昨日は心療内科の日だった

先生と色々話をしていて

 

人混みが疲れる事や

一対一(安心出来る相手)は良くても数人になると辛い話をしていたら

 

「人間が嫌いなんやろう、もう少し図太くなれたら楽やねんけどなぁ」

と先生言われた

 

確かに一理あるけれど、自分の中では少し違うところがあって

 

「私は人と関わる全部が嫌いなわけじゃない。快適な人は居るし、その関わりは大切だし好ましい」

と感じているし

それから

「図太くなって楽になったとしても 繊細に感覚を感じる事は持っていたい」

と思っている


(先生に言われた事で自分の望みが出た瞬間)

 

リーゼ(誠意新安定剤)を飲むと頭が緩んで楽にはなるけれど

身体がだるくて「何も出来ない」という状態になる場合も多い(私の場合だが)

(心身、頭もリラックスして生きたいという望みが出た瞬間)

 

先生が言ってた事を思い出す

「躁状態になった時に動きすぎないペースを持つ

鬱の時も何もしないのではなく、今日これだけはする必要がある(振り込みとか期日のあるもの)事を一つでもやっておくと良い。そうすると自分を責めないから。

まあ良いか、と生きられる様になる事が大事やねんで」

 

それを思い出すと

「何も出来ない」

と思いながらもご飯は作るしブログも書ける様になった。

(無価値観から自己肯定に変化した)

 

それならこれからは

 

1日に1つでも山積みになっている事をやっていけたら良いな、それも助けて貰いながら

(望みがでた)

 

「何も出来ない」

 

の基準は人それぞれで

ある意味 今日生きていたならそれは

「生きると言う事が出来た」

と言う事だ

 

人と会えなくなって半年

心療内科に通い始めて4ヶ月

Happy理論5年目

56才

これが今の私だ

 

ここに綴っているのは 私のための記録だ

「ここで(この三次元地球で)本当の自分(ソースと繋がった自分)で気分よく生きたい。ここに頭の中にある膨大なアイディアを形にしたい。それを望む」

 

どこまで行けるのかは分からないけれどその過程を記録している

 

けれど

これを読んでくれている人がいるなら

 

「私よりはましだな」

とか

「今は何も出来ないけどそれでも良いのかも」

とか思いながら

 

「私なら 今 どうしたいかな」

と、自分の事に置き換えて感じて読んで貰えたなら

今の私には更に幸だ