みなさん、こんにちは。
インカレまで残り1日…!ついに明日…!
インカレ直前、カウントダウン最後のブログを担当します、4年の阿部航大です。
これが、私が競技者、水泳部、チームのメンバーとして綴ることのできる最後のブログになってしまいました。
みんなのブログを読むたびに、顔が浮かんできたり、みんなの声で勝手に脳内再生されていたりと、ただの文章が僕の中ではみんなとの大切な会話の時間でした。
最後のブログということで、過去と今の自分について少しだけ綴りたいと思います。
(面倒な人は大学生活からでも読んで欲しいです。↓)
幼稚園の頃、水泳を初めたきっかけは少し太っていたのと、元気が有り余っていたからでした。
母親に勧められ、水泳教室に通い、1.2年で選手コースに誘われ、毎日泳げることに喜びを感じ競技生活が始まり、中学2年まで同じクラブチームで続けておりました。
今では真面目に水泳してますし、みんなにストイックと言ってもらえることも増えていますが、中学2年までの私は隙さえあればサボって、遊んで、怒られて、楽しいことが1番の水泳生活でした。
それでも水泳が好きで、「ベストが出た瞬間」「勝った瞬間」「大きな大会に出られた」といった経験ができるこの競技に、のめり込み、執着していくようになったのもこの頃からだと思います。
そんな思いが強くなった中で中学2年の全国中学にて、同学年で隣の市のクラブチームにいる江沢陸という選手に出会い、同年代や強い選手が多く在籍するチームに誘われました。
当時の私は正直、小さなクラブで一番の成績に満足していたし、同年代がおらず、年上位のお兄さんたちには練習では別に負けてもいいやと思いながら、あまりにも適当な水泳生活を送っていました。
それでも、全中の会場で見たあの景色が僕の中の水泳の価値を大きく変えてくれました。
同じ千葉県選手団として向かった一つ上の先輩たちからも「全中いくと世界変わるよ」と言われていた意味をここで大きく感じました。
変えなきゃ!もっと楽しみたい!と思った瞬間にはもう、江沢に頼んでコーチまで繋いでもらい、入りたいとまでお願いしに行きました。
元々いたクラブのコーチには本当に不義理で恩なんて何も返さずに逃げるように辞めてしまいました。
ここまで育ててくれたことに感謝することもできなかった。引き留められても張り切ってしまった。
この時感じた申し訳なさは高校3年の新しいクラブを辞める時までずっと感じていました。
2017年10月1日
この日から新しいチームでの練習が始まり、私の水泳の価値や向き合い方、人間性、人間関係、その他にもたくさんの物を学ぶことができたクラブチーム生活を送ることができました。
昨日のブログにも啓太が書いてくれた通り、小さい頃からずっと大会で戦うだけだった啓太とチームメイトとして関わり始めた日にもなります。
今でもこの時の練習、経験、関係があったから今でも頑張れていることは多くあるなと思います。
そんなクラブチームから次のステップとして選んだのが順天堂大学でした。
本当は色んな大学を見て、声もかけてもらって、いいなと思うところも他にもありましたが、将来の事とか、親の考えとか色々考えて順大にしました。
まぁ色々言われて悩みましたし、学生生活も不安だなと思っていましたが、啓太の志望校が順大という話を聞いたのが一番の後押しになったなと恥ずかしながら思ってました。
そして大学入学。
本当にこの3年半の間は、色々な経験をしました。
入学して一人暮らしが始まり、自由だし、楽しいし、やれる事たくさんだしウキウキの学生生活がスタートしました。
勉強はそれなりに、資格のためと思いながらやりつつ、第一は水泳!!という思いの楽しみな大学生活の始まり。
それでも、体は正直で今までとの環境の変化で蕁麻疹ができたり、故障が目立ったり、メニューの違いで迷走したり、今でも残る怪我をしたり、1年間ほとんどメイン種目のベスト更新はできませんでした。
