清盛無常縁起 | 辻村寿和Collection「寿三郎」創作人形の世界

辻村寿和Collection「寿三郎」創作人形の世界

創作人形作家辻村寿三郎の作品を皆様にご紹介いたします。


ジュサブロー館の創作日記
下関大丸創業60周年記念 辻村寿三郎 人形展 ~清盛無常縁起~


9月22日(水)→10月4日(月)※最終日は午後5時閉場
 7階文化ホール
 [入場料]一般・大学生<税込>700円
        高・中学生<税込>500円
   小学生以下無料

辻村寿三郎サイン会
9月25日(土) [1回目]午前11時~ [2回目]午後2時~
9月26日(日) [1回目]午前11時~ [2回目]午後2時~
※会場で販売されている商品に限らせて頂きます。
(一部サイン不可)
※人数制限をさせて頂く場合もございます
主催 辻村寿三郎人形展実行委員会
後援 山口県教育委員会・下関教育委員会・下関市文化協会
下関芸術文化懇話会・KRY山口放送・tysテレビ山口・yab山口朝日放送
毎日新聞社・朝日新聞社・読売新聞西部本社・山口新聞社
コミュニティエフエム下関・エフエムきらら(順不同)

展示予定作品を一部ご覧下さい。

写真をクリックすると大きいサイズで見ることが出来ます。
細かいディテールをご覧ください。

安徳帝言仁
ジュサブロー館の創作日記
2008年制作
撮影 Canon EOS 40D
EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM

安徳天皇1178年~1185年。

第81代の天皇 在位:1180年~1185年。

諱は言仁(ときひと)。

1178年11月12日に生まれ、生後まもない12月15日に立太子。

1180年2月21日に践祚し、4月22日に2歳で即位するが、政治の実権は清盛が握った。

赤間神宮
ジュサブロー館の創作日記
赤間神宮(あかまじんぐう)は、山口県下関市にある神社である。

壇ノ浦の戦いにおいて幼くして亡くなった安徳天皇を祀る。

平家一門を祀る塚があることでも有名であり、「耳なし芳一」の舞台でもある。

清盛不動
ジュサブロー館の創作日記

2008年制作
撮影 Canon EOS 40D
EF100mm F2.8 マクロ USM
伊勢平氏棟梁忠盛の嫡子として生まれ、平氏棟梁となる。

保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で最終的な勝利者となり、
武士では初めて太政大臣に任ぜられる。

娘の徳子を高倉天皇に入内させ「平氏にあらずんば人にあらず」と言われる時代を築いた。

平氏の権勢に反発した後白河法皇と対立し、
治承三年の政変で法皇を幽閉して徳子の産んだ安徳天皇を擁し政治の実権を握るが、
平氏の独裁は貴族・寺社・武士などから大きな反発を受け、
源氏による平氏打倒の兵が挙がる中、熱病で没した。

藤原通憲(信西)
ジュサブロー館の創作日記
2008年制作
撮影 Canon EOS 40D
EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM

信西は出家後の法名、俗名は藤原 通憲(ふじわら の みちのり)。

藤原南家貞嗣流、藤原実兼の子。

信西は鳥羽法皇に仕えるが、
1155年、近衛天皇が崩御すると、幸運にも妻朝子が乳母となっていた
雅仁親王が後白河天皇として即位し、権力者の地位を得る。

保元の乱が起こると、源義朝の献策を積極採用して夜襲作戦を行い、後白河天皇方に勝利をもたらした。

六条帝順仁
ジュサブロー館の創作日記
2008年制作
撮影 Canon EOS 40D
EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM

六条天皇1164年~1176年。

第79代天皇 在位:1165~1168年。

諱を順仁(のぶひと)という。

二条帝守仁
ジュサブロー館の創作日記
2008年制作
写真をクリックすると大きいサイズで見ることが出来ます。
細かいディテールをご覧ください。
撮影 Canon EOS 5D Mark II
EF24-105mm F4L IS USM

二条天皇1143年~1165年、
日本の第78代天皇、在位1158年~1165年、
諱は守仁。

生母が急死したことで祖父・鳥羽法皇に引き取られ、
幼い頃から美福門院により養育された。

当初は近衛天皇が即位しており、更に同じく美福門院の養子として先に入っていた
重仁親王(崇徳上皇の長男)がいたために皇位継承の望みは非常に薄かった。

1151年、9歳で僧侶となるために伯父である覚性法親王のいる仁和寺に入り、法名を孫王と名乗った。

その後、仏典をよく読みこなし「ちゑふかくおはしましけり」と評判になった。

崇徳帝顕仁
ジュサブロー館の創作日記
2010年制作
撮影 Canon EOS 5D Mark II
EF24-105mm F4L IS USM

讃岐に流された崇徳院は何年もかけて五部大乗経の写本作りに専念した、
完成した五つの写本を京の寺に収めてほしいと朝廷に差し出した。

ところが後白河法皇は「呪詛が込められている」と疑ってこれを拒否、朝廷は写本を送り返してきた。

これに激しく怒った崇徳上皇は、自分の舌を噛み切って、その血でせっかくの五つの写本全てに
「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」「この経を魔道に回向す」と書き込んだ。

爪や髪を伸ばし続け、夜叉のような姿になり、後に生きながら天狗になった、とすら言われた。

高野山 西行桜の下で
ジュサブロー館の創作日記
2009年夏

辻村寿三郎は21世紀に入り現在の世情を平安時代に重ね「源氏絵巻縁起」から「雨月物語~白峰~」
そして「平家物語」と独自の新解釈で新たなる創作人形を発表してきました。

人形作家として50年の節目を迎えた今回は「清盛無常縁起」と題し、
時代を大きく転換させた平清盛の栄華盛衰の顛末をドラマチックにお送りいたします。