましょう。

 

〔引用文〕

だがその時、私は意識の彼方からやってくるものがあるのを感じた。私は何も現われはしない小さなスクリーンを眺めつづけた。エそして、やがて何かをそこに見出したように思った。

 

「意識の彼方からやってくるものがあるのを感じた」とは世界に、意識という狭小な存在を超えるなにものかを感じたということでしょう。それは未知のもの、あるいは不可知といってよいものかもしれませんが、たとえ私たちには結局知りえなのものであったとしても、そうしたものが「たしかに存在しているのだ」ということを感じた、ということだと思います。

 

武満氏は、「何も現れはしない小さなスクリーンを眺めつづけた」のでした。まず、「意識の彼方からやってくるものを感じた」、そして、「何も現れはしないスクリーンを眺めつづけた」。問題文において、ここまで、意識は、狭小で、限界のあるものとして位置づけられていました。「視覚」もまた、第2段落において、制限され、限界のあるものという位置づけでした。先述のように、意識に関する記述や、第2段落における視覚に関する叙述は、この影絵での体験から振り返って書かれたものです。

 

通常の視覚によっては、なにもスクリーンには浮かび上がってはこない。

 

ところが、武満氏は、「やがて、何かをそこに見出したように思った」のです。何を見出したのでしょうか?

 

それは、「意識や視覚」という、人間において大変な働きをするものとは言えても、制限があり、限界のあるものでは捉えられないものです。

 

灯りのない影絵という仕掛けによって、そうした特別の装置があってはじめて見出すことができたもの、それは、意識や視覚という限界のあるものでは捉えられないが、たしかに存在するものです。

 

私は今、老人の影絵について、「特別の装置」ということを言いました。ところで、東大の現代文の過去問には、「見ること」と「装置」について書かれたものがあります。皆さんで、それはどの問題かを探して、本問との関係を考えてみてください。

 

東大は繰り返し、同じような考え方、感じ方を問題にしていることを感じると思います。そして、それは問題文を通じた東大からのメッセージにほかならないと思います。

 

〔解答例〕

「人の意識や視覚には限界があるということを認識し、それらでは捉えられないが、確かに存在し、訴えかけてくるものがこの宇宙にはあるということを感じたということ。」

 

「人の意識や視覚の力では捉え難い、見えなくても確かに存在し、訴えかけてくるものがこの宇宙にはあるということを感じたということ。」

「人の意識や視覚という限界のあるものでは捉えられないが、確かに存在するものとして宇宙の力を感じとったということ。」

 

設問(四)では、「宇宙と会話(コレスポンデンス)」、「何かを、宇宙からこの世界(ユニヴァース)へ返す」などを踏まえて、こうした趣旨のことを書けばよいのではないでしょうか。

 


 

 

 

 

東大現代文を統一的に読む~東大現代文の3つの思想「無意識・非個人性・超日常」 第4回 2001年度第一問

 

2001年度第1問  作家の「孤独」と「無意識」を読み取る 

1.文学と孤独という〈像〉

これまで述べてきた事を踏まえて2001年度第一問を読んでみましょう。カリフォルニア州生まれの米国人日本語作家リービ英雄氏のエッセイ「ぼくの日本語遍歴」(『日本語を書く部屋』所収、岩波現代文庫、2011年)からの出題です。

 

本問は東大現代文随一といってよい名作中の名作問題ではないかと思います。構成の妙、問題提起とその展開、段落相互のつながりの論理性、言葉の結びつきの横断性、具体例の美しさ。中途での静寂のあと、場面を中国大陸に移してからの文章の疾走感。まさに文章が走り始め、加速していきます。それは、筆者の中の何かが走り始めたことの素晴らしい表現となっています。そして、また日本に、新宿の部屋に戻ってからの、静謐な空気感を感じさせる描写の美しさ。表現の滋味深さと同時に東大の設問の工夫もまた印象深く、文章の意味や構成はこういう視点から捉えるものだと教えられるような設問となっています。

 

本連載の第1回でも述べたように、本問の最後の設問はなにをどういうふうに書き、まとめればよいのかわからないような難しいものとなっています。そこで、前回述べたように、本問以前に出題された1996年度第五問(本連載第3回を参照、さらに後年に出題の2020年度第四問)と、同じ年に出題された2001年度第四問に書かれた内容を導き手として読めば、どういう世界が見えてくるのかということを叙述していきたいと考えています。

 

前回、本問は、1996年度第五問と2020年度第四問に書かれた思想の「変奏」だと述べました。これらの問題と本問との内容的なつながりが見えてくれば、東大の現代文の過去問を読むことがこの上なく楽しいものと、おのずと感じられてくると思います。東大の過去問はあちらこちらでその内容がつながっています。さらに本問には姉妹と言えるような問題があって、また最後に紹介してみたいと思っています。

 

また、本問は少なくとも過去40年間では東大国語第一問としては唯一のエッセイとなっています。なぜ、そうした異例の形式で出題されたのか、その理由は設問(五)にあると私は考えています。本問は「国語の第一問の設問形式」で出されてこそ味わい深い問題となったのだと思われます。言いかえると、第一問にエッセイを配するということをしてまで、なんとしても東大はこのリービ英雄氏の文章を出題したかったのだと想像することができます。また、皆さんも、その理由を考えてみてください。

 

さて、本問を読むためにいかなる〈像〉が必要か、本問の文章の〈像の全体性〉をつかむためにあらかじめひとつの思想、〈文学の像〉というべきものを東大現代文から学んでおこうと思います。それは本連載の第1回でも一度紹介した、本問と同じ年、2001年度の第四問に書かれていることです(岡部隆志『言葉の重力―短歌の言葉論』、洋々社、1999年)。「文体」というものについて書かれたその最終段落に次のようなくだりがあります。

 

〔引用文〕

 文体がもっている伝えがたいものとは何だろう。「孤独」といういい方をすればかなり当たったいい方になるだろう。われわれの文学的な言葉が抱え込む共通の価値を一言でいえというなら、それは「孤独」である。小説や詩を評価するのに、例えば「ここには孤独が感じられる」といえば誉めたことになる。それが何よりの証拠だ。この「孤独」をどう描くかというところに、われわれの文体の一つの目的がある。(強調は引用者)

 

ここには「高等学校段階まで」に文学についてまず踏まえておくべきことが東大からのメッセージとして、問題文を通じて書かれていると思います。文学とはどういうものか、それは「孤独」ということに関わるものだ、ということです。多様などのような文学論、前衛的な文学理論があろうとも、「高等学校段階まで」に絶対に踏まえておくべきことはこれなのです(1)。

 

そうであれば、文学者が書いた文章に向かうときには、その文学者の文体が、いかにその「孤独」を描いているのかを読むことができれば解答に至りつくことができるということになるでしょう。

 

米国人作家リービ英雄氏が、日本語で小説を書いてきた経験を辿るこの問題文を終わりまで読むと、最後の言葉、「世界がすべて今の、日本語に混じる世界となった」に至るまでのリービ氏のいわば日本語における「成長物語」であると言えるのではないかと思います。自身の「成長」が、ニュアンスに富んだ美しい表現で描かれています。この文章全体の〈像〉をまずはたしかに心得ておきましょう。

 

本文を一読して、この「成長物語」のゴールのイメージを持っておきましょう。最後のふたつの段落です。

 

〔引用文〕

 北京から東京にもどった。新宿の部屋にもどった。アメリカ大陸を離れてから、6年が経っていた。新宿の部屋の中で、二つの大陸のことばで聞いた声を、次々と思いだした。「天安門」という小説を書きはじめた。
 二つの大陸の声を甦らせようとしているうちに、外から眺めていた「Japanese literature」すら記憶に変り、世界がすべて今の、日本語に混じる世界となった。

 

すべての文末が単純な「過去形」で書かれています。ここには筆者のリービ英雄氏の自身のなかで「なにかが終わって、自分にとって確かな新しい生が始まった」という感慨がこのうえなく伝わってきます。

 

このリービ氏の到達点をたしかに心得ておきましょう。この文章は、この到達点に達したリービ氏が振り返って書いたものです。リービ氏が自らの過去の出来事や感情を位置づけていきます。

 

それぞれの設問は、見事なまでにその「位置づけ」を問うものになっています。五つの設問の解答をつなげれば、リービ氏の「成長」がたしかに描き出される、そういう設問になっています。

 

それでは、本文を最初から読み進めていきましょう。

 

2.本文の展開 なぜ日本語で書いたのか 引っ掛かりのある表現を読む

十代の頃、「日本語は美しいから、ぼくも日本語で書きたくなった」と思い始め、その後日本へ渡った体験を基に日本語で小説を書きます。この初めて日本語で小説を書いた体験について、リービ氏はつぎのように書いています。

 

〔引用文〕

 日本語は美しいから、ぼくも日本語で書きたくなった。十代の終り頃(ごろ)、言語学者が言うバイリンガルになるのに遅すぎたが、母国語がその感性を独占支配しきった「社会人」以前の状態で、はじめて耳に入った日本語の声と、目に触れた仮名混じりの文字群は、特に美しかった。しかし、実際の作品を書く時、西洋から日本に渡り、文化の「内部」への潜戸(くぐりど)としてのことばに入りこむ、いわゆる「越境」の内容を、もし英語で書いたならば、それは日本語の小説の英訳にすぎない。アだから最初から原作を書いた方がいい、という理由が大きかった。壁でもあり、潜戸(くぐりど)にもなる、日本語そのものについて、小説を書きたかったのである。 

 

「しかし」以降、なにか引っ掛かるものを感じる文章ではないでしょうか

 

★まず、「文化の『内部』への潜戸としてのことばに入りこむ、いわゆる『越境』」とありますが、「越境」とは通常「ことば」の話のことでしょうか。言葉をも含めた文化総体や生活総体への入っていくことが「いわゆる『越境』」なのではないしょうか。

 

★また、「日本語そのものについて、小説を書きたかったのである」(強調は引用者)とありますが、論文のような「日本語論」を書いたわけでもなさそうだし、「日本語そのものを小説で書きたかったのである」とでも書けば済むことではないのでしょうか。こうした疑問もわいてきます。

「日本語そのもの」と「日本語そのものについて」、「を」と「について」との差異は何なのでしょうか。「について」という一読して不自然に響いてくる言葉がなぜ書かれたのでしょうか。

 

★あるいは、「壁でもあり、潜戸にもなる、日本語そのもの小説を書きたかったのである」という書き方もありうると思われるところです。「について」と「で」との差異は何なのでしょうか。

 

①日本語書きたかった

②日本語書きたかった

③日本語そのものについて書きたかった

この三つの表現のうち、3番目の表現の特異性はどこにあるのでしょうか。

 

★また、たんに「日本語」とするのと「日本語そのもの」とするのとでは、このふたつの表現にどのような差異があるのでしょうか

 

細かいことですが、まさに東大はここを問うてきます。ここで東大の設問に立ち止まってみましょう。

 

★それと「潜戸」(通例では「潜り戸」と表記されます)という比喩表現です。リービ氏は数ある「入り口」を意味する言葉から「潜戸」という言葉を選びました。「潜戸」とは、「くぐって出入りするように作った小さい戸、またその出入口」(広辞苑)を意味します。たとえば、寺の門の横にあるのを思い出すかもしれません。

 

「潜戸」という入り口は、大手を振って入っていくようなものではありません。かがんで遠慮がちに入っていくような入り口です。リービ氏にとって、日本の文化の「内部」へ入っていくための日本語は「潜戸」であって、門や自動ドアではないのですね。自分の日本語がどれだけのものか、どれだけ日本で理解したり、何かを伝えることができるのか、こうしたことへの期待や不安を印象づける言葉が選ばれているのです。日本の文化の内部へ入っていくときの第一の手段とはいえ、控えめなものというニュアンスを十分に表す言葉となっています

 

★それから、「日本語の小説の英訳」、傍線部アの「最初から原作を書いた方がいい」などの表現もまた、何が問題なのか、その内実を解釈しなければいけない言葉です。

 

★また、「壁でもあり、潜戸にもなる、日本語そのもの」という箇所では、まず、「壁(障害)」になることが、「潜戸(控えめな手段)」よりも先に書かれていることが引っ掛かってきます。

 

東大の設問(一)は、その下線部アについて、「筆者が日本語で小説を書こうとした理由はどこにあると考えられるか、わかりやすく説明せよ」というものです。上述のように引っ掛かりを感じる文章の言葉の解釈の問題として、言葉の一語一語について丁寧な読解を求めた大変印象的な問題です。

 

リービ氏が日本語で小説を書こうとした理由は、「……もし英語で書いたならば、それは日本語の小説の英訳にすぎない

」ということ、これを言い換えて、「壁でもあり、潜戸にもなる、日本語そのものについて、小説を書きたかったのである」と述べられている箇所にあります。この箇所を解釈し、その内実を展開しなければなりません。

 

「壁でもあり、潜戸にもなる、日本語そのもの」とは、素直に読めば、「壁」とは日本の文化の内部に入るための「障害」であり、「潜戸」とは小さい入口、いわば「控えめな手段」です。そういうものとしての「日本語」なので、日本の文化の内部に入るために使われた日本語、つまり、実際に日本の生活で関わった日本語ということになります。

 

そこで、解答の大きな緩い枠踏みはこうなるでしょう。

 

「障害(壁)にもなれば控えめな手段(潜り戸)にもなる日本語を書きたかった、言いかえると、実際に日本で、話し、聞き、読み、書くなどした日本語、実際の日本語体験を書きたかった。たとえば、その実際に体験したニュアンスを書きたかった。そのためには英語でなく、日本語で書かないといけなかった」

 

この大きな枠組みに、「いわゆる『越境』」、「日本語そのものについて」などの一読して不自然な表現の意味するところを付け加えれば解答の完成です

 

繰り返せば、ここでの大きな問題は、次のふたつです。リービ氏のいう①「越境」とは、具体的にはどういうことなのでしょうか。また、②「について」とはどういうことなのか。特に「日本語そのものについて」という文言を解釈して、このふたつのことを関連づけながら、この段落を読んでほしいということが本問の最大の意図でしょう。

 

これらの言葉を、下線部の「日本語の小説の英訳にすぎない」、「最初から原作をかいた方がいい」などの文言との関係でいかに考えるのかという難問です。

 

ひとつ余談です。哲学者の芦田宏直氏は、次のように大学という場所の意義を述べたことがあります。

 

〔引用文〕

 高橋允昭というデリダ研究者(注:デリダはフランスの哲学者、1930~2004)はavecっていうデリダが使った前置詞(注:ほぼ英語のwithに当たるフランス語)の訳をめぐって、二行くらいの文章を一年間かけて考えさせてくれました二行のフランス語、しかも一つの前置詞のためだけに一年をかけたんですよ。こんなことは高校までの授業ではありえない」、「高橋先生のお蔭で一つ、一つの言葉にこだわる根性みたいなものを学べました」と(強調は引用者)。(2)

 

この設問で東大はまさに、「一つ、一つの言葉にこだわる根性」を問うているとは言えないでしょうか。なぜ、一見不自然な「について」という言葉が使われているのか、この一語をどう読み、どう考えるかを問題にしているのです。もう一度先の引用文の後半を見てみましょう。

 

〔引用文〕

 しかし、実際の作品を書く時、西洋から日本に渡り、文化の「内部」への潜戸(くぐりど)としてのことばに入りこむ、いわゆる「越境」の内容を、もし英語で書いたならば、それは日本語の小説の英訳にすぎない。アだから最初から原作を書いた方がいい、という理由が大きかった。壁でもあり、潜戸にもなる、日本語そのものについて、小説を書きたかったのである。

 

やや回りくどい文章であるという印象を受けるのではないでしょうか。この回りくどさが表しているのは、当時のリービ氏の日本語に対する様々な思いの交錯でしょう。先に少し触れたように、この問題文は後半になって文体が走り始めます。加速し、疾走し始めます。この引用部分はそれに比べていわばジグザグ歩行になっています。この引用部分からは、リービ氏が日本語に対してひとり逡巡する「孤独」が十分に感じられます。