そん中、楽しい水泳にするために誠実さを学んだのは、熊谷さん、翔一さん、悠さんでした。他にもたくさんの先輩から学んだし、支えられて泳げてきましたが、大学1年の私にあまりにも大きなものを与えてくれました。
熊谷さんには4年と1年にもかかわらず、一緒に練習するチームメイトとして接してくださり、練習の本気度、漢気、そして大人としてのかっこよさを学びました。
翔一さんには入ってすぐに水泳の考え方で鬼詰めされて、めっちゃ怖いし、いかついし声かけられないよーなんて思いました。でも、帰ってからも忘れられなくて、初めて自分の水泳について深ーーーーーく考えさせられました。だからこそ、たくさん聞いたり、ウエイトも付き合ってもらったたりと面倒見てもらいました。普段の生活を水泳に結びつける大切さや意図・意味を明確にして取り組むこと、そして漢としてのかっこよさを学びました。
悠さんには入った日から練習でお世話になって、練習中もたくさん話して、練習後もご飯に行って、練習ない時も家に呼んでくれたりと練習の楽しさも試合の難しさも大学生の楽しみ方もたくさん教わりました。最後まで一緒にやれなかったのは寂しかったですが、忘れられない日々でした。
そんな先輩方に支えられ、引っ張られ1年がむしゃらに水泳してました。
2年目は1年目が身を結び、結果が出始めて水泳の楽しさを多く感じました。しかしその中で、同期とのモチベーションや考え方、熱量の違いでギャップを感じてしまったり、それを認められない自分が嫌になったり、続けてタイムが出るのと同時にどう思われてるのかと怯える日々が続いていました。
そんな思いを抱えて夏が終わり結果は出たもののモヤモヤは残りました。その後、夏の終わりにみんなで集まれる機会がありました。みんなと話せる機会、ご飯も食べながら夜遅くまで、普段言えないことも泣きながら朝が来るまで語り合いました。
あの日のことを忘れた同期はいないんじゃないかなと思えるくらい僕の記憶の中で劇的な1日でした。
あの日から仲間の考えや価値観に、耳を傾けたりそれも良しとして認めて進むことが少しばかりできるようになったと思っています。
まだまだ譲れない部分もあったりその度にキレ合いながら進みつつ、たまには遊んで休憩したりと距離を置いていたことが嘘のようにみんなと仲良くなれた気がした1年でした。
2年生の終わりにはジャパンオープンもキレてまさしく順風満帆!!
3年目。
またもやボロボロ…。タイムでないまま夏まで来てしまっていました。
慣れや安心であっけなく数ヶ月が過ぎていたことに気づいたのは6月頃でした。
去年の成績、今の自己ベスト、みんなに期待してもらえているそんな環境に楽しめていたはずなのに、心はズタボロだったみたいです。
カンカレ直前のメインで最低タイムを叩き出した瞬間にパキッと心が折れた音がしました。
悩んだこともあったし、悔しい思いもたくさんしてきましたが、水泳をやっていて初めて感じる「挫折」でした。
そこから1週間くらい練習を休んだり、泳いだとしてもみんなに見られるのが苦しくて、別時間で1人。でも、そんな時に付き合ってくれたのは啓太と院生の篠宮さんでした。話す内に、純粋な楽しみ方とか期待だけじゃなくて、支えられているという感覚にさせてくれる2人との時間がとても嬉しくて、そんなこと言ってもらえる「私らしい水泳」をまだやっていたいと強く思わせてくれました。
カンカレ直前MTGも途中に逃げちゃったり、泣いてしまったり、そんな自分が悔しくて情けないと感じていました。
それでもレースは来てしまう。
