先日は父の日でした。64歳で悪性黒色腫(メラノーマ)という希少がんで亡くなった父のことを思い出す日でもあります。

 

7人兄弟の長男。農家の長男であることを理由に進学を反対され自身は断念したものの、私を含めた子どもたち全員には東京の大学へ進学する機会を与えてくれました。これには感謝しかありません。お酒とスポーツ観戦が大好きで、仕事仲間とわいわい騒ぐのが好きなちょっとお調子者の父の姿が今でも目に浮かびます。

 

私が29歳の時の12月。原因不明の体調不良が続いていた父の病状を聞くため、母と二人で実家近くの病院を訪れた時のこと。そこで初めて、父は悪性黒色腫(メラノーマ)という希少がんに罹っており、もうだいぶ転移が広がっていると知らされたのです。そして、余命3か月であることも。

 

万が一に備えていたつもりだったものの告知のショックは大きく、何よりも父のレントゲン写真に映り込んだ食道いっぱいの薄気味悪い腫瘍に、私は吐き気を覚えました。以前より父の足の裏の大きなほくろを母が気にしていたので、それが原発部位だったのかもしれないと今さらながら悔しさとともに思い出されます。

 

その後、父の看病とすっかり参ってしまった母を支えるために私が実家に戻ることが決まりました。父の応援で進学した東京の大学を卒業後、製薬企業から始まった私の医療業界におけるキャリアが形になろうとしていたまさにそういう時でした。仕事を辞め交友関係も整理し、大きな失意を抱えたまま実家に戻った私は母を励ましながら父を看病し、家業の農業にも勤しむという毎日を送ることになりました。

 

そうこうしているうちにあっという間に3ヶ月が過ぎ、父の命の灯し火は日に日に消えようとしていました。そして、危篤の知らせで集まった近隣の人々や親戚家族が見守る中、3月に亡くなりました。64歳でした。告知から3ヶ月余り。医師の見立ての通りとは言え、あまりにも短くあっけない別れでした。

 

わずか3ヶ月で父を見送ることになった事実は大きなショックでしたが、がんと知らずに過ごしていた父の心境を思うと他に何が出来たのだろうと、今でも自問自答してしまいます。その一方で、もし父の介護が長期に渡っていたら、あるいは私の大学進学前の発症だったらと考えると、何が家族にとってそして父にとって幸いだったのかわからなくなります。

 

しかし、この時の当事者家族としての経験が現在の仕事に生かされ、日々接する様々な患者様やご家族の皆さんに寄り添う原点となったことを思うと、キャリアを捨てることになった苦渋の決断やその後の怒涛の毎日にも大きな意味があったこと、そして当時の深い絶望でさえ感謝へと昇華したことに驚きを禁じ得ません。

 

私にとっての父の日。それは父への感謝を思い出す日であると共に、今の私の原点でもあるあの3ヶ月を忘れない日でもあるのです。

 

Just Worldwide 株式会社
プロクター志津子

 

悪性黒色腫(メラノーマ)

メラノーマは、悪性黒色腫とも呼ばれ、皮膚の色素細胞(メラノサイト)やほくろの細胞(母斑細胞)ががん化したものです。

日本人のメラノーマの半数は手足と爪にできますが、手足以外の様々な部位に発症します。色素細胞は皮膚以外の眼や鼻のなか、口のなか、外陰部、肛門、腸管などの粘膜にも分布しているため、これらの部位にもメラノーマができることがあります。

 

メラノーマは日本人には希ながんですが、患者さんは徐々に増えています。転移を起こすと治療が難しくなりますが、近年、メラノーマの治療は大きな進歩を遂げつつあります。

 

日本におけるメラノーマの罹患率は10万人あたり1~2人で、厚生労働省が実施した2014年の調査では、国内の患者数は約4,000人と報告されています。また、年齢別にみると60代~70代にピークがありますが、50代以下の若い世代にも発症します。死亡数は年間600~700人程度で、死亡率に男女差はありません。

 

メラノーマは、白色人種での発生率が高いことが報告されており、紫外線が重要な原因であると考えられています。また、手足や爪などのメラノーマについては、摩擦や外傷など外からの刺激も危険因子のひとつと考えられています。

 

引用:https://www.msdoncology.jp/melanoma/about/index/