 

★「越境」という言葉の内実について

リービ氏にとって、「文化の『内部』への潜戸(くぐりど)としてのことばに入りこむ、いわゆる『越境』の内容を」書くことが問題でしたが、この引っ掛かりのある文章からはどんな〈像〉が浮かびあがってくるでしょうか。先述のように、「越境」ということが言われるとき(たとえば国家間において)、通常それは「ことばに入り込む」だけでなく、言葉をも含んだ生活や文化の全体というものに入っていくことを意味するのではないでしょうか文化の「内部」へ入っていくこと、さらに広く、生活や社会の総体へと入り込むことを一般的には「越境」という言葉で表すのではないでしょうか。「いわゆる」という言葉を使うのであれば、こうした意味の越境にこそふさわしいのではないでしょうか。

 

「越境」とは、「境界線や国境を越えること」(広辞苑)、「境界、特に、国境を不法に越えること」(大辞林)などと辞書では定義されます。

 

しかし、例えば文学的なニュアンスをもたせて使われることも多い言葉です。それまでの生活を捨てて、まったく異なるような世界へと入っていくことなども表現する言葉です。日本での生活に倦み、新しい世界を求めて「インドへ越境する」などとも言われます。もっと文学的な例だと、19世紀のフランスの天才的な詩人、アルチュール・ランボーは、20歳で詩作を放棄し、労働と放浪の後、26歳でアフリカに渡ります。これはヨーロッパ世界との文化的、地理的な大きな決別です。ヨーロッパ的なものと対峙し続けたランボーの「ヨーロッパからアフリカ大陸への越境」などと言われます。

 

たしかに自分の母語以外に魅力を感じて、たとえば、「日本語から韓国語へと越境する」などと言われることがありますが、「越境」とは、「生活総体や文化総体の異なる場所へ行く」ということが通例(いわゆる)で、異なる国語間での事として言われることの方が少ないでしょう。

 

ところが、リービ氏は「ことばに入り込む」ことを「いわゆる『越境』」と書くのです。考えられることは、リービ氏は、この表現によって、自分にとっての日本とは何よりも「ことば」の世界だということを強調しているのではないかということです日本語と自分との間にある距離を縮めていくということがなによりの課題という意味が込められていると思われます。

 

その後の、「壁でもあり、潜戸にもなる、日本語そのものについて、小説を書きたかったのである」という箇所では、「日本語そのもの」は、いわば日本文化の内部に入り込むための「壁」(障害)としても、「潜戸」(控えめな手段)としてもある日本語ということであり、「潜戸」という言葉が再度登場しています。先の「文化の『内部』への潜戸(くぐりど)としてのことばに入りこむ、いわゆる「越境」の内容を、もし英語で書いたならば(後略)」という箇所とは、次のように対応しています。

 

「文化の『内部』への潜戸(くぐりど)としてのことばに入りこむ、いわゆる『越境』の内容」を書く

=「壁でもあり、潜戸にもなる、日本語そのものについて」「小説を書きたかったのである」

 

(※「いわゆる『越境』の内容」を書くことと「日本語そのものについて小説を」書くこととの関連については後述します。)

 

つまるところ、リービ氏にとって「日本語」は、①他国の文化や生活総体への(通例の意味での)「越境」のための手段や障害である。同時に②特別の「越境」の対象でもある、すなわち自分にとって、関わっていきたい強い関心対象でもあるということが強調されて位置づけられていることになります。

 

自分がどれだけ日本語に強い気持ちを持っているのか、ということを表現するための修辞的な表現となっています。

 

まとめてみます。他国の言語に入っていくこともたしかに「越境」といえるでしょう。しかし、それは、あくまで生活や文化の総体へ入っていく「越境」というものの一部分であると見るのが一般的な「越境」という言葉の用法のはずです。「いわゆる」という言葉を使うなら、この一般的な「越境」のはずです。

 

ところが、リービ氏は、言葉(日本語)というものこそが越境の核心であるということを強調する書き方をしていました。それが、「ことばに入りこむ」ことを「いわゆる『越境』」とする表現でした。日本との関係で、自分にとっての「越境」とは、「日本語」の問題なのだということが見事に響いてくる書かれ方です。日本語に対する自らの気持ちの強さ、関心の大きさを説明するのに、「いわゆる」という一語が自在に使われています。まさに日本語を操っているというほかありません。

 

この「越境」とは日本語に「入りこむ」ことでした。ここでの「日本語」とは、「西洋から日本に渡り、文化の『内部』への潜戸(くぐりど)としてのことば」のことですから、「日本に渡り」、その後に関わった日本語だということになります。言いかえると、リービ氏が聞き、話し、読み、書くなどした日本語です。これが、リービ氏にとっての何よりの「越境」体験、日本語で書きたいことでした。

 

こうした引っ掛かりを残していく表現は、自身の日本語体験の当初のとまどいを強く印象づけます。本エッセイを書いた時には、母語のように日本語で書けるようになっていたリービ氏の細かな技、まさにリービ氏の日本語における「成長」を証する表現技法だと感じられます。

 

(※ここでひとつ言葉の意味についての整理をしておきます。それは、「母語」と「母国語」についてです。

「母語」とは「人が生まれて最初に学び、覚える言葉」という意味であるということは確定しているようです。

他方、「母国語」の意味では争いがあるようです。「母語と同じ意味」、「国籍がある国の言葉」、「自分が生まれた国の言葉」などの意味を持つと主張されています。

例えば、「日本生まれのフランス国籍で、生まれて最初に覚えたのが日本語」というセザンヌ君の「母語」は日本語です。しかし、彼の「母国語」は、「母国語」という言葉の意味次第で、日本語ともフランス語とも、どちらにも言えるということになります。)

 

では、こうした「越境」という言葉の解釈は、設問の解答にどう反映されるのか、これについては次の項目で述べることにします。

 

★「日本語そのものについて」という不思議な文言について

「……いわゆる『越境』内容を、もし英語で書いたらば、それは日本語の小説の英訳にすぎない」という表現がありました。この「越境」とは日本語に入り込むことでした。すると、「英訳にすぎない」とは、ひとまずは、「これほど日本語を愛する自分が日本語で書くよりも、その翻訳のようなことをすることは考えられない」というリービ氏の気持ちや、英語で書くことは実際に経験した日本語のニュアンスを減殺するものではないかという趣旨を言うものと考えられます

 

そうすると、「最初から原作を書いた方がいい」という表現は、当時のリービ氏にとっては日本における日本語の体験(リービ氏の言葉でいえば「越境」)を日本語で表現することにこそ意味があったということの修辞的表現ということになります。設問に解答するためには、この修辞的表現の内実をさらに考えなければなりません。

 

日本語で書いてこそ意味があるということ、リービ氏が「日本語で小説を書きたかった」理由は、「壁でもあり、潜戸にもなる、日本語そのものについて、小説を書きたかったのである」ということにあります。

 

あらためて言うと、ここでの日本語は日本文化の内部に入り込むための障害でもあり、控えめな手段にもなるというものです。そして、自分にとっての日本とは何よりも日本語という言葉なのだということが強調されていたのでした。すなわち、最初に言われていた「越境」という表現がなによりも日本語への関心を強調するためのものであったのでした。

 

さらに、先に「日本語」と「日本語そのもの」というふたつの言葉の差異とはなにか、という問題を提起しました。やはり、その答えも「強調」です。自分にとっての最重要なものは、日本語という言葉なのだ、ということの強調です。日本語というものに向かうリービ氏の強い衝動が感じられます。


そこで、「壁でもあり、潜戸にもなる日本語そのものについて、小説を書きたかったのである」という箇所は、次のように考えられるのではないでしょうか。

 

①日本語とは、「壁でもあり、潜戸にもなる」ものでした。すなわち、日本語が日本での生活にとって障害になったり、控えめな手段になったりしたあり様こそが「越境の内容」です日本に渡ったリービ氏は実際に生活場面で十全なものではないながらも日本語を使ったのでした。その「日本語そのもの」を描きたかったのではないでしょうか

面白いのは、先述のように、「壁でもあり、潜戸にもなる」と、まず障害になるということが先に書かれていることです。壁としても大きく感じられていたのでしょう。そして、「~でもあり、~にもなる」という書き方がされています。そうした「障害と控えめな手段」がまさにめまぐるしく展開していくあり様こそリービ氏は書きたかったのではないでしょうか。

「私」、「ぼく」、「あなた」、「きみ」などの人称の言葉遣いで人間関係の距離が変わった体験もあったかもしれません。言いたいことが伝わらず辛いことになったかもしれません。こうして実際に接した日本語をそのニュアンスのままに書きたかったと考えられます。言い換えると、壁にも潜戸にもなったというそのことを書きたかったのです。日本語のもつニュアンスこそは日本の生活総体に入っていくときの手段にも障害にもなりうるものだからです。そして、そうしたニュアンスは、英語で書くと消えてしまいます

こうしたことが、「……日本語の小説の英訳にすぎない」という文言から考えられることです。地の文による状況説明などは英語のでもいいかもしれませんが、リービ氏が感じた会話などでの日本語のニュアンスは英語では表現されません。

先に「人称」の話をしましたが、日本語の「ニュアンス」の例をもうひとつ考えてみます。リービ氏が仮に「情けない」という日本語を知ったとすれば、この言葉をそのまま書きたかったというようなことです。これを英語でdeplorableなどと書くと、「情けない」のニュアンスとかなり異なってしまうので、日本語で話し、聞き、読んだことなどはそのまま日本語で書くことにしたのではないかと想像できます。これらの言葉をそのまま日本語で表現したかったと考えられるのです。

 

②「について」という表現についてあらためて考えてみます。「について」とは、なにかを対象としたり、テーマにしたりするときに用いられる言葉です。すると、日本語に魅かれたリービ氏にとって、日本語とは自分自身のもっとも切実な関心対象であり、テーマだったのだと考えることができそうです。このことを「日本語そのものについて書きたかった」と表現したとも考えられます。

そして自分にとってのテーマとしてあった日本語を、実際に日本において聞き、話し、読んだなどの具体的体験の意味は大きかったでしょう。その体験の意味や重さは実際に体験した日本語をそのまま書くことを置いては表現されないものだったと考えられます。さらに日本での生活を日本語で表現することが、日本文化や生活に入り込むための控えめな手段あるいは障害というあり様で存在する日本語という自身のテーマの展開になるものだった、こういうふうに考えることもできます。

ただ、生活における日本語にたしかに触れたとしても、自身と日本語との間には次のような「距離感」が残っているため、このことを日本語そのものに「について」というふうに表現したと考えることもできます。

 

★「について」という言葉のニュアンス「距離感」

そして、さらにこうしたことに加えて、「について」という語について、くみ取るべきニュアンスは、リービ氏と日本語との距離でしょう。

 

「~について論じること」と「~の中にいることは」異なることだ、というようなことが言われることがあります。

 

まさにリービ氏にとって、日本語がまだ十分には自分のものとはなっていないものとしてあったことを、日本語そのもの「について」と書いたと考えられます。

 

先述のように、「越境」という言葉も「自身と日本語との距離を越える」意味が強調されていました。「生まれと育ち」が日本とかかわりなかった米国人のリービ氏にとって、日本語は内的に「自然」なものとして感じられるものではなかったはずです。たとえ、日本語にどれだけまるで本来の自己を感じるような親しみを感じていたとしても、はじめからその中でどっぷりと浸かって生きてきたものではなく、外の対象としての側面(テーマとしてのありよう)を持たざるをえないものであったはずです。

 

また、対象といっても、それは、日本で生育し、自然過程として日本語を身に着けた者が、学者的にあらためて日本語を対象として捉え直し、考えていこうとすることとはちがったことでした。日本語はとにもかくにも自分と距離のあるものとして存在するのであって、まだまだどっぷりとそこに浸かったことのないものとしてあったのです。この距離が「について」という語によって見事に表現されています。

 

★設問(一)解答例

日本語は未だ距離を感じる大きな関心対象としてあり、実際に日本語での経験をしたことの重みと、その際の日本語の生きたニュアンスをそのまま書きたかったから。

 

(※非常に細かく、読んでいて引っかかっていく感覚を残す一語一語について解釈してきましたが、実は、まるでこの東大の設問に答えるかのようなことを、のちの著作で書いています。『我的日本語 The World in Japanese』40頁、筑摩選書、2010年)。

 

3.リービ英雄が向き合っていたふたつの問題 そしてひとつめの問題(民族と日本語)の行方 

続いて、当時の日本における、生まれた時から日本語を共有しない外国人と日本語との関係という事柄をめぐる状況が描かれます。

 

〔引用文〕

ぼくにとっての日本語の美しさは、青年時代にイおおよその日本人が口にしていた「美しい日本語」とは似ても似つかなかった。日本人として生まれたから自らの民族の特性として日本語を共有している、というような思いこみは、ぼくの場合、許されなかった。純然たる「内部」に、自分が当然のことのようにいるという「アイデンティティ」は、最初から与えられていなかった。そしてぼくがはじめて日本に渡った昭和四十年代には、生まれた時からこのことばを共有しない者は、いくら努力しても一生「外」から眺めて、永久の「読み手」でありつづけることが運命づけられていた。母国語として日本語を書くか、外国語として日本語を読んで、なるべく遠くから、しかしできれば正確に、「公平」に鑑賞する。

 

リービ氏はふたつの問題を強く感じ取っていました。いわば「問題提起」の場面です。現代文の問題はその書き手が直面した問題に応えるものだということを思い出しましょう(すべてではありませんが)。

 

①日本人という民族ではないという問題

生まれが日本人でない者は、民族の特性として日本語を共有しているとは認められなかった、いわば日本語の響きやニュアンスは日本民族のもつ特性と不可分一体のもののように考えられていたということ。

 

★設問(二)の解答例

日本人という民族の特性の言語面での現れとして、日本人のみが感じ、共有しうると考えられる音の響きや意味の広がりなどを持つ言葉。

 

この設問のポイントは、リービ氏が問題として直面していた「民族性」です。

設問のヒントになるのが続く第4段落です。引用してみましょう。

 

〔引用文〕

あの図式がはじめて変ったのは、もちろん、ぼくのように西洋出身者が日本語で書きはじめたからではない。その前に、日本の「内部」に在しながら、「日本人」という民族の特性を共有せずに日本語のもう一つ、苛酷な「美しさ」をかち取った人たちがいたからだ。(強調は引用者)

 

この下線部は、第5段落に登場する李良枝(イ・ヤンジ)の紹介文になっています。そして、李良枝が、「『日本人』という民族の特性を共有せずに日本語のもう一つ、苛酷な『美しさ』をかち取った」とすれば、裏返せば、「日本人という民族の特性を共有していれば日本語のひとつの美しさが獲得される」というふうに読めるのではないでしょうか。

 

第4段落は、李良枝の獲得した「日本語のもう一つ、苛酷な「美しさ」に対する「ひとつの美しさ」は、民族の特性を共有しているということを前提にして書かれています。これは当時の「一般論」に対する李良枝の奮闘に言及したものです。

 

ここから、第3段落の「おおよその日本人がロにしていた『美しい日本語』」(すなわち「一般論」)とは「民族特性を共有している者同士であれば美しさが共有できる、そういう日本語だ」となります。リービ氏は、こうした日本人の考え方を前提に、第4段落で、そうじゃない、共有していれば獲得できる美しさだけではないと書いたのでした。

 

②生まれた時から日本語を共有していないという問題

生まれたときから日本語を共有する環境の中にいない者は意味を客観的に正確にとって読むことまではできても、日本語を使いこなす者には絶対になれないと思われていた、ということ。

 

★設問(三)の解答例

生まれた時から日本語を共有していなければ、読んで意味を正確に把握することまではできても、感知したことを自在に書くことはできないということ。

 