泳がせてもらえるからには全力でと感じつつも、みんな見ないでくれ思いながら飛んだ1本目はガチガチでボロボロ、、、。それでもなんとか2本目に食い込んだことを確認して、戻った陣地ではみんなが笑って拍手をしてくれました。こんなに好き勝手やった挙句にボロボロな僕でも温かく迎えてくれるみんなの優しさが、嬉しさと安堵を感じさせてくれました。
2本目、とても楽しく泳げました。
みんなのおかげでしかない。
その後、迎えるインカレ大ベスト更新。
それよりも終わった時よみんなの歓声が本当に嬉しかった。横から撮った映像は僕のスマホフォルダにも記憶にも一生残こるものとなりました。
見る度に嬉しくて嬉しくて視界が滲みます。
夏が終わってからは主将を務めさせていただき、自分があの時感じた、人からもらえる力をみんなにも感じて欲しいといった思いを第1にスタートしました。
教育実習、チームビルディング、ファミリー会、ジャパンオープン、就活、年末年始、合同合宿と怒涛に3年生後期がすぎていきました。
動かない体、日に日に悪くなっていると感じてしまう心、それでも最後だからと無理やり動かして、気持ちはすり減りながらも一歩ずつ、半歩ずつ進んできたつもりでした。
この冬の間に日本選手権を切ろうと調整を重ね、好タイム連発しつつも結局ベストも日本選手権も割れませんでした。悔しかったけど、前と違ってすごく楽しかった。
この感覚なんだよな水泳ってと、とても思える半年間でした。
そして4年目。
4年生になる頃にはもう最後の夏までのカウントダウンが同期の中で始まって、ただひたすらに焦って、体がついてこないことがとても多かったです。
試合でもなかなかうまくいかず、かっこいい所は全然見せられない主将になってしまっていました。
それでも僕の人生で忘れられないレースのうちの一つとなる夏季公認が訪れました。
人生最後の短水路。苦手だからこそもう泳がなくていい!という嬉しさと最後くらいベストで!という覚悟で臨みました。200、100ともにベストプラス0.3以内という好タイムでおよげました。でもベストがでない。この時急成長していた2個下の上府真人が隣で泳いでいて、大ベスト。0.2秒差まで詰められました。レース後にチャレンジレースの権利を獲得した2人で相談して、最後はベストで終わりたい私と行けるところまで行きたい上府ともう一度レースをすることができました。
2本目。結果は、上府ベスト、私も大ベストで日本選手権突破。
思いがけないところで、苦手な短水路で、インカレぶりの大ベスト。
本当に嬉しかった。ここでもまた、一緒に戦える仲間の大切さ、一緒になって喜んでくれる仲間の大事さを知ることができました。
みんなに感謝。
やっといいところを見せられたし、何よりあんなに一緒に頑張ってくれてた啓太にも日本選手権を切る瞬間を見せられたことが嬉しかった。
この日もまた、忘れられない記憶となりました。
それからまた時が経って、カンカレまで来てしまいました。
案の定今年もまた、やらないといけないという思いと焦りでガチガチ。追い込み過ぎた体。不安だけがあるレースにになってしまいました。
去年学んだはずなのに…。そんな失望さと裏腹に2本目に向けて声をかけてくれる人が去年よりも増えて、そんな仲間たちに恵まれた環境だけには嬉しさがありました。
4日間終わってみて、女子は団体出場校獲得。男子は1点差で逃してしまった。
本当に悔しかった。チームで戦うことを言い続けてきた一年だったからこそ、去年とは全く違う悔しさに襲われた。みんなが責任を感じてる姿を見るたびに、私は何をやっているんだという失望感が覆い被さりました。情けない…。
それでも前に立たせてもらえて、話す機会をもらえて、それで本当にいいのかと何度も感じました。
本当は「お前がもっとしっかり泳いでいれば」なんて思っていた人もいると思うけど、みんなの表情を見ると次がある、まだ戦えるという思いが伝わった気がします。
その表情を見れたからこそ、残り1ヶ月死ぬ気でやろうと思えました。ありがとう。
