
「すると、汚れた悪霊につかれた人が会堂にいて、大声で叫び出した。 『ああ、ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんの係わりがあるのです。 わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。 神の聖者です。』イエスはこれをしかって、『黙れ、この人から出て行け』と言われた。 すると悪霊は彼を人なかに投げ倒し、傷は負わせずに、その人から出て行った。 (ルカ4:33~35)」
イエスは、荒野で悪魔の誘惑に打ち勝たれたのち、聖霊の力に満ち溢れ、皆の尊敬を集めた。
育ったナザレの会堂でも、人々の注目を一身に受け、その口から出てくる数々の権威ある
恵みの言葉に対し、褒め称えられ、感嘆もされた。
しかしナザレでは、大工ヨセフの子と皆が認識しており、イエスが痛烈な発言をされると、
手のひらを返したかのように、同胞の人々に崖から突き落とされようとされ、身をかわされた。
それから、ガリラヤのカペナウムに下って行かれた。
イエスはいつも、安息日(今の土曜日)に会堂(今の教会)で、人々に教えられた。
口から発せられる言葉に権威があり、人々はその教えに驚いた。
今迄さんざん聞かされていた人の教えとは違い、権威ある新しい教えであったからである。
その会堂にいた一人の人に、悪霊がとりついていた。
悪霊は、神の子の言葉に耐えられず、その人を通して大声で叫び始めた。
悪霊とは、元々は天使である。
神に仕える為に創られた天の使いであり、きわめてきよい存在であった。
しかし、大天使長ルシファーが、いつしか自分の美しさと賢さに酔い知れるようになり、
自分と神との違いは神の座があるかないかだけである、と誤認し高慢になり、
神に反乱を起こし、自分を神の座に据えようと試みた際、天の使いの三分の一が、
そのルシファーに騙され、従い、神に反旗を翻してしまったのである。
その三分の一の元天使が、今現在の悪霊となってしまったのである。
ルシファー(現在の悪魔)は、美の極み、明けの明星と神に言われる程の、美しい天使であった。
天で神に仕えるきよい美しい天使が、邪悪な汚れた霊となり、地上に堕ちてしまったのである。
悪魔と悪霊には救済はない。
なぜなら、罪というものが存在していない全くきよい天の神の国で、罪を犯したからである。
人間は、この地上に生まれた者であり、アダムが、この地上のきみである悪魔に誘惑され、
罪を犯し、神と断絶され、罪ある者となってしまった為、神の子イエスが天から降り、
地上で人間となり、我が身を捧げ、命を捨てて人間を救済してくださったのである。
ひと言でいうなら、環境が完璧な天で罪を犯した天使達には、救済はないのである。
人は、悪魔が支配するこの地上で罪を犯した為、救済を受けるのである。
イエスを自分の救い主として受けいれ信じる者は、みな救われる道が与えられた。
この事を悪魔と悪霊は知っており、妬んでいる。
この時、ナザレの会堂の一人にとりついていた悪霊は、イエスを見て、慌てふためいた。
いずれ、神に反乱した元天使達は、神に滅ぼされる事が決定事項だからである。
底知れぬ穴に入れられ、最終的には火の池に投げ込まれるのである。
イエスは、この悪霊にものを言う事を赦されなかった。
黙ってすぐに出て行くよう命令され、悪霊は、イエスの言葉にすぐ従ったのである。
イエスの言葉は、神の権威と力とを持っており、被造物は逆らう事はできない。
悪霊は、とりついていた人を投げ倒し、傷は負わせず即座に出て行った。
イエスは、天地創造主なる神のひとり子なので、そのイエスに命じられ創られた者達は、
全てイエスの言葉に従うよう創られている。
しかし、被造物には自由意思というものが与えられており、その自由意思により、
神に従い喜ばれたり、神に逆らい裁かれたりするのである。
イエスを救い主と信じる事と、従って行こうとする事は、一人一人の自由意志であり、
喜んで能動的にイエスを信じる人を、神は喜んで受けいれられる。
自由意思は、ロボットのような強制ではなく、その人の心(本心)を神が望んでおられる故、
そのように神が創られた。
イエスの権威ある言葉は、信じる一人一人の中にも聖霊を通して宿っており、
