極真空手物語 長編 2023/11/26
もうすぐ入門、新聞配達業務との闘い
Kyokushin-karate Way story

История Киокушин каратэ 
 Скоро начнем
Історія Кіокушин карате 
  Скоро почнемо
僕は極真空手の黒帯になりたくて1980年3月に卒業式の翌日に東京へ向かった。
泣いている母親に後ろ髪を引かれた。
僕は学費を工面出来なかったから新聞奨学生で朝夕の新聞配達をしながら昼は専門学校に通った。
契約外業務で夕刊後の折込作業、集金、セールスまでさせられて入門は困難を極めた。
真夜中の道の知らない東京では順路帳を持って配達した。
雨降りは壮絶で順路帳はボロボロで毎回書き直し、心に余裕など持てなかった。
とても極真空手に入門するどころではなかった。

僕は毎日新聞奨学生だったから読売や、朝日を購読者世帯に洗剤やタオルをバイクに積んで集金の傍らセールスをした。
販売店では学生でもセールスのノルマが有った。
契約には新規契約が1番ポイントが高く、賞金が貰えた。3ヶ月新規なら2000円『しばり』や『おこし』などは700円で専業さんは2000円だった。
販売店の専業さんとも仲良くなりだした。
同じ契約でも専業さんの賞金は3倍で学生は安く使われたので専業さんに同行した事にして契約書を2000円で売って700円を1000円にした。
北砂道場の南里道場は北砂団地の集会所であるのが何度も探し、交番で聞いて見つけ出した。
そこで夕方の歩道橋から風景に似合わない空手着に黒帯姿の短髪に口ひげ、眼光鋭い30代男性と目が合った。
あの時の目の鋭さ、話かけられる前に
『このヒトは、極真の人だ!』
その人が、後々僕を茶帯まで育ててくれた南里道場師範代の石川次幸氏であり、運命の出逢いを果たしたのだ。
販売店で出逢った専業さんに何度も助けて貰った。
僕は次第にセールストークを身に着け3ヶ月後には関東学生拡張コンクールで3位で表彰され2年目には優勝できた。
念願の入門は上京しては3ヶ月目の6月に果たせた、販売店は江戸川区の葛西で道場は江東区の北砂でバイクで30分だった。
夜の集金セールス業務は雨天は中止だったので他の専業、学生は体を休めだ。
僕は雨天時に集金をしておき、道場へ行く日に振り替えたり道場の帰り21時から集金を開始した。
つづく

2020/9 ジャーナリストの上杉隆氏と池袋で