この設問のポイントは、「生まれた時から日本語を共有しているかどうか」という問題です。「民族」という問題とはまた別の問題です。

 

この二点においてリービ氏は日本語から疎外されていたのです。こうしたふたつの問題にリービ氏は向き合わなければなりませんでした。では、この問題はどこに向かうのでしょうか。第4段落です。もう一度引用してみます。

 

〔引用文〕

 あの図式がはじめて変ったのは、もちろん、ぼくのように西洋出身者が日本語で書きはじめたからではない。その前に、日本の「内部」に在しながら、「日本人」という民族の特性を共有せずに日本語のもう一つ、苛酷な「美しさ」をかち取った人たちがいたからだ。

 

そんなとき、リービ氏に、作家李良枝(イ・ヤンジ)との出会いが訪れます。「日本語の作家としてデビューしてまもない頃に、在日韓国人作家の李良枝から電話があった」。李良枝は在日韓国人として、生まれた時から日本語環境の中で育ち、自民族の言語である韓国語に違和感を覚えるほど日本語の感性を身に着けているという人でした。「(前略)日本語の感性を運命のように持ったために、「母国」の言語でありながら「母国語」にはならなかった韓国語について、ぼくがたずねてみた。動詞の感覚は違う、という話しになった」。李良枝はその一月後に急死する。リービ氏の中に在日「韓国人」、李良枝の「日本語の感性そのものの声」が残る。

 

(※ここでリービ氏は、「『母国』の言語でありながら『母国語』にはならなかった韓国語」、と書いています。

前述のような、「母語」と「母国語」の意味の整理からすると、李氏にとって「母語」は日本語です。

彼女の「母国語」は、「母国語=国籍のある国の言葉」だとすれば、韓国語になります。

この解釈だと、リービ氏の文章は、「『母国』の言語でありながら『母語』にはならなかった韓国語」と書き直されることになります。

言い換えると、リービ氏のいう「母国語」は、通例いわれる「母語」の意味で使われています。

また、「母国語=生まれた国の言葉」だとすれば李氏にとっての母国語は、日本語になります。

この解釈だと、リービ氏の文章はそのままですが、「韓国に生まれなかった」という事実が強調される文章になります。

「母語=母国語」だとすれば、李氏にとっての母国語は、日本語になります。

この解釈だと、リービ氏の文章はそのままになります。)

 

日本人という民族でなくても、日本語の感性そのものを身に着けていた李良枝。この出会いにおいて、リービ氏は、ある言語を自らのものであるか否かということに、どの民族に属しているかなど関わりないということを知ります。先述の第一の問題、「日本人として生まれたから自らの民族の特性として日本語を共有している、というような思いこみ」が許されるか否かなどということは、言いかえれば、リービ氏が日本人という民族に属しているかいないかなどということはもはや問題にはならないことを李良枝の存在によって教えられたのでした。

 

ここに①の問題、すなわち①日本人という民族ではないという問題が解決されたのでした。

 

★設問(四)解答例

日本人という民族でなくても、生まれた時から日本語を共有していれば身につく、自民族の言葉に違和感をもつほどの自然な日本語の感覚。

 

この設問のポイントは、リービ氏の問題①への答えであることです。「日本語にかかわるのに民族なんて関係ない」ということが核心です。

 

4.作家の無意識が走り始めるとき ふたつめの問題(生まれ育ちと日本語)の行方その1 

しかし、李良枝は日本で生まれ、日本語の中で育っていました。この点では李良枝とリービ氏の立場は決定的に異なりますここに②の問題、リービ氏が生まれた時から日本語を共有していないという問題が残っているのです 。 

 

リービ氏は、「日本と西洋だけでは、日本語で世界を感知して日本語で世界を書いたことにはならない、という事実にも、おくればせながらあの頃気づきはじめた」と、中国大陸に渡ります。

 

なぜ、「日本と西洋だけでは、日本語で世界を感知して日本語で世界を書いたことにはならない」のでしょうか。なぜリービ氏に中国が必要だったのでしょうか。この問いにこそ、本問の最大のカギがあります。

 

リービ氏にとって「中国大陸」の意味とはどういうものでしょうか。本文のその後の言葉からうかがえることは、リービ氏がかつて、おそらく年少期に(年少期ということは後述のように大きな意味を持ちます)、中国大陸の状況の影響を受けて、その生活が激変したということです。ここでリービ氏は自身のテーマを「日本語で世界を感知して日本語で世界を書」くこととしています。繰り返せば、その時リービ氏に足りなかったものは、李良枝にはあった「日本での生まれ育ち」という、自分にはもうどうすることもできないものでした。

 

しかし、「生まれた時から日本語を共有している」ということもまた、日本語で世界を感知するために絶対的に必要なことなのでしょうか。たしかに必要なことであるとしても、「それに代わるような何らかの体験」もありうるのではないでしょうか。こうした体験と、リービ氏は中国大陸に渡ったことで邂逅することになるのです。問題文は佳境に入ってゆきます。第10段落です。

 

〔引用文〕

 日本から、中国大陸に渡り、はじめて天安門広場を歩いたとき、あまりにも巨大な「公」の場所の中で、逆に私小説的な語りへと想像力が走ってしまった。アメリカとは異った形で自らの言語の「普遍性」を信じてやまない多民族的大陸の都市の中を、歩けば歩くほど、一民族の特性であると執拗なほど主張されてきた島国の言語でその実感をつづりたくなった。まずは、血も流れた大きな敷石の踏みごたえと、そこに隣接した路地の、粘土とレンガを固めた塀と壁の質感を、どうすれば日本語で書けるか、という描写の意欲を覚えた。そのうちに、アメリカ大陸と中国大陸の二つのことばを媒体とした感情が記憶の中で響く一人の主人公の物語を、想像するようになった。

 

何かが走り始めたような文体になっています。走り始め、そして加速していく。この引用箇所でまず私たちに迫ってくるのは、各文の文末です。「想像力が走ってしまった」、「その実感をつづりたくなった」、「描写の意欲を覚えた」、「想像するようになった」。これらの表現は意識的、意志的なものを表すものではありません。ではなにを表現しているのでしょうか。それは、自身の中におのずとわき上がってくるものがあったということを表現しています意識しなくても、意識の外から自分が表現するべきものがやって来たということです。ちょうど東大現代文の1996年度第五問の三善晃氏、2020年度第四問の谷川俊太郎氏のように。そして、日本語というものにあらためておのずと心が動いたのです。

 

日本語を母語とする人たちは、無意識的に様々な日本語表現に導かれるでしょう。これと同じことがリービ氏にも起こったのです!

 

李良枝氏について書いていたとき、文体は落ち着きと静謐さのなかにありました。それは、自身が日本語の中に徐々に浸っていくたしかな実感が生まれてくることの静かな感動を表していたのでしょう。いま、文体は走り始めたような、加速していく疾走感にあふれたものになっています。この文体は何を表現しているのか、リービ氏の無意識が走り始めたということです。李良枝の存在によって日本語の使い手になるために民族などは関係ないことを知った、そして今、「生まれた時からこのことばを共有しない者」であっても、無意識のうちに日本語がほとばしり始めたのです。

 

★リービ氏の心の動き 「私小説的語り」へ、そして、「日本語へ」 リービ氏は中国大陸の何に触発されたのか

ここには、ひとつの「触発された」状態があります。リービ氏は中国大陸に渡り、天安門広場、中国語、そして多民族的大陸の都市に触発された、その結果、無意識が走り始め、「私小説的な語り」、「一民族の特性であると執拗なほど主張されてきた島国言語」(日本語)へと心が動き、中国大陸のあり様と新たな物語(私小説的な語り)を描く構想と意欲とがわいてきたのでした

 

これらの事柄が持つ意味をひとつひとつ考えてみましょう。

 

では、中国大陸の何に触発されたのでしょうか。ここでの因果関係は対比的な構造で書かれています。①天安門広場のあまりにも巨大な「公」に対しては、「逆に私小説的な語りへと想像力が走ってしまった」。そして、②「アメリカとは異った形で自らの言語の「普遍性」を信じてやまない多民族的大陸の都市」に対しては、「一民族の特性であると執拗なほど主張されてきた島国の言語でその実感をつづりたくなった」

 

①巨大な公VS私的なもの、②その普遍性を信じられた中国語あるいは都市の多民族性VS一民族の特性と強く結合しているといわれる日本語。「自らの言語の『普遍性』を信じてやまない多民族的大陸の都市」というくだりにある中国語の「普遍性」とは、中国語に多民族が関わり、使用しているという状態をいうものと思われます。「普遍性」とは誇張された表現ですが、この言葉が中国大陸のもつ迫力をさらに際立たせて感じさせるものとなっています。

 

では、なぜ触発によるこうした心の動きは起こったのでしょうか。次のような理由が考えられます。

 

まず、一般論としては、あまりにも公が主張されるようなとき、私性、私的なことや自己に思いが行き、また多民族で構成される多くの人々、広大な領域で多民族によって使用される言語に対すれば、一民族と密接な関係をもつマイナー言語に思いが行くという可能性はありうると言えそうです。

 

ちょうど小中学校で全体の規律を守る行動を指示されたようなときに、自分という個的存在が否定されたような違和感を持って、「自己」という存在に注意が向くようなことがあるように。引用文を読めばリービ氏も巨大な公、多民族のいる都市、多民族の関わる言語に接し、触発され、「逆に」私性(私小説的語り)や一民族性の強いマイナー言語におのずと心が動いたものと考えられます。

 

文章を読む中で、こうした公私の対比構造をたしかに読み取るためのヒントが冒頭で触れた2001年度第四問で言われていた「孤独」です。「文学における孤独」とは、少なくともある時点でのある人にとって、「そうであるほかない」と、自身にとっても他人にとっても思えるようなありようのことをいうのではないかと考えてみます。誰にも代わってもらえず、共感さえないかもしれない「そうであるほかない」ということを引き受け、なにかに立ち向かうことあるいは退くこと、あるいはその他の選択を強いられるような生きることのあり様をいうのではないかと考えてみます。そこにはその人だけの「問題」があります。

 

リービ氏がかつて何らかのかかわりをもったと思われる中国で、天安門広場の巨大な公という印象と多民族が関わっている中国語、多民族都市に触れたとき、彼の心は自己(私小説的語り)と日本語(一民族の特性であると執拗なほど主張されてきた島国の言語)へと走りました。大きな公という印象やなんらかの普遍性の主張などに対して、「文学者」であれば一挙に「孤独」というものに心が動く瞬間があるはずです。それが孤独というものの〈像〉です。この意味で、リービ氏の心の動きは文学者の心の動きそのものと言っていいのではないでしょうか。その時、この触発の過程で、彼は日本語に魅かれる米国人としての自己が強いられていた「孤独」と真に邂逅したといえるのではないでしょうか。

 

おそらく孤独には様々な度合いがあります。いまリービ氏はある閾値を超えた孤独に至ったのです。彼がそうであるほかないこと、それはカリフォルニア州生まれの米国人として日本語で表現していくことです。この孤独のある閾値が超えられたのです。

 

李良枝との出会いは彼にとって日本語にかかわっていくうえで希望でもありましたが、しかし、日本で生まれ育っていた李氏と自身との決定的な差異はありました。そしてひとりで歩いていた彼の無意識が、中国大陸での触発によって走り始めたのです。彼は意識的な姿勢をとることによって新たに日本語で書くことの構想と意欲とをもったわけではありません。日本の中で、日本語を母語としない外国人として辛酸をなめながら、そしてあれこれと日本語について意識しながら歩き続けてきた彼に訪れたのは、無意識的にわき上がってくる、日本語で書くという意欲と構想なのです。彼はもはや意識で創造するのではない。第一作を書いていた時には日本語で書く理由をまだ求めていた、あるいはむしろ日本語で書く理由というものをどうしても考えてしまっていました。心の前景において、すなわち意識においての逡巡があったのです。しかし、いまはただ日本語がおのずと自分の中にあふれてきそうな地点に辿りついたのです。

 

この「中国大陸による触発」については、のちにもう一度触れます。

 

5.二つのことを書く意欲と構想~「私小説的語り」と「中国大陸の感触」とを書く意欲と構想~ふたつめの問題(生まれ育ちと日本語)の行方その2

第10段落では、リービ氏には二つのことを書く意欲と構想がわき上がっています。一つは、中国大陸のあり様で、これは続く第11段落で、「同時代の場所としての中国大陸の感触」とも言われています。もう一つが、「私小説的語り」です。このことは「そのうちに、アメリカ大陸と中国大陸の二つのことばを媒体とした感情が記憶の中で響く一人の主人公の物語を、想像するようになった」とも書かれます。ここでは、後者の「私小説的語り」を書くことの本文における意味から検討してみます。

 

★「私小説的語り」を書くことの本文における意味 自分の過去を日本語で生き直すこと 

今引用したばかりですが、第10段落でリービ氏は、「そのうちに、アメリカ大陸と中国大陸の二つのことばを媒体とした感情が記憶の中で響く一人の主人公の物語を、想像するようになった」と書いていました。その後に、次のように「物語の構想」についてあらためて書かれます。

 

〔引用文〕

私小説はおろか小説そのものからもっとも遠く離れた、すぐれて「公」の場所、十億単位の人を巻きこんだ歴史の場所で、その歴史に接触して崩壊した家族の記憶が頭の中で響いている。そうした一人の歩行者のストーリーを、どのように維持して、書けるのか。日本から、北京に渡り、その中心を占める巨大な空間を歩きながらそう考えたとき、母国語の英語はもはや、そのストーリーの中の記憶の一部と化していた。

 

第10段落の引用文に「私小説的な語り」と言われていたことから、ここで構想されているストーリー(「一人の歩行者のストーリー」)は、リービ氏自身のものでしょう。中国ではない場所で暮らしていたリービ氏(しかし、問題文からはリービ氏がおそらく年少時から中国語にも関わっていたことがうかがわれます。第11段落で中国語の文字の変化についての感慨が述べられています)の家族は、中国の歴史的な経緯になんらかの影響を受けて崩壊した。問題文のニュアンスからは、彼が主人としてある家族というよりも年少時の家族という印象ですが、確かなことは言えません。

 

中国の巨大な「公」、多くの「私的なもの」を押しつぶしてきたであろう「公」。リービ氏は、そのいわば「被害者」として、私的世界の崩壊を経験した当事者です。そうであるならば、中国の巨大な「公」が一挙ににリービ氏の中に「私的なもの」を喚起することは不思議なことではないでしょう。こうしたことも先述来のリービ氏の心の動き(私小説的語り、マイナー言語としての日本語への心の動き)の理由として考えられます。
 

いまリービ氏の中に、そうした崩壊の体験をもとにした「私小説的語り」を日本語で書く意欲と構想とが、天安門広場という巨大な「公」に触発されておのずとあふれだそうとしています。ここでひとつの仮定に立ってみようと思います。それは中国大陸の出来事の影響による「家族の崩壊」がリービ氏の年少期のことだという仮定ですこの仮定に立つと、以下のように、なぜ、「日本と西洋だけでは、日本語で世界を感知して日本語で世界を書いたことにはなら」ず、中国という存在が必要であるのかがわかるからです。「年少期」という仮定はいわば「育ちの過程」を意味します。この仮定から以下のように考えることができるのではないでしょうか。

 

アメリカ大陸と中国大陸の二つのことばを媒体とした感情が記憶の中で響く一人の主人公の物語」(強調は引用者)を書くことがリービ氏にとってどういう意味を担ってくるのでしょうか。

 

