京極夏彦氏の作品についてのブックレビューとしては,これが2つ目でしょうか。もっとも,氏の作品はこれ以外にも読んではいます。その(私の読んだ)中で,法学的な視点で「レビュー」をする価値があろうと思われるのが,これが2本目だということです(したがって,未読のものを必ずしも包摂しているわけではありません)。
今回は,『虚実妖怪百物語 序/破/急』です。これは,それぞれ,『虚実~』の『序』・『破』・『急』の3冊合本版です。そのせいか,総ページ数は1400ページ弱に及びます。私自身,読み終わるまでに相当時間をかけることとなってしまいました。
書評書は,いわゆる「実名小説」であり,同時に「(実際に妖怪が具現化して出てくるという意味でも)妖怪小説」でもあります(それにとどまらず,映画・特撮・アニメの多岐にわたる(非常にネタが微妙な)「エンタメ小説」でもあります)。
本書評書については著者の京極夏彦氏へのインタビューが複数あります(例えば,「京極夏彦『虚実妖怪百物語』〈刊行記念インタビュー〉――実在の作家や編集者が妖怪と戦う!? 前代未聞の実名小説がここに登場!」や「京極夏彦『虚実妖怪百物語』刊行記念 角川文庫創刊70周年スペシャルインタビュー」など)。
書評書では,あらゆる場面で,「これは現在に対する風刺では」と思われる個所が出てきます。もっとも,京極氏は,この点についてはそのような意図はなかったとしています(例えば,前掲の角川文庫創刊70周年記念インタビュー)。それでも,テクストは,「自由」です。筆者の意図は,テクスト解釈の1つの根拠に過ぎません(なおも最も大きな根拠にはなるでしょうが)。残念ながら,世相を反映しつつあるという現実は見逃せないように思われます。それでも,京極氏の「適当に読むのが一番正しい読み方だと思いますよ。なにせ,与太話に過ぎませんからね。」との言のように,「そこには,まあなんにもなかった」(本書1388ページ)というのが,あくまで書評書を流れているものなのかもしれません。その意味では,見ようによっては,社会風刺を受け取ることすら,「ないものをあると錯覚している」のかもしれません(もっとも,前掲の角川文庫創刊70周年記念インタビューでも,氏は社会への憂いを見せてはいます)。
本書は,「馬鹿」でもって構成されています。そして,「馬鹿」が現世を救うとも。その「馬鹿」こそが妖怪であり,またそれを取り巻く人々であると理解するわけですが,この「妖怪」は,実は「馬鹿」以外にも,いろんなもの(例えば社会的なマイノリティ(の力)など)を含んでおり,考え始めたらキリがありません。やはり,「そこには,まあなんにもな」いのだから,「与太話」だと受けって,「適当に読」めばいいのかもしれません。
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