
「イエスが宮から出て行かれるとき、弟子のひとりが言った、『先生、ごらんなさい。 なんという見事な石、なんという立派な建物でしょう。』イエスは言われた、『あなたは、 これらの大きな建物をながめているのか。その石一つでもくずされないままで、他の石の上に 残ることもなくなるであろう。』(マルコ13:1~2)」
イエスの十二弟子は、イエスといるにもかかわらず、何も悟れないままでいた。
それは、聖霊のバプテスマを受けていなかったからである。
イエスを信じ、信仰告白をし、洗礼は受けていたが、まだ、イエスの十字架の贖いと復活の前
であり、イエスが天に昇天された後に受ける聖霊を受けていなかったからである。
聖霊を受けると、目が開かれ、イエスの言葉を悟れるようになるからである。
それまでたくさんの奇跡を目にし、弟子達自身も悪霊追い出しと癒しの権能を授かっていたが、
それでも、なかなか悟れないでいた。
エルサレムの神殿は、とても荘厳で立派な大理石等でできていたが、イエスは建物に神聖が
あるのではない事をはっきり告げられた。
現代の教会も素晴らしい建造物が多々あるが、それらの建物が、神から見て尊いわけではない。
イエスが来られた事、それ自身が神の神殿である。
そして、イエスを信じ聖霊が宿っているクリスチャンひとりひとりが、神の宮となっている。
神は外面を見られず、その中身(その人自身の信仰と思いと行い)を見ておられる。
エルサレムの第二神殿は、イエスの言葉どおり、のちに崩れ落ちた。
神の御前に不要となったからであり、イエスの贖罪の後は、全世界のクリスチャンが神の宮、
なのである。
それは、聖霊のバプテスマを受けていなかったからである。
イエスを信じ、信仰告白をし、洗礼は受けていたが、まだ、イエスの十字架の贖いと復活の前
であり、イエスが天に昇天された後に受ける聖霊を受けていなかったからである。
聖霊を受けると、目が開かれ、イエスの言葉を悟れるようになるからである。
それまでたくさんの奇跡を目にし、弟子達自身も悪霊追い出しと癒しの権能を授かっていたが、
それでも、なかなか悟れないでいた。
エルサレムの神殿は、とても荘厳で立派な大理石等でできていたが、イエスは建物に神聖が
あるのではない事をはっきり告げられた。
現代の教会も素晴らしい建造物が多々あるが、それらの建物が、神から見て尊いわけではない。
イエスが来られた事、それ自身が神の神殿である。
そして、イエスを信じ聖霊が宿っているクリスチャンひとりひとりが、神の宮となっている。
神は外面を見られず、その中身(その人自身の信仰と思いと行い)を見ておられる。
エルサレムの第二神殿は、イエスの言葉どおり、のちに崩れ落ちた。
神の御前に不要となったからであり、イエスの贖罪の後は、全世界のクリスチャンが神の宮、
なのである。