その主人公、すなわちリービ氏は、英語と中国語の中に育ちました。生まれてすぐの時の言語はおそらく英語でしょう。その自らの育ちの過程を今自らの中に無意識のうちにあふれだしてくる日本語で辿りなおしていく。自らの育ちの過程を日本語で感知しなおす。英語と中国語で感知していた体験あらためて日本語で感じ直し、日本語で書く育つ中での数々の体験を直接に日本語で感じるように書く。日本語で書くということを意識しなくてもおのずと育ちの過程が日本語になっていく。あたかも日本語の中で、はじめから日本で生まれて育ったかのように。こうしたことが「私小説的な語り」を新たにすることのもつ意味でしょう。

 

「アメリカ大陸と中国大陸の二つのことばを媒体とした感情が記憶の中で響く一人の主人公の物語」。この「二つのことば」が自ずと日本語に置き換わっていく。過去の感情が日本語で感知しなおされていく。過去の人生がトータルに日本語になっていく。この「過去の人生の全体性」の完成ために中国大陸が必要だったのです。

 

「アメリカ大陸と中国大陸の二つのことばを媒体とした感情」の記憶が、「日本語を媒体とした感情の記憶」へと自ずと置き換わっていくのです。

 

そうして、「母国語の英語はもはや、そのストーリーの中の記憶の一部と化していた」。母国語(母語)の英語はいわば日本語体験のなかの一言語になっているのです。リービ氏は「生まれた時」からのすべてを日本語でたどり直したのではありません。そのようなことはできないことです。

 

しかしながら、リービ氏が英語と中国語のなかでの過去の体験を自分の中にあふれてくる日本語で書くことは、生まれた時から日本語を共有している日本人が日本で生育した過去全体を日本語で感じ、生きてきたことと等価であると言えるのではないでしょうか。言いかえると、まさに「生まれた時から日本語を共有していること」に匹敵するだけの日本語体験をしたと言えるのではないでしょうか。ここに②の問題、生まれた時から日本語を共有していないという問題が解かれたのです。

 

それは、無意識にわき上がってくる日本語という存在によってもたらされたものでした。日本語というものを意識しなくても、あたかも「日本で生まれ育った日本人」のように、日本語が無意識のうちに湧きだしてくるのです。リービ氏にとっての第二の問題であった「生まれた時からこのことばを共有しない者は、いくら努力しても一生「外」から眺めて、永久の「読み手」でありつづけることが運命づけられていた」ことが乗り越えられ、自らの中からほとばしってくる日本語による書き手となったのです。

 

今、私たちは、リービ氏が構想し始めた私小説的語りの舞台が「リービ氏の年少期」に遡る(家族の崩壊)ということを仮定して話を進めてきました。そして今、この仮定によって、リービ氏にとって新たに私小説的な語りを書くことがもたらす意味に辿りついたのです。この仮定を捨てて、家族の崩壊が年少期のことかどうかが私たちに分からなくても、あるいは年少期にまで遡らなくとも、過去の体験を直接に日本語そのもので感じ直していく過程こそがリービ氏の日本語をあたかも母語のように縦横無尽なものにしたのだということをいまやたしかに感じられることと思います。

 

私は先に次のように書きました。

 

なぜ、「日本と西洋だけでは、日本語で世界を感知して日本語で世界を書いたことにはならない」のでしょうか。なぜリービ氏に中国は必要だったのでしょうか。この問いにこそ、本問の最大のカギがあります。

 

この問いへの答えは上述のとおりです。繰り返せば、日本と西洋に加えて中国が必要だったのは、(おそらく)年少期に中国大陸での出来事に、中国とは別の場所で大きな影響を受けた、そのことを辿り直す、しかも日本語で辿り直すためです。これまで英語と中国語で感知していた世界、そして「人生」を、あらためて日本語で感じ直すためです。自らの育ちの過程を、「これまでの人生そのもの」を日本語で感じ直すこと。「生まれた時から日本語を共有」していなくても、育ちの過程での出来事を、日本語で感知し自在に表現できるということは、「生まれた時から日本語を共有していること」に匹敵するという意味をもつのでした。

 

在日韓国人作家、李良枝が日本で生まれ育ったがゆえに運命のようにもつことができた「日本語の感性そのものの声」を、リービ氏はあたかも日本で生まれ、日本語の中で育ったかのように自らの過去を日本語でおのずと表現できるまでに、いつのまにか身につけることができていました。その決定的な契機になったのは、まず中国大陸で得た巨大な公という印象、多民族に関わる中国語という大きな言語や多民族都市から得られた印象による触発でした。この触発によって、おのずと生まれてきたのは、巨大さとは逆の、「私」と「一民族の特性であると執拗なほど主張されてきた島国の言語」といういわば特異なものへの心の動きでした。

 

★「中国大陸の感触」を書くということの意味~本問において「中国大陸」が持つもうひとつの意味

リービ氏は、こうして「日本語の感性そのもの」に至りついたのです。そこで、問題文において、「中国大陸」が持つさらにもうひとつの意味が見えてきます。

 

第10段落の該当する箇所をもう一度引用してみます。

 

〔引用文〕

アメリカとは異った形で自らの言語の「普遍性」を信じてやまない多民族的大陸の都市の中を、歩けば歩くほど、一民族の特性であると執拗なほど主張されてきた島国の言語でその実感をつづりたくなった。まずは、血も流れた大きな敷石の踏みごたえと、そこに隣接した路地の、粘土とレンガを固めた塀と壁の質感を、どうすれば日本語で書けるか、という描写の意欲を覚えた。

 

先に、多民族が関わる中国語という印象に触発されて、逆に

「一民族の特性であると執拗なほど主張されてきた島国の言語」へとリービ氏の心が動いたと書きました。メジャー性を前にして、図らずもマイナーな存在の意味を感じ取ったのでした。

 

しかし、リービ氏が日本語という民族特性が強いとされる「島国言語」へと心が動いた理由はもう一つ考えられそうです。それは、あまりにも日本という島国とは異質なものを感じさせる中国大陸を目の当たりにして、島国で生まれた日本語という言語で大陸的なものを描けるのだろうかという、表現衝動です

 

リービ氏は、中国大陸において、「まずは、血も流れた大きな敷石の踏みごたえと、そこに隣接した路地の、粘土とレンガを固めた塀と壁の質感を、どうすれば日本語で書けるか、という描写の意欲を覚えた」と書きます。日本との異質性をもって眼前にある光景もまた、島国言語へと心を動かしたものなのではないでしょうか。それは文学者的な衝動です。

 

繰り返すと、中国大陸の感触を日本語で書く、言いかえれば、島国の言語で、島国とは異質な広大な大陸とその中の路地などのありようを書くなどの難しい行為への意欲と構想とがリービ氏の中におのずとわいて来ています。そして、リービ氏はこうした中国大陸のありようをも日本語で自然に書けてしまうようになるのです。言いかえると、「中国大陸」はリービ氏がいかに日本語の優れた使い手になったのか、日本語の書き手としての表現力の力量を表す指標の役割を担っています

 

いまリービ氏は、「古代のロマンではなく同時代の場所としての中国大陸の感触を日本語の小説で体現するという試みは、半世紀前に、上海に渡っていた武田泰淳にも、また満州に渡っていた安部公房にもあった」(第11段落)という箇所に言う「試み」を遂げるまでの「書き手」になったのです。

 

リービ氏は、民族がちがっていても、生まれ育ちが日本でなく、その過程に日本語がなかったとしても、「世界がすべて今の、日本語に混じる世界となった」と書く地点にまで至りついたのです。

 

6.エピローグ

最後のふたつの段落を読んでみましょう。

 

〔引用文〕

 北京から東京にもどった。新宿の部屋にもどった。アメリカ大陸を離れてから、6年が経っていた。新宿の部屋の中で、二つの大陸のことばで聞いた声を、次々と思いだした。「天安門」という小説を書きはじめた。
 二つの大陸の声を甦らせようとしているうちに、外から眺めていた「Japanese literature」すら記憶に変り、オ世界がすべて今の、日本語に混じる世界となった。

 

東大の設問(五)は、下線部オについて、「どういうことか、文中に述べられている筆者の体験に即し、100字以上120字以内で述べよ」というものです。難しいのは「筆者の体験に即し」という部分です。この部分こそが東大現代文の「無意識」という思想そのものにかかわるからです。

 

「世界がすべて今の、日本語に混じる世界となった」というリービ氏の至りついた地点を描く美しい一文は、問題文中の言葉を使えば、まさにリービ氏が「日本語で世界を感知して日本語で世界を書」けるようになったことをいうものでしょう。言いかえれば、世界のあらゆる出来事や体験におのずと日本語で反応して、日本語で表現することができるようになったという趣旨のことを書けば間違いないと思います。しかしながら「体験に即し」ということで一体なにをどう書けばよいのか。東大の現代文の歴史の中でももっとも難しい問題のひとつであろうと思います。

 

若い頃から日本語で書き始めたこと、李良枝との出会い、中国大陸での体験を、順を追って書けばよいのでしょうか。しかし、書くべきことは体験を順序だててすべて書くことではなく、体験のもつ「意味」でしょう。その意味とは、「無意識的」に日本語による創造の意欲と構想とがわき上がってきたということを核とするものでした。しかしながらこのことを100~120字でまとめるのは、まして実際の入試の現場で書くことは至難です。解答例をひとつ書いてみましょう。

 

設問(五)解答例

天安門広場の公や多民族が関わる中国語の印象から、逆に自己や単一民族の特性とされてきた日本語へと心が動き、過去の体験や島国と異質な大陸を描く意欲と構想とが自ずとわいて書く中で、あらゆることに自然に日本語で反応して書けるようになったということ。(120字)

 

この解答例には、残念ながら、たとえばリービ氏が、英語と中国語での過去の体験を自分の中にあふれてくる日本語で書くことが、「日本人がその過去全体を日本語で生きてきたことと等価である」というニュアンスが強く表れているとは言えません。「無意識的創造」ということは「自ずと」という短い表現に頼っています。なにをどこまで盛り込んで書くのかということはやはり至難というほかないと思います。

 

強調点を変えて、もう一つ解答例を書いてみます。

 

設問(五)解答例その2

中国大陸で私的な事柄や日本語へと心が動き、過去の英語と中国語での体験を日本語で自ずと感じ直し、また、島国と異質な中国大陸のあり様を日本語で書く意欲が自ずとわく中で書くことで、あらゆることに自然に日本語で反応して書けるようになったということ。(120字)

 

本文で述べたことを十分に盛り込むことはやはり難しいです。本問を120字以内にまとめるということについてはまだまだ今後の課題としておきます。

 

7.解答例を並べて見える世界

設問(一)

日本語は未だ距離を感じる大きな関心対象としてあり、実際に日本語での経験をしたことの重みと、その際の日本語の生きたニュアンスをそのまま書きたかったから。

 

設問(二)

日本人という民族の特性の言語面での現れとして、日本人のみが感じ、共有しうると考えられる音の響きや意味の広がりなどを持つ言葉。

 

設問(三)

生まれた時から日本語を共有していなければ、読んで意味を正確に把握することまではできても、感知したことを自在に書くことはできないということ。

 

設問(四)

日本人という民族でなくても、生まれた時から日本語を共有していれば身につく、自民族の言葉に違和感をもつほどの自然な日本語の感覚。

 

設問(五)

天安門広場の公や多民族が関わる中国語の印象から、逆に自己や単一民族の特性とされてきた日本語へと心が動き、過去の体験や島国と異質な大陸を描く意欲と構想とが自ずとわいて書く中で、あらゆることに自然に日本語で反応して書けるようになったということ。

 

こうして各設問と解答例を並べてみると、あらためて文章の構成がよくわかります。

 

設問(一)がリービ氏の出発点で、設問(五)が到達点です。設問(二)と設問(三)とがリービ氏が向き合った問題となります。設問(二)における問題提起への答えが、設問(四)。そして、設問(三)における問題提起への答えが、設問(五)というように、問題文の文章構成と見事に対応した傍線部と設問となっており、まさしく、「文章とはこうやって読むものだ」というお手本になっています。

 

8.本問と題材の異なる類似問題 2016年度第一問

2016年第一問(出典は内田樹「反知性主義者たちの肖像」、内田樹編『日本の反知性主義』所収、晶文社、2015年)に次のようなくだりがあります。

 

〔引用文〕

 私は、知性というのは個人に属するものというより、集団的な現象(注:強調は原文、実際には傍点)だと考えている。人間は集団として情報を採り入れ、その重要度を衡量し、その意味するところについて仮説を立て、それにどう対処すべきかについての合意形成を行う。その力動的プロセス全体を活気づけ、駆動させる力の全体を「知性」と呼びたいと私は思うのである。

 ある人の話を聴いているうちに、ずっと忘れていた昔のできごとをふと思い出したり(注:強調は引用者、以下同様)、しばらく音信のなかった人に手紙を書きたくなったり、凝った料理が作りたくなったり、家の掃除がしたくなったり、たまっていたアイロンかけをしたくなったりしたら、それは知性が活性化したことの具体的な徴候である。私はそう考えている。「それまで思いつかなかったことがしたくなる」というかたちでの影響を周囲にいる他者たちに及ぼす力のことを、知性と呼びたいと私は思う。

 

この引用文から、リービ英雄氏の2001年第一問、第10段落における、「想像力が走ってしまった」、「その実感をつづりたくなった」、などのたたみかけるような表現を思い出さないでしょうか。内田氏の文章でも、「無意識が走り始める」、そのありようが書かれているのです。東大現代文は様々な題材で「無意識の思想」を展開していきます。次回は、過去の問題の集大成ともいえる2022年度第4問を見ていきます。

 

追記

本稿のはじめに、本問は少なくとも過去40年間では東大国語第一問としては唯一のエッセイとなっていることについて、その理由は設問(五)にある旨を書きました。本稿は連載の一回分の規定文字容量を超えてしまいましたので、その詳細についてはまた別稿にて書きたいと思います。

 

(1)2004年度第四問では次のような特定の文学者批判を含む文章が出題されました。受験生が何よりも踏まえるべきは、けっして前衛的な文学理論ではない、というメッセージのようにも思えます。「主体の意識を考えた時、写真は不便なものである。自分の内部に思想があってそれを写真に表現するという俗流の考え方は、いつも写真によって裏切られるだろう。だが一方言葉で、たとえばアラン・ロブ=グリエやミシェル・ビュトールらがいかに外的な世界を描写しようと、それは時間の中を動いている意識にすぎないのに比して、写真は無媒介に世界を目の前に現わすわけである」(強調は引用者。多木浩二『写真論集成』、岩波現代文庫、2003年)。

 

(2)芦田宏直『シラバス論 大学の時代と時間、あるいは〈知識〉の死と再生について』晶文社、2019年、344頁。高橋教授とのエピソードについて、続けて次のように述べられています。「高橋先生はその文章の翻訳を出版社から頼まれていたんですが、一年間ゼミでその検討をやったけども議論は結局決着つかない。僕の訳の方が絶対正しいと思ったんですけども、もう先生は最後は意地になって「絶対に俺の方が正しい」と言うんです。でも出版されてみたら、僕らが言った訳文になっていました(笑)」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東大現代文を統一的に読む~東大現代文の3つの思想「無意識・非個人性・超日常」 第3回 

2020年度第四問と一996年度第五問     伊藤 幸生                                                

 

2020年度第四問と1996年度第五問~24年の時を経て、同じ内容の2問が出題されたことの意味 

1.2020年度第四問 無意識という問題圏 非個人性、超日常、根源とのつながり

2020年度第四問では、驚くべきことに1996年度第五問とほぼ同じ趣旨と言えるような出題がされました。音楽家にとっての音、詩人にとっての言葉というものがおのずと、意識しないうちに自分の中にわき上がってくるものであるという内容です。芸術家の創造はいわば「創造しようという意識や意志とは別のところからやってくる」というテーマが24年の時を経て繰り返されたということになるのです。

 

このように同じ内容の文章が二度出題されたということは、まさにこうした内容こそを、東大が受験生に考えてほしいと望んでいることを表してはいないでしょうか

 

