・・・
・・・フフフ。
・・・クックックッ・・・
ようこそ、☆ダーク・ユリウス☆ブログへ。久しぶりにお目にかかる方々も、初めてこの☆ダーク☆とお目にかかる方々も、心より歓迎するとしよう。いつもつまらぬ☆ユリウス☆ごときのお相手をしていただき、みなさんは本当に寛容の精神豊かな心広い方々でいらっしゃる。この☆ダーク☆には、とても☆ユリウス☆など耐えられないし、まったく相手にする気もない。ハッハッハッ・・・
最近、愚かな☆ユリウス☆の気配が薄れていたので、ふと立ち寄ってみた。☆ユリウス☆は、相変わらず甘ちゃんな記事を書き続けていたようだ。毎度、進歩の跡が見られぬ☆ユリウス☆め。だから仕事もきびきびこなせず、山奥で延々とこもる羽目に陥るのだ。風の便りに聞いたところでは、当初の2週間では済まずに、さらに期間が延びるのは確実とのこと。賢明なみなさんの目を☆ユリウス☆の下らぬ記事で汚されぬ期間が増え、この☆ダーク☆、みなさんともども、心より喜んでいる次第である。フッハッハッ・・・
知識も知恵もない☆ユリウス☆のために、この優しい☆ダーク・ユリウス☆から、また置き土産をしてやることにしよう。証明可能な知識のみが真の意味での「知識」であり、したがってそれは科学的知識である。ただしこの証明可能という意味は、実証主義における「実証」の概念とは違うのだ。実証主義ではその実証性が無限に開かれているが、その実証性の限界をまずしっかりふまえた上で、証明がなされる必要があるのだ。
一方、形而上学の対象は、「知恵」すなわち理性的信念に過ぎない。それは知識を超えたものであり、その役割は決定すること、もしくは評価することにあるのだ。だから、知識の真理は唯一であるが、知恵の方はいくつかのものがありうるのだ。
よって、1+1は、主体が二つの物を一つに結合する行為を表しているように思われるかもしれないが、必ずしもそうではない。1+1は同義反復に過ぎず、数学的思考が「構成」したり「発明」したりするのではないのだ。それはもともと論理的統辞の問題であって、主体の活動が構成する体の問題ではないのだ。普遍は思考とは独立に存在し、思考は普遍を直接に把握する・・・この考えは、思考が発生的に漸次形成されるものだという点をまったく無視した、もしくは見落とした、夢のような話なのだ。
と、この☆ダーク・ユリウス☆が優しい思いやりで分かり易くかみくだいて話したところで、無能な☆ユリウス☆に吸収できると期待出来るべくもないか。フフフ・・・。☆ユリウス☆には、愚鈍な彼流が一番お似合いかもしれぬな。ワッハッハッ・・・!
さて、こんな所でかなり道草を食ってしまった。☆ダーク☆、そろそろおいとまさせていただくことにしよう。そうそう、☆ユリウス☆めは、こんな事も考えているようだ。しばらくぺタは停止したままにするようだが、ときどきネタ記事を自動更新するそうだ。完全復帰するまではコメント欄も閉鎖するそうだが、はてさて、愚か者の考える事は理解は出来ぬが、何とも笑わせてくれるものだ。☆ダーク☆が思うに、休日に記事を書く暇があるなら、それを自己鍛錬に振り向け、より迅速&鋭敏に業務を遂行出来るようにすべきであろう。みなさん、愚かな☆ユリウス☆をお許し下されよ。ククク・・・。
この☆ダーク・ユリウス☆にお付き合いいただいたみなさん、☆ユリウス☆が長期不在の時に、またお会い出来る時まで、ごきげんよう。
フッフッフッ・・・。
クックックッ・・・。
・・・。
・・・フフフ。
・・・クックックッ・・・
ようこそ、☆ダーク・ユリウス☆ブログへ。久しぶりにお目にかかる方々も、初めてこの☆ダーク☆とお目にかかる方々も、心より歓迎するとしよう。いつもつまらぬ☆ユリウス☆ごときのお相手をしていただき、みなさんは本当に寛容の精神豊かな心広い方々でいらっしゃる。この☆ダーク☆には、とても☆ユリウス☆など耐えられないし、まったく相手にする気もない。ハッハッハッ・・・
最近、愚かな☆ユリウス☆の気配が薄れていたので、ふと立ち寄ってみた。☆ユリウス☆は、相変わらず甘ちゃんな記事を書き続けていたようだ。毎度、進歩の跡が見られぬ☆ユリウス☆め。だから仕事もきびきびこなせず、山奥で延々とこもる羽目に陥るのだ。風の便りに聞いたところでは、当初の2週間では済まずに、さらに期間が延びるのは確実とのこと。賢明なみなさんの目を☆ユリウス☆の下らぬ記事で汚されぬ期間が増え、この☆ダーク☆、みなさんともども、心より喜んでいる次第である。フッハッハッ・・・
知識も知恵もない☆ユリウス☆のために、この優しい☆ダーク・ユリウス☆から、また置き土産をしてやることにしよう。証明可能な知識のみが真の意味での「知識」であり、したがってそれは科学的知識である。ただしこの証明可能という意味は、実証主義における「実証」の概念とは違うのだ。実証主義ではその実証性が無限に開かれているが、その実証性の限界をまずしっかりふまえた上で、証明がなされる必要があるのだ。
一方、形而上学の対象は、「知恵」すなわち理性的信念に過ぎない。それは知識を超えたものであり、その役割は決定すること、もしくは評価することにあるのだ。だから、知識の真理は唯一であるが、知恵の方はいくつかのものがありうるのだ。
よって、1+1は、主体が二つの物を一つに結合する行為を表しているように思われるかもしれないが、必ずしもそうではない。1+1は同義反復に過ぎず、数学的思考が「構成」したり「発明」したりするのではないのだ。それはもともと論理的統辞の問題であって、主体の活動が構成する体の問題ではないのだ。普遍は思考とは独立に存在し、思考は普遍を直接に把握する・・・この考えは、思考が発生的に漸次形成されるものだという点をまったく無視した、もしくは見落とした、夢のような話なのだ。
と、この☆ダーク・ユリウス☆が優しい思いやりで分かり易くかみくだいて話したところで、無能な☆ユリウス☆に吸収できると期待出来るべくもないか。フフフ・・・。☆ユリウス☆には、愚鈍な彼流が一番お似合いかもしれぬな。ワッハッハッ・・・!
さて、こんな所でかなり道草を食ってしまった。☆ダーク☆、そろそろおいとまさせていただくことにしよう。そうそう、☆ユリウス☆めは、こんな事も考えているようだ。しばらくぺタは停止したままにするようだが、ときどきネタ記事を自動更新するそうだ。完全復帰するまではコメント欄も閉鎖するそうだが、はてさて、愚か者の考える事は理解は出来ぬが、何とも笑わせてくれるものだ。☆ダーク☆が思うに、休日に記事を書く暇があるなら、それを自己鍛錬に振り向け、より迅速&鋭敏に業務を遂行出来るようにすべきであろう。みなさん、愚かな☆ユリウス☆をお許し下されよ。ククク・・・。
この☆ダーク・ユリウス☆にお付き合いいただいたみなさん、☆ユリウス☆が長期不在の時に、またお会い出来る時まで、ごきげんよう。
フッフッフッ・・・。
クックックッ・・・。
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