途中で、字が下手っぽくなってきました。
「明日は上手く書こう。」と思いました。
そのあとに、「明日もう一度、写経できる保障がどこにあるか?」と思いました。
「今、この時」とひとつになれなければ、何の写経か?
などと哲学みたいな想いが巡り始めました。
でも、そんな「今」を意識しているうちは、「この瞬間と一体」という境地にはなれないと、老師方はおっしゃるのではないでしょうか。
「今」をも放り出すというか、忘れ去るというか、
イメージとしては、十牛図の人牛具忘(人牛ともに忘れる)が頭に浮かんでいます。
十牛図とは、仏性を牛に見たてて、その牛(仏性)を探し求め、飼いならしていく(自分のものにしていく)過程を、10の絵図で表現したものです。
人牛具忘は、その中の8段階目の境地を表現した絵です。
図柄は、白紙です。
人も牛(仏性)もすべて忘れ去った状態を表現しています。
説明すればするほど分かりにくい文章になってきました。
もっと上手く伝えられる言葉が見つかったら、また書きます。
あっ、「次に書ける保障がどこにあるか?」の話でした。