本稿の第2回で取り組んだ2008年度第四問は、演劇という芸術についての文章でした。そこでは、役者が表現するべき感情や感情の高まりは、意識的に思い描いて生み出すものではなく、役柄を全身で演じ、演じ切ることで生まれて来るものでした。こうした点からいえば、東大現代文は「芸術における無意識的創造」というテーマを「高等学校段階までの」学びにおいて重要なものとして考えていると思われます。

 

そうであれば、1996年度第五問と2020年度第四問とに書かれた内容を辿れば、さらに東大現代文思想の深みに入っていくことができるのではないでしょうか。この内容こそが東大現代文のひとつの基本的な思想の骨格として、他の問題のなによりの参照先となるのではないでしょうか。先に述べたように、東大が受験生に、基本となる考え方として、是非とも読んでもらいたいと望む内容なのです。そこで、この両問題の内容を具体的に見ていきましょう。

 

★2020年度第四問 無意識が走り始めるとき

まず、2020年第四問から読んでいきます。谷川俊太郎『詩を考える 言葉が生まれる現場』(詩の森文庫、思潮社、2006年)からの出題です。詩人の谷川俊太郎氏が、「あなたが何を考えているのか知りたい」と、編集者から「文章」の依頼を受ける、そうして書かれたのが本問の文章です。しかし、こうした文章を書くことに谷川氏はとまどいを感じます。氏にとっての詩や子どもの絵本のための言葉のような「作品」を書くことと、「文章」を書くこととの間には、「私にとっては相当な距離がある」と述べられます。その創作過程のありように大きな隔たりがあると感じられています。では、谷川氏にとって、作品はどのように出来上がっていくのでしょうか。

 

〔引用文〕

 作品をつくっているとき、私はある程度まで私自身から自由であるような気がする。自分についての反省は、作品をつくっている段階では、いわば下層に沈殿していて、よかれあしかれ私は自分を濾過して生成してきたある公的なものにかかわっている。私はそこでは自分を私的と感じることはなくて、むしろ自分を無名とすら考えていることができるのであって、そこに私にとって第一義的な言語世界が立ち現れてくると言ってもいいであろう。

 

谷川氏にとって作品の言葉、第一義的な言語世界の立ち現れとは、何よりも、「ある公的なもの」が、自動的に生成してくるものだということです。作品というものは、「自分についての反省」、いわば意識を働かせて作られるものではなく、意識しないうちに、無意識的に生成してくるものとして述べられています。私的な個人性はそのとき退いています。意識せずにいわば自動機械のような状態で作品は出来上がってくるのですね。そして、そのとき私は、「無名」の存在、いわばもはやそれまでの私、あるいは日頃の自分から自由で、私というなにか囚われたような状態でないというニュアンスが読み取れます。

 

このように作品創造のプロセスは、「無意識的」、「非個人的」、「非日常的」な状態で進む、と私たちなりに言いかえることができるでしょう。

 

こうした創造プロセスをここで、「芸術は、無意識が走り始めるときに創造される」と定式化しておきます。軽いキャッチフレーズのように響くかもしれませんが、あるひとりの作家が、まさに無意識が走り始めたかのような文体で作品の創造体験について書いた感動的なエッセイを2001年に東大は出題しています。のちにその問題を扱う時まで、この定式を幾度か使ってみたいと思います。続けて谷川氏は書きます。

 

〔引用文〕

 作品において無名であることが許されると感じる私の感じかたの奥には、詩人とは自己を超えた何ものかに声をかす存在であるという、いわば媒介者としての詩人の姿が影を落としているかもしれないが、そういう考え方が先行したのではなく、言語を扱う過程で自然にそういう状態になってきたのだということが、私の場合には言える。

 真の媒介者となるためには、その言語を話す民族の経験の総体を自己のうちにとりこみ、なおかつその自己の一端がある超越者(それは神に限らないと思う。もしかすると人類の未来そのものかもしれない)に向かって予見的に開かれていることが必要で、私はそういう存在からほど遠いが作品をつくっているときの自分の発語の根が、こういう文章だけではとらえきれないアモルフな自己の根源性(オリジナリティ)に根ざしているということは言えて、そこで私が最も深く他者と結ばれていると私は信じざるを得ないのだ。

 

作品創造の無意識的プロセスは、日常的な明確な個人性や自己という形をもたない自己の根源性という、日常を超えているような世界につながっていると書かれています。谷川氏は作品の創造過程を通じて、根源性のレベルを見出しているんですね。そして作品の創造世界においては、「最も深く他者と結ばれていると私は信じざるを得ない」。

 

では、「文章」を書くときにはどうでしょうか。「作品を書くときには、ほとんど盲目的に信じている自己の発語の根を、文章を書くとき私は見失う。作品を書くとき、私は他者にむしろ非論理的な深みで賭けざるを得ないが、文章を書くときには自分と他者を結ぶ論理を計算ずくでつかまなければならない」。谷川氏にとって文章を書くということには、「計算ずく」といういわば「意識的」な作為が入り込まざるをえないものなのです。

 

では、谷川氏において、こうした発語の根にある根源性とはどういうものなのでしょうか。

 

〔引用文〕

 どんなに冷静にことばを綴っていても、作品をつくっている私の中には、何かしら呪術的な力が働いているように思う。インスピレーションというようなことばで呼ぶと、何か上のほうからひどく気まぐれに、しかも瞬間的に働く力のように受けとられるかもしれないが、この力は何と呼ぼうと、むしろ下のほうから持続的に私をとらえる。それは日本語という言語共同体の中に内在している力であり、私の根源性はそこに含まれていて、それが私の発語の根の土壌となっているのだ。

 

ここでの「日本語という言語共同体の中に内在している力」こそが、先に「自分を濾過して生成してきたある公的なもの」と言われていたものでしょう。この力の働きが創造を支える。

 

芸術作品の創造は、芸術家の中に、無意識のうちにわき上がってくるものにかかわっており(無意識性)、そこでは日常的個人性というものは芸術家自身にも感じられず、このことは、芸術家にとって、いわば制約され、限定され、閉じこめられているかのような自己という個的な存在のありようからの解放であると言えるでしょう(非個人性・非日常性)。無意識、非個人性、非日常性というものが三位一体のように結びついています。そして、こうした創造は何らかの根源的なものとの結びつきを有しています(根源性)。

 

2.1996年度第五問における「無意識・非個人性・非(超)日常性・根源性」

では続けて1996年第五問を見てみましょう。三善晃「指の骨に宿る人間の記憶」というエッセイからの出題です。

右手の状態が悪くなって、ピアノが弾けない現代音楽家が、ただ鍵盤のうえに指をおいて触れます。

 

〔引用文〕

 しかし、そうすると、ピアノの音が指の骨を伝って聴こえてくる。もちろん、物理的な音が出るわけではない。だが、それはまぎれもなくピアノの音、というよりもピアノの声であり、私の百兆の細胞は、指先を通してピアノの歌に共振する。こうして、例えばバッハを”弾く“すると、子どものとき習い覚えたバッハの曲は、誰が弾くのでもない、大気がずっと歌い続けてきている韻律のように”聴こえて“くる。

 

音が意識しなくても聴こえてくる、ということを語られています。「指の骨を伝わって」、すなわち、頭の中で音を出していこうという意識なしに、指=身体=無意識の動きの中で音が響き始める様が描かれます。ここでは、音楽の「創造」とまでは言えないのかもしれませんが、2020年度第四問のときと同じく、私たちが定式化したような、「無意識が走り始める」とき、創造に似たなにか新しい音が音楽家の中に生まれるということは言えるのではないでしょうか。さらに引用してみましょう。

 

〔引用文〕

骨の記憶のようなものなのだろう。それは日常の意識や欲求とは違って、むしろ私とはかかわりなく自律的に作動するイメージである。多分、子どものときから腕や指先に蓄積された運動イメージが、鍵盤の手触りに条件反射して聴覚イメージを喚起する、ということなのだろう。だが、そうして私に響いてくる韻律は、私の指の運動を超えている。それは私の指が弾くバッハではなく、また、かつて聴いた誰かの演奏というのでもない。バッハの曲ではあるが、そのバッハも韻律のなかに溶解してしまっている。

 

先に谷川氏の文章について、「自動機械のように」という表現を私は使いましたが、この三善氏の文章では、まさに自分の中に音がおのずと聴こえてくることが「自律的に作動するイメージ」と言われています。①こうして「私に響いてくる韻律は私の指の運動を超えている」。「蓄積された運動イメージ」、「条件反射」などの言葉からすると、音楽家にとっては指の運動自体が元々意識を超える無意識的なものなのでしょう。それゆえ、あらためて「私の指の運動を超えている」と書かれているということは、ここで聴こえてくる音は、無意識的領域のさらに深まった部分から聴こえてくるものと言ってよいと思います

 

さらに、②それは「私とはかかわりなく」なのであり(非個人的領域で起こること、すなわち、谷川氏でいえば「自分を無名とすら考えていることができる」領域)。③また、それは「日常の意識や欲求とは違」う、非日常性の領域での出来事です。ここに本問においても、「無意識・非個人性・非日常性」という三位一体がそろうのを見ることができました。

 

 

この後、「日常の時空を読み取る五感と意識の領域でなら、私は絶えず「自分」と出会っている」と述べられ、三善氏にとっての「日常」が語られます。では、そこでの「自分」とは何なのでしょうか。

 

〔引用文〕

 私は、私が他者の中に生き、私の言葉が他者のためにしかなく、私の仕草が他者にしか見えないことを「身分け」ている〔注:身体で理解すること〕。[……]私は自分では決してなることができない他者の鏡を借りて、絶えず自分を見続けていることも、私は「身分け」ている。そのような生き方をどのように「言分け」ても〔注:言葉で理解すること〕、その「言分け」は「身分け」られる生き方を超えることはできない。[……]それでもなお私は、その「身分け」を「言分け」し続けなければならない。

 

日常において三善氏は、「自分」というものは、他者の中で生きることで自分を見失っていく存在としてしかありえないと感じており、そうした形でしか自分を捉えることができないのです(すぐ後の第7段落に、「だから私は、自分との出会いのなかに、自分を見失い続けてきた」とあります)。

 

身体によって理解している事柄をあらためて言葉によって理解するというあり方で日常を生きているが、言葉は、身体が理解している事柄以上のことを可能にするわけではないと言われます。それでも筆者は「言分け」し続けなければならない。いわば自己は言葉に捉えられ、言葉によって考え、感じることを強いられた存在としてあり続ける、このような制約されたありようが三善氏にとっての日常として書かれます。

 

しかし、筆者の指が、「私の内部で私にだけ響かせるものは、他者を介在させることなく私を凝視(みつ)める「自分という他者の声なのだ」と、三善氏は指の体験に戻ります。

 

〔引用文〕

 私のなかに、「分け」ようとする私と絶縁した私がいる。それは私の指の骨にも宿っている〈人間の記憶〉でもあるだろうか。

 私が音を書こうとするのは、その人間の記憶のためであり、また、その記憶に操られてのことなのかもしれない。

 

「『分け』ようとする私と絶縁した私」、言いかえると、指が「私の内部で私にだけ響かせるもの」によって日常的あり方とは別の世界を知った三善氏は、〈人間の記憶〉といういわば「根源的なもの」を見出すに至ります。ここで2020年第四問の谷川氏と同じく、「無意識・非個人性・非日常性」がひとつの「根源性」と結びついてゆく。日常的個人性や意識を超えたレベルで根源と結びついていく。自己の中の音の自動的生成という過程を通じて、〈人間の記憶〉という根源的なものを三善氏は見出したのです。

 

〈人間の記憶〉とは、どういうものでしょうか。なにか人間にかかわる根源的なもので、しかし、具体的には知られないものでしょう。日常的には知られるものではない。

 

それは、三善氏にとっては、無意識を通じて、個人という限定されたあり様を超えるようなときに、いつのまにか自分の中に聴こえてくる、わいてくるような音をとおして垣間見られるようなものなのかもしれません。

 

こうして2020年度第四問と1996年度第五問というふたつの問題から東大現代文の思想のひとつの骨格を取り出しました。私たちなりにまとめると、芸術は、無意識が走り始めるときに生まれ、これに伴って普段の日常的な「私」というものが無名化し(非個人性)、おのずと日常とは異なった、日常を超えた存在になり、また日常を超えた、作品創造を可能にする根源的なものの世界を見出して、感じることになる(非・超日常性、根源性とのつながり)ということになります。

 

(ひとつ谷川氏と三善氏との相違点を言えば、谷川氏においては根源的なレベルにおいて他者と最も深く結びつくとされていたのに対し、三善氏は今を生きる他者との結びつきというものを重んじてはいないということです。)

 

同じ内容と言っていいような文章が24年の時を隔てて出題されました。このことは、この「内容」が東大にとって、大学入学前に受験生に考え、感じてもらいたい大きなテーマとして存在しているということを意味しているでしょう。

 

この「内容」がまさに「変奏」という形で、ある作家によって書かれた文章を次に読みます。2001年度第一問です。大変難しい設問がありますが、この文章が、1996年度第五問と2020年度第四問の変奏だと気づけば、一気に視界が広がるという、この上なく味わい深い仕掛けのある文章です。次回に読んでいきます。

 

3.2015年度第四問 芸術論でない、「無意識と根源とのつながり」

ここで、一題、芸術を論じたものではないですが、「無意識的なものと根源的なものとのつながり」ということを感じさせられる問題に触れておこうと思います。2015年度第四問、藤原新也「ある風来猫の短い生涯について」というエッセイからの出題です。

 

藤原氏は一匹の野良猫を保護します。日頃、藤原氏は山中の筆者の家近くの野良猫について、「自然に一体化したかたちで彼らの世界で自立している」と思い、餌やりがかえって、野良猫の生き方のシステムを歪めると考えて、餌やりや保護をしていなかったのです。ところが縁あって一匹の猫を保護してしまう。体の状態はひどく、腐ったような臭いもする。「私は再びへまをした。死ぬべき猫を生かしてしまったのだ」。そしてこの猫について藤原氏がつぎのように述べるくだりがあります。

 

〔引用文〕

 私が病気の猫を飼いつづけたのは他人が思うような自分に慈悲心があるからではなく、その猫の存在によって人間であるなら誰の中にも眠っている慈悲の気持ちが引き出されたからである。つまり逆に考えればその猫は自らが病むという犠牲を払って、他者に慈悲の心を与えてくれたということだ。

 

筆者は慈悲心があり、自発的に猫を保護したのでしょうか。ちがう、と藤原氏は言います。病んだ猫の姿が、藤原氏をいわばその「意識の外」から駆り立てた。そして「人間であるなら誰の中にも眠っている慈悲の気持ち」が引き出されたのです。

 

慈悲の気持ち、言い換えると、慈悲心と言われるものですが、これは、仏や菩薩が生けるものに快を与え、苦を取り除いてあげようとする心です。そういう仏や菩薩につながる心を、藤原氏は不意に持ったのでした。

 

さらに、ここで人は、孟子の「惻隠の情」を思い浮かべるかもしれません。小さな子が井戸に落ちそうな状況になっているのを見れば、救おうとするではないか、褒められたいとか、そうしないと非難されるとか、子の家族と親しくなりたいなどと思うなど一切なく、ただ小さいものへの哀れみから救おうとするではないか。こうした、いたたまれなくなるような、可哀そうに思う「惻隠の情」は「仁」という深い徳の端緒になると孟子は語ったのでした(『孟子』(上)岩波文庫、140~141頁)。

 

あるいは、宣王という中国(斉)の王が、目の前を曳かれていく牛が、これから儀式の犠牲になると知って、たまらなくなり(忍びない心)その牛をを離してやるように命じたという孟子にある逸話を思い起こすかもしれません(同書52~53頁)。こうしたふと感じた忍びない心を、さらに多くの事柄に広げていくことが、また仁につながっていくのでした(同(下)424頁)。

 

