ルイス・フロイス | 辻村寿和Collection「寿三郎」創作人形の世界

辻村寿和Collection「寿三郎」創作人形の世界

創作人形作家辻村寿三郎の作品を皆様にご紹介いたします。


ルイス・フロイス
辻村寿和Collection「寿三郎」創作人形の世界
2011年制作
撮影 Canon EOS 7D
EF100mm F2.8 マクロ USM

ルイス・フロイス
1532年~1597
ポルトガル出身のカトリック司祭、宣教師。
イエズス会員として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと会見。
戦国時代研究の貴重な資料となる『日本史』を記したことで有名。

ルイス・フロイス
辻村寿和Collection「寿三郎」創作人形の世界
2011年制作
撮影 Canon EOS 7D
EF24-105mm F4L IS USM

1563年、31歳で横瀬浦(現在の長崎県西海市北部の港)に上陸して
念願だった日本での布教活動を開始。
日本語を学んだ後、1564年に平戸から京都に向かった。

1565年1月31日に京都入りを果たしたが、
フロイスは将軍・足利義輝と室町幕府権力の脆弱性に失望したという。

困難を窮めながらも京都地区の布教責任者として奮闘した。

1569年、将軍・足利義昭を擁して台頭していた織田信長と二条城の建築現場で初めて対面。
フロイスはその信任を獲得して畿内での布教を許可され、
グネッキ・ソルディ・オルガンティノなどと共に布教活動を行い多くの信徒を得た。

その著作において信長は異教徒ながら終始好意的に描かれている。

ルイス・フロイス
辻村寿和Collection「寿三郎」創作人形の世界
2011年制作
撮影 Canon EOS 7D
EF100mm F2.8 マクロ USM
その後は九州において活躍していたが、1580年の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの
来日に際しては通訳として視察に同行し、安土城で信長に拝謁している。

豊臣秀吉は信長の対イエズス会政策を継承していたが、
やがてその勢力拡大に危機感を抱くようになり、
1587年7月24日には伴天連追放令を出すに至り、
フロイスは畿内を去って長崎に落ち着いた。

1590年、帰国した天正遣欧使節を伴ってヴァリニャーノが再来日すると、
フロイスは同行して聚楽第で秀吉と会見した。
1597年長崎で没した。65歳。

フロイスは日本におけるキリスト教宣教の栄光と悲劇、
発展と斜陽を直接目撃し、その貴重な記録を残すことになった。