カンカレが終わり合宿では、より一層仲間と時間や感情を共有することができ、カンカレで感じたことやインカレへの思いも聞くことができました。
4年間の大学水泳生活で1番濃い1週間でした。
誰かには、阿部さんワクワクしちゃってますやんなんて言われてましたが、本当にその通りで1週間があっという間に感じました。
それから戻って3週間とても集中できていた。
久しぶりに自分のやりたい泳ぎ、行動、計画、感覚、体が噛み合い始めた気がしました。
調子がいいと思える日が少しずつ増えてきて、楽しさと終わってしまう寂しが毎日不安定にやってきていました。
コツコツ積みながら、たまにはリラックスして遊んで、気づけばのこり7日を切っていました。
それから4年生のブログを読んだり、後輩にもうすぐですななんて言われる度に目に涙が浮かんでいました。
残り4日くらいになってからは、プールに来て、昨日の人のブログを読んで少しばかり泣きながらドライして、泳いでみんなと話して、笑って帰るなんて日々でした。
MTGで話す度、ブログを読む度本当に泣いてばかりの1、2ヶ月になってしまいました。
私が前に出る度にみんなが笑ってくれたり、真剣な目で見てくれたり、泣いてくれたりたくさんの表情、感情を見せてくれる仲間たちにも感謝でした。
誰かが言ってくれた「阿部ちゃんが前にたつと安心するね」なんていう言葉が自信になってたらりもしました。
そして迎えるインカレ。
ついに明日となりました。
振り返ると、どんどん書きたいことが出てきてしまいとても長くなってしまいました。
自分語りが多過ぎて自分で読んでも嫌気がさしてしまいました。申し訳ないです…。
ここからは最後の思いとして。
これまで数え切れないほどの人と繋がり、関わり、別れ、支えられてきました。
両親・家族、クラブチームのコーチ・チームメイト、地元の友人、大切な人、最高の同期、先輩、後輩、関わってくれた全ての人。
ずっと前にもらったおばあちゃんや母親からの手紙。地元の公民館の人の手紙。10歳、15歳からの自分の手紙。クラブチームの写真。みんなのブログ。地元奴らの熱い言葉。どんな時もそばにいてくれた人。遊んだり、飯食ったり、ふざけたりして過ごした時間。怒られたり、勝負したりした時間。見守ってくれて、応援してくれて、ついてきてくれた人たち。
ふと思いつくだけでもこんなにも素晴らしい人や物、時間、経験が私に力をくれて、私自身を作ってくれている。
あまりにも多すぎる応援をもらい、支援してもらいここまできました。
言葉では表せないですが、本当にありがとうございました。
阿部航大という人間に関わってくれた全ての方々に、最大の感謝と愛と敬意を持って、残り4日間振り絞ります。記憶に残るような人間であるために。
それでも、結果だけでは感謝は伝えられない。
一人間として、阿部航大として、今後の生き様で何かしらの形で恩返しして行く所存であります。
長すぎる思いを読んでくださり、ありがとうございました。
誰かに向けた文にできている気はしませんが、何か一つでも伝われば幸いです。
最後になりますが、このチームとして迎える最後の4日間、何卒順天堂大学へのご声援をよろしくお願い申し上げます。
チームのみんなへ
最後は笑って終わりたいよな
ここまでやってきたんだろ?
他のやつなんて関係ない。
俺たちには俺たちのドラマがある。
成功も失敗もあってこその劇的なドラマ。
一人一人の姿が一人一人の記憶に残る時を過ごそう。
人生でこんなに熱くなれることなんてこの先ないと思う。
今はそのありったけを注いで。
その経験が人生のかけがえのない糧となるから。
22歳の若造だけど、一生懸命生きてた私からのメッセージです。
みんないつもありがとう!愛してるぜ!
そして最後までよろしくお願いします!
2024-2025シーズン
主将 阿部航大