藤原氏の「慈悲心」もけっして惻隠の情や忍びない心とは無縁のものではないでしょう。それは、仁という人の根源に潜在的にあるものへとつながるなにかではないでしょうか。病んだ猫との出会いによって藤原氏の無意識が走り始めたのです。東大現代文においては、ここでも無意識が根源的ななにかとつながっていると言えるのではないでしょうか。

 

東大現代文を統一的に読む~東大現代文の3つの思想「無意識・非個人性・超日常」第2回 2008年度第四問 

伊藤 幸生

 

2008年度第四問を読む 舞台での役者と感情の昂まりの表現

★解答例 文字数は、句読点や括弧記号を除いて、文字のみで70字以内を目標としています。

 

設問(一)

(役柄の感情のあり方を推測するのでもなく、ましてや)人の発する言葉[セリフ]が特定の身体状態の過程に由来するとは思いもせず、「嬉しい」という言葉に対応する一定の振る舞いがあると想定して演じようとするということ。(70字、句読点、記号除く))

注:東大の解答欄に書くには長すぎるので、冒頭のカッコ内はなくてもかまいません。

 

設問(二)

役者が一定の場面で必ず涙を流せることに驚嘆しつつも、実は涙を流すという技術があるにすぎないのではないかという疑念をもっているということ。(66字、句読点除く)

 

設問(三)

感情を表現しようと、個人的な出来事を想起することにより、役柄を全身で演じ切ることから生まれる感情の高まりを表現できていないということ。(64字、句読点除く)

 

設問(四)

五つの解答例

①は、最も分かりやすいものですが長すぎます。②が次にわかりやすく、69字(句読点除く)で、東大の解答欄に書ける程度としてはもっともよいと考えています。

 

①感情とは、現実に対する身体の状態であり、その発生後に意識されるものなので、役柄の心のあり様を予め意識的に想定せず、ただ、全身で演じれば自ずと表現されるということ。(75字、句読点除く、以下同じ)

②感情とは、現実に反応する身体の状態であり、全身で演じれば自ずと表現されるため、予め意識的に役柄の心のあり様を想定して演じるべきではないということ。(69字)

③感情とは、身体の動きの中に充溢しているもので、役者が全身で演じることで自ずと表現されるため、予め意識的に心のあり様を想定して演じるべきではないということ。(73字)

④実際の生活と同様に舞台でも、役柄を全身で生きることにより自ずと感情は生まれ、表現されるので、予め意識的に心のあり様を想定して演じるべきではないということ。(74字)

⑤舞台での感情の高まりの表現は、役柄の状況を全身で演じれば自ずと生まれるので、予め意識的に心のあり様を想定して演じるべきではないということ。(66字)

 

コメント:

たとえば、「うれしくなりなさい」と言われて、ただ「うれしくなる」ことはできません。

しかし、「私は音楽を聴けばうれしい気分になれる」ということに思い至れば、音楽をとおして「うれしくなる」ことができます。

つまり、「感情」というものは、たとえば、音楽を聴く耳という身体部分への刺激をとおして、いわば「作り出す」ことができます。感情は身体の反応と関係がありそうです。

あるいは、「好きなものを思いきり食べる」ということも、「口などの身体をとおして、うれしいという感情をつくること」と言えます。

当たり前のようですが、ただただ「うれしい気持ちになりたい」と思ってもうれしくはなれないのですね。

こうした、ごくごく日常的な事柄と、演劇について書かれた本問とは通底する問題意識を扱っています。

 

本文では、まず冒頭で「ただただうれしいという気持ちになろう」とする女優が登場します。

日常生活でひたすらうれしくなろうとしてもできない、ということはすぐに分かることです。しかし、なぜか、演劇、演技となると、ただ「うれしいという感情」を追い求めるという、奇妙ないわば「逆転の発想」というような考え方をしてしまうんですね。

 

あと、演技をするときに、役者自身が自分の個人的な感情の体験を持ち込んで演技をするということがあるかもしれません。

これは演技を良くするものなのでしょうか?それとも演技のテンションを下げてしまうようなものなのでしょうか?

演劇という芸術は、個人的なものを超えたもっと凄まじいものなのではないでしょうか?

芸術に個人的な事柄を持ち込むことには厳しい批判を向ける芸術論があります。芸術とは個人を超えた、もっともっとスケールの大きなコスモス的なものだというのです。

逆に、芸術家という個人の個人的な事柄からこそ、よい芸術が生まれる、芸術家個人の悲痛な体験の意味を無視してはいけないという芸術論もあります。

後者の芸術論のほうがなじみやすいという面が強いと思いますが、人生で一度は前者の芸術観の方を採ってみてもいいと思います。

本問では、どちらかといえば、前者の考え方に立って読み進める方が、内容にスムーズに入っていけそうです。
 

1.演劇についての〈像〉

★連載のはじめにまず、2008年度第四問を取り上げてみましょう。竹内敏晴『思想する「からだ」』(晶文社、2001年)からの出題です。演劇における役者の 感情表現が主題となっています。

 

本問を、関連事項をまじえて読んでいきたいと思います。本問の核心を捉えるための手段のひとつとして演劇以外の話を見ていきたいと思います。

 

生の演劇を見たことのある高校生はさほど多くはないでしょう。本問も実際に観劇体験が豊富な受験生を想定して作られたとは考えられません。ただ、映像での舞台体験や映画やテレビドラマでの俳優の演技とのアナロジーで演劇について考えることはできると思います。

 

本問では、演劇や役者について、あらかじめどのような〈像〉を持っているかで読む方向性が変わっていくと思います。

 

★芸術に対する基本的視点 「見えないボールをつかむ、見えない力を見えるようにする」

最初に、芸術というものを考えるときに必要と思われる最も基本的な観点のひとつに触れておきましょう。次の一文を読んでみてください。

 

〔引用文〕

確かに私達はこの現実の中で生きている。そこで恋愛し、殺し合い、死んでいく。ところが私達の思考はそうしたものを超えた、見えないものを求めて常に活動している。(渋谷陽一、『音楽が終った後に』、ロッキングオン、1982年、97頁、強調は引用者)

 

この文を書いた渋谷陽一氏は、「ロック」と呼ばれた音楽の評論家です。ビートルズ、レッド・ツエッペリン、クイーン、セックス・ピストルズなどのグループについて、評論を書いていました。渋谷氏は音楽に関わるということを、日常的、人生的なものとは違ったレベルにあることとして捉えます。それは、「見えないものを求めて常に活動している」こととしてまず位置づけられます。

 

音楽に関わる、たとえば聴くということには、人それぞれに楽しんだり、慰めを得たりなど様々なありようがあるでしょう。しかし、渋谷氏の言う音楽(ロック)とはそうしたレベルのものではない、凄まじいものです。それはなにか超越的なものだと言っていいかもしれません。

 

少し長いですが、次に引用する文章を読んでください。渋谷氏の同書、145~146頁です。おそらく、中学生・高校生が読めば、生活が、世界の見方や感じ方が根底から揺さぶられるだけの力を持つ文章です。

 

ある映画について書かれたものです。「ミケランジェロ・アントニオーニ」という、イタリアの映画監督がいました。これから引用する文章は、このアントニオーニ監督の1966年の作品『欲望』(原題は“Blow Up”、「写真の引き伸ばし」という意味です)についてのものです。ヨーロッパ映画らしく、難解で、そのテーマが謎、という映画なのですが、渋谷氏は見事にこの作品を解釈します。引用してみましょう。

 

〔引用文〕

 主人公のカメラマンが公園で殺人事件を目撃し、カメラに収める。家に帰って現像するがはっきりとは写っていない(☆)。かすかに何かが写っている部分を必死で引き伸ばし拡大してみるのだが、曖昧なものは全て変化しない。

 公園に行っても事件の痕跡は全く残っていない。そこでカメラマンはだんだん混乱してくる。彼は自分の記憶の確証をフィルムに求め、なおも引き伸ばしを続ける。むろん確証は得られない。

 映画の最後に主人公は奇妙な一団に出会う。異様なスタイルをした何人かの男女がテニスをやっているのだ。

 しかし彼らはラケットもボールも使っていない。それでもその一団はテニスを楽しんでいる。それを観ていた主人公の前に見えないボールがころがってきて、奇妙な男女は主人公にボールを投げてくれるように要求する。

 主人公はかがみこみ、その見えないボールを手にする。そこで映画は終わってしまう。

 ロックとはその見えないボールを持つことなのである

 映画のラストで現実は見事にひっくり返される。彼が写真を引き伸ばして行くことによって得られると思っていたものはその時すでに現実ではなくなり、彼は見えないボールの方を選んでしまったのである。彼にとってはそれが現実になったのである

 (中略)写真を引き伸ばしていったい何が見えるというのだ。

 (中略)ツエッペリン[LED ZEPPELIN、英国のロック・バンド、1968~1980]は、「ステアウエイ・トゥ・ヘブン」[邦題「天国への階段」という名曲]でひとつの宣言をした。今確かなものは音楽しかなく、だから僕らはそのチューンを鳴らすのだ、と。これはかけ声のようなものでもあるし、唯一無二のメッセージともいえる。つまり彼らは、「僕らは今、見えないボールをつかんだのだ。」と言ったわけだ。

(下線による強調は引用者。☆引用者注:実際の映画では、カメラマンが、公園にいた独特の雰囲気のあるカップルを撮影して、現像した後に、殺人事件の影を認めます))

 

どうでしょう。渋谷氏はロック音楽について、それは日常を超えたレベルにある、見えないが確かなものをつかむものだ、と言うのです。「もしも全てのものが相対的であり、僕らの生そのものも、そうした相対性の中でしか位置付かないとしたら、一体僕らの生とは何なのだ」(同書155~156頁)と渋谷氏は書きます。すべてが相対的なものと思われる中、音楽だけは確かなものなのではないか。

 

たしかに音楽は目に見えない芸術として、特異なものです。たとえば絵画や写真、映画などとは異なった衝撃を人間の感覚にもたらすもので、見えない力をそのまま表現することができると言えそうです。これこそは確かなものだ、という感覚や確信を与えてくれる存在でありうるでしょう。

 

その一方では、絵画について、次のような、思わずあっと驚くようなことを言った人がいます。

 

〔引用文〕  

 絵画の使命とは見えない諸力を見えるようにする試みとして定義される。同じように音楽は、音的でない諸力を音的にするように努める。(ジル・ドゥルーズ、『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』、宇野邦一訳、河出書房新社、2016年、79頁、強調は引用者)。

 

ジル・ドゥルーズは20世紀のフランスの哲学者です(1925~1995)。「速くあれ、たとえその場を動かぬときでも!」という言葉をはじめ、人をなにかへと促し続けた哲学者でした。

現代文にも影響を残していて、2008年度第一問の筆者、宇野邦一氏は、フランスの大学でドゥルーズに直接学びました。また大学入試で頻出の國分功一郎氏の研究の専門のひとつがドゥルーズです。ドゥルーズ的発想が國分氏の文章の多くの箇所に見られます。

 

このドゥルーズによれば、たとえば、有名なゴッホの「ひまわり」の絵は何を表現しているのでしょうか。

 

〔引用文〕

 ヴァン・ゴッホはまさに未知の諸力、ひまわりの種子の驚異的な力を発見したのだ。(同書、81頁、強調は引用者)

 

ゴッホのあの色彩は、ひまわりの種子に内在している「見えない力」を表現している、言いかえると、ゴッホは、ひまわりの種子の持つ見えない力を見えるようにし、それを私たちは感じ取るのだ、というのがこの一文の趣旨です。ゴッホの「ひまわり」は、学校でも必ず習うわけですが、ドゥルーズのような捉え方はかなり異色だな、と感じるなのではないでしょうか。

 

さらに、ポール・セザンヌの絵について、こう書かれます。

 

〔引用文〕  

 岩は岩がとらえる褶曲の力によってのみ存在し、風景は磁力と熱の力によって、リンゴは発芽の力によってのみ存在する。(ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ、『千のプラトー——資本主義と分裂症』中巻、宇野・小沢・田中・豊崎・宮林・守中訳、河出文庫、2010年、385頁、なお、前掲『感覚の論理学』81頁参照)
 

セザンヌというと、岩山であるサン・ヴイクトワール山や、リンゴ、モモなどの果物の絵が知られていますが、これらの絵は、岩に働いていたり、リンゴに内在したりしているような「見えない力」を見えるようにしたものだ、とドゥルーズ&ガタリは述べます。自然の中の見えない力の働き、物の存在や形態を生み出し、支える見えない力を可視化したもの、それがセザンヌの絵だと言うのです。

 

音楽も絵画も、日常を超えた「見えない力」を見出したり、感じたり、創造したりすること、こうしたことに関わっているのだという観点を私たちはここで得ることができました。

  

★演劇というものの〈像〉と超日常性

ここで、東大現代文2008年第四問に戻りましょう。先に私は本問について、「舞台演劇についてあらかじめどのような〈像〉を持っているかで読む方向性が変わっていく」と述べました。では、演劇について、あるいは本問で問題となる俳優の演技について、どのような、〈像〉がありえるでしょうか。

 

演劇を見ると例えば、「うまい演技だ」、「面白い筋だ」、「圧倒的な力を感じる」など様々な感じ方があると思います。これらを二つの〈像〉に整理してみましょう。

 

まず、①役者が、ある状況での役柄の人格や様々な感情などを表現し、出来事を構成するものが演劇である、という像があるでしょう。

しかし、本問の内容により迫ることのできる演劇〈像〉は、②演劇とは、いかに日常を扱っていたとしても、役者や装置、照明が織りなす、日常とは別の、あるいは日常を超えるような力と力とが行き交う空間世界を創り上げるものである、というような「力にあふれた空間の創造」というものであろうと思われます。

 

先取りして述べると、こういう「力にあふれた空間」には

役者の個人的なものは邪魔になるというのが、本文の演劇観・演技論です(しかし、役者の個人的体験というものを重んじる演劇・演技論も、もちろんありえます)。

 

この②の〈像〉は、前述の音楽や絵画についての日常を超えた見えないもの、「見えない力」というものからも得られるものです。

 

★さらにこの、「芸術とは日常を超えた世界に関わるものだ」ということについて、別の東大現代文の過去の問題から考えてみたいと思います。東大の現代文の過去問を相互に参照していけば、一体東大が受験生にどのような事柄を知り、感じ、考えてほしいのかという全体的なイメージをもつことができることと思います。                

 

芸術とは日常を超えたレベルにあることに関わるものだ、ということについての過去問のひとつめは1999年度第五問、歌人の土屋文明について書かれた文章です(柳澤桂子『生と死を創るもの』)。そこでは、「生活を詠うといっても、単に日常の雑事を歌にすればいいというのではない。『他人の心に深く訴える』ようなものでなければならない。人間の生理、心理とはかけ離れたところから出発して、なおかつ感動をあたえようというのである」と言われます。

 

ふたつめは、2010年度第4問、小野十三郎「想像力」です。「(前略)もし詩人が自ら体験し、生活してきた事からだけ感動をひきだし、それを言葉に移すことに終始していたならば、詩人なんてものは、人間にとって、あってもなくても一向にさしつかえのないつまらないものになるだろう。詩が私たちに必要なのは、そこに詩人の想像力というものがはたらいているからであって、それが無いと、謂うところの実感をも普遍的なものにすることはできない」と書かれています。

 

このふたつの引用文の内容は芸術についての基本的な考え方として、まさに「高等学校段階までに」知っておくべきような事柄でしょう。短歌や詩というものは、日常をそのまま歌っても作品にはならない、なんらかの、たとえば想像力による加工というようなプロセスがなければ、人に訴えるようなものにはならないという思想です。

 

★本問に戻りましょう。2008年度第四問を読むためのひとつの必要と思われる〈像〉は、舞台とは場の力が高まっていき、力が行き交うようになる空間であるというものでした。本問は先述のように舞台での感情の昂まりが生まれるためには役者はいかに演じるべきかを論じるものであるところ、「感情の昂まり」のみならず、舞台そのものを、「力の高まっていく場」という像で捉えることが本文全体の〈像〉に迫る鍵になるのです。