信じる者は、イエスの名を通し、このように悪霊さえも追い出す権威が与えられている。
ナザレのイエスの名によって命令する時、悪霊さえもそれに従うのである。
自分の力や信仰によるのではなく、ただ、ナザレのイエスの名を信じ、従うだけである。
イエスの名を本心で信じる人は、きよい素晴らしい神の国で永遠に生きる事が赦される。
育ったナザレの会堂でも、人々の注目を一身に受け、その口から出てくる数々の権威ある
恵みの言葉に対し、褒め称えられ、感嘆もされた。
しかしナザレでは、大工ヨセフの子と皆が認識しており、イエスが痛烈な発言をされると、
手のひらを返したかのように、同胞の人々に崖から突き落とされようとされ、身をかわされた。
それから、ガリラヤのカペナウムに下って行かれた。
イエスはいつも、安息日(今の土曜日)に会堂(今の教会)で、人々に教えられた。
口から発せられる言葉に権威があり、人々はその教えに驚いた。
今迄さんざん聞かされていた人の教えとは違い、権威ある新しい教えであったからである。
その会堂にいた一人の人に、悪霊がとりついていた。
悪霊は、神の子の言葉に耐えられず、その人を通して大声で叫び始めた。
悪霊とは、元々は天使である。
神に仕える為に創られた天の使いであり、きわめてきよい存在であった。
しかし、大天使長ルシファーが、いつしか自分の美しさと賢さに酔い知れるようになり、
自分と神との違いは神の座があるかないかだけである、と誤認し高慢になり、
神に反乱を起こし、自分を神の座に据えようと試みた際、天の使いの三分の一が、
そのルシファーに騙され、従い、神に反旗を翻してしまったのである。
その三分の一の元天使が、今現在の悪霊となってしまったのである。
ルシファー(現在の悪魔)は、美の極み、明けの明星と神に言われる程の、美しい天使であった。
天で神に仕えるきよい美しい天使が、邪悪な汚れた霊となり、地上に堕ちてしまったのである。
悪魔と悪霊には救済はない。
なぜなら、罪というものが存在していない全くきよい天の神の国で、罪を犯したからである。
人間は、この地上に生まれた者であり、アダムが、この地上のきみである悪魔に誘惑され、
罪を犯し、神と断絶され、罪ある者となってしまった為、神の子イエスが天から降り、
地上で人間となり、我が身を捧げ、命を捨てて人間を救済してくださったのである。
ひと言でいうなら、環境が完璧な天で罪を犯した天使達には、救済はないのである。
人は、悪魔が支配するこの地上で罪を犯した為、救済を受けるのである。
イエスを自分の救い主として受けいれ信じる者は、みな救われる道が与えられた。
この事を悪魔と悪霊は知っており、妬んでいる。
この時、ナザレの会堂の一人にとりついていた悪霊は、イエスを見て、慌てふためいた。
いずれ、神に反乱した元天使達は、神に滅ぼされる事が決定事項だからである。
底知れぬ穴に入れられ、最終的には火の池に投げ込まれるのである。
イエスは、この悪霊にものを言う事を赦されなかった。
黙ってすぐに出て行くよう命令され、悪霊は、イエスの言葉にすぐ従ったのである。
イエスの言葉は、神の権威と力とを持っており、被造物は逆らう事はできない。
悪霊は、とりついていた人を投げ倒し、傷は負わせず即座に出て行った。
イエスは、天地創造主なる神のひとり子なので、そのイエスに命じられ創られた者達は、
全てイエスの言葉に従うよう創られている。
しかし、被造物には自由意思というものが与えられており、その自由意思により、
神に従い喜ばれたり、神に逆らい裁かれたりするのである。
イエスを救い主と信じる事と、従って行こうとする事は、一人一人の自由意志であり、
喜んで能動的にイエスを信じる人を、神は喜んで受けいれられる。
自由意思は、ロボットのような強制ではなく、その人の心(本心)を神が望んでおられる故、
そのように神が創られた。
イエスの権威ある言葉は、信じる一人一人の中にも聖霊を通して宿っており、
信じる者は、イエスの名を通し、このように悪霊さえも追い出す権威が与えられている。
ナザレのイエスの名によって命令する時、悪霊さえもそれに従うのである。
自分の力や信仰によるのではなく、ただ、ナザレのイエスの名を信じ、従うだけである。
イエスの名を本心で信じる人は、きよい素晴らしい神の国で永遠に生きる事が赦される。