浅井長政
1545年~1573年9月
戦国時代の武将で大名。領国は現在の北近江である。
15歳で元服。備前守と称す。
浅井長政とおいち
2011年制作
撮影 Canon EOS 5D Mark II
EF100mm F2.8 マクロ USM
織田信長の妹、お市と結婚し、織田家と同盟関係を結んだ。
信長は長政を高く評価していたらしく、可愛がっていた妹、
お市と長政の結婚を喜び、婚姻に関わる費用は全額負担したという。
信長は長政を高く評価していたらしく、可愛がっていた妹、
お市と長政の結婚を喜び、婚姻に関わる費用は全額負担したという。
長政はお市との結婚以前にも多くの側室を抱えていたが、
お市との夫婦仲は非常に良く、
周囲に羨まれるほどのおしどり夫婦であったという。
周囲に羨まれるほどのおしどり夫婦であったという。
二人の間には2男3女が生まれた。
特に3人の娘(茶々、初、江)は浅井三姉妹として有名である。
浅井長政
2011年制作
撮影 Canon EOS 5D Mark II
EF100mm F2.8 マクロ USM
浅井長政とおいち
2011年制作
撮影 Canon EOS 5D Mark II
EF100mm F2.8 マクロ USM
長政は織田家との同盟を結ぶにあたり、
浅井家と古い同盟関係にあった朝倉家を攻めないという約定を交わしていたが、
信長がこれを一方的に破って朝倉家を攻めたため、信長と対立。
天正元年(1573年)には小谷城が信長軍に包囲された。
信長は長政を殺したくなかったらしく、再三にわたって降伏勧告をしたり、
領地を安堵して懐柔しようとしたが長政はこれをすべてはねのけ、交渉は決裂。
お市は仲睦まじい夫長政と運命を共にしようとしたが、
長政に説得され、子供達をつれて信長軍に投降した。
1573年9月、長政は父の久政と共に自害。享年29。