 

では、どのようにすれば、舞台が「力の高まっていく場」になるのでしょうか。感情表現というものの高まりを表現するにはどうすればいいのでしょうか。

 

本文の展開を見てみましょう。

 

2.本文の展開 三種類の女優たち 特に泣く女優のなにがだめなのか

★本文の展開は、三種類の女優たちとともにあります。順番に見ていきましょう。

 

Ⅰ.「二流の役者がセリフに取り組むと、ほとんど必ず、まずそのセリフを吐かせている感情の状態を推測し、その感情を自分の中にかき立て、それに浸ろうと努力する」。例えば「嬉しい」というセリフがあれば、嬉しい気持ちになろうとする。その際、女優たちは、「どうもうまく『嬉しい』って気持ちになれないんです」といった言い方をすることになる(チェーホフの『三人姉妹』の末娘イリーナの第一幕の長いセリフの中に「なんだってあたし、今日こんなに嬉しいんでしょう?」(神西清訳)という言葉が例にとられています)。

 

Ⅱ.さらに、それ以下の役者は、感情の状態を推測すらせず、浸ろうともせず、ただ感情を表面的な身振りで演じようとのみします。たとえば、いかにもう「嬉しい」というセリフに合う身振りで演じようとする。女優は、「まず『ウレシソウ』に振舞うというジェスチュアに跳びかかる」のです。

 

ここで竹内氏は、「感情とはなにか、そのことばを言いたくなった事態にどう対応したらいいのか」と問題をたてます。そして、最終段落に「感情の昂まりが舞台で生まれるには「感情そのもの」を演じることを捨てねばならぬ、ということであり……」とあることから、舞台で「感情の昂まり」の表現を生み出すために、役者はいかに演じるべきなのかがテーマであることが分かります。

 

Ⅲ.そして、この問題提起に応じて、さらに第三の女優が登場してきます。このタイプの役者は悲しみの表現をする際に実際に涙を流す演技をしてみせます。涙を流したいときに涙を流すことは演技とはいえ驚くべきことである旨を一旦、竹内氏は書きます。しかし続けて次のように書くのです。

 

〔引用文〕

 数年演出助手として修業しているうちにどうも変だな、と思えてくる。実に見事に華々しく泣いて見せて、主演女優自身もいい気持ちで楽屋に帰ってくる――「よかったよ」とだれかれから誉めことばが降ってくるのを期待して浮き浮きとはずんだ足取りで入ってくるのだが、共演している連中はシラーッとして自分の化粧台に向っているばかり。シーンとした楽屋に場ちがいな女優の笑い声ばかりが空々しく響く、といった例は稀ではないのだ。「なんでえ、ウ自分ひとりでいい気持ちになりやがって。芝居にもなんにもなりやしねえ」というのがワキ役の捨てゼリフである。

 

東大の設問は、下線部ウ、「自分ひとりでいい気持ちになりやがって。芝居にもなんにもなりやしねえ」とはどういうことかを説明せよ、というものです。このワキ役のセリフの解釈が問われています。どう考えるべきか、続く段落を見てみましょう。

 

〔引用文〕

 実のところ、ほんとに涙を流すということは、素人が考えるほど難しいことでもなんでもない。 主人公が涙を流すような局面まで追いつめられてゆくまでには、当然いくつもの行為のもつれと発展があり、それを役者が「からだ」全体で行動し通過してくるわけだから、リズムも呼吸も昂っている。 その頂点で役者がふっと主人公の状況から自分を切り離して、自分自身がかつて経験した「悲しかった」事件を思いおこし、その回想なり連想に身を浸して、「ああ、なんて私は哀しい身の上なんだろう」とわれとわが身をいとおしんでしまえば、ほろほろと涙が湧いてくるのだ。 つまりその瞬間には役者は主人公の行動と展開とは無縁の位置に立って、わが身あわれさに浸っているわけである。 このすりかえは舞台で向いあっている相手には瞬間に響く。 「自分ひとりでいい気になりやがって」となる所以である。

 

この箇所を素直にそのまま読めば次のようになるでしょう。 「役者は役柄に成りきるのが仕事である。にもかかわらず、この女優は役の人柄や状況を演じるのではなく、自分の個人的な状況における経験を役柄に置き換えている。 そしてその経験での悲しみの感情に浸り、外形的に涙を流し、深い感情を表現しているという迫真さにひとりで酔うことによって(「=自分ひとりでいい気になりやがって」の素直な解釈)芝居を壊している(=「芝居にもなんにもなりやしねえ」の素直な解釈)。

 

しかし、この解答の方向性には何かが欠けています。 これは先述の、演劇の目的は役者が役柄の感情などをうまく演じることだと捉える演劇〈像〉①だけによる読み方です。 特に問題は、「芝居にもなんにもなりやしねえ」という文言の解釈、「芝居になっていない」とはどういうことかです。 これを例えば「芝居をだめなものしている」などの趣旨だとする言い換えは解答としては曖昧です。 

 

文章全体の趣旨が「舞台での感情の昂まりをいかに表現するか」というものであることを踏まえて、このテーマにいかに近づくかということを解答の方針にしなければならないでしょう。 ここで舞台とは力にあふれた空間、「舞台=力の行き交う空間」という演劇〈像〉②を思い出してみましょう。

 

★演劇と「非個人性、非個人的な力、力の空間」という思想

あるいはここで再度ジル・ドゥルーズの思想を東大現代文と共鳴させてみましょう。 この箇所を読んで、次のようなドゥルーズ(と共著者のクレール・パルネ)の言葉を私は思い出しました。

 

〔引用文}

 書くことはそれ自身のうちに自らの目的をもっていない。 それはひとえに生が個人的な何かではないからである。 あるいは、エクリチュール(引用者注:書くこと、書かれたもの、などの意味のフランス語)の目的とは生を非個人的な力の状態に運んでいくことである。 (ジル・ドゥルーズ&クレール・パルネ、『ディアローグ ドゥルーズの思想』江川隆男・増田靖彦訳、河出文庫、2011年、88~89頁、強調は引用者)

 

この引用文は、ドゥルーズ&パルネが英米文学について述べた文脈でのものです。 「書く」とはどういうことなのか、それは一人の個人をという日常的には自明なレベルを超えていくことではないのか。 彼らが私たちに教えてくれるのは、個人的なものを超えたレベル、力というものがあるのではないかという考え方です。 日常的な「個人」という個的なあり方について、それは、限定され、制約され、あるいは閉じ込められて存在しているというような感覚はないでしょうか。 自分が自分というありようでしか存在できない存在者であること、「私が私であることの不快感」というような閉塞的な感覚。 そうした感覚を脱け出たレベルを私たちは求めているのではないでしょうか。 たとえばドゥルーズ&パルネにとって英米文学はそうした脱出のひとつの試みなのですが、「非個人的な生や力」という思想は、必ずしも英米文学に限られない私たちの目指そうとしているものだと考えることができると思います。

 

そうすると、演劇というものについても、舞台という日常とはちがうレベルの世界を創造していくことで、役者や観客という「個人の生」を、非個人的な力の状態に運んでいくことがその目的になると考えることには十分な理由があると思われます。

 

たとえば、素晴らしい舞台を見たときに、「エネルギーに満ちた空間だ」と感じることがあるでしょう。 そのときには「これを見ている自分は普段の自分とはちがう、なにか新しい力を感じる」と思うでしょう。 こうしたことを格好良く言った言葉が「力の空間」や「非個人的な力」なのです。 それは、舞台そのものを日常的なものを超えた力に満ちた世界にすることによって、個人という存在が、個的な閉じ込められた感覚とは異なったレベルへと至ることが演劇の目的であるという思想です。

 

そうすると、役者が自分「個人」の感情や経験を芝居に入り込ませるなどは原則として批判されるべきことになります。 演劇についても様々な見方や思想があることはもちろんですが、この東大現代文2008年度第四問に向かい合うときに「力の空間」、「非個人的な力能」という〈像〉は読解の導きになるということを見ていきます。

 

では、問題文中のどの文言に着目すればよいのでしょうか。先に私たちは、「舞台とは場の力が高まっていき、力が行き交うようになる空間である」という演劇像を得ていました。「非個人性・非個人的な力・力の空間」という概念を導きに考えてみましょう

 

★「泣く女優」のなにが批判されるべきなのか

泣く女優は、「主人公が涙を流すような局面まで追いつめられてゆくまでには、当然いくつもの行為のもつれと発展があり、それを役者が『からだ』全体で行動し通過してくるわけだから、リズムも呼吸も昂ってい」たという状態まで行ったのです。そのまま「からだ」全体で行動し続ければよかったのです。

 

しかしそこで彼女は自分のかつての感情に訴えてしまいました。そうすると、彼女は、役柄を全身で演じきらなかったために、また非個人性に徹することができなかったために、感情の昂まりを行くべきところまで表現しきれなかったのであり、これこそが「芝居にもなんにもなりやしねえ」の意味だということになるでしょう。私たちなりに彼女の行動から彼女の考えを推し量れば、彼女は、舞台というものを感情表現の上手、下手で決まる場所としてのみ捉えて、「高まり」の場としての、力に満ちた場としての舞台という〈像〉を欠いていたと言えると思います。あるいは激しそうに見える感情表現をすることが力の表現になるという思い違いをしていたのです。

 

その後の第8段落に「テンションもストンと落ちてしまう」というふうにテンションという語があり、また、先に触れた最終段落での「感情の昂まりが舞台で生まれるには……」という本文の最終目標を表す表現などから、「芝居にならない」ということの要点は、①役柄そのものを演じ切っていないということと、②全身で最後まで演じ切らないことにより、テンションが下がり、昂まりをその頂点に至るまで表現できなかったということになるでしょう。

 

「自分ひとりでいい気になりやがって」という文言については、これまで述べてきたような、「自分の体験に訴えて、悲しい感情に浸っている様子」と解しておくとよいと思います。解答としては、「役者が感情に浸ろうとして、自らの個人的体験を想起して役柄を離れたために、役柄を全身で演じ切ることで生まれる感情の昂まりが表現されなくなった」という趣旨のことを書けばよいのではないでしょうか。

 

あるいは、下線部が、詰まるところ、「芝居になるか、ならないか」という、演劇の本質的なことを問題にしていると捉えれば、「演劇とは、役者が個人的な体験による感情を入れず、役柄を全身で演じ切ることにより生まれる感情の昂まりを表現する芸術である」という趣旨のことを書くことも考えられますが、これは行き過ぎた解答かもしれません。

 

ここまで、「非個人性」という言葉を、使ってきましたが、

本連載の第3回で見る2020年第四問では、詩人の谷川俊太郎氏が、作品ができあがっていくときの過程について、次のように述べています。

 

〔引用文〕

 作品をつくっているとき、私はある程度まで私自身から自由であるような気がする。自分についての反省は、作品をつくっている段階では、いわば下層に沈殿していて、よかれあしかれ私は自分を濾過して生成してきたある公的なものにかかわっている。私はそこでは自分を私的と感じることはなくて、むしろ自分を無名とすら考えていることができるのであって、そこに私にとって第一義的な言語世界が立ち現れてくると言ってもいいであろう。(強調:引用者)

 

この谷川氏の感覚に照らしてみれば、「泣く女優」は、「無名」であらねばならないところで、まさに自分個人というものを全面に出してしまったという点が致命的にだめだったということができます。

 

3.三種類の女優たちはどのような批判されるべき「概念」と関係しているのか

★続いて、竹内氏は本来「悲しい」とはどういうことかという考察に移ります。悲しいとは、ある人にとってなくてはならない存在が失われたとき、そんな現実は取り捨てたい、「消えてなくなれ」という「身動き」ではないかと述べられます。だが現実は変わらない、「それに気づいた一層の苦しみがさらに激しい身動きを生む。だから「悲しみ」は「怒り」ときわめて身振りも意識も似ているのだろう。いや、もともと一つのものであるかも知れぬ」と、まず、激しく、悲しみと怒りとが不分明なほどの身動きがあるとされます。ここでは意識は悲しみとも怒りともとられるような明瞭ではないものとして心の後景に退いていると言えるでしょう。

 

なんらかの状況や関係を生きるとき、なにかが起きる、そしてそのことに体が反応する。まさに意識することなしに、言い換えると、「思わず」体が反応する。そして、この事態を意識し始めるのですね。そのとき、意識は必ずしも明瞭なものとは限らない、というようなことが言われています。

 

続く竹内氏の言葉を読んでみます。

 

〔引用文〕

それがくり返されるうちに、現実は動かない、と少しずつ〈からだ〉が受け入れていく。そのプロセスが「悲しみ」と「怒り」の分岐点なのではあるまいか。だから、受身になり現実を否定する闘いを少しずつ捨て始める時に、もっとも激しく「悲しみ」は意識されて来る。
 とすれば、本来たとえば悲劇の頂点で役者のやるべきことは、現実に対する全身での闘いであって、ほとんど「怒り」と等しい。「悲しみ」を意識する余裕などないはずである。ところが二流の役者ほど「悲しい」情緒を自分で十分に味わいたがる。だからすりかえも起こすし、テンションもストンと落ちてしまうことになる。「悲しい」という感情をしみじみ満足するまで味わいたいならば、たとえば「あれは三年前……」という状態に身を置けばよい(引用者注:これは「喝采」という昭和時代の圧巻の名曲の一節です。歌手ちあきなおみ、1972年)。
 こういう観察を重ねて見えてくることは、感情の昂まりが舞台で生まれるにはエ「感情そのもの」を演じることを捨てねばならぬ、ということであり、本源的な感情とは、激烈に行動している〈からだ〉の中を満たし溢れているなにかを、外から心理学的に名づけて言うものだ、ということである。それは私のことばで言えば「からだの動き」=actionそのものにほかならない。ふつう感情と呼ばれていることは、これと比べればかなり低まった次元の意識状態だということになる。

 

東大の設問は、下線部エ、「『感情そのもの』を演じることを捨てねばならぬ」とはどういうことかを説明せよというものです。この文言の解釈が問われています。具体的には「三種類の女優たちがやってみせたように演じてはならない」、ということになりますが、では詰まるところ、どういうことなのでしょうか。どう表現するべきなのでしょうか。

 

★問題文で二項対立をなしているものは何と何か

これまでの文章の〈像〉をもとにこの箇所を読むと、どのような〈像〉が浮かびあがってくるのでしょうか。 この三つの段落からひとつの「二項対立」を取り出してみましょう。 具体的には、女優たちVS竹内氏ということになりますが、これを概念(言葉)で置き換えるとどうなるでしょうか。

 

二項対立の一方である竹内氏の立場はすぐに気づくでしょう。 「本来たとえば悲劇の頂点で役者のやるべきことは、現実に対する全身での闘い」であるという表現、また最終段落での結論部分で、「本源的な感情とは、激烈に行動している〈からだ〉の中を満たし溢れているなにかを、外から心理学的に名づけて言うものだ、ということである。それは私のことばで言えば『からだの動き』=actionそのもの」 であると言われていることから、竹内氏にとって〈からだ〉、全身での動きということが演技における核心であることがわかります。

 

たとえば、人に「あなた、日頃バカとか言われませんか?」などと言われれば、身体が熱くなる、震えるなどの反応が即座に起きると思います。この身体の状態がまず発生して、それからその状態を意識するという順番なのですね。そして、自己の状態を「怒り」とか、「悲しみ」などの感情がわいてきたと、いわば、感情の名付けを行うということになります。

ここでいわれる「感情」は、現実に対して反応する身体の状態そのものだ、ということになります。

「本源的感情」という本文独特の言葉が使われていますが、生まれてくる感情というものは、身体の動きそのものである、言い換えるとある状況や関係を生きることは、身体の動きそのものがあるということであり、こうした身体の動きがあれば、それにつれて感情はおのずと生まれてくる。より正確には、身体の身動き・状態そのものが「感情」である。そして、こうした身動きをする身体の中に充溢している何かを、「悲しい」、「嬉しい」などという言葉で読んでいるだけなのだ。こうした趣旨が述べられています。

 

繰り返しますと、肝心なのは、身体の状態、つまり感情がまず発生して、それから、それが意識されるという順序です。

実際の生活では、身体の状態(感情)⇒それを意識、という順序です。

そうすると、やはり演劇でも、身体の状態(感情)⇒それを意識、という順番でなければならないのではないか、ということが見えてきます。

ところが、演じるとなると、どういうわけか、「主人公はどんな気持ちだろう?」などと、心のあり様を演じようとしてしまいます。竹内氏の言葉で言えば、「感情に浸る」ことがひたすら目指されることになってしまいます。

これは、悪い意味で、逆転の発想であり、錯誤と言っていいようなものです。

 

すでに第1段落において、ジェスチュアで演じようとする女優を批判するときに、「『嬉しい』とは、主人公が自分の状態を表現するために探し求めて、取りあえず選び出して来たことばである。その〈からだ〉のプロセス、選び出されてきた〈ことば〉の内実に身を置くよりも、まず「ウレシソウ」に振舞うというジェスチュアに跳びかかるわけである」 と述べられていました。 そこで言われている、主人公の「自分の状態」、「〈からだ〉のプロセス」というような事柄が最後に展開されたものが、「全身での闘い」、「『からだの動き』=actionそのもの」です。

 

★現代文読解のカギ 本問における対比構造

では、この「からだの動き」=actionそのものという概念と二項対立構造をなすもう一方の概念(言葉)は何でしょうか。これを見つけるのは本問ではすんなりとはいきません。

竹内氏が明確には書いてくれていないからです。あまりになんでも明確に書くと、文章の味わいがなくなります。明瞭な評論文とはちがって、竹内氏の文章の魅力は、エッセイ的な響きをもつ言葉の連なりにあります。

本文の第一段落冒頭における「二流の役者がセリフに取り組むと、ほとんど必ず、まずそのセリフを吐かせている感情の状態を推測し、その感情を自分の中にかき立て、それに浸ろうと努力する」という箇所から始まって、どのような概念(言葉)が問題になるのでしょうか。

 

具体的な存在者としては女優たちです。 これまで批判されてきた三種類の女優たちを振り返ってみます。 まず、①役柄にそのセリフを言わせている感情の状態を推測して浸ろうとする女優。 次に、②セリフに現れた感情(たとえば「嬉しい」)の内実を推測することさえせずに、その感情に見合った典型的な身振りを想定して演じる女優。 最後に、③上記の①の態度をさらに深めて、役柄の感情を、個人的に体験した感情にすり替えて表現しようする泣く女優です。

 

これらの女優たちに共通することは何でしょうか。 それは自分が主体的、能動的な立場で感情を描き出せると考えていることです。 批判されているのは、「演じよう、演じよう」とする態度なのです。 主体的に演技の内実を構成しよういう姿勢である。 この〈像〉を前提に文章の後半部分に戻りましょう。

 

「二流の役者ほど『悲しい』情緒を自分で十分に味わいたがる。だからすりかえも起こすし、テンションもストンと落ちてしまうことになる」と女優たちはあらためて批判されています。 そして、東大の設問は、感情の昂まりが舞台で生まれるには、「感情そのもの」を演じることを捨てねばならぬ とはどういうことかを説明することです。 このことを肯定的な表現で述べれば詰まるところ、「からだの動きそのもので演じればいい」という趣旨のものとなるでしょう。 では否定的な面から記述すれば、どのような言葉(概念)がよいのでしょうか。 繰り返せば、「からだの動き」=actionそのものと二項対立をなす問題文での言葉(概念)は何だろうか。 竹内氏の文章は走り、「○○はだめで、全身で演じることが大事なのだ」というような一般的な立ち止まった表現は見られないというところに難しさがあります。

 

★再度ジル・ドゥルーズの思想を手がかりに、一挙に本文の核心を捉える 何を問題と感じとるか?
ここで再度、ジル・ドゥルーズのいくつかの言葉を思い浮かべてみると、一挙に直感的な文章の全体的理解、言いかえると、「文章の像の全体性」に至ることができます。 竹内氏の文章について、感覚的な〈像〉としても、思想的な〈像〉としても、全体的な〈像〉を形成することができるはずです。 芦田宏直氏が書いていた「書物の全体とは、言葉の全体ではなくて、〈像〉の全体性」であるということを、本問において見出せることになります。 このことが、また問題文中にある解答に必要な言葉に結びついていくはずです。

 

本連載の第1回で意識の特徴として、ドイツの生理学者ホーヴィッツの言う、(a)意識は何かを指向するところのものである、(b)原則的に意識は狭小で制限的であり、意識へは常に部分しかやってこない、ということに触れました。このことをさらにドゥルーズに習って見ていきましょう。

 

「意識が身体をコントロールする」という思想、この思想に対する違和感がドゥルーズの出発点です。まずは次の引用文を読んでみてください。

 

〔引用文〕

 私たちは意識やそれがくだす決定について、意志やそれがもたらす結果については無数の議論を重ねながら—その実、身体が何をなしうるかは知りもしていない(中略)ニーチェも言うように、ひとは意識を前にして驚嘆しているが、「身体こそ、それよりはるかに驚くべきものなのだ……」。(『スピノザ 実践の哲学』鈴木雅大訳、平凡社、2002年、33頁。スピノザは17世紀のオランダの哲学者。著書に『エチカ』など。強調は引用者)

 

〔引用文〕

スピノザはたえず身体に驚く。彼は身体を持っていることに驚くのではなく、身体がなしうることに驚くのだ。(前掲、『ディアローグ ドゥルーズの思想』、104頁)

 

何が問題か、それは、私たちが意識や意志の決定によって行動を起こすと考えていることです。たとえば、手を意識し、手を動かそうと意志する。意識や意志と呼ばれるものが、身体の一部分である手を動かそうとするから手が動く、こう私たちは普段考えていると思います(意識、意志と手の動き、という関係については有名な実験があります。ベンジャミン・リベット、『マインド・タイム 脳と意識の時間』、岩波現代文庫、2021年、第4章、および第1回でも引用した、前野隆司、『脳はなぜ「心」を作ったのか=「私」の謎を解く受動意識仮説』、ちくま文庫、2010年、76~80頁を参照してください)。

 

しかし、あらためて考えてみると、意識や意志などというものはどのようなレベルのものなのでしょうか。

 

〔引用文〕

 身体は私たちがそれについてもつ認識を超えており、同時に思考もまた私たちがそれについてもつ意識を超えている。自らの意識の所与の制約を超えた身体の力能をつかむことが私たちにもしできるようになるとすれば、同じひとつの運動によって、私たちは自らの意識の所与の制約を超えた精神の力能をつかむことができるようになるだろう。(前掲、『スピノザ 実践の哲学』、34~35頁、強調は引用者)

 

意識とは何よりも「制約」という問題であると言われています。意識というものは極めて限定された、狭いものとして、人の心というものの中の表面的なものとしてあるのではないでしょうか。「身体」も「精神」も、「意識」的な心の部分、あるいは心の中の狭い「意識的な部分」が思いもよらないような力を持っている、こうしたことが述べられています。そして、次のように書かれるに至ります。

 

〔引用文〕

 身体というモデルが意識を超えるということを示すことは、思考に対する意識の価値を切り下げる。身体のもつ未知の部分と同じくらい深い思考のもつ無意識の部分が、ここに発見される。(同書35頁、強調は引用者)

 

(引用文)

私たちは、自らの身体に「起こること」、自らの心に起こることしか、言いかえれば、他のなんらかの体がこの私たちの身体の上に、なんらかの観念がこの私たちの観念の上に引き起こす結果しか手にすることができないような境遇に置かれている。 (同書36頁)

 

(引用文)

 私たちが自らの認識や意識の所与の秩序にとどまっている限り、なに一つわからない

そのままでは私たちは、物事の認識においても自身の意識においても本来の原因から切り離された結果しか、非十全な、断片的で混乱した観念しかもてないようにできている。 (同書37頁、強調は引用者)

 

「無意識」という言葉が登場します。 これは、「身体」と同じく、未知の広大な領域をもつものとして、制約ということと一体となっている意識とは異なったレベルのものとして見出されたのです。 意識というものは、本質的に「遅れている」と言えるのではないでしょうか。 意識は、「結果を手にする」ということがその本質であり、しかも「本来の原因から切り離された結果しか、非十全な、断片的で混乱した観念しかもて」ず、意識について、行動を指令し、開始させるものとは考えることには疑問符がつくのです。

 

意識というものは人間にとって重要なものです。意識、自己意識こそは人間をほかの動物から区別するものだとも言われます。その上で、そのもつ力の限界を見極めることが大切になってくる。これこそが、東大現代文が私たちに考えてほしいと考えていることでしょう。

 

本問は、役者の演技論です。しかし、意識や無意識というありかたと行動との関係を考えるという点では、私たちの生活と強く結びついています。こうしたことこそ、東大が、「高等学校段階までの学習で身につけてほしいこと」で、「自己の体験総体を媒介に考えることを求めている」ということではないでしょうかアドミッション・ポリシー | 東京大学 (u-tokyo.ac.jp)

 

★こうしてドゥルーズによって私たちは無意識と意識ということについての考え方の方向性を与えられました。 意識というものは、生きるということの中では、「感情の発生」に後れている。 なんらかの出来事に後れている。 私たちは意識をもって行動の端緒と考えたり、意識によってなにかをコントロールしたりしようと考えがちであるが、これは疑わしいことだ、と。 こうしたことを踏まえれば、竹内氏の文章はどのように読むことができるのでしょうか。 〈像〉の全体性が見えてはこないでしょうか。

 

竹内氏は、「本来『悲しい』ということは、どういう存在のあり方であり、人間的行動であるのだろうか」と、演劇を一旦離れてひとが実際に生きる場面から考察を行っていました。 ひとが「悲しみ」を生きる場面では、激しく、悲しみと怒りとが不分明なほどの身動きがある一方で、「意識」は悲しみを意識しているとも、怒りを意識していると言えるような明瞭ではないものとして後景に退いていたのでした。 そして、「受身になり現実を否定する闘いを少しずつ捨て始める時に、もっとも激しく「悲しみ」は意識されて来る」のでした。 そのうえで役者の演技について、「本来たとえば悲劇の頂点で役者のやるべきことは、現実に対する全身での闘いであって、ほとんど『怒り』と等しい。『悲しみ』を意識する余裕などないはずである」と考察はつながれていました。

 

ここまでくれば、何が問題かを直観することも難しくないかもしれません。 しかし、まちがいなく問題を捉えるためにドゥルーズを思い出しましょう。 意識というものは本質的に遅れたものだということを思い出しさえすれば、竹内氏の問題化の流れにおいて、「意識は身動きに遅れている」、「意識は全身での演技による感情の発生に遅れている」ということが核心だとたしかに捉えることができます。

 

上記の引用では、「悲しい」という過程が煮詰まっていったときに悲しみはもっとも激しく「意識されてくる」、また悲劇の頂点で悲しみを「意識する余裕などないはず」などの文言が鮮烈に浮き上がってくるのではないでしょうか まさに「意識は遅れている」という事柄の表現となって浮かび上がるのではないでしょうか。 そうすると、結局、女優たちはなにをしようとしていたのか、という〈像〉が明確になってくると思います。

 

実際に「生きるとき」には、まず事態や状況に対する身動きがあり、感情が生まれ、その後に、「感情についての意識」というものが遅れて来るのならば、「演技においても」また、まず身体の動き、ある状況における身動きというものがあればおのずと感情表現につながるのではないか、感情の昂まりを表現することができるのではないか。

 

ところが女優たちは、役柄の「感情そのもの」、内心を意識して思い描こうとし、うれしそうな身振りを意識的に演じ、涙を流すような感情を自身の体験に訴えてかきたてるということを意識的にすることで、悲しみの感情を表現しようとしてきたのです。 すべては、本来遅れたものである意識を始まりに置く誤りから来ています。 女優たちはその態度は様々であるが、結局のところ、意識して、あるいは意識によってのみ演じようとしている、こうした〈像〉が浮かびあがってきます。 「意識」という言葉こそが女優たちの態度を概念として捉えた言葉だということが見えてきたのではないでしょうか。 女優たちは、もっぱら意識的な方法をもって感情の表現ができる、「感情そのものを演じること」、ができると考えていたのです。

 

やるべきことは「無意識的なもの」を生かすことです。本文において、意識的な姿勢というべきものがあるとすれば、それがなすべきことは、なにもかもを意識的にやろうとすることではなく、無意識的なレベルのものを考慮することです。

 

全身で役柄を演じる、こうしたことを思いつけること。むやみと心のあり様を想定するのではなく、全身で演じることから意識せずともにわき上がってくる感情があればいいということに思い至ることのできる意識のあり様。

 

こうした意識のあり方そのものを形成するのも、その人の無意識がいかにあるのかにかかっているという考え方もできます。ただ、ここまでくるとかなり複雑な話になってきますので、ここで止めておきますが、肝心なことは、意識と無意識的なレベルとの適切な共働といえるでしょう。

 

そうとすれば、設問の「「感情そのもの」を演じることを捨てねばならぬ」とはどういうことかについては、「全身で役柄の状況を演じることで感情はおのずと生まれるのであるから、予め意識的に心のありようを想定して演じてはならない」という趣旨のことを書けばよいということが見えてくるのではないでしょうか。

 

4.2008年度第四問と2011年度第一問を並べてみる

本問は、演劇においては、「身体の動きにまかせて行動するべきことを、意識的にコントロールしようとすれば失敗する」という趣旨を語る文章でした。 演劇に関わっていない受験生や私たちにとっても自らの「体験の総体」を思えば、「意識的なコントロール」ではうまくいかない、というようなことに思い至ることがいくつもあるはずです。

 

ここでは、ひとつ、東大の現代文の過去の問題から、実際の生活の場面で、こうしたコントロールが望ましくないような結果を招くことを描いた文章に少し触れておこうと思います。 いわば意識と無意識の問題の変奏と呼べるような問題になっており、東大がいかに「意識的なコントロール」という、ひとが陥りがちな考え方に強い関心を寄せているのかがうかがえるものです。

 

その問題とは、2011年度第一問です(桑子敏雄『風景の中の環境哲学』、東京大学出版会、2005年)。 「河川は人間の経験を豊かにする空間である。人間は、本質的に身体的存在であることによって、空間的経験を積むことができる。 このような経験を積む空間を『身体的空間』と呼ぼう。 河川という空間は、『流れ』を経験できる身体的空間である」と書き始められ、河川の整備、河川を活かした都市の再構築という問題に移っていきます。

 

そして河川の整備というとき、既知の概念によって管理、コントロールしようとすることの弊害が語られます。 たとえば、親水護岸という概念による河川整備は、水辺に下りたり、水辺を歩いたりということはできたとしても、それ以外のことをする可能性を奪われるのです。

 

 これに対して筆者は、「完全にコントロールされた概念空間に対して、河川の空間にもとめられているのは、新しい体験が生まれ、新しい発想が生まれ出るような創造的な空間である」として論を展開していきます。河川という空間における身体的存在である人々の具体的な経験の積み重ねこそが河川空間に意味をもたらしていくのであって、ひとりの人間が概念的に考えて構築した河川への意味づけは、経験の可能性をなくすものだという趣旨が述べられます。まさしく2008年度第四問と同じ方向性の考え方が示されているとは言えないでしょうか。

 

さらにもう一問、2015年度の第一問を読んでみてください。

2008年第四問といかなる観点を共有しているのか。どんどん東大現代文の過去問がつながっていくことを感じることと思います。